第七章「真実」―2
「それは、ならぬ」
皇帝――ジョーゼットは、無表情のまま言った。
「そんな……お父様、どうしてっ……」
「ならぬものはならぬ」
ジョーゼットはただ、無表情のまま、無感動に繰り返した。
「……理由を、お聞かせ頂けませんか? 伯父上」
リューシュンは、鋭い目をして言った。
「……第二十一皇女は、巫女である」
「……それは、存じております。ですが、フェイネットは伯父上の実の娘です。確かに、巫女は妃となり、この国に仕えるのが使命です。宿命と言っても過言ではないでしょう。そして、歴代の皇族の巫女達は、生涯独身のままこの国にその身を捧げました。ですが……巫女が結婚してはならぬという法はございません。そして結婚しても、巫女として、この国にその身を捧げることはできます」
「それに、お父様。あたしには覚悟があります。ウォルフェムと結婚しても、巫女としての勤めを怠るつもりはありません」
メイファとリューシュンは、真剣に言った。
だがジョーゼットは、相変わらず感情の読めない声と表情で言った。
「ならぬ。……巫女が結婚してもよいのは、皇帝のみである。何故ならば、巫女がその身を捧げる相手は、この国であるからだ。皇帝とは、つまりこの国そのもの。……それ以外の者と結婚することは、巫女としての勤めを投げ出すことになる」
ジョーゼットは不自然なほどねっとりとした視線で、メイファの体を嘗め回すように見た。
メイファは、思わずぞっとして身を引いた。
そして、ジョーゼットは感情の読めない目で、ミリーメイを見たのだ。
「第三十六皇妃。余の申すこと、分かるな?」
それは、既に質問ではなかった。
ただの、確認だった。
「そん、な……陛下っ! メイファは――フェイネットは、陛下の娘ですっ! なのに……それなのに、妃として求めると言うのですかっ? 陛下っ!」
ミリーメイは、思わず大声を上げた。
「余の申すことは絶対である。第二十一皇女よ、其方は、余の第四十八皇妃となる。……これは、既に決定したことである」
ジョーゼットはそう言うと、リューシュンを見て言った。
「ツェーヴァン公爵よ。其方は、我が娘にして我が妃となるべき第二十一皇女を誑かした。よって、公爵位剥奪、及びこの皇宮から追放する。庶民として、市井に下れ。前第十皇子らと違い、場所も金も用意しない。自らの力のみで生きていけ。……其方が、我が皇家と関わることは二度とない」
ジョーゼットは一方的に言うと、手を振った。
「下がれ」
三人は、呆然としながらも部屋から出て行くしかなかった。
「……だから、帝都を出たのですか?」
リラは、嫌悪感に体を震わせながら訊いた。
何ともおぞましく――嫌な、聞きたくもないような話だった。
「……ええ。あのままじゃあ、リューシュンはたった一人で追放されてしまうし、メイファは皇帝の妃にさせられてしまう。そんなのは、メイファの母として――そして、リューシュンの義母としても伯母としても、許せることじゃなかったの。……でも、すっごい緊張したし、怖かったわ」
ミリーメイは、膝に顔を埋めて言った。
「……ああ言われた以上、愚図愚図してはいられなかった。……だから、次の日の……まだ明け方の頃に、皇宮を出たわ」
その言葉に、ウィオは目を瞠って言った。
「明け方? でも、その……それって、凄い目立つんじゃ……」
「いいえ。そうでもないわ。その……皇宮で言う明け方って……夜明けから、もう一刻半以上も経ってる時間帯なのよね。皇宮じゃあ連日連夜、夜会が開かれてるから……その時間は、まだ寝てる人の方が多いのよ。……だから、警備も比較的手薄だし、門も開いてるわ。そして、皇宮やその周辺の門の中に屋敷を構える貴族の家は、丁度その時間帯に食べ物やら何やらを仕入れるの。……つまりは、明け方って言うのは王侯貴族だけの話で、庶民の人通りはかなりある方ね。……だから服装さえ変えて、あとは部屋を抜け出す時に気を付ければ、抜け出すのは結構簡単だったわ」
ミリーメイの言葉に、メイファとリューシュンが頷いた。
「ああ……そうなのか……」
ウィオは、感心したような、呆れたような声を出した。
「ええ。そうなのよ。……だから、さっき騎馬隊が来た時、本当にびっくりしたわ。……まさか、って思った。お父様が執念深いのは知ってたけど……まさか、そう簡単にどこに向かっているかって、分かるとは思わなかった。……だって、あの人達……帝都でも、かなりの精鋭として名高い部隊の、その中でも精鋭と呼ばれる騎馬隊だもの。つまり、精鋭中の精鋭。……だから、お父様は……あたし達がどこに向かっているのか、知ってるってことになるわ」
メイファはそう言うと、ウィオ達に向かって身を乗り出した。
「ねえ、リラさん、ウィオさん、マウェさん。悪いことは言わないわ。今すぐあたし達と別れて、目的地に向かって。あたし達と一緒にいると、絶対に厄介なことに巻き込まれるわ。お父様は、やりたいことが――得たいものがあるのなら、どんなことでもやる。手段なんて、選ばない。……あたしはこれ以上、貴方達を巻き込みたくはないのよ」
メイファの言葉に、リラが笑って首を振った。
「……メイファさん。それは、見当違いの心配です。……ご心配は、無用なんです。……だって私達、メイファさん達のことがなくても、否応なく皇帝に巻き込まれてるんですから」
そう朗らかに告げられ、目をぱちくりさせているメイファとリューシュンに対し、リラは軽く言った。
「だって、私も巫女なんです。ミリーメイさんや、メイファさんと同じ」
リラは、メイファとリューシュンの目が大きく見開かれていくのを、どこか楽しげに見ていた。
そして、思った。
(う~ん……やっぱり、ミリーメイさんは驚いてないなぁ。……やっぱり、マウェさんに聞いてたんだよねぇ……)
リラは、今までのことを全て語った。
自分が、母親によってその存在を隠され、力を封じた巫女であること。
その衝撃で、母は死んでしまったこと。
そして、ウィオがメイラン村の村長の唯一の跡取りであり、リラはメイラン村の副長で、でも、他に副長となれる人は誰もいないこと。
……そして、それにも拘わらず、ウィオとリラは婚約者だということ。
その話を聞いたメイファとリューシュンの顔から、さっと血の気が引いた。
「じゃ……じゃあ、マウェさんと、ウィオと、リラさんの間には……」
「何も血の繋がりはないな」
ウィオの言葉に、メイファは唖然とし、リューシュンは信じられないとばかりに首を振った。
「……だって、あんなに仲が良さそうだったのに……」
「それどころか、マウェさんとはつい二ヶ月ぐらい前に会ったばかりです」
リラの言葉に、リューシュンはまたもや目を瞠った。
「……それで、あんな演技を?」
「ええ。そうですね」
マウェは笑って言い、リラに話を続けるように目で促した。
そしてリラは、自分達が産まれた時に起こった色々なごたごたと、つい二ヶ月前に起こったその蒸し返された話、そして、自分達が旅に出た理由……《ウェルクリックス》のこと。
そのことを聞いた途端、ミリーメイとメイファははっきりと顔色を変えた。
「そ、んな……まさかっ!」
「《ウェルクリックス》を、捕まえろ、ですって……?」
二人とも呆然としていて、リラは少し気の毒になった。
「はい。……ですから、皇帝は既に、私のこととメイラン村のことを、狙ってるんだと思います。……だから私達は、ミリーメイさん達と出会わなくても、出会っても、結果はおんなじなんです」
リラはそう言うと、パンと手を打った。
「あ、そうだ。そう言えば、言ってませんでしたね。マウェさんとは血の繋がりもなくて、つい二ヶ月ぐらい前に会ったばっかりだってのはさっきも言ったと思うんですけど……その、帝都からの使者さんが来た時に、マウェさんはその人と一緒だったんです。……使者の身の周りの世話をする、奴隷として」
その言葉に、メイファとリューシュンが驚いてマウェを見た。
「んな……馬鹿なっ! マウェさんが……奴隷っ?!」
「だって……あんなに頭が良かったのに……!」
その言葉に、マウェはにっこりと笑って答えた。
「ええ。私は産まれた時から奴隷だったのですが、幼い頃から各地を回る方達のお世話をしてきたので……ですからその知識は、その時に得たものなのです。……それと」
マウェは、すっと真剣な顔になった。
そして、自らのことを語りだした。
自分の祖先の生まれ故郷は、ミカッチェ村という村だったということ。
近くには《ウェルクリックス》のいるウェブラムの森があり、昔から妃達の一行が《ウェルクリックス》の羽根を得る為に来ていたこと。
そして、どうしてミカッチェ村がなくなったのかと、昔語りの〝鬼の森〟との関係性。
その〝鬼の森〟の話が実際に起きた後、ミカッチェ村に何が起こったのか。
全てを語り終え、マウェが一息付くと、メイファとリューシュンは詰めていた息を吐き出した。
「……とんでもない、話だな」
リューシュンは、僅かに蒼褪めながら言った。
「ええ……それにしても、信じられない。……マウェさんが奴隷で、ウィオさんが村長の跡取りで、リラさんが副長で、しかも巫女だなんて……」
メイファは、小さく首を振りながら言った。
「そりゃあ、こっちにしても同じことだぜ。ったく、リューシュン達が皇族だったなんてよ……。いくらなんでも、普通の庶民じゃないだろとは思ってたけどさ……」
ウィオは、軽く溜息をつきながら言った。
(あ、ウィオも、気付いてたんだ……ま、それが普通か。だって……どう見ても、メイファさんとリューシュンさんって、物腰とかに気品があるもんね)
リラが納得していると、ウィオがこちらを向いて言った。
「なあ、リラ。……お前、知ってたのか?」
「……まさかっ! 私だってびっくりしたわよ? だって皇族だなんて……」
リラは首を振って言うと、小さく笑った。
「まあ、ミリーメイさんとマウェさんは、その限りじゃないみたいだけどね。……あの、ウォルラの森を抜ける時、野宿したじゃないですか? ……その時、何か話してましたよね? あの時、私寝惚けていたので、あまりよく聞こえなかったんですけど……」
リラがそう言うと、ミリーメイが小さく目を瞠った。
「あら、気付いてたの? ……ええ。そうね。私とマウェさんは、あそこで、情報交換していたのよ。……こう見えても、私は巫女だからね。何か、リラさんが可笑しいなって思ってたのよ。詳しくは、よく分からなかったんだけど……まあ、それもしょうがないと言えばしょうがないんだけどね。まさか、力を封じてあるとは思わなかったから。……それで、あの夜……マウェさんに、言われたのよ。貴方達は、この国の皇族ではありませんか? って。私は前に、貴方達を皇宮で見掛けたことがあるような気がします。ってね。それで驚いて、お互いに知っていることを全部打ち明けてね……で、さっきの軍隊が来た時に名乗った名前は、その時に決めてたって訳。でも、まさか歳まで訊かれるとは思っていなかったから、歳は即興で考えて答えたけど」
ミリーメイはそう言うと、小さく肩を竦めた。
「でも……まさか、本当に、すぐに追ってくるとは思わなかったわ。もっと時間が経つと思ってたもの」
ミリーメイは、ジャルウォン村の方を見詰めて言った。
「まあ、あそこが私の生まれ故郷だってことは、本当のことなんだけど……。でも、真っ正直に故郷に向かうなんて、皇帝も思ってもみないだろうって考えてたんだけどなぁ……。う~ん、裏を掻いたつもりだったんだけど、甘かったみたいねぇ……」
ミリーメイは、小さく目を細めた。
ふと、リラは気になっていたことを口にした。
「あ……そうだ、ミリーメイさん」
「何?」
「あの……ミリーメイさんのご両親って……ジャルウォン村にいるんですか?」
そのリラの疑問に、ミリーメイは小さく首を振った。
「いいえ。父も母も、もう十年以上前に死んでいるわ。……だからこそ、私達はこっちへ来たのよ。……他の方向へ行った方が、国外に出るには早いんだけど、それだと追っ手も追いかけて来やすいから……。こっちだと、少し遠回りになるけど、追っ手を撒くにはいいし、父も母も死んでいるから、迷惑も掛けないしね」
ミリーメイの言葉に、ウィオが呆然と呟いた。
「国外、って……」
「ええ。……とにかくフェーヌラブム帝国の外に出て、それから仲の良くない国――例えば、セーリエイム王国なんかへ逃げ込めれば、こっちの勝ちよ。まさか、そこまでは追って来れないでしょうからね」
ミリーメイの言葉に、リラは鳥肌が立った。
「……じゃあ、それまで……ずっと、逃げるつもりだったんですか……?」
「ええ。そうしないと……私達は、殺されてしまうだろうから。特にメイファなんて、死ぬよりも酷い目に遭わされるのが決まり切っているのに、どうして向こうが追って来れる場所に逃げなきゃいけないの? 徹底的に逃げ切らなきゃ意味がないわ。そうしなきゃ、私達に未来はないのよ」
その言葉に、リラは益々ぞっとなった。
「さ、そろそろいいでしょう? もうそろそろ動き出さないと」
ミリーメイの声に促され、五人は慌てて立ち上がった。
「ええ、そうですね」
「じゃあ、行こうか」
「でも……」
ふと、マウェが言った。
「ん?」
「何ですか?」
「あまり急いで行くのも、考え物ではないでしょうか? 先程の軍隊が、ジャルウォン村で休憩を取っていないとも限りませんし……それに、ジャルウォン村はミリーメイさんの故郷だというのなら、そこで休憩がてら訊き込みをしていても可笑しくはありませんし。もし、軍隊が訊き込みをしている時に私達がジャルウォン村に着いてしまって、そしてミリーメイさんだと気付かれたとしたら、危険ではないでしょうか? ですから、せめてお昼過ぎまでここでじっとしていた方が安全ではないかと思います」
マウェの言葉に、ミリーメイははっとしたような顔になった。
そして苦笑すると、目を軽く瞑った。
「は~。やっぱり焦ってるのかしら。そういうこと、全く思い付かなかったわ……」
ミリーメイはそう言うと、再び座り直し、五人もそれに倣った。
そして、取り留めのない話を――今度こそ真実の、本当の話をして、時間を潰したのだった。




