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旅中記  作者: 琅來
第Ⅰ部 往く道は、遠く、遙かに……
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第六章「国軍」―2

 六人は、やっとのことでムウェリの街を抜け出した。

 その頃には、食堂を出てからもう一刻が経っていた。

 何とも広い街である。

 これなら確かに、物価が高いのにも拘らず、大勢の人が集まる、交通や物の流通の要所であるということがよく理解できる。

 ムウェリの街の外には、緑の原野が広がっていた。

 とても広々としていて、目の前の風景を妨げる物は低木しかなく、遠くまで見渡せる大きな草原だった。

 まだ、辛うじて細い道はあったものの、とても細々としていて、今にも消えてなくなりそうだ。

 いや、既に消え掛かっていると言っても、決して過言にはならないであろう。

 それほどの細さであった。

 おまけに、ここを通る人もこの六人以外には誰もいず、先程のムウェリの街の活気からは、全く想像もできないほどだった。

 だがウィオにとっては、どこもかしこも石や煉瓦で覆われた街よりもくつろげ、落ち着ける場所だった。

 だから、思わず深い深呼吸をしてしまった。

 そうすると、益々心のどこかが緩むような、張り詰めていた物がどこかへ消えていくような感覚がした。

 とても心地のいい気分だ。

 ふと、ちらりと隣を見ると、リラも同じようにしていた。

 恐らく、ウィオと同じことを感じ、考えているのだろう。

 リラは確かにメイラン村のふくおさではあるが、いくら副長とはいっても、まだ十五歳であるリラは、副長の仕事を全てやっているとは言えない。

 むらおさであるウェルやリラの親族が、代理となって副長がやるべき仕事をこなすこともよくあった。

 だから、リラはこの旅に出るまで、『街』というものに行ったことがなかったのだ。

 勿論、それはウィオも同じだ。

 まあ、その大きな理由の一つは、メイラン村の近く――一日で行って戻って来られる範囲に『街』がないということもあるとは思うが。

 そして、ミリーメイもウィオやリラと同じように深呼吸をして、懐かしげに辺りを見回しているのが見えた。

 彼女にとって、この地は既に故郷に近いのだろう。

 その目はとても穏やかで、懐かしい過去を辿るような目付きをしていた。

「ああ……ここよ。すっごく、懐かしいわ……今まで通って来た街や村は、以前の面影が見当たらないぐらい全く変わってしまった所もあったし、そうでなくても、変わってない場所なんて、どこにもなかったってのに……。でも、ここは違う……全然違うわ……昔と、全くおんなじよ。全然、変わってないわ。……そう、あの時も……こんな風だった……この道を連れられて、まだ子供だった私は、帝都へと向かったの。……今でも、はっきりと思い出すわ……」

 ミリーメイは、穏やかな笑みを顔に浮かべた。

 本当に、ここが懐かしく思っているのだろう。

 だが……少し、違和感もあった。

 そう――例えて言うのなら、不自然、か。

(何だろう……一体、何が変だっつうんだ……?)

 ウィオはしばらく考え込んでしまったが、すぐにその答えに思い到った。

(そうだ――分かった。……何でだろう。どうして、顔は笑ってるのに……目元も笑ってるのに……その奥の目が、笑ってねえんだ。悲しそうで、何だか……どこか、暗い? 闇……かな? 何だろう……何で、笑ってるのに悲しそうなんだ……?)

 ウィオは、不思議に思ってミリーメイを見詰めた。

 だが、ミリーメイはこちらの視線に気付いていないようだ。

 相変わらず、どこか懐かしそうな表情で、この草原を眺めている。

 すると、リラが明るげな口調で言った。

「ねえ。メイファさん、リューシュンさん。そんなに疲れた顔しないで下さい? 折角ここまで来れたっていうのに……今日中には、絶対にジャルウォン村に着きますよ? そうすれば、メイファさんのお祖父さんのご容態もよく分かると思いますし。だから、もっと明るい顔して下さい!」

「え……ええ。そうね……それはよく分かるわ。……でも、ねぇ……。この中を、ひたすら真っ直ぐに行くのかと思うと……ちょっとね。……そうしなきゃ、ジャルウォン村には着かないって、分かってはいるんだけど……何か、これを見たら……ちょっと脱力しちゃったわ……」

「ん……それは、僕も同感だなぁ……。これでも、それなりに鍛えてるつもりだし、延々と先が見えない道を歩くのは、今までの旅の中で慣れたつもりだったんだけど……ちょっとさ、こういうのを目にするとね……何か、力が抜けるって言うか、何て言うか……」

 二人とも、この先が見えない草原に、早々に辟易としてしまったようだ。

 すると、それを聞いたミリーメイが、二人に向き直り、腰に手を当てて、呆れた、と言わんばかりの口調で堂々と言った。

「全くもう、あんた達、情けないったらありゃしないわよ? ほんっと、これが私の娘と義理の息子なのかしらね? あ~あ……ほんっとうに、情けないわ。ああ、恥ずかしい。ちょっとはマウェさんやウィオさんやリラさんを見習ったらどうなの? あ~あ……こ~んなに広いとこを見て、開放感を覚えるのならともかく、気詰まりを感じるって……全くもって信じられないわ」

 その言葉に、メイファとリューシュンが、苦笑しながら首を振って言った。

「そんな……しょうがないじゃないの? お母さん。あたしもリューシュンも、この旅に出るまでは、ろくに帝都の外に出たことなんてなかったんだからさぁ……ちょっとは大目に見てよ」

「そうですよ。お義母かあさん。お義母さんにとっては、ここは故郷かも知れませんけど……でも、僕やメイファにとっては、ここは見ず知らずの土地なんですから。……少しは手加減して下さい」

 そのリューシュンの言葉に、ミリーメイの眉が上がった。

 そして、憤慨したような口調で言った。

「まあっ。だったら、大人しく帝都にいる方が良かったのかしら? 私達に付いて来なかった方が良かったと言うのかしら、この私の義息子むすこは。ほんっと、情けないったらありゃしない。それでも男なの?」

 その言葉に、リューシュンはムッと顔を顰めた。

 そして、どこか刺々しい口調で言った。

「お義母さん。それはありませんよ。僕は、自分の……僕自身の意思で、メイファやお義母さんと一緒に行こうと思ったんですから。それに、あそこには……僕の居場所なん、て……」

 リューシュンの声は、どんどん尻窄みになった。

 そして、大きく目を瞠ってある一点を凝視した。

 その目には、どこか恐怖の色も窺えた。

 その顔は、斜め後ろを見ている。

 ウィオは、そのリューシュンの異常な様子に驚き、リューシュンが凝視している方向を向いた。

 一瞬、訝しげに思ったが、すぐにウィオも気付いた。

 勿論、マウェも。

 そしてその二人からは数瞬の時を置いて、女性陣も気付いた。

 まだ遥か遠くにしか見えないが、何が来ようとしているのかは、火を見るよりも明らかだ。

 まだまだ遠いが、轟くような、まるで雷が地中で鳴り響いているかのような、凄まじい地響き。

 地面が、軽く揺れているような錯覚を覚える。

 そして、その視覚から得られる情報――

「ど……して、軍隊がっ……?」

 思わずと言った風に、リラが口に手を当てて叫んでいた。

 そう、遠くにとは言え、目の前に来ようとしているのは、紛れもない、フェーヌラブム帝国の軍隊である。

 その証拠に、フェーヌラブム帝国皇家の、諸刃の剣が二本組み合わさり、そこに紫の苧環が絡んだ漆黒の下地の紋章と、薄紫の下地に花のない月桂樹の天冠をかたどった近衛軍の軍旗が翻っているのが、遠目ながらもはっきりと分かる。

 その隣には、見慣れない旗が翻っているが、それどころではない。

(そんな、まさかっ……! 嘘だろ……おいっ! 冗談じゃねぇぞ……まさか、ここまで俺らの命を盗りに来たってのかっ? ここまで――こんなとこまで、来てっ……! でも……俺やリラは、絶対に逃げれねえだろうけど……見逃してもくれねえだろうけど……でも、マウェは俺らに巻き込まれただけで……ミリーメイさんやリューシュンやメイファさんは、元から俺らに関係なくって……だったら、四人は逃がしてやらなくっちゃ……いや、駄目だ。隠れるっつったって、一体どこに隠れるっつうんだ? この、何にもない原っぱで?)

 ウィオが躊躇っている間にも、どんどん軍隊は近付いて来ている。

 どうやら、あの軍隊は騎馬隊のみで形成されているようだ。

 その証拠に、ウィオの目に見えるのは、重装備をした騎士達と、馬のみである。

 それに、徒歩の者がいるにしては、進軍のスピードが異様なほどに速い。

 それは、あり得ない。

 だが……騎馬隊のみで行動する軍など、聞いたこともない。

 つまり、一言で言うと、これは()なのである。

 あまりの異常事態に六人が動けずにいる間に、その騎馬隊は目の前まで近付いて来た。

 しかも恐ろしいことに、騎馬隊はどんどん減速して来ている。

 どうやら、六人の目の前で止まる気らしい。

 それを覚った途端、思わず、ウィオやリラの足が、ジリッと後退った。

 ウィオの顔は恐怖に引き攣る寸前で、それを何とか押さえ込んで闘志を引き出そうと躍起になっている。

 リラは、そんなことすら考えられないようで、無意識のうちにウィオの陰に隠れるように下がり、恐怖に喘いでいる。

 だが、それは二人だけではなかった。

 マウェも後退ったものの、顔が今までに見たことのないほど厳しく、鋭くなった。

 身に纏う気配も、まるで抜き身の剣のように、鋭く尖っている。

 そして、ミリーメイとメイファも怯えたように後退り、リューシュンの目がスッと細くなって、軽く前屈みに身構えた。

 その、何とも緊張感に満ち溢れた六人の許に、騎馬隊は停まった。

 そしてその隊列が割れ、後ろの方から、この隊の大将と思われる、立派な駿馬に跨り、馬具も鎧も立派な一人の男が進み出て来た。

 鎧兜に覆われその人物の顔までは見ることはできないが、鋭い、殺気に満ちたような視線が六人を圧す。

 その、凄まじい様子を見たウィオは、今の絶体絶命の状況を忘れてしまうほど、深く感嘆した。

(……凄い。こんな馬、滅多にお目に掛かれるもんじゃない。足も絶対速いし、滅多なことじゃあ鈍んない……それに、絶対頭もいい。馬体も紫がかった青毛だし、額に星も流れてるし、毛艶もいいし……いい馬だな、これ。それに、この大将……絶対に、お飾りじゃ、ない)

 そう、ウィオがこの男を見て、一番驚いたのはそこだった。

 ウィオは幼い頃から、騎士となることに憧れていた。

 騎士は、強くてかっこいいと思っていたのだ。

 それに、ウィオ自身に剣技の才能があったということもある。

 ウィオが騎士になるという夢を諦めた最大の理由は、自分が村長を継げる唯一の人間だったからだ。

 そうしないと、村が潰れてなくなってしまうから。

 それだけは、どうしても耐えがたかったから。

 それを許すことは、決してできなかったから。

 だから、ウィオは夢を諦めたのだが、実は、他にも大きな理由があった。

 そう……このような軍隊の――騎士という人間の『現実』を教わったからだ。

 それまでウィオは、騎士とは――つまり、戦う人間の社会は、完璧な実力主義の社会だと思っていた。

 どんなに元の身分が低かろうと、実力があればどこまでも上へ行き、どんなに元の身分が高かろうと、実力がなければ上へは上がれない。

 身分の上下ではなく、剣技の上下によって位が定まる、完璧な実力主義の社会だと。

 そう、思っていた。

 だが、『現実』は――……違った。

 決して、そんな甘いものではなかった。

 どんなに実力があろうとも、たかが農民の子供では、騎士になれない確率の方が遥かに高い。

 死ぬ気で頑張って、頑張って、頑張って……どんなに頑張っても、どんなに実力が――剣技があったとしても、農民として産まれた人間の中で、準騎士になれるのはごく僅か。

 ほんの一握りだ。

 ましてや『騎士』など、夢のまた夢の話。

 農民出の人間は、傭兵にでもなるしか、その腕を役立てる方法がどこにもないのだ。

 だが、貴族のお坊ちゃまなどは、大した実力もないのに簡単に騎士になれる。

 余程目に余りあるというほどでもない限り、騎士になれないということはほとんどないらしい。

 それに、どんなに部下の方が戦闘の指揮を取るのが上手くても、その身分が低ければ、指揮能力のない身分の高いお坊ちゃまが大将となることも、そう珍しくはない――どころか、それが当たり前、普通なのだそうだ。

 つまり『現実』は、それなりの実力社会ではあるものの、身分の上下の方が幅を利かせている社会だったのだ。

 だから、大将でも、実力が伴わない場合の方が多い。

 だが……今、この目の前にいる男は、絶対に違う。

 身に纏う気配は……明らかに、戦いに慣れている人間のものだ。

 鎧を身に付けているので、正確な体格と顔立ちは全く分からないが、優れた体格をしていることは見て取れた。

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