第六章「国軍」―1
「しかし……それでは、陛下!」
酷く狼狽した男の声が、決して狭くはない部屋に響いた。
この部屋は、酷く広い。
身の丈の倍ほどもありそうな大きく重い両開きの扉から、五百人は居並べそうに広々とした空間を抜け、何段もある階段を通り、まさに『玉座』と言うべき大きくて豪奢で――人によっては『悪趣味』と罵られそうな華美な椅子まで、ふかふかとした上質な緋毛氈が幅広く、そして長くたっぷりと引かれている。
踏めば、その足跡がくっきりと残りそうだ。
まさしく贅の限りを尽くされた豪奢な空間は、けれど、どこか空気が重く、寒々しい。
それは、数百人は収容できるほどに広々とした空間に、衛兵が五十人と貴人が数人しかいない、空間の空きによるものだろうか。
いや、確かにそれもあるだろうが、その本当の原因は、玉座に坐します存在なのかも知れない。
そう思えてしまうほどに、冷たい声が寒々しい空間に響いた。
「よい。そちは、余の言うことが聞けぬと申すのであるか、シェリンヴス宮中伯。不敬であるぞ。控えよ」
もう六十路になろうかという年老いた男の言葉に、その目の前に控えていた初老の男――シェリンヴス宮中伯は、口を噤んだ。
足元に控えていた者達も、同じように無言を貫いている。
「余の言う通り、善きように計らうのだ。そして……」
年老いた男は、座っていた豪奢な椅子の肘掛をバン、と叩き、立ち上がった。
その音は、あまりにも広過ぎるこの部屋に響いた。
「なんとしても見つけ出し、捕らえるのだ! この三人をっ! このままでは、この歴史ある帝国の権威が地に落ちることとなろう。諸外国から、不名誉な烙印を捺されることとなろう。――そうだ……見逃しては、ならぬ! 絶対に捕らえろ! 見つけ出して、そしてこの皇帝都に連れ帰り、処刑しろ! その血でこの国の大地を濡らせ! そして、その首を我が下に届けよっ! フェーヌラブム帝国皇帝、ジョーゼット=ヴァングー・フェーヌラブムの名において! 直ちに、実行せよ!」
「はっ……かしこまりましたっ!」
シェリンヴス宮中伯は頭を垂れると、他の数人の男達とともに、部屋を急ぎ足で出て行った。
シェリンヴス宮中伯は、年老いたこの男――フェーヌラブム帝国の皇帝、ジョーゼットの気が短く、どこまでも傲慢で身勝手で自己中心的な人物であるということを、良くも悪くも知り尽くしていた。
そのせいで、一体何人もの人間が処刑されたことだろうか。
皇帝になった時だけではない。
その、皇子時代からだ。
一体、ジョーゼットによって、何人もの人間が、その未来を――将来を歪められたのだろうか。
そしてこの性格が、ジョーゼットが受け継いだ血のせいであるということも、シェリンヴス宮中伯はよく知っていた。
何故なら、ジョーゼットの父も、その祖父も、似たような性格だったからだ。
つまり、歴代フェーヌラブム皇帝、そのものが。
その理由は、遥か昔、皇家というものが近親婚によって成り立っていたことにも関連しているのだろうか。
だが、その中にも例外というものもある訳で――
必ずしも、フェーヌラブム帝国の皇族が傲慢だとか、身勝手だとか、自己中心的だとか、気が短いという訳ではなかった。
だから、なのだろうか。
ジョーゼットが今、大激怒しているのは。
それによって、数多の人間が、振り回されているのは。
「……おはよぉ、ウィオ、マウェさん」
「ああ……おはよ、リラ」
「……おはよう、ございます……」
いつもとは違い、三人は寝惚け眼で下に下りて来た。
いや、三人だけではない。
メイファとリューシュンとミリーメイもだ。
なんとここの宿屋では、夜、ずっと酒盛りが開かれていたのだ。
その騒々しさといったら、六人の予想を遥かに超えていた。
まだ寝付いた頃は、その騒々しさも大丈夫であった。
それぐらいの騒々しさなら、今までの旅の中ですっかり慣れていた。
ずっと歩き通しで疲れ切ってもいたので、そのぐらいの騒音なら余裕で眠ることができたのだ。
だが……深夜を過ぎた頃から、とんでもないどんちゃん騒ぎが始まってしまったのだ。
どんどん酒宴が盛り上がってきたせいか、時折、ガタン、や、ガシャン、などの、何かが倒れる音や壊れる音までもがしたのだ。
結局、六人ともその物音で起きてしまい、その後も、朝までうつらうつらすることしかできなかった。
そして、この宿屋の食堂では今……酔っ払い、寝込んでいる男の姿があり、酒瓶がそこら中に転がり、酒の臭いが立ち込めていた。
六人は、寝不足の上にこんな気持ちの悪くなるようなものを見せ付けられ、一斉に気持ちの悪そうな顔付きになった。
そして、誰からともなく、朝食抜きでこの宿屋を後にしたのだった。
それほどまでに、この朝の食堂の様子は凄まじかったのだった。
「……ねえ、みんな。ちょっとさ……ここで、食べない? 朝ご飯……お腹も空いちゃったし……」
ミリーメイの言葉に皆がふっと顔を上げると、さっきの宿屋よりも大分――いや、かなり清潔感のあるお店が見えた。
多分、食堂だろう。
この朝の早い時間にしては、かなり多くの客が中に入っているのが、外からでも窺える。
恐らく、かなり人気のある食堂なのだろう。
「ええ……そうですね」
「ここなら……大分マシだわ」
「……って言うか、『大分』って言い方自体、失礼になりそうね……」
「あ~あ……できるなら、夜もこういうとこに泊まりたかったなぁ……」
六人は口々にそう言うと、その食堂の中に入って行った。
そして、相席になった地元の人間に、話のついでに自分達の泊まっていた宿屋の名前を言うと、一斉に同情する顔付きになった。
なんでもあの宿屋は、ただでさえもここは相場が高い街だというのに、しょっちゅうぼったくりをする上に、客柄も悪く、ムウェリの街のことをよく知っているまともな旅人ならば、絶対にそこを使わないそうだ。
その話を聞いて、六人はただでさえも寝不足で疲れているところだったので、余計ぐったりとしてしまったのだった。