第五章「六人での旅」―3
その日の日暮れ近く、六人はムウェリの街まで辿り着いた。
「……ここが、ムウェリの街……」
思わずリラが呟いた言葉に、ミリーメイが頷いた。
「ええ。そうよ。このムウェリの街は、街の中でも大きさと賑わいで一、二を争う街なの。一応この隣にジャルウォン村はあるんだけど、ちょっとこの賑わいからは信じられないような静かな村よ。さ、宿を探しましょう? ここは大きいからね。さっさと宿を取らないと、今夜は街中で野宿よ。さすがにそれは不審極まりないし、できるだけ避けたいんだけどね」
その言葉に、五人は目を瞠りながら道を歩いた。
「……こんなに大きな街に入るのは、帝都を出て以来ですねぇ……」
さすがのマウェも、余程驚いたのか、半ば呆然としながら言った。
「ええ……そうですね……」
メイファも、目を瞠りながら言った。
この六人の中で、ムウェリの街にそれなりに精通しているのはミリーメイただ一人である。
しかも、そのミリーメイにしても、ムウェリの街に来るのはかなり久し振りである。
だから、六人ともキョロキョロして、それなりの宿屋を探した。
だが、酒場を兼ねていない、相部屋があって安めで、でも格式は低過ぎないというお手頃の宿屋は見つからない。
それどころか、酒場を兼ねていない宿屋など皆無であった。
しかも、空きのある宿屋自体がほとんど見付からなかったのだ。
だから六人は諦めて、低い格式の宿屋で、相部屋ではなく個室を二つ取ることにした。
「……あの、すみません。ここ、泊まれますか?」
「ああ。六人かい?」
「はい。三人で一部屋のを二つ、食事付きでお願いします」
「ああ。だったら……レンヴァイル銀貨一枚だ」
「……レンヴァイル銀貨っ?!」
思わず、リラは素っ頓狂な声を上げていた。
レンヴァイル銀貨は、銀貨の中でも最高級の質の銀貨だ。
レンヴァイル銀貨一枚で、普通の街の宿屋では、一泊食事付きの個室が十日分取れる。
つまり、この宿の主人が吹っ掛けて来た値段は、軽く通常の相場の三倍を越えるのだ。
「ああ。それと、食事代は別に払ってもらうよ。残念ながら、相部屋はもう埋まってるんでね。個室の代金で、きっちりと払ってもらうよ」
「……ざけんじゃねぇよ! 何だその法外な額はっ? 俺らがそんなのをまともに払うって思ってんのかっ? ああっ?! せめてこれに食事も付けろってんだ!」
ウィオが、あまりのことに怒鳴ると、宿屋の主人は薄笑いを浮かべて言った。
「残念ながら、うちはお品書きから選んで頂く形になっているからなぁ……」
「だったら、せめてヒューリック銀貨一枚、それかブウォル銀貨一枚にして下さいませんか」
マウェが、真剣な顔で言った。
「……はっ?」
「レンヴァイル銀貨と言ったら、ヒューリック銀貨十枚分に等しい。ブウォル銀貨で言ったら五枚分。いくら何でも、ぼったくり過ぎではありませんかね? 帝都のこれぐらいの格式の宿でも、食事なしの四人までの個室が二つの一泊でブウォル銀貨が一枚ですよ? ここが帝都よりも高いなどと、普通はありえませんよねぇ」
マウェのその言葉に、主人の顔色が少し蒼褪めた。
銀貨と銅貨の正しい価値を知っている村人は滅多にいないし、街に住んでいる人もだいたいの価値しか知らない。
「私達を田舎者と侮っていましたか? 生憎ですが、これでも私は各地を転々としていて、宿屋の相場なら詳しいんですよ。それに、私は帝都から来ましたし。これは完全な、ぼったくりですよねぇ……」
マウェは、少し脅すような口調で言った。
「……あ、あ、の……」
「こちらの言い値に従ってもらいましょうか? ヒューリック銀貨一枚。お願いしますね」
その断定的な口調に、主人は蒼褪めながら頷いた。
「で、です、が……その、ぼったくろうとしたことは、認めます。で、も……ここでの相場は、普通はブウォル銀貨一枚で、食事別なんですよ……せ……せめて、ヒューリック銀貨一枚とレックォン銅貨が三枚で……そ、そうしないと、こ……困るんですよ」
「う~ん……どう思いますか? ミリーメイさん」
「ええ……これぐらいだったら、まあ……しょうがないかもしれませんねぇ。でも、さすがにここで譲る訳にはいきませんし。ヒューリック銀貨一枚、ということで手打ちにしませんか?」
ミリーメイの言葉に、前半では主人の顔がぱっと明るくなったが、後半では暗い顔になった。
その様子を見て、これは演技ではないと、マウェとミリーメイは直感した。
この、ちょっとしたお小遣い稼ぎのようなぼったくりしかできない小悪党は、そんな表情を演技ではできない。
「ちっ。しょうがないから、さっさと行こうぜ」
ウィオは舌打ちをしてヒューリック銀貨を主人に向かって投げると、荷物を持って、案内の後を追って上に上がって行った。
他の五人も、その後を追って行った。
「……なあ、リューシュン」
宿での食事が終わって部屋に戻った後、ウィオはリューシュンに問い掛けていた。
「何だ? ウィオ」
「……可笑しいと思わねぇか? この宿代。いくら何でも、高過ぎるぞ。こんな低い格式の宿なのに、ブウォル銀貨一枚なんて……帝都よりも高い。帝都だったら、ブウォル銀貨一枚で並の格式に泊まれんだろ? 信じられない。一体、この街には何が起こってるんだ?」
「さあ……? 僕にも、よく分かんないな……」
リューシュンは首を傾げ、寝台に腰掛けた。
「……だけど、可笑しいとは思う。僕は帝都で産まれて、育ってきた。それだけでは足りないかも知れないけど、ここまで旅をして来て、何度も街の宿に泊まって来た。だから、ここは可笑しいって分かるよ。どんなに栄えている街でも、帝都よりも相場が高いって……そんなの、あり得ない。可笑し過ぎて、笑えてくるぐらいね」
リューシュンはそう断言すると、立ち上がった。
「そうでしょう? マウェさん。貴方も、可笑しいって……思いますよね?」
「ええ……そうですね」
いつの間にか、マウェは部屋の中に入って来ていた。
「マウェ兄さん! いつの間に?」
「……たった今です」
マウェはそう言うと、リューシュンの顔を見詰めた。
「リューシュンさん。ちょっと調べてみました。そうしたら……」
「何だ?」
リューシュンは、マウェが差し出した紙を見た。
「こ、れ……!」
「どうした?」
ウィオも、マウェが差し出した紙を覗いた。
「……まさ、か。これ、嘘だろ……」
「本当です」
「あ……あり得ねぇって! これっ! ほ……ほんとかよ!」
「ええ。これは……恐らく、皇帝や貴族のしたことでしょうね」
マウェの声は、かなり溜息に近かった。
マウェは、一体この短時間にどうやったのか、この街の物価を簡単に調べていた。
それによると、この街の物価は、異常に高かった。
食べ物が村よりも高いのは、よく分かる。
だが、この街で手掛けているはずの綺麗な紋様を織り込んだ織物や、彫金などの細工物も、普通以上に高かったのだ。
おまけに、これほどの規模の街にしては珍しいことに、関所がないのだ。
このことはつまり、この街に立ち寄る人自体は多いものの、あまり長居をしないということを意味する。
交通や交易などの要所であるから、人や物がこの街を通過しないということはない。
だが、物価が通常よりも高いので、恐らくこの街は長居する人がほとんどいないのだろう。
そしてそれは、新しい情報をどんどん仕入れると同時に、古い情報を押し流す力を持つ。
そう……かつて、妃が《ウェルクリックス》を捕らえに行く為に、この街を通っていたという事実を。
ウィオは、寝台の上にドサッと座り込んだ。
「……なるほど、な。そういうことか……ここで、押し流して……あんなに、昔の話なのに……」
「ええ。恐らくは、そういうことではないかと……」
すると、リューシュンが真面目な顔をして言った。
「なあ、ウィオ。マウェさん。二人とも、一体何を言っている? 何か知っているなら、僕に教えてくれないかな?」
「いや……ごめん、リューシュン。ちょっと、それは……言えないんだ。ごめん」
「……そっか。でも、二人ともさ、兄弟なのに、弟はタメ口で、兄は敬語ってなんだよ。変だぞ? ちょっと」
リューシュンが微笑しながら言った台詞に、ウィオとマウェが固まった。
「え……」
「あ……すみません。リューシュンさんと話していたら、つい敬語に……」
「……僕のせい?」
「……端的に言えば、そうなりますね」
「全く、そういうのを人のせいにするなよな……」
リューシュンは笑ってそう言ったので、ウィオは気付かれないようにそっと溜息をついた。
(……危なかったなぁ……ったく……。やっぱり、他人といつまでもいるのは危険だぜ……。でも、あと少しだな。明日には、この街を抜けれる。そしたら、ジャルウォン村に着く。そうすれば、この三人とは別れれるぞ。そして、俺らは……ブラムウェル山を抜けて、シャブワル村を通って……そして、ウェブラムの森の中に入って……《ウェルクリックス》を、捕まえるんだ。でもなあ、捕まえても、捕まえなくても……どっちにしろ、俺らの村は……メイラン村は、なくなっちまう。巫女を隠していた咎で。もしリラを隠さなかったとしても、副長の直系の血を継ぐ娘がいないからって、村は潰されんだ……。俺らは……俺らの、村は……!)
「ウィオ……ウィオ? どうかした?」
ウィオが顔を上げると、リューシュンが心配そうな目で見ていた。
「あ、いや……何でもない。大丈夫だ。ったく、それにしても、ここの宿サービス悪いよなぁ」
「ん……まあ、そうだね。ここよりも村に泊まった方が安いし、サービスだっていいよ。でも……贅沢は言えない。どっちにしろ、僕らは明日、ジャルウォン村に着くんだ。そうしたら、お別れだね」
「あ……そうだな」
(別れる……そうだ。リューシュンと、メイファさんと、ミリーメイさんと……。そして、恐らく一生、そのまま……会えない。忘れてた。別れなきゃなんないってことを。六人の旅は、三人の時よりずっと楽しかったし……当たり前になっちまってたから、すっかり忘れてたなぁ。三人と、別れること。《ウェルクリックス》のこと。村のみんなのことも)
ウィオは、そっと目を閉じた。
(俺は……馬鹿だ。最初は、村のみんなの為って思ってたのに……でも、それを忘れちまって。《ウェルクリックス》を捕まえた後のことも、考えるのが嫌になって。どっちにしろ、村は潰されちまうんだって、諦めて……馬鹿だな、俺は。リラは、あんなに頑張ってんのに。俺以上に、リラは、辛いのに。……自分が巫女だから、そのせいで村がなくなっちまうって、気に掛けて。……なのに、俺は。マウェやリラに、甘え切って。俺は……俺は)
ウィオは、拳をぎゅっと握り締めた。
何もせずに、何も考えずにここまで来てしまった後悔だけが、ウィオの胸を占めていた。
リラは、布団に包まりながら考えていた。
(明日、ね。明日……私達は、ようやくジャルウォン村まで行ける。……長かったな。今まで。秋の収穫期頃に村を出て……もう、一ヶ月経つ。村ではきっと、収穫期は終わり掛けてるわ。秋ももう中頃に差し掛かってるもの。あと、もう少しで……私達は……ウェブラムの森に着くのね。あと、四、五日もすれば……。そして、森の中に入って……《ウェルクリックス》を捕まえて……そして……帝都に、行かなくちゃ、ならない)
リラは上半身を起こすと、暗闇に満ちた部屋の天井を見詰めた。
(真っ暗だわ……真っ暗。私達の未来は、何もかも。どちらに転んだとしても……私達には、未来が、ない。私達は……私達の、村は。……どうすれば、いいの? 一体どうすればいいのよ? どうすれば、メイラン村は潰されずにすむの? どうすれば、私は巫女として皇帝に嫁がなくても済むの? どうすれば……どうすれば、私はウィオと一緒にいられるの? 一体、どうすれば……)
リラは、この旅に出てから――いや、オールクッドから《ウェルクリックス》の話を聞いた時から、ずっと自分に向かって問い掛け続けていた問いを、心の中で繰り返した。
だが……その答えは、どんなに考えても、どんなに頭を絞っても、出て来なかった。
どんなに対策を考えても、メイラン村が潰れ、そして自分が皇帝に巫女として嫁ぐ以外に、道は――未来は、なかった。
(どうすれば……どうすれば、いいの……?!)
「あれ……? リラさん。どうかしたの?」
「えっ……あ、なんでもないです、メイファさん。ちょっと、喉が渇いたなって……」
「うん、そう……でも、何か悩みでもあるなら、あんまり自分で抱え込まない方がいいわよ?」
メイファも上半身を起こすと、暗がりの中でもはっきりと分かるほど、真っ直ぐにリラを見詰めた。
「メイファ、さん……?」
リラは、目を丸くしてメイファを見詰めた。
「全部自分一人で抱え込むとね、辛くって、苦しくて、悲しいから。だから、そうならない前に、吐き出した方がいいわよ? 昨日今日会ったばかりのあたし達を信じろっては言わないけど……でも、あの二人は、貴女の従兄なんでしょう? 少なくても、見知らぬ他人じゃないわ。女性にしか相談できないことなら別だけど、そうじゃないなら、二人に相談した方がいいわよ?」
「……ありがとう、ございます。でも……どうして、私に悩みがあるって……」
「う~ん……何て言うかねぇ……リラさん、いっつも眠りに就くまで時間が掛かってたから、かなぁ。後は、何て言うか……経験? みたいなものねぇ」
「経験って……メイファさんも、あったんですか?」
「うん……まあねぇ……でも、あたしなんか、辛くって、苦しくって、それで、結局逃げちゃった弱虫だけど。でも……そんな弱虫が言うことだから、聞いとく価値はあると思うわ。ま、自分で言うのも何だけどね」
メイファは笑いを含んだ声で言うと、布団に潜り込んだ。
「メイファさん……ありがとう、ございます」
リラはそう呟くと、自分も布団に潜り込んだ。
(うん……確かに、メイファさんの言うことには、一理ある。でも……メイファさんは知らないから。ウィオとマウェさんは、私の従兄なんかじゃないってこと。マウェさんとは一ヶ月と少し前に会ったばっかりだってことも、ウィオが婚約者だってことも。それに……二人に、心配……掛けたくないし)
リラは、再び天井を見詰めた。
(私には……何が、できるのかな? 一体、何が……)
夜は、刻々と更けていく。
人の祈りを、願いを、そして、数多の思いをその中に秘めて……。