第五章「六人での旅」―2
彼らは正午過ぎ、ウォルラの森の中に入っていた。
入り口に近いあたりはまだ、充分明るかった。
だが四半刻ほど歩くと、どんどん暗くなってきた。
まだ日は高い所にあるはずである。
だが、高い梢の木々に囲まれてしまっているので、その日があまり差し込まないのだ。
そのせいだろうか、このあたりは湿った苔をよく目にすることになり、足が滑らないかどうか冷や冷やした。
その時、いきなりメイファがつるっと転んでしまった。
しかも、そこは運悪く、泥だらけの水溜りだった。
「あっ、ったぁ……」
メイファの服は、泥に汚れてしまった。
「あ~……汚れちゃったわねぇ……」
「どうしよう……」
メイファは、半分泣きそうになっていた。
そこで、リラは言った。
「じゃあ、もうちょっと乾いた所まで歩きましょう? そこで火を焚いて……まあ、服を洗える所はないと思いますけど、そこで着替えて、少なくても体を乾かさなくちゃいけませんし。それに、あと一刻もすれば日暮れですし……それまでには火を焚いておかないといけませんし。ですから、乾いた所まで、頑張って歩きましょう。ね?」
メイファは、半泣きのまま言った。
「ありがとぉ……リラさぁん」
メイファは立ち上がろうとしたが、足を抱えて蹲ってしまった。
「だ……大丈夫ですか?」
「いった……足、怪我したみたい……」
「えっ……怪我って……」
リラは、耳を疑ってしまった。
メイファは今、水溜りの中に転んだだけである。
だが、その水溜りを見ていたウィオが、不意に言った。
「う~ん……これじゃあ、しょうがねぇかもな」
「えっ? しょうがないって?」
「見ろよ、これ」
ウィオに促され、リラはその水溜りを覗き込んだ。
「あっちゃぁ……」
なんと、その水溜りの中には、太い木の根っこがあった。
しかも、土の中から生えて、また土の中に戻っている。
丁度そこの窪みに水が溜まっていたのだった。
メイファはそこに足を捕られたようで、しかも、その木の根はあちこちささくれ立っているようだ。
「これでは、少し……乾いた所まで歩くのは、無理ではないでしょうか」
メイファの足を見ていたマウェは、そう言った。
「ほら」
すると、リューシュンがそう声を掛けて、メイファを抱き上げた。
「とにかく、さっさと乾いた所まで歩きましょう。そこで手当てをしても遅くはないだろうし」
そして、さっさと歩き出してしまった。
「ちょ……リューシュン。下ろしてよ。肩貸してもらえれば、歩けるからさ……それに、泥だって付いちゃうし……」
「後から着替えれば大丈夫だろ」
その様子を後ろから見ていたリラは、ほう、と溜息をついた。
「何か、リューシュンさんって旦那さんだなぁ……。夫婦って言うより、恋人みたい」
その声に、リューシュンとメイファは真っ赤になって振り返った。
「ばっ……! そ……そんなことっ……!」
「そ……そうよ……! あ……あんまり恥ずかしいこと、言わないでっ! リラさんっ!」
「ほらほら、前見て歩かないと、また転ぶわよぉ」
とは、ミリーメイである。
二人は、真っ赤になりながら顔を背けた。
六人は再び歩き出したが、ふとウィオが言った。
「なあ、リラ」
「ん? なあに?」
「何で二人とも、あんなに恥ずかしがってんだ?」
「ばっ……!」
途端に、リラは真っ赤になった。
「そ……んなこと、訊くもんじゃないでしょっ!」
リラは俯き、足早に歩いた。
「お……お~い……リラ?」
「まあ、これは仕方がないでしょうねぇ」
「うん。ちょっと、乙女にそれは訊くもんじゃないわよ、ウィオさん」
そう、年長組みのマウェとミリーメイに諭されても、ウィオは首を傾げていた。
(そういうところが、ウィオってば鈍いのよっ……! 剣が上手くて、人の気配も読めるくせにっ……!)
人の気配を読むことと気持ちを読むことは、全然違うことなのだが。
リラは、ずんずんと早足で進み、危うく前を歩いているリューシュン達にぶつかりそうになってしまった。
「あっ……ごめんなさいっ」
「あ、いえ。大丈夫です。ほら、あそこ」
リューシュンは、目の前を指した。
「あそこなら、火を焚いても大丈夫ではないでしょうか? 乾いてもいますし」
そう、気が付いたら、六人は湿った所を抜け出していた。
「え、ええ……そうですね。ここなら、いいんじゃないでしょうか? それに……あ、ほら。あそこに川が流れてます。あそこで服を洗えばいいんじゃないでしょうか? 足も洗ってから手当てした方がいいですし」
「川……あ、本当だ。じゃあ、そうしましょうか」
「ええ……良かったぁ」
ウィオとリラとマウェとミリーメイは、焚き火を熾して夕食の準備を始め、リューシュンとメイファは小川に下った。
夕食の準備がほとんど整った頃、二人は小川から手土産を持って引き上げて来た。
「ほら、これ」
そう言って差し出されたのは、魚だった。
「えっ……?」
「そこに泳いでるのを見付けたんです。それで一人に一匹と思って、獲って来ました」
「うわぁ……すごぉい! 手掴みで獲ったんですよね? 凄いなぁ……」
「ありがと、リューシュン、メイファさん。夕食が、ちょっとは豪華になるなぁ」
「これ、は……鮎ですね。鮎は大抵群れていることが多いので、六匹も捕まえられたのでしょう」
「へ~……マウェさんって、やっぱり何でも知ってるみたいですねぇ」
ミリーメイの称讃に、マウェは柔らかく笑って首を振った。
「いえ。このことは、この前訊いたばかりですから。それに、何と言いますか……生活していく上での、ちょっとした知恵です」
「それでも凄いわぁ。そういったことを憶えてるってだけでも、凄いものよ? これ、人生の先輩としての助言だから。憶えておいても損じゃないわ」
「ありがたく、憶えておこうと思います」
マウェは珍しく、悪戯っぽい、笑いを含んだ声で答えた。
マウェとミリーメイは、どうやら波長が合うようで、話のタイミングはぴったりだった。
その夜、リラはふと目を覚ました。
寝惚け眼で、寝転がったまま辺りを見回すと、マウェとミリーメイだけが起きていた。
しかも、二人ともこちらに背を向けている。
ふと、マウェの声が耳に入った。
「……やはり、そうでしたか」
マウェの声は苦々しく、嘆息しているような響きもあった。
(……どうしたんだろ? マウェさんも、ミリーメイさんも……)
リラがそうぼんやりと考えていると、ミリーメイの、呆れたような声が耳に入って来た。
「それにしても、本当に驚いたわ。まさか――だったなんて」
(……ん? 何言ってるの……?)
リラは、思わず耳を欹てた。
「ええ。そうですね。こちらも、驚きました。……それでは、このことは……」
「ええ。こちらも、今は娘達には話しません。そちらも、お二人には……」
「はい。分かっております」
二人の会話は唐突に終わり、すぐに寝息が聞こえてきた。
だが、リラは眠ることができなかった。
(どういう、こと……? 私達に内緒にするって……何を? 何で? どうして? ……マウェさんも、ミリーメイさんも……一体、何話してたんだろ? ……分かんない。でも……一体……)
リラの思考はグルグルと回り続け、目が冴えてしまった。
「……一体、何なの?」
思わず、声を出していた。
リラはぱっと口を手で押さえ、半身を起こして焚き火の周りを見渡した。
だが、誰も起きた様子はない。
そのことに安心し、リラは再び身を横たえた。
だが、目を閉じることはできなかった。
(マウェさんって……一体、何なの?)
リラは、そっとウィオを窺った。
(そう言えば、ウィオが前に……村にいた時に、言ってた。マウェさんって、何だか得体の知れないとこがあるって。だから、少し用心した方がいいって。でも、旅を始めて、信頼できるなって素直に思えて……そんなこと、すっかり忘れてた。きっと、ウィオも気にしなくなってる。でも……マウェさんも、ミリーメイさんも、リューシュンさんも、メイファさんも、用心した方がいいかも……。結局、頼りになるのはウィオだけか……これは別の意味で心配なんだけどなぁ……)
リラは寝返りを打って、空を見上げた。
星が、降るように見える。
(私達……どうすればいいんだろう? 私には、何の力もない。巫女としての力って言ったって、私はずっと力を封印してきたから、力に頼ることは慣れてない。自分でも把握し切れてないから、暴走したって、可笑しくない……。私の中にある力は、簡単に頼っちゃいけない力だから、私は無力なんだ。ウィオとかマウェさんとかリューシュンさんみたいに強くないし、剣も使えない。ミリーメイさんとメイファさん、は……)
ふと、リラの頭の中に細波が立った。
(ん……?)
と思ううちに、その細波は消えていった。
(何だったんだろ……? それで。ミリーメイさんとメイファさんは……)
その時、何かが自分の中から抜け出すような感覚がした。
(えっ……? 何なの? ……これって、二人に気を付けろってことかな? 私の中の力が、そう訴えてるの? でも……何が危険なのか、そこまでは分からない……)
リラは、歯噛みしたい思いに駆られた。
(ああ、こうなってくると、ちゃんと訓練を受けてる帝都の巫女さん達が羨ましくなってくるわ! まあ、例外を除いて、全員がお妃様になんなくちゃならないから、そこは嫌なんだけどっ! うん。例外って言っても、私なんかは例外には入れないし……)
その時、またリラの頭の中に細波が立った。
(……だから、これってなんなのっ? 何かがあるって分かっても、それが何なのかまでは分からないなんて……宝の持ち腐れだわ。あ~あ……巫女だ巫女だって言うけど、力を明確に発揮できない巫女だなんて、徒人と一緒よ……)
リラはまた寝返りを打つと、荒々しく溜息をついた。
(ああ、苛々するっ! このまんまじゃ、眠れたもんじゃないわ!)
そう思っていたのだが、ふと気が付いたら日が昇っていた。
「あ、れ……?」
「あ、起きたか、リラ」
「……ウィオ?」
「おはよ。もうそろそろ朝食できるぞ」
「えっ、嘘!」
リラが慌てて起き上がると、他の皆はもう起きていた。
「あ、おはようございます、リラさん」
「あ……おはよう、ございます。メイファさん……」
リラは慌てて起き上がり、小川まで顔を洗いに行った。
(それにしても……一体、いつの間に寝てたんだろう? 案外、人間って逞しいのかもなぁ……)
リラはそうのんびり考えているが、まず農民ということで、確実に王侯貴族よりは逞しいのは事実である。