聖女暗殺
生まれながらにして衆目を集める存在、
国の期待を背負いそしてそれに答える存在。
只人はそれを枷と思うでしょう、
それは只人の卑しきが故であります。
聖女にとってのそれらは、
只人が立って歩き物を掴むことと同じでしょう。
その人は我が国の未来であり、希望であり、
今の繁栄でございます。
神の名のもとに、今日はそのお力の一片を
お恵み下さいますようよろしくお願い致します。
聖女フィルステラ・ユースクレア様の、
ご入場でございます!」
使い古された文句が締めくくられると、
司会者の手が示した幕が開かれる。
白いドレスを身にまとって現れた聖女に、
歓声と演奏が入り交じる。
聖女は儀式的な挨拶の形を崩さず、
されど何も発さず静まるのを待つ。
やがて大広間に静寂が訪れると、
聖女は顔を上げ口を開いた。
「ご紹介に預かりました、
フィルステラ・ユースクレアでございます」
雨上がりの鈴蘭のようだと、
声には相応しくない例えが世間には広まっている。
元よりそれに疑いを持つものなどいないが、
直接声を聞いた者は皆納得する。
聖女とは、およそ現行の言語では違和感が生じる、
筆舌に尽くし難い存在であると。
大広間を支配する声は、
使い古された文句でも新しい発見を探させる。
「───────では、
これより皆様に祝福の舞踏をお送り致します」
そうして言葉が締めくくられると、
今日一番の歓声が大広間に巻き起こる。
聖女の舞踏は、王侯貴族を招いて
定期的に開催される。踊るのはいつも聖女一人。
聖女に関する数ある逸話の一つに、
こういったものがある。
聖女の隣に立つと幸運が訪れる、
聖女とすれ違うといい一日が約束される。
市井の人間の間では逸話となっているそれは、
今確かにこの集まりで実践されている。
聖女が発する聖なる気、
生々しく言えば呼気や揮発した汗だろうか。
それらの大元である聖女の祝福が強すぎるあまり、
そのようなものでも祝福を帯びるのだ。
今宵もそれらを諸侯に与えるため、
聖女は円形の壇に移動する。
聖女はが人を見上げたことなど
数える程しかなかった。
人を見下ろし慣れているが、
それに何の感慨も湧かないことを
聖女はよしとしなかった。
せめて人の顔を自分の好きな林檎に置き換えて、
見上げる人間の心証を良くしようとした。
林檎は指に乗る程の大きさで、
薄黄色で食べやすい丸い形をしているのだ。
聖女は剥いた林檎しか知らなかった。
それも丁重に切り揃えられたものしか。
「─────♪」
演舞を演じ切ると、拍手喝采が巻き起こる。
聖女はそれに恭しく辞儀をした。
広間の端の方では、爵位の低い貴族が
演舞の間人目を忍んで口を開けて鑑賞していた。
聖女はそれを不快に思うことすらも恥と断じ、
口端を結ぶ。
円形の壇から幕のある壇へと移動し、
聖女は女神のように微笑み改めて辞儀をする。
幕が閉じられる。
一筋の光も無くなるまで
聖女は観衆に微笑み続けた。
「本日はお集まりいただき誠に
ありがとうございました、
引き続きご歓談をお楽しみ下さい」
司会の声を皮切りに貴族たちの歓談が始まる。
聖女の耳には全て届くが一切関知はしない。
「お疲れ様でした」
幕の中で待機していたメイドから
聖女に手拭いが渡される。
「ありがとうリリィ」
メイドのの名はリリエラ・アルザント。
宰相の孫娘であり現在は聖女に使えている。
聖女のお付きは三年ごとに変わる。
重職の直系なら特別に五年で。
聖女のお付きとして過ごした年月は祝福となり、
そのままお付きの実家の反映に繋がる。
年数は諸侯の取り決めでそうなった。
ミーリア王国の伝統の一つである。
リリィはフィルステラが十二の時に
聖女になってから使えてきた。
それ以前からも家柄での親交があり、
聖女の人間性を知る唯一の人間だった。
聖女は汗を拭き終わった手拭いをリリィに渡し、
その手拭いを見る。
この手拭いは誰の手に渡るのだろうか。
考えても仕方の無いことだった。
フィルステラは聖女になって以降、
私物を持ったことがなかったのだ。
「どうかなされましたか?」
リリィが聖女を部屋に連れていく最中、
質問した。聖女の心の機微を感じ取ったのだ。
旧来の仲にとっては、
心の機微も抽象的な質問も全て
確かな会話となっていた。
「いいえ、何もありません」
「左様でございますか」
口を開けていた諸侯の一人に、
酷い虫歯持ちがいて目の毒だった。
聖女の口からそんな言葉など吐けず、
気にかけた言葉だけで救われる思いだった。
「…少し、夜風に当たりたいわ」
「承知しました、こちらでお待ちください、
すぐにお飲み物をお持ち致します」
「ありがとう、ゆっくりでいいわ」
「かしこまりました」
聖女はリリィを見届ける。
角を曲がって見えなくなるまで。
そして廊下にある窓を開ける。
開け放った瞬間風が廊下に流れる。
「…ぅー」
夜風に消え入るような溜め息。
これがここまでしてようやくできる
聖女の吐露であった。
溜め息は誰を祝福することもなく
虚空に混じって消える。
聖女は少しだけ窓から身を乗り出し
崖の下の川を覗いた。
ミーリア大神殿。天然の要害の上に建設され、
あらゆる宗教施設が隣接している神殿だ。
今聖女が立っているそこから、
聖女は生まれてこの方出たことがなかった。
「あの…」
突然の声でも、
聖女は落ち着きはらいながら声のした方を見た。
しかしその心中は決して穏やかではなく、
痴態を見られなかったか慄いていた。
声の主は女だった。聖女は一瞬でその考えを
一蹴したが、真反対だ、と思った。
黒い髪をやや短くしていて肌はかっ色、
黒いドレスを着こなしている。色は聖女と反対だ。
ただ本当に反対だとしたら、
女は男になるはずなので、
聖女は浅はかな考えを恥じた。
「お手洗いはどちらに…」
女は黒い手袋をした手を祈るようにして組んだ。
その形は聖女にとって重いものだった。
「それなら広間の方にが近いですよ、
詳細は召使いに尋ねてくださいまし」
聖女は自分専用のそれしか知らなかったので、
もっともらしい返事をした。
「そうですか…」
女は聖女の答えをしかと聞いたにも関わらず、
聖女に近づいていった。
窓から漏れる月光が女の姿をより顕にすると、
聖女は違和感を抱いた。
大広間に来るような諸侯の子女と呼ぶには、
少したくましい体つき。
隠しきれていない傷跡、
月明かりを乱反射する髪、
修羅場をくぐったような鋭い目つき。
そして神殿に似つかわしくない
虚飾の胸の膨らみが、聖女に女を疑わせた。
そもそも、小用を済ませるたいがために
ここまでたどり着くことからしておかしい。
「失礼」
女の真意を読み取るため、
素肌に触れようとした。その時だった。
「!」
女の虚飾の胸から一振の短剣が取り出され、
逆手に持ってそれを振り下ろした。
「ッ!」
間一髪のところで聖女はその短剣を
手で受け止めた。手の出血が肘まで垂れる。
相手がどのような者であろうとも、
聖女には力押しで勝る自信があった。
しかしその鍔の小さい短剣は、
血と汗のぬめりによって徐々に聖女の胸に近づく。
「ッ───」
ゆっくりと短剣の白刃は聖女の胸を穿ち、
やがてその刃は全て肉に埋まった。
短剣はすぐに引き抜かれ、
神殿の廊下に血飛沫が飛び散った。
血は純白を汚し、漆黒に飲み込まれる。
聖女は人生において頂点の苦痛に襲われる。
しかしその痛みもすぐに消え去り、
血を吹き出していた孔は直ぐに閉じた。
「何!?」
刺客が怯んだ隙に、
聖女は刺客の得物を叩き落とし瞬時に組み伏せた。
「確かに刺したはずなのに…!?」
「ええ、確かに刺されましたわ、
ですがそれだけで聖女を
殺せると思わないこ…と……?」
先程まで刺客を組み伏せていたというのに、
聖女は力なく床に伏した。
「い、一体何が…」
「…すまん」
聖女は胸に穴が空いた位では死ぬことは無い、
故に尋常ではない自体だった。
あの単純な形をした短剣に何か細工が
仕込まれていたのか。
そう考えるのが自然だった。
しかし聖女の朦朧とする意識の中では、
それ以上のことは考えることが出来なかった。
「…あばよ」
刺客は聖女を一瞥して短剣を拾い上げ、
窓の縁に足をかけた。
聖女は刺客の逃走を
見過ごす訳にはいかなかった。
自分の体が刺されたからではない。
聖女をこのような状態にするような
何かがある短剣の、秘密を暴かなければ。
当代の聖女が何らかの形で死亡した場合、
聖別を受けた候補者の内から選ばれる。
候補者は聖女の血縁であることが多いが、
多く祝福を受けたメイドも候補者たりえる。
もはや自分の命はどうなってもいい、
だが短剣の元を断たなければ
被害者はもっと増える。
フィルステラは使命感に駆られ、
原始的な魔法で体を動かし、刺客の足を掴んだ。
「なっ!?」
丁度飛び上がる寸前だったのか、
足を取られた刺客は体勢を崩して落ちた。
そして離さまいと足を掴んでいた
フィルステラもまた、刺客と共に落ちた。
「は、離せ!」
「離し…ません…」
数分にも思えた刹那の落下の後、
二人は崖下の川へと落ちた。
薄れゆく意識の中、足を掴んだ手が
短剣に刻まれるのを聖女は
ただ感じるしかなかった。




