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転生して最強魔王の力を手に入れたけど、スローライフに全振りでよくね?  作者: 平木明日香
第一章 世界征服ならぬスローライフへの第一歩
7/14

第6話 寝かせる気が一切ない魔王城と、朝から始まる黒曜大陸社会科見学



 結論から言うと、俺は一睡もできなかった。


 いや、正確には“寝ようと努力した時間”は存在した。そこは認めてほしい。寝台へ入った。目を閉じた。深呼吸もした。今日一日で起きたことをいったん棚へ上げて、とにかく眠ることを最優先にしようと考えた。人間、いや魔王ボディだとしても中身は人間寄りの俺としては、睡眠不足の状態でまともな判断ができるわけがないのだから、まずは休むべきだという判断自体は極めて常識的だったはずだ。


 常識的だったのだが、その常識はこの城において驚くほど無力だった。


 そもそも発端は、リリエスが自然に居残ったことにある。


 あのあと彼女は、俺がどうにかこうにか“今日は頭の整理が追いついていない”という限界まで婉曲な表現で猶予を求めたのを受けて、すぐに退室する……わけではなかった。退室するどころか、むしろ「話はここからですけど?」みたいな顔で当然のように寝台まわりの環境を整え始め、掛け布の皺を伸ばし、室温を確認し、香炉の香りが強すぎないかまで気にし出したので、俺としては「いやそういう気配りのできる高性能側近ムーブを今ここで発揮されると余計に落ち着かないんだが?」という気持ちを飲み込むので精一杯だった。


「では、せめて今宵はおそばに」


 そう言って、まるで決まりきった手順みたいな顔で寝台の片側へ腰を下ろしたときの俺の心情を、誰か文学的に美しく表現してくれないだろうか。俺には無理だ。無理というか、“ちょっと待ってくれ俺まだ心の準備どころか状況理解すら終わってないんだが進行早すぎないか”という極めて俗っぽいツッコミしか出てこなかった。


 寝台は広かった。広すぎるくらい広かった。大人が数人寝ても問題ない幅をしている。魔王の寝台だからなのか、前任の趣味なのか、あるいは最初からそういう使い方が前提なのか、そのへんは深く考えたくない。けれど、物理的に広いからといって心理的な余裕まで確保されるわけではない。むしろ、広大な寝台の片側へ女王みたいな正妃が静かに横たわっているという事実が、空間の余白すら圧へ変換してくる。


「……リリエス」


 俺がようやく名前を呼ぶと、彼女は長い睫毛を伏せたまま微笑んだ。


「はい、陛下」


「その、添い寝って、一般的なのか」


「一般的ですわ」


 一般の定義が違う。


 そう突っ込みたかった。突っ込みたかったのに、彼女の声音があまりにも自然で、しかも“何かおかしなことでも?”という空気を一切出さないものだから、こっちのほうが特殊な反応をしている気分になってくるのが厄介だった。


「長き眠りからお目覚めになった陛下が安らかにお休みになれるよう、身近な者がそばに在るのは当然のことです」


「そばって、どのくらいの距離感を想定してるんだろうな」


「こういう距離ですわ」


 言いながら、彼女はごく自然にこちらへ少しだけ身を寄せてきた。


 終わった。


 理性の一部がそう判断した。


 別に何かが始まったわけではない。触れている面積だって、まだ常識的範囲……たぶん……人類社会のかなり広めに設定した常識ならぎりぎり範囲内、くらいかもしれない。ところが相手が悪い。悪いという表現は彼女に失礼かもしれないが、少なくとも俺にとっては状況が悪い。正妃リリエス。夜そのものみたいな美貌。軽い寝間着寄りの衣装。長い髪から淡い香り。落ち着いた声音。近い。距離が近い。


 眠れるわけがない。


 こちとら童貞歴二十年のベテランだぞ。


 自分で言っていて悲しくなるのだが、事実なのだから仕方がない。終末世界に色恋の余裕なんてものはなかったし、そもそも水や食糧や安全な寝床の確保で手いっぱいだった人間に、恋愛経験の豊かさなど求められても困る。ベテランという表現が適切なのかについては議論の余地がある。ない歴を積み上げただけなので、職人芸とは違う。けれど長さだけなら確かだ。そういう男へ、異世界転生直後に最強魔王ボディと三十七人の妃と正妃の添い寝をまとめて投げ込むのは、設定の押し売りが過ぎると思う。


 俺がどうにか視線の置き場を探しているうちに、リリエスは目を閉じた。


「どうぞ、お休みくださいませ」


 こっちが休めるような環境じゃなくした張本人が、それを言うのか。


 心のなかで文句を言ったところで状況は変わらない。俺は背筋をまっすぐにしたまま、天井を見つめていた。寝台の天蓋には、紫と銀の糸で星空みたいな刺繍が入っている。綺麗だな。綺麗なんだけど、いまはその情報に感動している場合ではない。呼吸を整えよう。落ち着け。目を閉じろ。意識を遠くへ飛ばせ。草原とか海とか、平和な風景を思い出すんだ。


 そんな努力が実を結ぶ前に、扉が控えめに叩かれた。


 嫌な予感しかしない。


「誰だ」


 俺が低い声で尋ねると、外から甘やかな声が返ってきた。


「陛下、お休みになる前に、安眠のための香を」


 別の声が重なる。


「陛下、お背中を温める湯たんぽ代わりに参りました」


 さらに別の声。


「陛下、耳元で眠りの歌を――」


「待って」


 待ってくれ。本当に待ってくれ。安眠のために人が増えるの、理屈として破綻してないか。睡眠とは基本的に静かで暗くて一人きりに近いほど達成しやすいものではないのか。少なくとも前世ではそうだった。いや、前世では安全のために交代で見張りを立てることはあったけれど、あれは安眠補助ではなくサバイバル措置である。歌うな。寄るな。温めなくていい。俺はいま、普通に横になって目を閉じたいだけなんだ。


 リリエスが薄く目を開けた。


「入ってよろしいですわ」


 よくない。


 俺が止めるより早く、扉が開いた。


 入ってきたのは、晩餐会で見た妃たちのうち数名だった。猫耳の小柄なフェルルがにこにこと笑い、蒼銀髪の夢魔系美女ミレイナが香炉を持ち、白い角を持つ儚げな美女がふわふわの布を抱え、長い黒髪の鬼人系美女グレナダが、なぜか“何かあれば力ずくで排除できるように”みたいな顔で後ろに控えている。安眠の構成員ではないだろ、お前。


「陛下、お休みになれないと聞きましたの」


「誰から聞いたんだろうな、それ」


「お顔を見ればわかりますわ」


 フェルルが悪びれなく言う。猫っぽい目がきらきらしている。可愛いよ?可愛いんだけど、いま俺が求めているのは可愛さではなく静寂だ。


 ミレイナが香炉から細い煙を立ち上らせた。


「安眠誘導香ですの。夢見を柔らかくし、心身の緊張を解きほぐしますわ」


「心身の緊張を解きほぐすって、まずこの部屋の人口密度を減らすところから始めたほうがいい気がする」


 正論だったと思う。ところが誰も賛同しない。リリエスは静かに座ったままこちらを見ているし、フェルルはベッドへ乗る気満々だし、角のある美女は“眠りに適した温度に調整いたします”とか言って布を広げ始めているし、グレナダはなぜか扉の前で見張りみたいな立ち位置を取った。安眠部隊の布陣がおかしい。


「陛下、どうかお気を楽に」


 ミレイナがそう言って、寝台の縁へ腰掛ける。


 楽になれる状況ではない。


 フェルルは反対側からもぐり込み、俺の腕へ頬を寄せた。


「人肌って、安心するんですのよ?」


 いや、刺激が強すぎて安心どころではない。むしろ全神経がそこへ集中してしまって逆効果である。角の美女は足元へ膝をついて、布団の端を整えながら、非常に真面目な顔で「冷えは大敵です」と言う。冷えより先に理性が大敵に襲われている。


 結局、その夜の寝室は、人を眠らせるための部屋ではなく、魔王を安眠させようという善意だけが暴走している異種族密着空間になった。


 リリエスが片側で静かに寄り添い、フェルルが腕へ抱きつき、ミレイナが香を焚きながら髪を梳こうとし、角の美女が掛け布の温度を調整し、途中からまた別の妃がやってきて「陛下の耳に残る雑音を除去しますわ」とか言いながら肩へ柔らかい布越しに触れ、さらに別の誰かが「陛下、足元が寂しいでしょう」とか意味不明なことを言い出し、俺はそのたびに“寂しくない! 静かにしてくれ!”と心のなかで叫んだ。


 誰も悪くないのがいちばん困る。


 全員が本気で俺を気遣っている。たぶんそうだ。そこに政治的な思惑が一切ないとは言わないが、少なくとも表面的には善意だ。善意で包囲されている。圧倒的に迷惑な方向へ。


「陛下、お身体が強張っていらっしゃいますわ」


 ミレイナが囁く。


「強張るだろうな、この状況」


「もう少し力を抜いて」


「抜けるわけがない」


「まあ、初心なお顔」


 フェルルがくすくす笑った。


 やめてくれ。見抜かないでくれ。その手の観察眼は封印してくれ。こっちは人生経験の薄さが顔へ出ている自覚がありすぎて苦しいんだ。


 リリエスだけは、騒ぎの中心にいながら不思議と静かだった。彼女は無理に触れすぎることもなく、他の妃たちがはしゃぎすぎれば一瞥だけで温度を下げる。たぶん最終的な統率役なのだろう。統率役が最初から寝室にいた時点で、俺の睡眠はもう詰んでいたのかもしれない。


 そんなふうに一晩が過ぎ、気づけば窓の外が白み始めていた。


 俺は一秒も眠れていない。


 しかも完全徹夜のテンションへ振り切れるほどの開き直りもできず、ひたすら中途半端に神経が擦り減った状態で朝を迎えてしまった。いちばんつらいやつである。


 妃たちは夜明けとともに、あるいはリリエスの一言で、ようやく退いていった。


「陛下は本日、朝より政務がございます」


 その言葉が告げられた瞬間、俺は本気で吐きそうになった。


 目の下にはおそらく濃いクマができていたと思う。鏡を見るまでもなくわかる。頭は重い。体は魔王ボディだからか不思議と機能しているが、精神は完全に寝不足の人間である。そこへ“朝から政務が盛りだくさんございます”なんて情報を流し込まれたら、吐き気の一つも起きる。


「まってくれ」


 寝台の端へ座ったまま、俺は額を押さえた。


「政務って、朝から?」


 尋ねた声が、自分でも驚くほど死んでいた。


 リリエスはすでに身支度を整えた姿で立っている。寝起き感が一切ない。すごいなこの人。夜通し同じ空間にいたはずなのに、どうしてそんなに完璧な女王モードへ戻れるんだ。


「はい。ご覚醒の翌朝でございますもの」


 理屈として通っているようでいて、情がない。


「各部よりご報告、承認待ちの案件、内廷の調整事項、地方からの上申、軍務と財務の要点説明、各種署名、加えて、本日は王都各区からの陳情の取りまとめも入っております」


「ちょっと一回その単語の群れを整理してから言ってもらえるかな」


 多い。朝から摂取するには情報の脂が多すぎる。ご報告と承認待ちの案件までは何とか理解できる。内廷調整事項で胃が重くなり、地方からの上申で視界が遠くなり、軍務と財務の要点説明で頭痛が始まり、各種署名で現実味が増し、王都各区からの陳情の取りまとめで心が折れかけた。


「俺、いま起きたばかりなんだけど」


「はい」


「寝てないんだけど」


「お疲れはお察しいたします」


「察するだけで済ませるの、リーダーとして強いな」


 リリエスは少しだけ、ほんの少しだけ、口元を和らげた。


「陛下ほどではございません」


 その返しに何を含めたのかはわからない。わからないが、少なくとも彼女は“今朝の俺の顔がとてもひどい”ことを理解しているのだろう。


 そこへセラフィナが入室した。


 なんなんだろう、この城の上位女性陣は。誰も彼も朝が強すぎないか。俺なんていま、前世の徹夜明けのほうがまだ表情に生気があったんじゃないかと思うくらい死んでいるのに、セラフィナはいつも通り整った軍服めいた衣装で、髪も乱れ一つない。まるで“昨夜はよく眠れましたが何か”みたいな顔をしている。


「陛下、おはようございます」


「おはよう。俺はおはようじゃない」


「左様で」


 左様で、じゃないんだよな。


 もっとこう、“本日の政務は延期いたしましょう”みたいな慈悲があってもいいと思う。ところがこの宰相にそういう甘さはあまり期待できない。慈悲がないわけではないのだろうけれど、たぶん優先順位の付け方が徹底しているのだ。


「本来であれば本日中に主要案件を一巡していただきたいところですが、陛下のご体調を鑑み、順序を再構成いたしました」


「お、そこは助かる」


「まずは黒曜大陸および魔族領の基礎理解からお入りいただきます」


 俺は一拍黙った。


 それだ。


 それを先に言ってほしかった。


 政務、政務と聞くと、いきなり書類の山と印章と決裁地獄を想像してしまう。もちろんそれも待っているのだろう。けれど、まず何をすればいいのかすらわからない状態で印鑑だけ押すのはさすがに危険すぎる。魔族の国ってどういうふうに成り立ってるんだ。黒曜大陸にはどんな国や都市がある。魔族とひとくくりに言ってもどこまで含む。税はどうなっている。軍と民の距離は。農業はあるのか。交易は。宗教は。文化は。そういう基礎が頭へ入っていないと、手をつける順番どころか、問題の所在すら掴めない。


「……それ、最初にやってくれるのは本当に助かる」


 俺が本音で言うと、セラフィナはわずかに頷いた。


「陛下がいま最も必要としておられるのは、判断材料であると考えました」


「珍しく、って言うと失礼だけど、すごく話が通じるな」


「常に通じております」


「こちらの話が壮大な計画へ変換されがちなだけで?」


「否定はいたしません」


 潔い。


 こういうところは本当に有能だと思う。いや、たぶん有能すぎるから、俺の“畑作りたい”が国家戦略へ膨らむんだろうけれど。


 朝食はごく軽く、とリリエスが指示を出したおかげで、ようやく俺はまともなものへ近い食事にありつけた。とはいえ魔王城基準なので完全に普通ではない。普通ではないのだが、少なくとも昨夜の“見るからに残虐性の限りを尽くされた大皿料理”よりは穏当で、柔らかいパンに近いもの、温かなスープ、果実の煮込み、薄く切った肉の軽い燻製などが並んでいた。それだけで俺の心はかなり救われた。食事って大事だなと改めて思う。


 目の下にクマを抱えたまま、俺はセラフィナとヴァルト、それから補助役らしい数名の文官に案内され、午前の“基礎理解講義”へ臨むことになった。


 会場は、会議室というより書庫と講堂の中間みたいな空間だった。壁一面に本と地図と記録板が並び、中央には大きな円卓、周囲に幾枚もの黒い板状の魔導具、天井からは明るすぎない光が落ちる。空気は静かで、昨夜の晩餐会や妃たちの密着地獄と比べれば、ここはもう天国に近い。人が少ない。会話が一方向。触れてこない。素晴らしい。


「……落ち着く」


 思わず漏れた本音に、ヴァルトが片眼鏡を押し上げた。


「講義室が、でございますか」


「うん」


「なるほど。情緒ではなく情報で空間を制するほうが性に合うと」


「そういう大層な話じゃなくて、人が少ないのが助かるんだ」


「陛下のご負担軽減を最優先と理解いたしました」


 理解が早いのはありがたい。微妙にずれるのはいつものことだ。


 円卓の中央へ、黒曜大陸の巨大な立体地図が浮かび上がった。


 魔導投影らしい。黒い台座の上から淡い光が立ち昇り、山脈、河川、平野、森林、沿岸部、都市の位置まで立体的に再現される。寝不足の脳でも、これは素直にすごいと感心した。終末世界でも立体投影の技術はあったけれど、あちらは機能優先で味気なかった。こちらの魔導技術は、実用と演出が妙に両立している。


「こちらが黒曜大陸全図にございます」


 セラフィナが指し示した。


「黒曜大陸は、七大陸中もっとも魔力濃度が高く、種族的多様性に富んだ土地です。全域が陛下の支配圏とされておりますが、その実態は一枚岩ではありません」


「そこ、まず大事だな」


「はい。ゆえに本日ご理解いただくべきは、“陛下の国”という単純な図ではなく、“陛下の支配下にある複数の文化圏と利害圏の集合体”という実相でございます」


 講義として非常に正しい導入だった。眠いけれど、ここはちゃんと聞かなければならない。


 黒曜大陸は大きくいくつかの地域圏へ分かれていた。


 まず王都エルディアを中心とする中央直轄圏。ここは魔王城を擁する中枢であり、行政、軍事、魔導研究、物流の要衝が集中している。人口密度も高く、さまざまな魔族が混住しているらしい。


 次に北部高地圏。鬼人、巨人、獣戦士系の氏族が多く、軍事力と鉱山資源の中心地だという。寒冷で険しい地形が多く、鍛冶や重装兵の文化が発達しているそうだ。


 東部森林圏。夜魔、妖精、幻獣系統、樹海に適応した種族が多く、薬草、希少木材、精霊性資源が豊富。閉鎖的な共同体も多く、中央の法をそのまま適用しづらい地域とのことだった。


 南部湿地・沿海圏。海妖、蛇人、毒性に強い種族、水利と漁撈に長けた民が暮らし、外洋との接点もここへ集中する。密貿易や外来文化の流入も多いらしい。


 西部荒野・火山圏。悪魔系、竜脈利用種、鉱熱資源関連の集落が点在し、魔導炉や重工業めいた施設が多い。生活は厳しいが、そのぶん独立心が強く、中央への反発も周期的に起きる。


 さらに辺境外縁には、旧戦線跡や封印区域、半自治の戦闘部族圏など、普通の国家地図にはあまり載せたくない感じの危険地帯まで広がっていた。


「……思ったより、普通に大陸だな」


 俺が率直な感想をこぼすと、ヴァルトが頷く。


「はい。人類圏が宣伝に用いる“魔王が直接すべてを蹂躙的に統御する暗黒帝国”という像は、わかりやすさを優先した虚構に近いものです」


「そんな気はしてた。これ、地理も文化も違いすぎて、全部を一つのやり方でまとめるの無理だろ」


「おっしゃる通りです」


 だからこそ、魔王という頂点は“単なる支配者”ではなく、“相互に異質な勢力圏を束ねる象徴かつ最終調停者”でもあるのだとセラフィナは説明した。


 それを聞いて、俺は少しだけ魔王という立場の輪郭を理解した。


 強いから王なのではない。いや強いのは前提として、その強さがあるからこそ、内部で食い合いかねない魔族諸勢力を押さえ込めるのだ。外から見れば恐怖の象徴でも、内側から見れば均衡の装置。そう考えると、世界征服を狙うのとは別に、“魔王が倒れたら黒曜大陸自体が不安定化する”という話もありうる。


「なるほどな……」


 思わず声が出た。


「俺が何もしなくても向こうから警戒してくるってのはわかるけど、内側も内側で、ただ椅子に座ってればいいわけじゃないんだな」


「はい」


 セラフィナは静かに答えた。


「陛下が在るという事実そのものが秩序であり、牽制であり、時に救済です」


「救済、ね」


 その単語は意外だった。


 ヴァルトが説明を引き継ぐ。


「魔族社会は、種族ごとの生理、寿命、繁殖観、魔力資質、共同体規範が大きく異なります。人類圏が単一種の国家体系を基準に設計されているのに対し、我らは本質的に多種族連合です。共通法はありますが、各地で慣習法の比重が高い。その調停役として、絶対的権威が必要となる場面は多い」


「……昨日の妃一覧見て、薄々そんな気はしてた」


「内廷は縮図にございます」


 セラフィナのその一言で、俺は変な納得をした。


 そうか。妃たちの人数や関係性が意味不明に見えたのも、単に前任が女たらしだったからではなく、この大陸そのものが多種族・多慣習・多利害の集合体だからでもあるのかもしれない。もちろん前任の手の早さという要素もかなり疑わしいが、外交や血盟や統合政策が婚姻の形を取る社会なら、妃が多いこと自体は一概に個人の好色だけでは説明しきれない。


 いや、それでも多いけどな。


「次に、黒曜大陸の統治構造をご説明いたします」


 投影が切り替わり、階層図のようなものが現れた。


 魔王を頂点に、その直下へ中央政務府、軍務府、外事府、財務府、祭祀管理局、魔導研究院、地方監察庁、王家内廷局などが並ぶ。役所が多い。終末世界の管理局みたいだなと一瞬思ったが、こちらのほうがもっと生々しい。血統も軍も宗教も研究も全部、政治と密接に絡んでいる。


「難しい顔をなさっていますね」


 セラフィナが言う。


「役所が多くてな」


「多いです」


「そこは否定しないんだ」


「必要に迫られ増殖した結果ですので」


 国家って、世界が違っても組織が増殖するんだなあと変な感慨が湧いた。役所は災害みたいに増える。種族を超えた普遍性があるのかもしれない。


 講義は続く。


 魔族の社会は、単純な貴族制でも軍閥制でもなかった。氏族、血統、都市、職能ギルド、宗教的結社、研究機関、軍団、地方豪族、その全部が絡み合っている。そして地域によって何が強いかが違う。北部では武と氏族の序列が重く、東部では森との共生規範と長老会の発言力が強く、南部では交易ネットワークと海路支配がものを言い、西部では資源と技術集団が独自の力を持つ。


「人類圏からは、しばしば“魔族は暴力のみで統治されている”と見なされます」


 ヴァルトが言う。


「実態は、それでは持ちません。暴力は最終手段であり、通常は利害調整、血縁、交換、名誉、恐怖、保護、祭祀、契約、その複合です」


「つまり、面倒くさい」


「非常に」


 そこは気が合った。


 それから俺は、黒曜大陸の文化についてもかなりの時間を使って学ぶことになった。


 魔族にも当然ながら食文化があり、地域ごとに大きく違う。王都周辺の上流文化は“強大な獲物を喰らうこと”へ美学が偏っている傾向があり、昨夜の晩餐会はその頂点に近い形式らしい。やっぱりそうか。どうりでゲテモノ全開なわけだ。ところが東部森林圏には薬草や木の実、発酵を巧みに使う繊細な料理文化があり、南部には魚介と海藻を中心としたあっさりめの食文化、西部には保存食と濃い味の煮込み、北部には塩と燻製と肉を重んじる豪快な食文化があるという。


「ちょっと待って」


 俺は思わず身を乗り出した。


「ちゃんと、野菜あるんだよな?」


 セラフィナが一瞬だけ目を瞬かせた。


「ございます」


「よかった……」


 心の底からそう思った。


「そんなに重要ですか」


 ヴァルトが不思議そうに言う。


「重要だろ。ずっと肉と内臓と目玉料理ばっかり食ってたら、気持ちのほうが先に荒む」


 俺が真顔で言うと、文官の一人が妙に感心したような表情をした。


「……なるほど。精神安定と食の関係にまで」


「そこまで深い話じゃなくて、単純に胃と心に優しい飯がほしいだけだ」


 最近本当にこればかり言っている気がする。俺のささやかな願いは、なぜこうも毎回壮大な思想へ解釈されそうになるのか。


 生活様式も地域ごとの差が大きかった。魔力濃度の高い中央では魔導具の利用が一般化している一方、東部では自然との調和を重んじた半自給自足型の集落が多く、北部では共同体ごとの結束が強い代わりに外部者へ厳しく、西部では危険な環境のせいで合理性と能力主義が進んでいるという。南部は交易と混血が当たり前で、価値観の柔軟さとしたたかさが特徴らしい。


 聞けば聞くほど、黒曜大陸は“魔王の国”というより“複数文明の寄り合い所帯”だった。


 その現実は、俺にとって少しだけ救いでもあった。


 魔族と人類の構図が単純な善悪じゃないとわかるからだ。終末世界から来た俺としては、種族の違いだけで相手を断定する発想にどうしても抵抗がある。ここで暮らす者たちは、それぞれ土地と文化と事情を抱えている。人類側にもそれがあり、魔族側にもある。その接点で戦争が起きている。単純ではない。単純ではないからこそ、なんとかできる余地もあるかもしれない。


 もっとも、その“なんとか”へ辿りつく前に、まずは俺が寝不足をどうにかしたほうがいいのだが。


 講義の途中、何度か意識が遠のきそうになった。恥ずかしい話だが、体のスペックが高くても脳の処理は精神状態に引っ張られる。セラフィナはそのたびにさりげなく休憩を挟み、濃すぎない飲み物を用意させ、説明の順序を調整した。こういう細やかさは本当に助かる。


「……すまない、助かる」


 休憩中にそう言うと、セラフィナは少しだけ表情を和らげた。


「陛下が理解を進めてくださることが、何より重要にございます」


「理解しないと何も決められないからな」


「はい。そして、理解しようとなさる陛下は、以前とは異なる」


 その言葉には、批判よりも観察の色が強かった。


 以前の魔王は、理解より先に決断を下すタイプだったのかもしれない。あるいは理解していたとしても、それを態度へ出す必要がなかったのかもしれない。俺は違う。知らないことが怖い。怖いから先に知りたい。それはたぶん、前世で“理解できない災害”や“理由のわからない崩壊”を嫌というほど見てきたせいでもある。


 午後へ入る頃には、黒曜大陸の主要都市とその役割も頭へ入ってきた。


 王都エルディアは政治と軍と研究の中枢。


 港湾都市ナグ=ラディアは南海交易の玄関口で、海妖系と商人層の力が強い。


 鍛冶都市ドル=グラナは北部鉱山圏の結節点で、武具と重魔導具の生産拠点。


 樹冠都市フェイリスは東部森林圏の代表都市で、薬学と精霊契約技術の中心。


 火環都市ヴェス=カイナは西部火山圏の工業都市で、魔導炉や兵器関連の研究が盛ん。


 さらに辺境要塞や半自治領まで含めると、地図の上は驚くほど多彩だった。


「ここまで見ると、むしろ人類圏のほうが“魔族=全部同じ”って雑にまとめすぎなんじゃないか?」


 俺が言うと、ヴァルトがうっすら笑った。


「敵を単純化するのは、どの勢力でもよくあることです」


「面倒な相手ほど、雑なラベルでまとめたくなるのはわかるけどな」


「こちらも人類圏を一括りに語ることはございますので、お互い様でもあります」


 そのへんは耳が痛い。わかりやすくするために相手を雑に括る。前世でも似たようなことはあった。外の勢力、他の居住区、上層の連中、そういう雑な呼び方で線を引いていた。世界が追い詰められるほど、人は単純な言葉へ逃げる。


 講義の終盤、セラフィナは黒曜大陸の“現在の主要課題”を挙げた。


 食糧流通の地域格差。


 中央と辺境の法運用のずれ。


 軍団ごとの利害対立。


 内廷と地方豪族の婚姻・血統調整。


 人類圏との緊張による沿岸交易の停滞。


 西部工業圏の環境悪化。


 東部森林圏での中央不信。


 王都周辺へ人口が集中していることによる住宅と衛生の問題。


「……問題、山ほどあるな」


 俺が呟くと、セラフィナは頷く。


「はい。ゆえに、何から手をつけるかが重要です」


「そして俺はいま、それを決める立場にいるわけか」


「はい」


 静かな肯定だった。


 重いな、と思う。正直に。


 けれど同時に、どこかで少しだけ納得もしていた。俺が平和に暮らしたいと願うなら、その平和は放っておいても完成しない。食事がまともで、住まいが安全で、民が落ち着いて暮らせる状態を作るには、結局この大陸の仕組みを無視できないのだ。


 終末世界で俺が欲しかったのは、明日があることだった。


 その明日を成立させる土台が、いま目の前で講義されている“面倒くさい構造”の全体なんだろう。


「……よし」


 気づけば、そんな声が出ていた。


 セラフィナとヴァルトがこちらを見る。


「まずは、生活に直結するところからだな」


 俺は投影された地図と資料へ目を向けた。


「食糧、流通、住環境、衛生。そのへんを優先して見たい。戦争の話は避けられないにしても、基盤が崩れてる状態で強がってもろくなことにならないだろ」


 わりと率直に言ったつもりだった。ところが言い終わった瞬間、セラフィナの瞳がわずかに鋭くなり、ヴァルトは片眼鏡の奥で光るものを宿し、文官たちは一斉に何かを書き留め始めた。


 あ、これまたやったな、と俺は察した。


「陛下」


 セラフィナがゆっくり口を開く。


「承りました。中央直轄圏における民生再編を最優先議題として組み直します。食糧流通網、水利と衛生、住区整備、地方間輸送効率、農地開発可能性まで含め、第一段階案を提出いたします」


「ちょっと待って、そこまで一気にやるつもりでは――」


「生活基盤を押さえることは、軍・民・地方のすべてへ通ずる最短経路にございます」


 やっぱりこうなる。


 いや、間違ってはいない。間違ってはいないんだ。俺が言いたいのは、ただもう少しスローに始めたかったというか、畑一枚とか、温かいスープ一杯とか、そういう小さな単位から入りたかっただけで。


 ヴァルトも続いた。


「あわせて各都市の自給率、備蓄量、流通遅滞要因、地方慣習との衝突点を抽出しましょう。陛下のご意向に沿うなら、生活再建はそのまま統治再構築の基軸となります」


「いや、あのな」


「さすがは陛下です」


 文官の一人が感動したように呟いた。誰も頼んでいない。


 俺は額へ手を当てた。


 寝不足の頭へ、またしても壮大な計画の匂いが降ってくる。ほんの少し、“黒曜大陸を知りたい”と口にした結果がこれである。この城にいる限り、俺の素朴な願いはどうしても国家規模へ増幅されるらしい。


 それでも、完全に嫌だとは思わなかった。


 面倒くさい。ものすごく面倒くさい。眠いし、頭も重いし、今すぐ昼寝したい。けれど、少なくとも今朝の俺よりは、目の前の世界が少しだけ見えている。黒曜大陸はただ恐ろしい魔族の土地ではなく、文化があり、暮らしがあり、問題を抱えた巨大な社会だ。


 なら、やるべきことも少しは見えてくる。


「……その前に」


 俺は大きく息をついた。


「今日の夜だけは、本当に、一人で寝かせてくれ」


 講義室が一瞬だけ静まった。


 そして、セラフィナはごく真面目な顔で頷いた。


「承知いたしました。最優先事項として手配いたします」


 そこ、最優先で通るんだ。


 思わず吹き出しそうになった。いや、笑っている場合じゃないのかもしれないけれど、睡眠の確保を最優先事項として正式に処理されるあたり、やっぱりこの城のスケール感はおかしい。


 何にせよ、その約束が守られるなら、今日を乗り切る希望くらいは持てる。


 魔王としての政務は朝から盛りだくさん。黒曜大陸は広大で複雑。魔族社会は想像以上に多様で、理解には時間がかかる。俺が平和に暮らしたいと願うだけでは、たぶん何も始まらない。


 それでも、ようやく少しだけ、何から手をつければいいのかの輪郭が見えてきた気がした。


 まずは知ること。次に、生活を整えること。


 そして何より、今夜こそちゃんと寝ること。


 その三つを胸のなかで固く確認しながら、俺は魔導投影で浮かぶ黒曜大陸の地図を見つめた。果てしなく広くて、面倒で、厄介で、美しい世界だった。


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