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転生して最強魔王の力を手に入れたけど、スローライフに全振りでよくね?  作者: 平木明日香
第一章 世界征服ならぬスローライフへの第一歩
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第2話 魔王城、住むにはちょっと威圧感が強すぎる


挿絵(By みてみん)





 妃殿下方、という単語が俺の耳に入った瞬間から、脳の処理能力は目に見えて落ちていた。


 いや、落ちるだろ普通。草原で目覚めて、自分が魔王だと知らされて、軽く魔力を流しただけで山を一つ消してしまって、そのうえ城へ戻ったら妃が複数名待っているらしいと聞かされた人間がなお平静を保っていられるなら、そいつはもう魔王とか以前にメンタルが神話級である。少なくとも終末世界育ちの一般寄りメンタルをしている俺には無理だ。空が青いことに感動していた数十分前の俺に教えてやりたい。お前の第二の人生、平和の文字は看板だけで、中身はだいぶ騒がしいぞと。


「……ちなみに聞くけど、その妃っていうのは」


 歩き始めた一行のなかで、俺はできるだけ声を平坦にして尋ねた。いま焦っていると悟られたくないという、無駄な見栄も少しはあった。全部無駄になる気しかしないけれど、心の防波堤くらいは立てておきたい。


「俺の知ってる意味の妃で合ってるのか」


 セラフィナは一切の迷いなくうなずいた。


「はい。陛下の正妃、側妃、寵姫、そのほか血盟と婚姻に準ずる契約を結ばれた方々を含め、現在、王城内外で陛下と深いご縁を有する女性方を総称して、皆そのようにお呼びしております」


「情報を濁したようでいて、むしろ明確に増やしてきたな」


 正妃。側妃。寵姫。血盟と婚姻に準ずる契約。単語だけで胃もたれしそうだ。俺は誰ともそんなものを結んだ記憶がないので、当然ながら前任の仕業である。前任。つまり俺がいま入っている、この最強魔王のボディの前の持ち主だ。コイツ、いったいどんな暮らしをしていたんだ。世界征服を狙うくらい精力的な人生なんだろうとは思っていたが、想像よりだいぶ個人生活まで濃いな。


「人数は?」


「正式な扱いの方だけで三十七名ほどにございます」


「正式じゃない人の存在を匂わせるのやめようか」


 俺が素直に頭を抱えると、前方を歩くグレイシアが豪快に笑った。褐色の肩が陽光を弾いて、そのたびにこちらの平穏が一枚ずつ削られていく気がする。


「さすが陛下だ! お目覚め直後にして、すでに全員の把握をなさろうとは!」


「違う。把握しないと怖いからだ」


「全体像を掴んでから支配構造を再編なさるおつもりなのですね!」


「会話ってこんなに一方通行だったか?」


 ヴァルトが片眼鏡越しに俺を見て、いかにも理知的な、そして理知的であるほど信用ならない微笑を浮かべた。


「ご安心ください、陛下。王城へ着けば、まずは現行の内廷構造、血統管理、派閥力学、子弟の序列、外戚勢力との関係、各妃の影響圏を整理した資料をお持ちいたします」


「誰もそこまで一気に欲しいとは言ってない」


「左様で」


 そう言いながら、こいつ絶対に持ってくるつもりだな、という確信が声ににじんでいる。魔王の側近ってやつは、どうしてこうも相手の精神負荷へ遠慮がないんだろう。俺が前世で見てきた終末世界の管理官ですら、もう少し段階を踏んで絶望を与えてくれたぞ。


 そんなふうに会話をしているうちに、草原の向こうに、黒い塊のようなものが見え始めた。


 最初は遠景の山かと思った。よく見れば、形が人工的すぎる。尖塔。城壁。塔楼。巨大な橋。門。さらに近づくにつれて、俺は口を開けたまま無言になるしかなくなった。


「……でか」


 感想がまたしても貧弱なのは許してほしい。人間、あまりに巨大なものを見せられると語彙が圧死するらしい。


 魔王城と呼ばれたそれは、城というより一つの黒い都市だった。


 丘や山肌をまるごと食って育ったみたいな構造をしている。漆黒の石材で組まれた外壁は幾重にも折れ曲がり、そのたびに角度の異なる防衛塔が噛み合っていて、遠目にも「攻める気をなくさせるために存在している建築物です」とわかる威圧感があった。中央には天を突くような主塔が一本、そこから左右へ枝のように無数の回廊や副塔が伸び、それぞれが橋でつながっている。橋の下にはさらに深い谷が掘られ、谷底を見下ろせば、たぶん落ちたくない感じの瘴気めいた靄がうっすら漂っていた。


 門にいたっては、門というより壁に開いた巨大な断崖の割れ目みたいなサイズだ。そこをくぐるための道は黒曜石に似た光沢を持ち、車両が十列並んでも余裕で通れそうな幅がある。門扉の両脇には、竜の頭蓋骨を模したのか、あるいは本物を加工したのか判別に困る像が埋め込まれていて、片方の口には炎、もう片方の口には青白い冷気が揺れていた。威嚇の方向性が忙しい。どっちかに統一してくれたほうが心の準備がしやすい。


「……あれに住むの?」


 思わず聞いてしまった。


 セラフィナがなんでもないことのように答える。


「はい。王城ディアボロス、黒曜大陸の中枢にして、陛下の玉座が置かれる不落の本拠です」


「不落なのは見ればわかるんだけど、住居としてはどうなんだろうな」


「快適性についてのご意見でございますか?」


「うん、ものすごくざっくり言うと、圧が強い」


 俺の率直すぎる感想に、セラフィナは少しだけ考えるように視線を上げた。たぶんこの人の人生で、魔王城を見て「圧が強い」という評価を下した者はそう多くないのだろう。


「威容こそ王威の象徴にございますので」


「いや、象徴としては百点だよ。敵だったら近寄りたくないし、見た瞬間に帰りの計画を立てると思う。そういう意味では完璧なんだけど、人が毎日寝起きする場所として考えると、毎朝『おはよう』の代わりに威嚇されてる感じがある」


 ヴァルトが妙に真剣な顔で顎に手を当てた。


「なるほど……日常的な心理圧迫を軽減し、長期的な思考効率と統治判断の質を向上させる発想ですか」


「統治判断じゃなくて、単純に気疲れしたくないだけなんだが」


「玉座空間の再設計、採光構造の見直し、居住区の用途別分離、庭園拡張案を作成いたします」


「行動が早いな」


 ありがたいのかありがたくないのか判断に迷う。俺の「なんか住みづらそう」は、どうやら魔王城リノベーション計画の起点になったらしい。そんな壮大なつもりではなかった。ほんの少し、威圧感が十割ではなく八割くらいになれば十分だったのだが、この面々に雑な要望を投げると、返ってくるのはいつも計画書レベルの反応である。


 城へ近づくにつれ、その巨大さはさらに現実味を失っていった。外壁の一枚一枚が家ほどあり、塔の窓一つが村の広場くらい広い。歩いていると感覚がおかしくなる。自分が小さくなったのではなく、世界の縮尺だけが勝手に狂ったみたいな気分だ。終末世界の地下区画にも巨大建造物はあったけれど、あれは生存のための箱であって、ここまで見栄と暴力と権威を詰め込んだ建築ではなかった。


 門前に着くと、左右に整列していた兵たちが一斉に跪いた。


 兵、と言っても、俺の知っている「武装した人間」の枠に収まる者は少ない。身長が二メートルを超える鬼人、蝙蝠のような翼を持つ飛魔、石像みたいな肌をした重装兵、蛇の下半身を持つ女性兵士、見た目だけなら完全にボスモンスター側へ配置されるはずの連中が、規律正しく整列している。壮観といえば壮観だし、正直かなり格好いい。格好いいんだけど、これが全部俺の配下ですと言われると、やっぱりちょっと引く。いや、かなり引く。圧が強いという表現では追いつかない。


「陛下のご帰還だ!」


 誰かが叫ぶ。その声が石壁に反響し、城門の奥まで響いていく。途端に、重い機構音が鳴った。門扉がゆっくりと開いていく。鎖の擦れる音、石の噛み合う音、どこかで鳴る角笛。演出が本気すぎる。俺は王族の帰還イベントに巻き込まれた一般人みたいな気分でその場に立っていたが、まぎれもなく主役の位置に立たされているのがやるせない。


 門をくぐった先には、さらに広い前庭があった。


 広いという言葉で片づけるのが申し訳なくなるくらい広い。黒い石畳が遠くまで続き、途中には巨大な噴水、甲冑姿の騎士像、翼を広げた竜の彫刻、花ではなく夜に光るらしい紫色の植物が整然と並ぶ庭園が広がっている。庭園なのに可憐さより禍々しさが勝っているのは、さすが魔王城というべきか。中央の大階段は百段くらいありそうで、しかも一段一段がやたらと高い。王の足腰を鍛えるための装置なのかもしれない。もしそうなら、もう少し別の鍛え方を考えてほしい。


「毎日ここ上るの?」


「陛下は空をお飛びになりますので」


 セラフィナの返答に、俺は自分の背中を見た。翼はない。少なくとも見える範囲にはない。


「飛べるの、俺」


「はい」


「常識みたいに言うなあ」


 空を飛べるらしい。山を消すわ、飛べるわ、妃は多いわ、俺の現状説明だけ抜き出すと完全に盛りすぎ設定の主人公である。読者がいたら設定過多で笑うところだ。俺が笑えないだけで。


 城内へ入ると、今度は豪華さの暴力が始まった。


 玄関ホール、というより巨大聖堂のような空間がまず広がる。床は黒と深紅の大理石で幾何学模様に磨き上げられ、天井は見上げると首が痛くなる高さまで吹き抜けている。そこから幾筋もの階段と回廊が伸び、壁には歴代魔王のものと思しき巨大肖像画、怪物の角や牙を加工した装飾、金とも銀ともつかない金属の燭台、やたらと値段が高そうな絨毯が惜しげもなく敷かれている。資産の使い方が一貫して「とにかくデカくて強そうに見せる」方向へ寄っていて、見ているだけで肩が凝る。


 その場に控えていた侍女や執事たちが、一斉に頭を下げた。


「陛下、ご帰還をお慶び申し上げます」


 綺麗に揃った声だった。響きが良すぎて、ちょっとした合唱に聞こえる。視線を向ければ、ここでもまた人材の濃さがひどい。侍女なのにどう見ても暗殺者寄りの気配を纏った女性、執事なのに片手で熊を絞められそうな老紳士、耳の長い美形、角のある少年、目元だけで百戦錬磨とわかる老婆。なんというか、人事担当者の好みが「平凡」という概念を知らない。


 しかも待遇が、異常に手厚かった。


 俺は正面の大階段を上るだけで、左右から誰かしらに支えられた。喉が渇いていないかと問われ、温かい飲み物と冷たい飲み物の両方を提示され、足元が汚れていないのに靴を替えますかと聞かれ、疲労を癒やす香を焚きますかと問われ、沐浴の準備、着替えの候補、食事の献立、休息用の寝台、会談までの猶予時間、その他もろもろが矢継ぎ早に差し出される。もてなしというより、王の生存環境を最適化する専用チームが全力で稼働している感じだ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は別に、そこまで手厚くしなくても」


 口を挟むと、侍女の一人が不思議そうに目を瞬いた。


「陛下。寝台の硬さは本日だけでも六種類からお選びいただけます」


「なんで一日で六種類も試せる体制になってるの」


「目覚め直後のご体調に万全を期すためにございます」


「ものすごく親切なのはわかる。わかるけど、親切の規模が怖い」


 終末世界では、水が一杯出てくるだけでも十分にありがたかった。そんな人間へ、いきなり最高級ホテルと皇帝の私室を足して十倍にしたような待遇を浴びせるのは、ある種の文化衝撃である。ふかふかの絨毯に足を乗せるだけで落ち着かない。壊したらどうしようと思う。いや、山を消した俺がいまさら何を壊す心配をしているのかという話でもあるんだけど、壊す規模が大きすぎるのと小物をうっかり落として割る緊張は別種なのだ。


 案内された私室は、部屋というより離宮の一角みたいだった。


 寝室だけで家が建つ。天蓋付きの巨大な寝台は横幅が異様に広く、寝返りを何回打っても反対側へ辿りつける気がしない。窓は床から天井まである大きな一枚で、外には城下町と遠くの山並みが見える。壁際には本棚、暖炉、談話用のソファ、食事を取るための小卓、楽器らしきもの、剣や槍を飾るための架台、いざというとき何に使うのかわからない儀式めいた台座まで置かれていて、用途が多すぎる。寝るための部屋のはずなのに、ここだけで生活の半分が完結しそうだ。


「広すぎない?」


「陛下のお部屋としては標準的かと」


「標準が迷子なんだよな、この城」


 俺が天蓋の布地を指先でつまむと、柔らかさに変な声が出そうになった。いい布だ。間違いなくいい布だ。前世で触れてきた寝具が配給毛布か作業着の延長みたいなものだったことを思えば、この世界、生活水準の振れ幅が凄まじい。豊かな世界へ来たいとは願ったものの、急にここまで豪奢なものを寄越されると、庶民の心は逆に居場所を失う。


 もっと普通でいいんだよな。日当たりが良くて、風通しが良くて、飯がうまくて、風呂に入れて、静かに眠れる場所。それだけで十分に幸せなんだ。むしろ、その十分を揃えるのが前世では奇跡みたいな難しさだったからこそ、いま俺はこんなにも目の前の環境へ戸惑っている。


 その一方で、ありがたいものはありがたい。湯で手を拭ける。清潔な水がある。座れば沈み込むほど柔らかい椅子がある。人の手で整えられた温度と香りの空間がある。そういう当たり前が当たり前として並んでいるだけで、胸の奥が少しだけきゅっと縮んだ。


 平和って、本来はこういうものの積み重ねなんだろうなと思う。


 毎日ちゃんと眠れて、食べられて、落ち着いて座れること。


 魔王とか権力とか以前に、その基盤があるから世界は回る。


 俺がぼんやりそんなことを考えていると、扉の外から控えめなノックが聞こえた。


「陛下。会合の準備が整いました」


 セラフィナの声だった。


 逃げたい。


 正直に言えば、ものすごく逃げたい。寝台へ飛び込んで「きょうはもうおやすみです」と布団をかぶりたい。けれど、ここで会合から逃げても現実が消えるわけではない。俺がこの体と立場を持っている以上、この世界の情勢とやらを知らないまま「畑が作りたいです」だけ言っていても、いずれ別方向から爆発するに決まっている。


 覚悟を決めて部屋を出ると、会議室までの道中だけで軽い旅だった。


 回廊は長く、窓は高く、壁には歴戦の将軍らしき魔族の肖像画や戦旗が並び、ところどころに中庭や吹き抜けがあって、下を覗けば兵たちが規律正しく行き交っているのが見える。城というより行政・軍事・外交・生活の全機能を抱え込んだ一大複合施設である。魔王の住居にしてはだいぶ働く前提が強い。前任、お前ぜったい休まないタイプだっただろ。


 通された会議室は、重厚という言葉を鍛え上げて鎧にしたような空間だった。


 長大な楕円卓が中央に据えられ、その周囲にはすでに何人もの配下たちが集まっている。最初に出会った配下たちでも十分濃かったのに、今回はさらに本気で濃い。魔力の気配だけで空気が重い。人間の世界なら、ここへ集められている時点で一国が滅ぶ前触れとして歴史書へ書かれそうな面子である。


 玉のような赤い瞳を持つ長髪の男は、椅子に腰掛けたままでも獣じみた圧を隠せず、袖口から覗く手には黒い鱗が浮いている。細身の女は喪服のような黒衣をまとい、背後に浮かぶ影が本人より饒舌そうだ。僧侶めいた法衣を着た老人の額には宝石が埋め込まれ、目を閉じているのに存在感だけが大きい。白衣姿の小柄な少女は机いっぱいに資料を広げ、こちらを見た瞬間に目を輝かせた。研究者っぽい。研究者っぽい人間は世界が違っても目つきが危ない。


 彼らは俺が入室すると、一斉に立ち上がった。


「陛下に忠誠を」


 重なった声音が会議室を震わせる。俺は座るだけで体力を使った。座った椅子が妙に立派で、たぶん玉座寄りの何かなんだと思う。


「……ええと、楽にしてくれ」


 そう言うと、また少しの沈黙ののち、全員が席へ戻った。楽にしてくれという言葉一つで、さっきまで静かな災害みたいだった空気が若干だけ緩む。若干だけ。根本の威圧感はびくともしない。


 セラフィナが俺の右手側に立ち、会合の開始を告げた。


「これより、陛下ご帰還後最初の大戦略会議を――」


「生活会議って名前にできない?」


 思わず差し挟んだ俺の願いは、当然のように受理されなかった。


「ではまず、黒曜大陸内政および対外情勢の現況をご報告いたします」


 ヴァルトが立ち上がり、卓上へいくつもの板状の資料を並べた。紙ではない。半透明の黒い板の上へ光が浮かび、地図や数字が浮き上がっている。便利なんだろうけど、用途が完璧に軍事会議である。


「現在、我ら黒曜大陸は七大陸中、領域規模で第三位、総戦力で第一位、資源総量で第二位、交易量で最下位に位置しております」


「最下位なんだ」


「当然です。封鎖しておりますので」


「当然って顔されても、俺まだこの世界の常識知らないからな?」


 ヴァルトは咳払い一つで流し、地図上へ印を走らせた。


「東方の蒼銀大陸には人類連合王国群が存在し、現在も反魔王同盟の中核を担っております。南方の聖環大陸は神殿国家群の支配下にあり、宗教的正統性を旗印として対魔族殲滅を掲げています。西方の紅砂大陸は遊牧・商業・傭兵国家が混在しており、利益次第で敵にも味方にも転じます。北方の白霧大陸は亜人諸部族の連合圏ですが、近年は人類国家による浸透が進行中です」


 すでに壮大だ。黒曜大陸だけでも十分広そうだったのに、他大陸が普通に存在し、それぞれ独自の勢力圏と思想と利害を持っているらしい。世界、思っていたよりだいぶ忙しいな。


「残る二大陸、機械遺産を独占する灰鉄大陸、海上都市群が支配する群青列島圏については、中立を装いながら各陣営へ武器と情報を流している状況です」


「中立って便利な言葉だなあ」


「戦時経済の基本でございますので」


「怖いことを基本みたいに言うんじゃない」


 俺の軽口を誰も笑わない。笑える空気ではないのか、笑っていい対象が陛下だと判断できないのか、その両方なのかもしれない。会議室の温度は快適なのに、話の内容だけがひたすら冷える。俺が平和な世界へ来たつもりでいたのは間違いではない。空も海も森も本当に美しかった。ただ、その美しい世界で暮らしている連中が、必ずしも穏やかにやっているわけではないというだけだ。


 ヴァルトの説明は止まらない。


「反魔王同盟は、表向きには人類圏の自衛と調和維持を掲げております。実情は、陛下の存在そのものが圧倒的抑止であるがゆえ、我らを共通敵として利用し、内部結束を保つための装置にしている面が強い」


「俺、思ったより政治的に都合のいい存在だな」


「非常に」


「否定しないのかよ」


 別の配下が立ち上がる。喪服のような黒衣の女だ。名乗りはまだ聞いていないが、背後の影が揺れるたびに室内の明度が少し下がる。空調の仕業で片づけるには怖すぎる。


「南東海域において、聖環大陸所属の巡礼艦隊三隻が沈黙しました」


「沈黙って何」


「消息を絶ったという意味にございます」


「それ、うちがやったのか?」


「現時点で証拠はございません。ただし、先方はすでに『魔王復活に伴う呪詛汚染』として世論操作を始めています」


「やってないことまで俺のせいになるの、かなり理不尽だな」


「陛下であればやりかねない、という前提が各国共通認識にございますので」


 セラフィナの補足が刺さる。魔王としての前科が重いの聞いていたけれど、どうやら想像以上だったらしい。山一つ消した俺が言えた義理ではないものの、風評被害の規模が大きすぎる。おそらくこの世界の人類圏で「最近天気が悪いのも魔王のせいだ」と言われても、一定数がうなずく。そういう立場だ。


 別の資料が開かれる。今度は人口、兵站、収穫量、魔力資源、各要塞の稼働状況、海路封鎖率、空中戦力配置、諜報網の浸透度。項目だけ抜き出しても物騒な単語が並びすぎている。しかも説明する配下たちが揃いも揃って「ここが現在の問題点です」と当然の顔で国際危機を差し出してくるものだから、俺の感覚のほうが追いつかない。


「ええと、整理させてくれ」


 俺は額を押さえた。頭痛というより情報過多で思考が飽和している感じだ。


「つまり俺は、目覚めたばかりなのに、七大陸規模の睨み合いの中心へ座らされていて、こっちが特に何もしなくても向こうは勝手に警戒してくるし、内部には妃と子どもと派閥がいて、外には神殿国家だの人類連合だの亜人連合だの海上都市だのがいて、しかも全員がそれぞれ事情を抱えて動いてる、そういう理解でいいのか」


 会議室は一瞬だけ静まり、次いで全員が深くうなずいた。


「概ね、その通りにございます」


 セラフィナの声音は静かで、なのに内容だけが重い。概ねその通り、で済ませるには世界の荷重が強すぎるだろ。もっとこう、「村の寄り合いで今年の畑どうする?」くらいの規模から始めさせてほしい。俺の理想としては、朝起きて、飯を食って、風呂の温度に満足して、天気が良ければ畑を見て、昼寝して、夕飯を食って寝るくらいの生活なんだ。なぜいま、人類圏の宗教動向と大陸間交易封鎖の話を聞かされている。


 気づけば、卓の端に座っていた白衣の小柄な少女が身を乗り出していた。金色の瞳がぎらぎらしていて、研究対象を前にした学者の危うさが全開である。


「陛下! 陛下の権能再起動に伴い、王都地下の魔脈出力が七%上昇、天空回廊の結界効率が十三%改善、辺境要塞群の自律防衛反応が平均二・一秒短縮いたしました! つきましては、今後の生活最適化のためにも、陛下の日常行動と大陸全域の相関性を測定したいのですが!」


「生活最適化って単語のあとに続く内容じゃないな、それ」


「たとえば朝のお目覚めが天候へ与える影響、食事内容と魔力潮汐の関係、入浴時の湯温による地殻振動の差異など!」


「風呂に入るたび地殻が揺れる前提なのやめてもらえる?」


 少女は首をかしげる。


「あり得ますよ?」


「あり得てほしくない」


 会議は終始こんな調子だった。


 誰も彼もが有能で、誰も彼もが強そうで、誰も彼もが俺を中心に世界を見ている。その見方の規模がでかすぎる。俺が水を飲めば国家戦略、寝台に座れば権威の象徴、空気を読まずに「風呂は広すぎないほうが落ち着く」と言えば、それすら何か深遠な意図として処理されかねない。実際、途中で「会議の前に飯を軽く食べたい」と漏らしたら、兵站再編の予兆として三人くらいが真剣な顔になった。食うだけだよ。腹が減った人間が飯を欲しがるのは自然現象だろうが。


 それでも、報告を聞いているうちに、一つだけはっきりしたことがあった。


 俺が平和に暮らしたいと望むなら、本当に何も知らずにのんびりしているわけにはいかない。


 少なくとも、この城の外には、こっちの事情とは無関係に動く大勢の思惑があり、その連中は「魔王がいる」という事実だけで剣を抜く理由を持ってしまう。こちらが畑を耕したくても、向こうが戦争をしたがるなら巻き込まれる。静かな暮らしを守るには、生活そのものを整えるだけでは足りない。周囲が勝手に騒げない状況を作る必要がある。


 面倒くさい。


 本当に面倒くさい。


 でも、その面倒くささから目を逸らした結果、また誰かの明日が消えるのはもっと嫌だった。


 会議の終盤、セラフィナが最後の資料を閉じて静かに言う。


「以上が現況でございます、陛下。ご判断を賜りたく存じます」


 全員の視線が集まる。重い。期待も忠誠も殺意も狂信も、ありとあらゆるものを煮詰めたみたいな視線だ。ここで「いったん全部保留で、明日から家庭菜園始めよう」と言ったら、たぶんこの人たちはそれを大陸統治構想第一段階として実行する。もうわかっている。わかってしまった。


 俺は椅子へ深く座り直し、できるだけ言葉を選んだ。


「まず、確認しておきたい。俺は無駄な戦をしたくない。これは大前提だ」


 会議室に張りつめた空気が走る。誰かの鎧がかすかに鳴る音まで聞こえた。


「人間がどうとか、他大陸がどうとか、その全部を簡単に片づけられるほど、俺はこの世界を知らない。知らないものを壊したくはないし、壊されるのも見たくない。だから、いきなり征服だ殲滅だという話には乗らない」


 正直に言えば、その場の何人かは露骨に落胆するかと思っていた。ところが実際に起きたのは、むしろ逆だった。セラフィナの瞳はさらに真剣になり、ヴァルトは片眼鏡の奥で何か計算し始め、グレイシアは感動したように拳を握りしめる。


「やはり……!」


 やはり、がもう怖い。


「視野の狭い短期決戦ではなく、全勢力の構造そのものを俯瞰したうえで最適解を導くおつもりなのですね」


「違う、そこまで大層じゃない」


「知らぬものを壊さない、壊されるのも見たくない……なんと慈悲深く、なんと冷徹な均衡思想……!」


「感想の言語化が勝手すぎるなあ」


 グレイシアまで立ち上がってしまった。


「つまり陛下は、まず盤上のすべてを見極めたうえで、真に守るべき世界を選別なさると!」


「選別しない。普通にみんな静かにしてほしいだけだ」


 俺の本音はきれいに踏み越えられたまま、会議室には妙に高揚した空気が広がっていく。もうだめかもしれない。この世界で俺が素直に「平和に暮らしたい」と言っても、その言葉は誰の耳にもそのまま届かない。


 それでも一つ、今すぐ伝えておくべきことはある。


「……それと」


 俺が声を落とすと、全員が再び黙った。


「生活基盤の整備を最優先にする。食糧、住環境、衛生、休養、流通、そのへんだ。民が落ち着いて暮らせなきゃ、兵も国も回らない。そこは急ぐ」


 ほんの一拍の沈黙。直後、セラフィナが深々と頭を下げた。


「御意。王都および地方中核都市の生活圏再編計画を即時立案いたします」


 ヴァルトも続く。


「兵站・農地・水利・街路・倉庫機能を一体化した新制度の草案を作成いたします」


 白衣の少女は頬を上気させた。


「衛生と魔力循環を接続した都市モデル、面白そうです!」


 あっという間だった。俺の平穏志向は、またしても壮大な国家再編計画へ翻訳されたらしい。もう訂正する気力も薄い。いや、訂正はする。するけど、たぶん効かない。まるで風の強い日に紙一枚で門を止めようとするみたいな虚しさがある。


 会議の締めに入ろうとした、そのときだった。


 会議室の扉の外で、控えめとは言い難い騒ぎが起きた。足音。衣擦れ。誰かが言い争う声。侍女たちの慌てた気配。室内の全員が同時にそちらを見る。


 嫌な予感しかしない。


 セラフィナがわずかに眉を寄せた。


「……この時間に?」


 扉が開く。そこに立っていた侍女が、緊張を隠しきれない声で告げた。


「ご報告申し上げます。陛下ご覚醒の報を受け、妃殿下方が……」


 そこで言葉を切る。いやな間の取り方だ。もう十分いやなんだが、さらに増やす気か。


「全員、こちらへ向かっております」


 俺は静かに天井を見上げた。


 会議より先に現実逃避が必要かもしれない。


 世界情勢が壮大すぎることも大問題だが、個人的にはその世界の中心に立っているらしい俺の内廷事情のほうが、もっと身近で、もっと切実で、そしてたぶん、もっと面倒くさい。


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