断罪令嬢、春が来る
本作は、全十章で構成された異世界恋愛短編小説です。
一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/
一 「処刑台の春風」
春の風が、やけに強かった。
処刑台の上に立つセラ・カルヴェンは、目を閉じたまま、その風を頬で受けていた。
怖いはずだった。
震えるはずだった。
でも不思議なほど、心が静かだった。
罪状が読み上げられている。
国家反逆罪。
王家への背信。
魔術の不正使用……
一つひとつが耳を打つたびに、頭のどこかが冷静にそれを聞いていた。全部、嘘だ。でも誰も止めなかった。止めようとする者も、いなかった。
セラはゆっくりと目を開けた。
広場を埋める人々の視線が、全部こちらに向いている。泣いている父。顔を覆っている母。婚約者であるカイル王子は厳しい顔をして立っていた。まるで自分こそが被害者であるかのように。
そして人混みの中に、ソフィアを見つけた。
三年間、親友だと思っていた女が、カイルの腕にそっと触れていた。
その瞬間。
全てがつながった。
怒りより先に、ああそういうことか、という静かな納得があった。五年間の婚約も、三年間の友情も、全部あの二人のための舞台だったのか。セラは泣かなかった。泣く気力が、もう残っていなかった。
ただ一つだけ、思った。
せめて、間違いだったと。いつか、証明されればいい。
それだけを胸に抱いたまま、セラは春の風の中に消えた。
◇
処刑場の外れで、カイルとソフィアは二人きりになっていた。
「終わったわね」
ソフィアが、くすりと笑った。処刑台のほうを振り返りもせずに。
「計画通りだ」カイルが満足そうに言った。「あの証拠書類は完璧だった。よくやってくれた、ソフィア」
「三年間、あの子の親友を演じたかいがありましたわ」ソフィアが艶やかに微笑んだ。「魔術師の令嬢なんて、最初から邪魔だったの。わたくしのほうが殿下に相応しいのだから。ねえ、そう思いませんこと?」
「ああ、そうだ」カイルがソフィアの手を取った。「これでやっと婚約破棄が成立した。国家反逆罪の婚約者を切り捨てた王子。なかなか悪くない話だろう?」
「本当に」ソフィアが声を立てて笑った。「あの子、最後まで何も気づかないまま逝きましたね。あれほど誠実に殿下を支えていたのに」
一拍置いて、ソフィアが扇で口元を隠しながら続けた。
「哀れなこと」
二人は笑いながら、人混みの中に消えていった。セラが必死に尽くした五年間を、まるで不要になった道具を片づけるように語りながら。
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二 「あの頃のこと」
時を少し、戻す。
王立学園での三年間、セラ・カルヴェンは魔術師として飛び抜けた存在だった。伯爵家の令嬢でありながら、上位貴族の子弟と並んで魔術の成績は常に首席。教師陣からは「百年に一人の才能かもしれない」と囁かれた。それが嫌だった。才能を褒められるたびに、自分ではなく才能を見られているような気がして。
だからセラは、普通でいようとした。
友人と笑って、勉強して、魔術の練習をして。婚約者のカイル王子には誠実に向き合って。親友のソフィアとは何でも話せる関係を築いて。それが全部、壊れるとは思っていなかった。
学園の中庭に、いつも一人でいる男がいた。
シオン・ヴァルナ。ヴァルナ公爵家の嫡男。家柄だけ言えば王族に次ぐ格式だったが、学園では完全に浮いていた。授業中でも窓の外を見ている。昼食の時間も一人でいる。誰かに話しかけられても、どこか上の空だった。「変わってるよね、ヴァルナ家の人」とソフィアは言っていた。「いつも遠くを見て、何を考えてるのかわからない」
確かに不思議な人だと、セラも思っていた。
ある日、図書室で隣になった。シオンはまた窓の外を見ていた。セラはそれが少し気になって、声をかけた。
「どこを見ているのですか」
シオンが振り返った。少し驚いた顔をした。話しかけられるとは思っていなかったように。
「……空です」
「空に、何かあるのですか」
「たまに、いるので」
意味がわからなかった。でも不思議と、変な人だとは思わなかった。ただ、この人は自分にしか見えないものを見ているのだな、と思った。「そうですか」とセラは言った。「邪魔してごめんなさい」「……いいえ」それだけだった。
でも次の日も、また図書室で隣になった。その次の日も。シオンはいつも窓の外を見ていたけれど、セラが来ると少しだけ視線を戻した。
それがシオンにとって、特別なことだったと、セラは知らなかった。
セラがカイル王子の婚約者だと知ったとき、シオンは静かに窓の外に視線を戻した。
気にすることを、やめた。
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三 「白い霞の世界で」
気づいたら、立っていた。
処刑台の上に。でも誰も見ていない。
空気が白く霞んでいる。あちこちに淡い人影が漂っていた。ぼんやりとした輪郭で、ふわふわと揺れるだけで、話しかけてみてもするりと逃げてしまう。自分の手を見た。透けていない。ドレスも、髪も、生前のままだった。
「……幽霊に、なってしまったのね」
声に出してみた。誰も振り返らない。
消えたくなかった。
まだ終わっていない、という感覚だけが、胸の底に燻っていた。
セラは両親のもとへ向かった。父は書斎の椅子に座ったまま、動いていなかった。白くなった手が、膝の上で力なく組まれていた。母は寝室に引きこもっていた。時折、壁越しにすすり泣く声が聞こえた。
「お父様」
届かなかった。
「お母様、ここにいるわ」
届かなかった。
父の目の前に立っても、母の隣に座っても、何も変わらなかった。セラはそこにいるのに、二人の世界にはいなかった。
それが、一番つらかった。
幽霊になることより。処刑台に立ったことより。
声が届かないことが、一番つらかった。
セラは両親の家を出た。泣かなかった。泣いても聞こえないから。ただ、証明しなければという気持ちだけを胸に抱いて、白い霞の中を歩き出した。
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四 「まさか、君が」
幽霊になって三日が経った。誰にも見えない三日間だった。
セラは証拠を集めるために動いていた。幽霊には、生きていたときにはない力がある。壁をすり抜けられる。鍵のかかった扉も関係ない。夜中の誰もいない場所でも、どこにでも入れた。でも、動いても動いても、証拠だけでは何もできない。証言できる体がない。訴えられる声がない。
どうすればいい。
そう思いながら学園の廊下を漂っていたとき、向こうから一人の男性が歩いてきた。
シオン・ヴァルナだった。
図書室で隣に座っていた、あの不思議な人が。
シオンがふと、足を止めた。セラのほうを、真っ直ぐに見た。
「……あなた、幽霊ですか」
セラの心臓が、止まりそうになった。「見えるのですか」「見えます」とシオンが静かに答えた。「この世に残った魂は、淡い人影として見えるのです。でも、あなたはそのままの姿をしている。それだけ意志が強い証だと思います」
三日間、誰にも気づかれなかった孤独が、一言で溶けかけた。
でもシオンは続けた。
「……カルヴェン令嬢?」
その声が、少し硬かった。「国家反逆罪で処刑された、あなたが。なぜここにいるのですか」
空気が変わった。
シオンは驚いているだけじゃない。
疑っている。
当然だ。処刑された令嬢が幽霊になって王宮をうろついている。普通に考えれば、不審以外の何物でもない。「……まさか、本当に反逆を企てたのですか」
「ち、違います!」
セラは真っ直ぐにシオンを見た。「全部、嘘です。カイル王子とソフィア・ノーランが仕組んだことです。私は何もしていない」「証拠もあります。私が直接確認しました。でも体がないから、誰にも話せなかった」
シオンがしばらく黙った。セラを見ている。ただ見ている。表情は読めない。でも目が、何かを測るように静かに動いていた。
長い沈黙だった。
セラは待った。急かさなかった。ここで信じてもらえなければ、本当に終わりだとわかっていたから。
シオンが、ゆっくりと言った。
「……わかりました」
「信じてくれるのですか」
「嘘をついている目ではない」シオンが静かに言った。「それに。学園で話しかけてくれた人が、反逆者だとは思いたくない」
セラの胸が、じわりと温かくなった。
「ありがとうございます」
声が少し震えた。三日間で初めて、誰かに気づいてもらえた。
「話してください」とシオンが言った。「全部」
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五 「幽霊の仕事」
セラは話した。カイルとソフィアに嵌められた経緯を。三年間かけて仕組まれた罠を。処刑の直後に二人が笑いながら交わした言葉まで。シオンは最後まで黙って聞いた。途中で口を挟まなかった。全部聞いてから、静かに言った。
「証拠の場所を、教えてください」「一緒に来てもらえますか。私が案内します」
その夜、セラとシオンは動いた。
最初に向かったのは、カイルの私室だった。セラは壁をすり抜けて先に入り、書き物机の引き出しを一つずつ確認した。三番目の引き出しの奥に、折り畳まれた書類があった。捏造された証拠書類の原本。日付の偽造、署名の模倣、全てが丁寧に仕込まれていた。廊下でシオンに場所と内容を伝えた。シオンが頷いて、書き留めた。
そのとき。
ベッドの上でカイルが寝返りを打った。
セラはカイルを見た。安心しきった顔で眠っている。この男が、五年間婚約者を演じながら全部仕組んでいた。この男が、父を悲しませ、母を泣かせた。
セラは、そっとカイルの枕元に近づいた。
燭台の火が、ゆらりと揺れた。
セラはカイルの耳元で、静かに囁いた。
「覚えていますか。私のことを」
カイルが飛び起きた。「誰だ!」
誰もいない。
カイルが部屋を見渡した。窓も閉まっている。扉も閉まっている。でも確かに声がした。確かに炎が揺れた。カイルの顔が、みるみる青ざめていった。
廊下に出ると、シオンが小さく言った。「何か騒がしかったが」
「少しくらい、いいでしょう」
セラは初めて、少し笑った。
次に向かったのはソフィアの屋敷だった。ソフィアは夜中でも机に向かっていた。几帳面な人だった。カイルへの報告書を書いていた。証拠の隠し場所、証人への口止め料の記録、計画の全経緯が丁寧に書き記されていた。
そして最後に、王都南区画の緑亭という宿へ向かった。偽りの証言をした商人が、今もそこにいた。口止め料を受け取ったという後ろめたさが、顔に出ていた。
三か所、全部確認した。
「これだけ揃えば、十分なはず」とセラが言った。「ええ」シオンが静かに答えた。「あとは、私が動きます」
シオンの目が、いつもより少し強い光を帯びていた。
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六 「公爵家の嫡男、初めて動く」
翌朝、シオンは公爵家の執務室に自ら足を向けた。
父親のヴァルナ公爵が、書類から顔を上げた。目を丸くした。執事たちも顔を見合わせた。シオンが自発的に家のことに関わるのは、それだけ久しぶりのことだったから。
「お願いがあります」
シオンが真っ直ぐに言った。
「カルヴェン伯爵令嬢の件を、公爵家として調査していただきたい。カイル王子の私室の書き物机の三番目の引き出し。ソフィア・ノーラン令嬢の屋敷の寝室の机の上。王都南区画、緑亭という宿の商人。この三か所を当たれば、断罪の不正が必ず出てきます」
父が眉を上げた。「……なぜそれを知っている」「信頼できる筋から聞きました」「信頼できる筋?」「詳しくは言えません。ただ、外れることはないと確信しています」
室内が、静まり返った。
父がゆっくりと立ち上がり、息子の顔をじっと見た。シオンがこれほど真剣な顔をするのを、父は記憶にある限り見たことがなかった。変わり者の息子。魂が見えると言い張る息子。家の仕事を最低限しかしない息子。
「家の名を使うつもりか」
「使わなければならない理由があります」
シオンが静かに、でもはっきりと言った。
「今まで、この力を誰にも信じてもらえなかった。だから使う気になれなかった。でも今回は違います」
一拍置いて、続けた。
「信じてくれた人がいます。その人のために、初めて使いたいと思っています」
執務室がしんと静まった。
年配の執事が、小さく息を呑んだ。
父がしばらく黙った後、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。今すぐ調査官を動かそう」
シオンが一礼して部屋を出た。扉が閉まる直前、執事の声が聞こえた。「旦那様。シオン様が、あのように……」「ああ」と父が静かに答えた。「息子が、本当のことを言っていたのかもしれないな」
廊下でシオンの隣にいたセラには、その言葉が届いた。
シオンの背中が、少しだけ軽くなったように見えた。
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七 「断罪の大広間」
証拠が、三方向から一致した。
カイルの引き出しから出てきた捏造書類は、筆跡鑑定で偽造が確認された。ソフィアの机の上の手紙には、共謀の全経緯が本人の筆跡で書かれていた。緑亭の商人は調査官の顔を見た瞬間に震え出し、「言います、全部言います」と叫んだ。三か所、全部一致した。
調査から五日後、カイル王子とソフィアが王宮の大広間に召喚された。
居並ぶ貴族たち。国王みずからが裁きを下す場。厳かで、重く、誰もが息をのんでいた。
セラも、そこにいた。
誰にも見えないまま。でも確かに、そこにいた。
カイルが広間に入ってきたとき、まだ余裕のある顔をしていた。「いったいなんの騒ぎだ」と言いながら。ソフィアも扇で口元を隠しながら、涼しい顔で入ってきた。
調査官が証拠書類を読み上げ始めた。
カイルの顔から、少しずつ余裕が消えていった。
「その書類は誰かが偽造したものだ。私は何も知らない」「筆跡鑑定の結果、この書類はカイル殿下の筆跡を元に作られたものと確認されています。偽造の痕跡も検出されました」「そんなはずはない!いったいどこから出てきた証拠だ!」
次にソフィアの手紙が読み上げられた。
ソフィアの顔が、青くなった。
「それは……私の私信で、そんなものを勝手に」「ノーラン令嬢の自室の机の上に置かれていたものです。カルヴェン伯爵令嬢を陥れるための計画が、詳細に記されています」「違います!あの令嬢は本当に反逆を企てていたのです。私は知っていたから告発しただけで——」「証人の商人から証言を得ました。口止め料と引き換えに偽りの証言を行ったことを認めています。支払われた金額の記録も、ノーラン令嬢の手紙の内容と一致しています」
広間がざわめいた。
「私は関係ない!」カイルが叫んだ。「ソフィアが勝手にやったことだ。私は知らなかった!」
その瞬間。
ソフィアがカイルを見た。
その目が、ゆっくりと凍っていった。
「……殿下」
「お前が全部仕組んだのだろう!私を巻き込むな!」
「殿下」ソフィアの声が低くなった。「三年間、殿下のために動いてきました。全部、殿下のご意向通りに。それを今さら知らないとは」
「黙れ!」
「黙りません」
ソフィアの声が、広間に響き渡った。
「では伺いますが、殿下」
一拍。
「カルヴェン令嬢を消すようにと私に最初に言ったのは、どなたでしたか」
広間が、しんと静まり返った。
カイルが口を開いた。閉じた。また開いた。
言葉が出てこなかった。
その沈黙が、全ての答えだった。
そのとき。
広間の燭台が、一斉にゆらりと揺れた。
風はなかった。窓も閉まっていた。
貴族たちがざわめいた。「なんだ、今の」「風もないのに」「まるで……」
書類が一枚、卓上からふわりと舞い上がった。
シオンだけが気づいた。広間の端に、誰にも見えないセラが立っていることを。シオンは小さく、ほとんどわからないくらい、頷いた。セラも頷いた。
国王が立ち上がった。
その顔は、怒りで白くなっていた。
「カイル」
たった一言だった。それだけで、広間の全員が背筋を正した。
「王家の名を、私利のために使ったか。無実の令嬢を死に追いやったか」「父上、これは誤解で——」「黙れ」
国王の声が、広間に落ちた。
「カイル・ランドールの王位継承権を、本日をもって剥奪する」
カイルが「そんな」と呟いた。
「ソフィア・ノーランの爵位を剥奪し、国外追放とする」
ソフィアがよろめいた。
「カルヴェン伯爵家の名誉を回復し、降格していた爵位を伯爵位に戻す」
広間が、静かなざわめきで満たされた。カイルとソフィアが騎士に挟まれて連行されていく。その背中を、セラは最後まで見ていた。
怒りは、もうなかった。
ただ静かに。
終わった、という感覚だけが、胸の中にあった。
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八 「届かない声」
翌日、シオンがカルヴェン伯爵家を訪ねた。セラも一緒だった。もちろん、誰にも見えないまま。
両親が出迎えた。二人とも憔悴していた。でも、生きていた。
「このたびは、公爵家として動いてくださり……なぜ、ここまでしてくださったのでしょうか」母が言った。目が赤かった。
「令嬢と、話したことがあるので」シオンが少し間を置いた。「大切な方だったので」
両親が顔を見合わせた。シオンは詳しくは言わなかった。
セラは両親の顔を見た。
父の白くなった髪。
母の細くなった肩。
十日間で、こんなに変わってしまったのか。
「お父様」
届かない。
「お母様、ここにいるわ」
届かない。
胸が痛かった。でも、生きていた。二人とも、ちゃんと生きていた。
それだけで十分だった。
帰り際、母が言った。「娘は……きっと、あなたのような方に出会えたことを、喜んでいると思います」シオンが少し間を置いた。「そうだといいのですが」
玄関を出たとき、シオンの隣でセラは言った。
「喜んでいます」
シオンが前を向いたまま、小さく笑った。
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九 「幽霊でも、春は感じる」
全てが終わった夜、二人は王宮の庭園にいた。
月が出ていた。春風が吹いていた。淡い人影たちが、あちこちでゆらゆらと揺れていた。しばらく並んで歩いた後、シオンが口を開いた。
「学園で、図書室に来てくれていたこと。覚えていますか」
セラが少し驚いた。「覚えています。あなたがいつも窓の外を見ていたので、気になって」
「話しかけてくれたのは、あなただけでした」シオンが少し間を置いた。「皆、変わり者だと思って近づかなかった。あなただけが、普通に話しかけてくれた」
「……そうだったのですか」
「だから、少し気になっていました」
シオンが、珍しく視線を逸らした。
耳が、かすかに赤かった。
「でも、カイル殿下の婚約者だったので。気にすることをやめました」
セラは空を見上げた。淡い人影たちが、春風に揺れている。「もっと早く話せばよかったですね」「……そうですね」
二人の間に、静かな時間が流れた。
やがてシオンが言った。「一つ、伝えたいことがあります」「なんですか」
「あなたの魂は、他の魂と違います」シオンが静かに続けた。「淡い人影として見えるはずの魂が、生前そのままの姿を保っている。意志が強い証だと思っていましたが、それだけではないと気づきました。魔術師としての力が、魂に残っている。生きている人間の魂と、構造が似ている。完全な幽霊ではなく、生と死の間にいるような、そういう状態に見えます」
セラが、息を呑んだ。
「つまり……」
「つまり」シオンが少し間を置いた。「もしかしたら、戻れるかもしれない」
静寂が広がった。
戻れる。
その言葉が、胸の中でゆっくりと広がっていった。両親に声が届くかもしれない。父に名前を呼んでもらえるかもしれない。母に抱きしめてもらえるかもしれない。
目が、熱くなった。
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十 「春が来る」
「戻れるとしたら、どうしますか」
シオンが聞いた。
セラは少し考えた。本当に少し、考えた。
「……あなたのそばに、戻りたいです」
シオンが静かにセラを見た。
「図書室で話しかけてくれた人に、ちゃんとお礼が言いたい。あの時、気にかけてくれてありがとうと。それから、あなたが信じてくれなかったら、何もできなかった。だから」
セラは真っ直ぐにシオンを見た。
「あなたのそばで、今度はちゃんと生きたいです」
シオンが少し間を置いた。
「……では、一緒に調べましょう」
静かな、でも確かな言葉だった。「魔術の文献を当たれば、何かわかるかもしれない。あなたの力と私の力が関係しているなら、手がかりはあるはずです」「一人でやってくれるのですか」「一人ではないでしょう」シオンが少し笑った。「あなたもいる」
セラも笑った。
二人は並んで歩き出した。月明かりの庭園を。
そのときだった。
セラの手が、シオンの手に触れた。
正確には、触れようとした。幽霊の手は物をつかめない。でもその瞬間、ほんの一瞬だけ、確かに温もりを感じた気がした。
二人が同時に立ち止まった。
顔を見合わせた。
「今、触れましたか」とセラが言った。
「……触れました」とシオンが言った。
短い沈黙があった。シオンがゆっくりと手を差し伸べた。セラもゆっくりと手を伸ばした。今度は、触れなかった。
でも。
確かに、何かが変わり始めていた。
春風が吹いた。淡い人影たちがゆらりと揺れた。
セラは空を見上げた。白く霞んだ空の向こうに、星が見えた。
死んでから、やっと会えた人がいる。
死んでから、やっと終わらせられたことがある。
死んでから、初めて、これからのことを考えた。
まだ何もわからない。戻れるかどうかも、この温もりが本物かどうかも。
でも。
春は、もうそこまで来ていた。
幽霊にも、ちゃんと来ていた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
「幽霊になってもざまぁしてやる令嬢」という、我ながらなかなか業の深い話を書いてしまいましたが、楽しんでいただけましたか?
「スカッとした!」と、少しでも思っていただけたなら、評価やコメントで教えていただけると嬉しいです。次の作品を書く力になります。
また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております^^




