落ちる繭
五分大祭本祭参加作品です。
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人はみな、繭の中にいる。
――これは、僕の想像なんだ。想像。最近思い付いたんだけど、ここんとこずっと頭を離れない。
別に気にしてくれなくたっていいけど、喋らせてくれないかな。これだけは話しておきたいんだ、そうすれば整理がつく気がする。いや、スッキリすると思うんだ。 ……そう、これだけは。頼む。折角こうして一緒にいるんだ。こんな機会、もうないだろ。
時間はかからないから。そう……その珈琲、飲み終える間に終わるよ。
いい? 僕の脳裏には、一つの空洞があってね――それはどこかで終わる訳でも、果ての果てに天蓋や壁を持つ訳でもない――そこは始終風すらない、ただ無音の闇。『闇』という空間、と言った方がいいのかもしれない。
そこに繭はある。ただあるんじゃない。吊られているんだ。
一つの繭から上下左右、四方八方に糸が出ていて、その一本一本はまた、別の繭につながっている。
網の目さ。まるで網の目のような繭と糸の連絡が、闇の彼方まで果てしなく続いている。単純に、形としては……クリスマスのオーナメント、あれなんかに近いかもしれないね。あんな華やかなものじゃないけど。そんな、オーナメントのなり損ないが僕の頭の中にはぼんやりと浮かんでいる。
ここからが肝心だ。
人っていうのは誰しもが、その繭の中にいる。誰しも、そう、誰しも。繭の中で枯葉色に固まっている蛹よろしく、あるいは母胎、羊水の中の薄暗がりで蠢く胎児のように、人はその中に縮こまっていると思えばいい。
――窮屈。そうか。窮屈そうには見える。けどそれでいて繭の中は、存外に温いのさ。
触ったことある? 僕もないけどね。本物の繭。でも、中にいる蛹からしたらどうか。蛹には繭の中しか見えてないし――勿論視覚を有してればの話だけど――故にその中の空間しか知らない。冬の寝床を抜け出しにくいのと一緒でね、出る必要はないんだ。なんたって、蛹自身が知ってる一番心地いい場所なんだから。繭の中は。実際、蛹はやがての羽化のために、蛹から出ちゃいけない。出たら死ぬ。
僕の脳裏の世界でだってそうなんだ。むしろ、蛹である人からしたらこう思うんじゃないだろうね? 繭を出る時死ぬことになろうがなるまいが、何でこんな居心地のいい場所を出なくちゃならないんだ――って。僕は人一倍寝床を抜け出せないタチだからね。そうも思うんだ。 ……そんなこと威張ってどうするんだ、って。そうですか、ハイそうですか。
それはいい。重要なのは、繭の中で人はどうしているか、だ。
それは、繭が吊られて落ちずにいるのを保つのに必死だよ。なんたって、いざ落ちたらどうなるか分かったものじゃない。闇の底に叩き付けられて、壊れた繭とともにただの残骸となるか。もしくは……永遠に落ち続ける、か。
だから隣りの繭とつながっている糸を、懸命に守ろうとする。息を殺して、額に垂れる汗も拭わず、繭の壁からこぼれている糸の端を手に握っている。誰も彼も。
……でもどうだろうね。
握っているだけなんだよ? できることは。もしくはクイックイッと引っ張ってみるか。でも繭の糸なんて弱いものさ。蜘蛛の糸と一緒。カンダダが上った糸だって、最後はあっけなくプツリ、切られてしまうだろう。あの話僕は好きなんだけど……それはどうでもいい。
そんな頼りない糸に、狭い繭の中で縮こまりながら縋っている、ただ繭の中にいる今を続けたいがため――藁に縋るより滑稽だね。そうじゃないか。人と人とのつながりなんてね、結局そんなところじゃないかと思うんだよ。うん。
ちなみにもっと言うとね、その糸が本当に、隣りの繭とつながっているかのすらも分からない。だって、自分の繭の綻び糸かもしれないだろ。さらには外に広がる闇だって――無辺際どころか、実はその底まではそんなにないかもしれない。もしくはただ、底の上にポツポツ乗っかっているだけなのを、みんな勘違いしているのかもしれないね――実際はただ、おのおのの繭が暗い大地の上に散らばっているだけで。
僕は時々、そんな風に思って莫迦らしくなる。何をこんな繭に、繭の網に縛られてなくちゃならないんだ、って。でも僕の脳裏には、繭の大群がいつまでたっても消えやしない。闇の空中を無限に覆い尽くす、白絹色の繭の群れが。
そういえば、繭ってどうして吊られているんだろうね? 繭の連絡がただ、糸で繭同士つながっているだけなら、どこか壁か天井のような所につながっていなくちゃいけないだろう。でなきゃ繭はみんな、はなから空中に吊られていないよ。
もう不気味で不気味でね、苦笑いがこぼれて仕方がない。そうなんだよ――。
「――そう。仮にも恋人にそんなこと言うの。じゃあ独りになったって平気よね、『繭は落ちない』って考えてるなら」
何?
「あなたも結局、理屈の中の人だったのね。御託並べて。 ……あなただけは、信じてたのに」
さようなら、って一言投げ捨てて、君は出て行く。
残されたのは僕だった。それとカップ二つに、ドアベルの大きな音。この店のドアベルの音、僕は結構好きなんだけどね。趣味にも合ってたし、ここはいつも君と会う場所でもあったから。でも今日は、いやに音が尾を引いてる気がするよ。
それにしても――理屈の中の人、か。そう、そうなんだろうね。僕は理屈の中の人さ。今日こうして、最後に語り切ったのは君に一矢報いるためなんだ。僕を『理屈』に囚われない人間だと思いこんでいた君に。君が勝手に、僕をそんなイメージと重ねていた。そう信じたい。
とうに冷たくなったブラックコーヒーを、僕は黙って飲み干す。黒々とした中に、無表情の僕が歪んで写りこむ。一矢報いるという意味では、そうだな、今まで『理屈』否定を演じ続けていた僕にもその矛先は向くのかもしれないね。
果たして、僕の繭はどうなったのか。糸は一本、切られてしまったんだろう。
いや、繭はそもそも落ちてないんだ。落ちているかもしれないけど、落ちていないのかもしれない。それだけは今でも言える。
にしてもあれだね。こうも、背中とか頭とか全身が、薄ら寒くなるのはどうしてだろう。嫌だな。きっと冬のせいだろうね。
一体、僕は、僕の繭はどこに落ちて行くというんだろう。
近頃、書きたいと考えていた題材です。暗い話で、お見苦しい点も多々あったと思いますが……ここまで読んで下さっただけで、作者として幸甚です。
では、大祭主催者の弥生様、他参加者の皆様方、この話を読んで下さった読者の皆様方に感謝しつつ、筆を置かせていただきます。