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第十五話 決戦

 レオの最後の宣告は静かではあったが、絶対的な神へ向けた、人間による明らかな宣戦布告を示していた。

 カレルの半透明な顔から、哀れみや失望といった人間的な感情が、すうっと消え失せていく。後に残されたのは、絶対零度の宇宙空間にも似た、完全な無表情。それは対話の段階が終わり、ただエラーを『削除』するだけの、冷徹なシステム管理者アドミンの顔だった。


「――ならば、消えろ。我が世界の、美しきバグよ」


 そのつぶやきと同時に、世界が終わった。

 いや、終わったかのように、変貌した。


賢者の心臓(ワイズマンズ・ハート)』の脈動が、突如として停止する。

 そして、次の瞬間、これまでとは比較にならないほどの、凄まじいエネルギーを伴って、一度だけ大きく脈打った。


 ドォォォォンッ!

 魂の芯まで凍りつかせるような重低音が、ホール全体を揺るがした。

 天井の『データ・スカイ』が、血のような真紅に染め上げられる。無数の術式エラーの警告が、赤い流星となって空を乱れ飛んだ。床を構成していた乳白色のパネルはその形を維持できずに砕け散り、その下には全ての光を呑み込む、純粋な混沌のエネルギーが渦巻く奈落の口が広がった。

 一行が立っていた床は、いくつかの浮島のように、その奈落の上にかろうじて浮かんでいるだけだ。


「総員、足場を確保しろ! 落下するな!」

 オルティス団長が叫ぶ。だが、それは単なる悪夢の序曲に過ぎなかった。


 カレルは、もはや一体のゴーレムを生成するような、生易しい攻撃はしなかった。

 彼は塔そのものを、自らの手足として動かし始めたのだ。

 壁が、巨大な口となって、レオたちを喰らおうと迫り来る。奈落の渦からは、過去に彼らが打ち破ってきた、白銀のゴーレムや幻術の怪物たちが、その姿をより禍々しいものに変えて、まるで亡霊の軍勢のように、無限に湧き出してきた。

 空気そのものが鉛のような重圧を伴って、彼らの肉体と精神を押し潰しにかかる。呼吸をするだけで、肺が灼けるように痛んだ。


「ぐ……っ! 障壁が、もたない!」

 騎士の一人が、膝をつく。彼の展開した『聖域結界』は、カレルの操る高密度な魔力障壁の前では、まるで薄いガラスのように、いともたやすく砕け散った。

「詠唱が……できない! 頭の中に、直接ノイズが……!」

 後衛の魔術師たちが、頭を押さえてうずくまる。カレルは、彼らの思考そのものに、直接、妨害術式ジャミングを仕掛けているのだ。

 正攻法は、もはや全く通用しない。騎士団が誇る如何なる強力な魔法も、連携術式も、この世界のルールそのものを支配する、神のごとき敵の前では、児戯に等しかった。

 じわりじわりと屈強な騎士たちの心を、確実に絶望がむしばんでいく。


 その地獄の如き混沌の中心で、レオだけが静かだった。

 後方でアリアたちに守られながら、彼はあの『魔力変調器』を改造した広域戦術分析盤の前に、ただ一人座っていた。彼の瞳は、目の前の戦場を見てはいなかった。彼の視界に映るのは、分析盤の水晶板に表示される、空間を支配する膨大な、あまりにも膨大な情報の奔流だけだった。

 敵の攻撃パターン。その術式構造。エネルギーの波形。味方の騎士たちの魔力残量、精神状態、被ダメージ率。

 その全てが、彼の脳内において恐るべき速度で処理され、分析され、最適解を導き出すための変数へと変わっていく。

 彼の額から玉の汗が流れ落ちる。喉はカラカラに渇き、声は掠れていた。だが彼の思考は、かつてないほど冴えわたっている。

 レオは、もはやただの人間ではなかった。

 この絶望的な戦場を勝利へと導くためだけに存在する、生ける演算装置プロセッサー

 彼は、このチームの全てを司る唯一無二の「司令塔」だった。


「――オルティス団長!」

 レオの、最初の指示が、戦場に響き渡った。

「オルティス団長、その壁は物理障壁じゃない! 空間座標を直接書き換える転移術式だ! 攻撃は無意味だ、五歩後退して、俺の合図で三時の方向に防御壁を!」

「何……!?」

 オルティスは、一瞬その指示の意味を理解できなかった。だが、彼は迷わなかった。彼はレオの言葉を神託のように信じ、部隊に後退を命じる。

 そしてレオの合図と同時に、指定された空間に、騎士団の全魔力を結集した巨大な障壁が出現した。

 次の瞬間。

 何もなかったはずのその空間に、奈落から這い上がってきた巨大なゴーレムの腕が出現し、障壁に叩きつけられた。もしレオの指示がなければ、騎士団は背後から奇襲を受けていただろう。


「アリア!」レオの指示が間髪入れずに飛ぶ。「今、ゴーレムを叩きつけたあの空間! そこが転移術式の出口イグジットだ! 転移直後、コンマ五秒だけ空間の結合が不安定になる! そこにお前の『聖光爆裂ホーリー・バースト』を、一点集中で撃ち込め!」

「承知した!」

 アリアは、レオの言葉を寸分の狂いもなく実行する。彼女の放った聖なる光のドリルは、ゴーレムの腕が消えた、まさにその一点に、吸い込まれるように着弾した。

 空間がガラスのように、甲高い音を立てて砕け散った。

 壁の動きが、一瞬だけ止まる。


「第二、第三部隊! 今だ!あの壁を支える、左右の動力源パイロンを破壊しろ!」

「魔術師部隊! 敵の精神干渉は、特定の不協和音ノイズパターンだ! 全員、俺の指示する周波数で、単純な防御音叉の魔法を斉唱しろ! 逆位相の音波で、ジャミングを相殺キャンセルする!」


 レオの指揮は、もはや芸術の域に達していた。

 彼は敵の動きを予測し、その弱点を暴き、仲間たちの力を一つの楽器を奏でるかのように、完璧に調律していく。

 騎士たちは彼の指示に従い、戦いながら、自らが巨大で精緻な一つの「術式」の一部となっていくような、不思議な感覚を覚えていた。

 レオの「知恵」が、彼らの「力」に対して、明確な意味と勝利への道筋を与えていた。


 カレルのホログラムが、初めてその眉をひそめた。

「……ほう。私の思考を読み始めたか。私の攻撃の前提条件を解析している、と。面白い……!実に、面白いぞ、レオ!」

 カレルの愉悦に満ちた声と共に、戦いはさらに激しさを増していく。

 カレルは単純な攻撃をやめた。彼は、レオの思考そのものを標的にし始めた。

 レオが右への回避を予測すれば、カレルはその予測を読んで、右と左に同時に攻撃を仕掛ける。レオが防御を指示すれば、カレルはその防御術式そのものを乗っ取る、ウイルスのような魔法を放つ。

 それは、二人の神のごとき天才による、高度な、高度な、読み合い。チェスの盤面で、互いが数十手先を読み合い、思考の罠を仕掛け合うような究極の頭脳戦だった。


 アリアは、レオの背中を守りながら、彼の横顔を見ていた。

 彼は、極度の集中で全身を小刻みに震わせ、その顔は血の気を失い蒼白になっている。だがその瞳だけは、人間離れした恐ろしいほどの光を放っていた。

 彼は今この瞬間に人間を超越し、情報と、論理と、確率だけで構成された、純粋な「思考体」へと変貌しつつあった。

 その姿にアリアは、畏怖と、そしてどうしようもないほどの愛しさを感じていた。

 この人を死なせはしない。誰よりも孤独で、誰よりも世界を愛している、この不器用な天才を。


 激しい攻防の末、一行はついに、カレルの繰り出す無限の猛攻を凌ぎきった。

 戦場に再び、束の間の静寂が訪れる。

 騎士たちはその場に倒れ込み、誰もが満身創痍。しかしその顔には、絶望の色はない。対等に戦っているという、確かな勝利への手応えがあった。


 レオはその静寂の中で、ゆっくりと顔を上げる。

 彼の視線は、もはやカレルのホログラムを見てはいない。

 彼の目は、その背後で今もなお禍々しく、神々しく、脈動し続ける巨大な水晶体――『賢者の心臓(ワイズマンズ・ハート)』、その一点だけを見据えていた。


「……見つけたぞ、カレル」

 レオは、静かな口調ではっきりと宣言する。

「お前の唯一の、そして絶対的な弱点をな」

 彼は仲間たちに向き直ると、最後の作戦を告げた。

「あの心臓を叩く。あれがカレルの本体であり、この塔の全ての力の源泉だ。だが見ての通り、あれは究極の防護結界に守られている」

 レオの指し示す先、水晶体の周囲には、半透明の何重にも重なった光の膜が形成されていた。それは、彼らがこれまで突破してきた全ての守護術式の、悪夢のような融合体だ。

 チェックサムの、均衡の天秤。

 古龍語の、暗号の壁。

 グレンが操った、揺らぎのとばり

 そして、アリアの故郷の唄を求めた地脈の扉。

 その全てが一つの完璧なハーモニーを奏で、あらゆる攻撃を拒絶していた。


「……どうやって、あんなものを……」

 オルティスが絶望的な声で呟く。

「一つずつ壊している時間はない」レオは、断言した。「だから、全部、同時に壊す」


 彼は息を整えると、最後の指揮を始めた。

 その計画はあまりにも無謀で、あまりにもクレイジーだった。

 それは、これまで彼らが命がけで突破してきた全ての「解法」を、この場にいる全ての仲間がそれぞれの役割を担い、一斉に、そしてコンマ一秒の狂いもなく同時に実行するという、神業にも等しい総力ハッキングだった。


「オルティス団長! あなたの隊はゴーレムを倒した『等価なる虚無』を!」「第二部隊は、『魔力変調器』を最大出力で起動し、『揺らぎ』を中和しろ!」「第三部隊は、あの植物園の環境を、ここで再現するんだ!」


 レオの声が最後の希望となって、仲間たちの心を奮い立たせる。

「これは、俺たちの、最後のプログラムだ」

 レオは、全員の顔を見回した。

「エラーは許されない。セカンドトライもない。完璧に実行する。さもなくば、我々は全員、この世界から消去デリートされる」


 彼はアリアに向かって、一度だけ強く頷いた。

「――最終楽章フィナーレを、始めようぜ」

 その瞳には、恐怖も、絶望も、何一つ見えない。

 これから始まる最高にスリリングなゲームを、心の底からひたすらに楽しむ、挑戦者チャレンジャーの光だけが輝いていた。

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