5話:呼び出された田中くんと、見守る私
裏階段での出来事から一週間。
田中くんの「異変」は、私の心に深く根を張っていた。
あの時見た光景が、頭から離れない。大野を軽々と圧倒した田中くんの動き。まるで別人のような、鋭い眼光。
そして何より――あの圧倒的な存在感。
でも今、目の前にいる田中くんは、相変わらず教科書も開かずにぼんやりと窓の外を眺めている。
まるで魂が抜けたような、空っぽの表情で。
『本当に、同じ人なの?』
昼休み。
私が友達と談笑していると、教室の入り口に見慣れない影が現れた。
「田中はいるか?」
低く、威圧的な声。
振り返ると、顔に大きな傷跡のある3年生の先輩が立っていた。大坪先輩――校内で知らない人はいない、問題児中の問題児。
教室の空気が一瞬で凍りついた。
みんなが息を潜めて、田中くんの席を見る。
田中くんの肩が、小刻みに震えていた。
「放課後、屋上に来い」
大坪先輩の声は、有無を言わさぬ重みがあった。
田中くんは顔を上げることもできず、震え声で答える。
「は、はい……」
「遅れるなよ」
先輩が去った後、教室には重苦しい沈黙が残った。
みんなが田中くんを見ているのに、誰も声をかけられない。
私の胸に、嫌な予感が広がった。
放課後。
教室に残っているのは、田中くんと私だけだった。
彼は机に突っ伏したまま、微動だにしない。まるで時が止まったみたいに。
「田中」
大野の取り巻きが現れた。
「大坪先輩が待ってるぞ。早く来い」
田中くんがゆっくりと顔を上げる。その顔は青白く、まるで病人のようだった。
「……分かりました」
立ち上がる田中くんの足元が、ふらついている。
彼は重い足取りで教室を出て行く。まるで死刑囚のように。
私は――迷った。
部活に行くべきだ。これは田中くんの問題で、私には関係ない。
でも。
あの裏階段で見た「もう一人の田中くん」が、頭をよぎった。
もしかして、今度も何かが起こるんじゃないか?
『見届けなきゃ』
その思いが、私の足を動かした。
屋上への階段を、こっそりと上る。
田中くんの後ろ姿は、さっきよりもさらに小さく見えた。肩は震え、足音は重い。
屋上の扉の前で、彼は立ち止まった。
深く、深く息を吸って。
そして――扉を開けた瞬間。
「遅いじゃねーか、田中」
大坪先輩の声が響いた。私は物陰に身を隠し、息を殺す。
屋上には大坪先輩と、その取り巻きが数人。
そして――大野とその仲間たちもいた。
「聞いたぞ、田中。お前、大野に何をした?」
田中くんの声は震えていた。
「何も……していません」
「嘘をつくな!」
大坪先輩の怒声が響く。
「大野が『お前に何かされた』って言ってんだ。てめぇみたいなもやしが、どうやって大野を震え上がらせたんだ?」
私の心臓が、激しく鼓動を打った。
やっぱり――あの時のことを、大野は告げ口したのだ。
「答えろ、田中!」
大坪先輩が一歩、田中くんに近づく。
その時――
田中くんの空気が、変わった。
顔を伏せていた彼が、ゆっくりと顔を上げる。
その瞬間、私は息を呑んだ。
いつもの弱々しい表情は消え、代わりに――鋭く、冷たい眼光が宿っていた。
『また、あの田中くんが……』
大坪先輩も、その変化に気づいたのだろう。一瞬、動きを止めた。
「何だ、その目は……」
田中くんは静かに答えた。その声には、いつもの震えはなかった。
「何もしていない、と言いました」
空気が、ピンと張り詰めた。
屋上の風が、不気味に吹き抜けていく。
私は固唾を呑んで見守った。
これから一体、何が起こるのだろうか――。
冴えない田中くんの、異世界での奮闘。そして、そんな彼を応援する花ちゃんの、一途な恋。
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