33話:二つの世界を生きる教師
異世界での冒険から現実世界へと戻った私は、新たな生活リズムを確立しつつあった。
平日夜は異世界で冒険者として活動し、週末は本格的に遠征や高難度クエストに挑戦する。
そして平日日中は、教師として教壇に立つ。
しかし、その教師としての業務は、以前とは比べ物にならないほど効率が上がっていた。
この生活は、私にとって革命的だった。
現実世界での一時間が異世界での二十四時間という時間感覚のギャップは、私を「時間に追われる現代社会」という呪縛から完全に解き放った。
以前は常に迫りくる締め切りや膨大な業務に喘ぎ、寝る間も惜しんで働いていた。
だが、今は違う。
異世界で過ごす時間が、現実世界ではほんのわずかな時間としてしか経過しない。
それはまるで、人生にもう一つ別の時間が与えられたような感覚だった。
この両世界での活動は、私に言いようのない解放感と、そして内側から湧き上がるような充実感を与えていた。
現実世界での私の変化は、様々な形で現れた。
まず、授業の質が劇的に向上した。
異世界での知恵と経験が、直接的な知識の増加ではないにしても、私の思考力や洞察力を深めていた。
個々の生徒の表情や反応から、どこでつまずいているのか、どうすればもっと理解を深められるのかが直感的にわかるようになったのだ。
質問をすれば、まるで答えが天啓のように頭にひらめく。
「神崎先生、最近すごくわかりやすい!」
「授業が面白いから、前よりテストの点も上がったよ!」
生徒たちからはそんな声が聞かれるようになり、私を見る目が尊敬と信頼に満ちていくのを感じた。
事務作業も驚くほど効率化した。
異世界へ持ち込んだノートパソコンと、現地で手に入れた魔道具による電力供給のおかげで、ギルドの片隅で膨大な書類処理を短時間で完了させることができた。
職員室に戻れば、溜まった書類は既になく、私は余裕を持って他の業務に取り組めた。
会議では、以前なら発言をためらっていたような場面でも、的確な分析に基づいた発言ができ、鋭い指摘で同僚を唸らせることも増えた。
「神崎先生、最近頼りになるなあ」
「あの冷静な判断力は、見習いたいね」
そんな声が聞こえてくるようになり、同僚からの信頼も着実に積み上がっていった。
(今まで苦労していたことが嘘のよう……これが本来の私だったのかしら?)
戸惑いつつも、そんな発見が、私を内側から強くしていった。
体調面も劇的に改善された。
以前は常に慢性的な疲労感に苛まれていたが、今はそれが嘘のようになくなった。
現実世界で多忙を極め、いくら頑張っても解消されなかった疲労は、異世界で眠ることで一瞬にして癒されるようになったのだ。
例えば、異世界でぐっすりと八時間眠ったとしても、現実世界ではわずか二十数分しか経過しない。
そのため、どれほど現実世界でヘトヘトになっても、異世界で十分な睡眠を取って戻れば、体力が充実し、頭もクリアになる。
目覚めた時の爽快感は、人生で初めて味わう感覚だった。
「生きている」
心の底からそう実感する日々。
疲労困憊で機械的に過ごしていた過去の自分とは、全く異なる毎日がそこにはあった。
そんな充実した日々の中で、私は一人の生徒と深く向き合うことになった。
クラスに不登校気味の生徒、山下くんだ。
以前の私なら、表面的な励ましと、担任として形式的な面談を繰り返すことしかできなかっただろう。
しかし、今は違う。
授業準備や書類作成を異世界で済ませられるため、放課後や休日の時間が格段に増えた。
私はその時間を使い、山下くんの家を頻繁に訪ね、コマメなフォローと関わりを続けた。
最初は心を閉ざしていた山下くんも、私の熱意に少しずつ心を開いてくれた。
そして、面談を重ねるうちに、彼の本当の悩みが家庭問題にあることを知った。
両親の不仲、経済的な困窮、そして自分だけが何もできないという無力感。
私は彼に、ただ頑張れと励ますだけでなく、具体的サポートを提案した。
学校のカウンセリング制度や、学費免除の申請、さらにはアルバイトの斡旋まで、私にできる限りのことを行動に移した。
「先生……神崎先生だけが、本当にわかってくれた……」
面談室で、山下くんは私の前で堰を切ったように泣いた。
その日から、彼は少しずつ学校に顔を出すようになり、やがて完全に復帰した。
彼の笑顔を見るたび、私は教師としての大きな喜びを感じていた。
そして、異世界での田中たちのパーティ活動でも、私の存在は新たな役割を担うようになっていた。
正式にパーティに参加して初の本格的なクエスト。
私たちは、より連携を深めるべく、ホブゴブリンが大量発生しているという森の掃討依頼を受けた。
戦闘が始まると、私は前衛に出てライトシールドを展開し、ホブゴブリンの群れの猛攻を正面から受け止めた。
茜の魔法が後方から一掃し、由希子の回復魔法が飛び交う。
花の指揮が全体を統率する中、田中は私の背後から、的確にホブゴブリンの隙を突き、次々と敵を打ち倒していく。
複数の方向から増援が来た時、花が少し戸惑ったように指示を出しあぐねた。
その時、私の教師としての経験が活かされた。
普段、クラス全体の状況を把握し、個々の生徒の能力を見極めて的確な指示を出すことに慣れている私は、瞬時に状況を判断した。
「田中くん、左翼のホブゴブリンの群れは、一旦由希子さんの方へ誘導して!茜さん、その間に右翼の密集地帯に『ファイアストーム』を!」
私の声は、戦場の喧騒の中でもなぜか彼らの耳にクリアに届いた。
そして、その指示は的確だった。メンバー間の連携がスムーズになり、それまで個々で動いていた動きが、まるで一つの生き物のように連動し始めた。
私には、魔法攻撃のような派手な火力はない。
だが、大人としての冷静な状況判断、そして生徒たちの能力と個性を理解し、それを最大限に引き出す調整能力、さらには不安を感じやすい彼らを包み込むような包容力は、他の誰にも真似できない強みだった。
「先生、頼りになります!」
「先生がいると、なんか安心する!」
クエストを終えた後、田中たちが口々にそう言ってくれた。
私は彼らにとって、もはや「守るべき相手」から「共に戦う仲間」へと認識が変化していることを実感した。
しかし、その根底にある「教師としての責任感」は、決して変わることはなかった。
むしろ、彼らを守るための新たな手段を得たことに、喜びを感じていた。
二つの世界での生活は、私に大きな充実感を与えてくれた。
現実世界では優秀な教師として、そして異世界では頼れる仲間として。
今の私なら、どちらの世界でも生徒を守れる。
時間という概念から解放され、手に入れたのは、迷いや葛藤を乗り越え、自分自身の可能性を最大限に引き出す「本当の自分」への揺るぎない自信だった。




