3話:オール5の田中くん、ありえない器用さ
球技大会でのあの衝撃の試合から数日経っても、私の胸の中には、田中くんのあのプレーが焼き付いていた。
そして、誰の記憶にも残っていないその「神業」を、私だけが見ていたという事実が、脳裏から離れなかった。
『あれは絶対におかしい……』
でも、なぜ私だけが気づけるのだろう?
そんな疑問も同時に湧いてきた。
そんな時、期末テストの返却日がやってきた。
教室は悲喜こもごもの声に包まれていた。
私は自分の数学のテスト(78点)を見て、まずまずの出来に安堵していると、隣から小さなため息が聞こえた。
田中くんが、テストを机の中に素早くしまい込んでいる。
「田中くん、お疲れさま。どうだった?」
軽い気持ちで声をかけた私に、彼はビクリと肩を震わせた。
「あ、え……普通、です」
普通?
でも、彼の様子がなんだか変だった。慌てているというか、隠そうとしているというか。
その時、斜め前の席の山口くんが振り返った。
「田中、今回も赤点ギリギリ?大丈夫?」
「あー、うん……まあ、なんとか」
田中くんは曖昧に頷いたが、私には彼の表情に違和感があった。
本当に赤点ギリギリなら、もっと落ち込んでいるはずじゃない?
放課後。
私は偶然、田中くんが職員室へ向かう姿を見かけた。
追試の相談でもするのかな、と思いながら、なんとなく後をつけてしまった。
職員室のドア前で、田中くんが何かを落とした。
通知表だった。
「田中くん!落としたよ!」
私が駆け寄って拾い上げようとした瞬間、開いていた通知表の評価欄が目に入った。
「5」「5」「5」「5」「5」……
思わず息を呑む私に、田中くんは顔を真っ赤にして通知表をひったくった。
「み、見ないでください!」
「で、でも……」
「お、お願いします!」
彼の必死な様子に、私は何も言えなくなった。
オール5なんて、学年で数人いるかいないかの成績なのに、どうして隠すの?
クライマックス
翌日、私は恐る恐る由希子に聞いてみた。
「ねぇ、田中くんの成績ってどうなの?」
由希子は不思議そうな顔で答える。
「田中くん?うーん、普通じゃない?可もなく不可もなくって感じかな」
由希子の返答は、私の見たものとは正反対だった。
まるで、彼女には別の現実が見えているみたい。
翌週の家庭科の調理実習。
私たちの班は、田中くん、由希子、それに活発な川島さんの4人だった。
「今日はカレーよ!頑張りましょ!」
川島さんの元気な掛け声で実習が始まった。
「田中くん、ジャガイモお願いします」
田中くんは黙って包丁を手に取った。
そして――
トン、トン、トン。
規則正しいリズムで包丁が動き、ジャガイモは寸分の狂いもなく、完璧な大きさに切られていく。
まるで機械のような正確さと速さ。
「すごい……」
私が思わず呟くと、田中くんの手が一瞬止まった。
由希子は自分の包丁捌きに夢中で、川島さんは調味料の準備をしている。
誰も、田中くんの異常なまでの包丁捌きに気づいていない。
「田中くん、上手だね!」
川島さんが振り返って言ったが、その視線は田中くんの完璧に切られたジャガイモではなく、私が切った少し不揃いな人参を見ているようだった。
「人参も切ってもらえる?私、苦手なの」
田中くんは頷き、また完璧過ぎる包丁捌きを披露した。
しかし、みんなの反応は「ありがとう」程度。
まるで、普通の作業を見ているかのようだった。
結果として、私たちの班のカレーは先生から最高評価をもらった。
でも、その理由について、クラスメイトたちは「川島さんの調味料の分量が良かったから」「花の火加減が上手だったから」と分析していた。
田中くんの貢献には、誰一人として言及しなかった。
その夜、私は一人で考え込んだ。
体育祭での異常な速さ。
球技大会での神業プレー。
オール5の成績。
そして今日の包丁捌き。
田中くんは、明らかに普通じゃない。
でも、なぜ私にだけ見えるの?
そして、なぜ田中くんは、その能力を隠そうとするの?
翌朝、登校中に田中くんとすれ違った時、私は思い切って声をかけた。
「田中くん、ちょっといい?」
彼は驚いたような顔で立ち止まった。
「私、気づいてるよ。田中くんが……普通じゃないって」
田中くんの顔が青ざめた。
「ち、違います。僕は……」
「隠さなくていいよ。でも、教えて。どうして隠してるの?」
長い沈黙の後、田中くんは小さく呟いた。
「……信じてもらえないから」
その言葉に、私の心は微妙に痛んだ。
確かに、もし私が他の人に「田中くんはオール5で、運動神経抜群で、包丁の達人なの」と言っても、きっと信じてもらえないだろう。
「私は信じるよ」
そう言った瞬間、田中くんの表情が少しだけ和らいだ。
その日から、私の田中くんへの興味は、単なる好奇心から、もっと深い何かに変わり始めていた。
彼の秘密を知る唯一の理解者として、私だけが彼の本当の姿を見ていられることに、特別な喜びを感じ始めていたのだ。
私は、彼の秘密を知るたった一人のクラスメイト。
授業中はただの冴えない男子なのに、放課後、彼が異世界で強大な敵に立ち向かっている姿を見ています。
私だけが知っているこの秘密を、あなたにも見守ってほしいです。
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