29話:キューティーハートと新たな旅路
翌朝、私は指定された七時より少し前にギルドへと向かった。
ガルムたちもすでに到着しており、リリアとシルフィアの姿もあった。
早朝のギルドは、昨夜の喧騒とは打って変わり、静かな緊張感に包まれている。
「おはようございます」
私が声をかけると、ガルムが屈託なく笑って迎えた。
「おう、神崎さん、早いな。じゃあ、まずはパーティ登録だな」
ガルムが手続きを進める間に、リリアが私に話しかけてきた。
「私たちのパーティ名はね、キューティーハートっていうの。可愛いでしょ?」
(キューティー……ハート?)
私の脳裏に浮かんだのは、可愛らしいリボンやハートのマーク。
私のイメージとはあまりにもかけ離れた、その可愛らしい名前に、私は一瞬、表情筋が硬直するのを感じた。
教師として長年培ってきた冷静さを総動員し、無表情を保つ。
「ええ、とても……個性的で、可愛らしい名前ですね」
精一杯の賛辞を述べたが、おそらく私の声には感情がこもっていなかっただろう。
リリアは私の反応を気にすることなく、にこやかに微笑んでいた。
パーティ名の件はさておき、その後のガルムの説明で、パーティの力関係が明らかになった。ベテラン冒険者に見える剣士のガルムがリーダーだと思っていた私にとって、衝撃の事実だった。
「実はな、この『キューティーハート』は、リリアとシルフィアの二人が元々組んでいたパーティでな。俺は後から入れてもらったんだよ。だからリーダーはリリアなんだ」
ガルムは、どこか嬉しそうに、そして誇らしげにリリアを見やる。
私には、リリアとシルフィアの間に流れる、ある種の絶対的な信頼と、ガルムへの穏やかな支配のようなものが垣間見えた。
今日の試しに受ける依頼は、コボルトの集落の殲滅。
コボルトは武器を持った獣人のモンスターだという。殲滅依頼は報酬が高額で、今回の案件は基本報酬だけで600レムも出される。それに加えて魔石の売却額も加わるのだから、かなりの稼ぎになるだろう。
(四人で割っても、一人あたりかなりの額になるわね)
ギルドの掲示板で確認した情報によれば、コボルトの魔石は一個30レム。オークの魔石が40レムなのでそれよりは安いが、それでもなかなか良い値段だ。
早速、私たちはコボルトの集落へと向かった。
ギルドを出て、街の門をくぐり、慣れない土の道を歩く。
集落に近づくにつれ、獣じみた唸り声や、金属がぶつかるような音が聞こえてきた。
集落の入り口で、私たちは隊形を組んだ。
私とガルムが前衛となり、コボルトの攻撃を受け止める。
後方からは、リリアの魔法と、シルフィアの弓が、正確に狙い撃ちする形だ。
「行くぞ!」
ガルムの雄叫びと共に、私たちはコボルトの群れに突入した。
粗末な石器や鉄の棍棒を振り回すコボルトたちが、私たちめがけて殺到する。
私は『ライトシールド』を具現化し、迫りくる棍棒の連撃を冷静に受け止める。
鈍い衝撃が腕に響くが、体の中心をぶらさないよう、しっかりと踏ん張った。
そして、コボルトの動きが止まった一瞬を逃さず、槍をまっすぐに突き出した。
狙いすました一撃が、コボルトの喉元を正確に貫く。
ガルムは私よりも攻撃的だ。
大きな剣を縦横無尽に振るい、コボルトを次々と切り伏せていく。
私とガルムがコボルトたちの注意を惹きつけ、彼らが私たちに集中する。
その瞬間、ガラ空きになったコボルトの脇を、リリアの放つ『ファイアボール』や『サンダージャベリン』がビュンビュンと音を立てて飛んでいく。
熱風や雷光がコボルトを弾き飛ばし、シルフィアの放つ矢が唸りを上げて急所を射抜く。
(これが……チームワーク……!)
私の単独行動では決して味わえなかった、互いの連携が生み出す圧倒的な効率。
それは、まるで精巧な機械の歯車が噛み合うような、流れるような美しさだった。
集落の奥へ進むと、ひときわ大きなコボルトが現れた。
コボルトリーダーだ。その巨体は、これまでのコボルトとは明らかに一線を画している。
しかし、取り巻きのコボルトはすでに殲滅済み。
私たちは四人。数的有利は揺るがない。
コボルトリーダーが振り下ろす、重々しい棍棒の一撃を、私は正面から『ライトシールド』で受け止める。
その衝撃は、これまでの比ではない。
足元に地響きが走り、全身にビリビリと痺れるような感覚が広がるが、私は決して後退しない。
その間に、ガルムがコボルトリーダーの脇に回り込み、剣で切りつける。
鋭い金属音が響き渡り、獣の咆哮が上がる。
そこに、背後からリリアの魔法とシルフィアの弓矢がビュンビュンと音を立てて飛んできた。
炎が、雷が、矢が、次々とコボルトリーダーの巨体に突き刺さる。
何発か当たると、大きな悲鳴にも似た声を上げて、コボルトリーダーは血溜まりの中に動かなくなった。
「これで終わりだな……いい戦いだった」
ガルムが感慨深くつぶやき、剣についた血を払った。
「神崎さん、これは予想以上の働きだ。まさかここまでやれるとはな」
ガルムは私の戦いぶりを褒めてくれた。リリアとシルフィアも、笑顔で私に感謝と賛辞の言葉を贈ってくれる。
彼らの信頼を得られたことに、私は静かな満足感を覚えた。
ギルドに戻り、戦果を報告した。
コボルトの魔石は実に150個にもなり、一個30レムで4500レム。
コボルトリーダーの魔石が一個100レム。それに依頼報酬の600レムを合わせると、合計で5200レムという破格の金額になった。
これを四等分すると、一人あたり1300レムだ。
(一人で戦うよりも、はるかに効率が良いわね……)
私はアイテムボックスに入っていたコボルトの魔石を確認した。私の分はわずか10個。
ガルムも、あれだけ積極的に戦っていたのに、30個ほどだった。
魔石のほとんどは、リリアとシルフィアが回収していたのだ。いかに彼女たちの後衛としての索敵能力と、的確なトドメの一撃が優秀であるかということを感じさせられた。
実際に彼らと戦ってみて、私はパーティ内の関係が、私が思っていたものとは大きく異なっていることに気づいた。
表向きはガルムが前衛を率いるが、実際にはリリアとシルフィアが後ろから指示を出し、ガルムを動かす。
そういった雰囲気が常にあった。
私もガルムと同じ「前衛」という役割だと思っていたが、女性は大事にするべきという教育がガルムに深く根付いているようで、私に対する援護はガルムに比べて手厚かった。
普段の生活でも、お金の管理から宿屋の手配、道具の管理まで、ガルムは二人の手足のように使われているのが見て取れる。
それでも、二人の美女に使役されているガルムは、どこか嬉しそうだ。
(呆れるほどね……)
こんな奇妙なパーティだが、私はこのパーティだからこそついて行く気になれた。
理不尽な男社会に染まりきった集団では、きっと嫌悪感を覚えただろう。
しかし、パーティのメンバーには、私の目的は人探しなので、目的の人物が見つかるまでという条件をつけた。
それでも、三人は私が有能な戦力であると判断したようで、あっさりと了承し、明日の朝、城塞都市ヴェサリウスへ旅立つことになった。
今晩は、パーティメンバーで楽しく食事をした。
昼間の張り詰めた雰囲気とは異なり、ガルムが陽気に冗談を飛ばし、リリアとシルフィアがそれに穏やかに相槌を打つ。
私も時折、会話に加わり、少しだけ心が和むのを感じた。
宿に戻り、ベッドに横たわると、一日の充実感がじんわりと全身に広がった。
もう、現実世界ではどうなってしまっているのだろう。
私が消えたことで、学校は、実家は、どんな騒ぎになっているのだろうか。
しかし、学校の教師の業務に縛られた、予測可能で単調だった日々を思い出すと、今の方がよほど「生きている」ことを感じている自分に、戸惑いを覚えた。
この危険と隣り合わせの世界で、私の五感はかつてないほど研ぎ澄まされ、心は高揚している。
この感覚は、果たして正しいのだろうか。
答えの見つからない問いを抱えながら、私は深い眠りに落ちていった。




