24話:神崎麗華の決意
神崎麗華は、教員室で溜まった書類の山を前に、深い溜息をついた。
朝から晩まで、授業の準備、テストの採点、生徒指導、部活動の監督……。
高校教師という仕事は、まさに時間との戦いだ。
毎日が多忙であっという間に過ぎていく。
生徒たちの成長を間近で見守れる喜びは確かにあるが、理想とする教育には程遠く、思うようにいかないことも山ほどあった。
その日も、一通りの業務を終え、日付が変わる頃になってようやく、彼女はクラスの生徒たちの個人データに目を通していた。
学期末の成績入力と、身体測定の結果を比較するためだ。
淡々と数値を入力していく中で、麗華の指がぴたりと止まった。
ディスプレイに表示されているのは、田中健太のデータだった。
「田中……?」
彼ほど、クラスの中で「空気」のような存在はいなかっただろう。
成績は下から数えた方が早く、体育の授業ではいつも最後にトロトロと走っているような生徒だったはずだ。
それが、二学期に入ってからの成績は全科目で「5」。
体育祭の50m走の記録に至っては、「4秒台」と記されている。
麗華は思わず目を擦った。
いくら記録更新が盛んだったとはいえ、体育が苦手な田中が、陸上部のエースすら霞むようなタイムを出すなど、常識では考えられない。
タイプミスだろうか。
しかし、隣に座るベテラン教師、佐藤先生なら気付いたはずだ。
次に目を引いたのは、佐藤花だ。
明るく活発で、成績も体力もごく平均的な女子生徒。
それが、二学期に入ってから、全ての科目で「優秀」な評価が並んでいる。
さらに、先日行った体力測定のボール投げの記録は、なんと「100m」とある。
「……百メートル?」
麗華は思わず独りごちた。野球部の男子エースでさえ、そこまで遠くまで投げられる者は滅多にいない。
ましてや、華奢な体つきの女子生徒が、だ。
いくらなんでも、これは入力ミスどころではない。計測器の故障か?
そして、鈴木由紀子。
彼女もまた、真面目で成績は良かったが、運動は苦手なタイプだった。
50m走はいつも10秒前後かかっていたはず。それが、今は「5秒29」。
「…っ!」
麗華は思わず身を乗り出した。
10秒が5秒29。これは全国レベルの記録ではないか。
クラスの体育教師がこの異常な数値を何の疑問も持たずに提出していることにも、麗華は疑問を覚えた。まるで、誰もこの「異常」に気づいていないかのように。
田中、佐藤、鈴木。
この三人の生徒に共通しているのは、以前は目立つことのなかった、ごく普通の生徒だったということだ。
それが、この数カ月の間に、ありえないほどの急激な変化を遂げている。
成績だけでなく、身体能力まで、まるで別人のように。
「これは……いったい、どういうことなのかしら」
麗華の知的な瞳が、鋭く細められた。単なる成長ではない。
何らかの『異常』が、この三人の生徒に起きている。
教師としての長年の経験が、そう告げていた。
教育者としての責任感が、麗華の心を強く揺さぶる。
生徒たちの身に危険が迫っているのではないか。
あるいは、何か隠し事をしているのか。
どんな理由であれ、この不可解な現象を看過することはできなかった。
麗華は生徒データを閉じた。疲労で重かった体が、俄かに緊張で引き締まる。
これは、単なる教師としての業務ではない。
生徒を守るため、そして真実を解き明かすための、自分自身の使命だと感じた。
「……調査を開始するわ」
夜更けの教員室に、麗華の静かな、しかし確固たる決意の声が響いた。
クラスの「空気」だった田中くん。
活発で明るい佐藤さん。
真面目で大人しい鈴木さん。
担任教師として、私は彼らのことをよく知っているつもりでした。
しかし、今、彼らの身に起きている『異変』は、私の知っている常識を遥かに超えている。
この不可解な謎の先にある真実を、あなたも一緒に見届けてくれますか?
もし「見届けたい」と感じてくれたなら、【評価】や【ブックマーク】で教えてください。あなたの声が、私が彼らの物語に踏み込む勇気になります。




