22話:帰還と、知られざる真実
目を開けると、視界いっぱいに見慣れた部屋の天井が広がっていた。
散らかった机の上には、読みかけの漫画と、脱ぎっぱなしの制服。
全てが、昨日までいた異世界の宿屋とはかけ離れた、まごうことなきあたしの自室の光景だった。
「……戻ってきちまった」
独りごちた声は、どこか現実感がなかった。
異世界での数日間が、まるで壮大な夢だったかのように朧げに感じる。
肌で感じた風の感触も、剣の重みも、耳に焼き付いた魔物の咆哮も、全てが遠い記憶のようだ。
まだ、右足の傷痕が微かに疼く気がする。
ふと、机の上のパソコンが目に入った。
画面はスリープ状態から復帰すると、昨夜閉じたままの時間表示が目に飛び込んできた。
「……午前7時30分?」
思わず目をこすった。
信じられない思いで、もう一度表示を確認する。
確かに午前7時30分。
異世界では何日も戦い、眠り、食事をとり、宿に泊まっていたはずだ。
夕方にオークの集落で捕まりかけ、ベテラン冒険者に救われ、ギルドで報酬を受け取ってから宿に戻り、一晩眠って今に至る。
それなのに、こっちの世界では、あたしが転移した深夜から朝になっただけ。
「どうなってんだ……これ」
混乱と驚きが、怒涛のように押し寄せてくる。
時間が経っていない?
つまり、あたしが数日間も消えていたことなんて、両親も花も、誰も気づいていないってことか?
そんな、SFみたいなことが本当にあり得るのか?
頭を抱え、深呼吸を繰り返して、荒れ狂う思考を無理やり落ち着かせた。
どうであれ、今は現実世界にいる。
そして、どうやら時間は止まっていたらしい。
とりあえず、いつも通り振る舞うしかない。
朝ご飯を食べよう。
階段を降りてリビングに向かうと、食卓には既に花が座っていた。
トーストと目玉焼きの香ばしい匂いが漂う。
「あ、お姉ちゃんおはよー!」
いつもの元気な声。
花は、あたしが異世界に行っていたことなど微塵も知らない様子で、楽しそうにパンを齧っている。
向かいに座る両親も、新聞を広げながらコーヒーを飲んでいて、普段と何一つ変わらない朝の光景だ。
この状況で、花を問い詰めるわけにもいかない。
いや、問い詰めるべきだ。
でも、なんて説明する?
異世界で数日過ごした?
時間が止まっていた?
両親の前でそんな話をすれば、あたしが頭がおかしくなったと思われるだけだろう。
あたしは平静を装い、「おはよ」とだけ返して、花から少し離れた席に着いた。
朝食を済ませ、普段通りに学校へ向かう。
登校中の生徒たちの喧騒も、教室のざわめきも、全てがいつもと同じ日常だ。
だけど、あたしの中は、もういつもと同じじゃなかった。
体が違う。
頭の中も違う。
午前中の数学の授業中、あたしは驚きを隠せずにいた。
これまで、まるで呪文のようにちんぷんかんぷんだった授業が、まるで霧が晴れるように鮮明に理解できるのだ。
先生の話す言葉の一つ一つが、頭の中にすっと入ってくる。
板書された複雑な計算式も、難しい生物学の授業も、そのロジックが手に取るように分かる。
「なんだこれ……!」
思わず声が出そうになるのを堪えた。
異世界で「魔法剣:火(微小)」を獲得した際に、『知能が上昇しました』という通知があったのを思い出す。
まさか本当にこんなにも明確に、脳の働きが変わるなんて!
テストがあっても、少し勉強するだけでいい点が取れるかもしれない。
これは、異世界で得た能力の恩恵なのか?だとしたら、とんでもない副作用だ。
そして、午後の体育の時間。
バスケットボールの授業で、あたしはさらに驚愕することになった。
ドリブルをする級友たちの動きが、あたしの目には、まるでスローモーションのように見える。
シュートを放つ腕の軌道も、リバウンドに跳ねる体の動きも、全てがゆっくりで、次にどう動くか、手に取るように予測できてしまう。
まるで、自分だけが時間の流れから切り離されているような感覚だ。
「うおっ、うそだろ!?」
試しに軽くジャンプしてみると、体がフワリと浮き上がり、そのまま2メートル近くも跳び上がってしまった。
リングに触れるくらいの高さだ。
幸い、他の生徒はボールに夢中で誰もあたしの跳躍を見ていなかったため、先生に注意されることもなく事なきを得た。
それからの体育の時間は、あたしにとって苦痛以外の何物でもなかった。
普段なら全力を出し、汗だくになるまで楽しむバスケットボールも、周りのみんなに合わせて精一杯手加減しなければならなかったからだ。
少しでも本気を出せば、怪我をさせるか、自分の異変が露見してしまう。
ボールを追うふりをして、意図的にミスを装い、時にはわざと転んだりもした。
心の中で、「ごめんよ、みんな……」と謝りながら、あたしはいつも以上に疲労を感じていた。
放課後、あたしはもうこれ以上このモヤモヤを抱えていられないと決意した。
花を呼び出し、学校近くの喫茶店に入った。
店内の落ち着いたBGMが、あたしの高鳴る心臓の音を少しだけ鎮めてくれる。
花は「お姉ちゃん、珍しいね?何かあった?」と首を傾げたが、あたしは真剣な、少しだけ強張った顔で切り出した。
「花、あんた、最近変だよな?前にも言ったけど、何か隠してること、あるだろ」
花は一瞬ビクリと肩を震わせたが、すぐに目を逸らし、カップの中のカフェオレを見つめた。
「な、なんのことー?別に変じゃないよ?」
その声は、いつもより少しだけ、上擦っていた。




