15話:ユキもまた、始まりの森へ
私は、花から「秘密」を聞き出すため、彼女を追いかけた。
最近の花は、まるで別人のようだった。
数学のテストで満点を取ったり、体育で驚くような身体能力を見せたり。
それは嬉しい変化だったけれど、同時に不安だった。
何よりも、田中くんの隣にいる時の花は、まるで周りの空気など存在しないかのように、彼と親密に話していた。
田中くんはクラスにいるのに、誰も彼を気にしない。
まるで透明人間みたい。
花だけが彼を見ている。
そこに、私にはわからない「何か」がある。親友として、それを知らずにはいられなかった。
放課後、花が田中くんと二人で屋上へ向かうのを見て、私は決意した。
今日こそ、全てを聞き出す、と。
私は二人の後をこっそり追いかけ、屋上へのドアの陰に身を潜めた。
人目につかず、何かをするにはここが一番都合が良かったのだろう。
二人は屋上の隠れた一角へと足を進め、何やら話し合っている。
私は息をひそめて、会話の内容を聞き取ろうとした。
その時、花と、そしてその隣の田中くんの体が、まるで水面が揺れるように歪み始めた。
信じられないような光景に、恐怖と好奇心がないまぜになり、私はその場に釘付けになった。
しかし、歪みは急速に広がり、私の隠れていたドアの陰までをも飲み込み始めた。
抗う間もなく、全身が、まるで強い光の中に吸い込まれるかのように、浮遊感に包まれ、視界が真っ白になった。
「え……?」
次の瞬間、私は全く知らない場所に立っていた。
薄暗い森。
高くそびえ立つ見たこともない木々。
地面は湿っていて、足元には奇妙な草が生い茂っている。
木々の隙間から真っ暗な空といくらかの星が見えた。
今は夜のようだ。
それでも、コケが光って周りが明るい。
遠くで、獣のような咆哮が聞こえた。
「いやああああああああああ!」
あまりの状況に、私は叫び声を上げた。
信じられない。
ここは、私が知っている世界じゃない。
まるで、ゲームか、ファンタジー小説の中だ。
その時、頭の中に直接響くような、無機質な声が聞こえた。
『転移者よ。初めての転移、歓迎する。ここは「始まりの森」。これより、お前は異世界の理に従う。まず、初期装備を選択せよ。』
頭の中に、半透明のウィンドウが浮かび上がった。
剣、杖、弓、ナイフ……。
「っ……杖!」
考える間もなく、私は直感で杖を選んだ。
戦闘は苦手だが、これなら何か魔法が使えるかもしれない、という希望があったのだ。
ずっしりとした重みの木製の杖が右手に現れると同時に、私の体には動きやすいチュニックとズボンが身についていた。
制服は消えている。
その時、草むらから、ブルブルと震える緑色の透明な塊がヌルヌルと現れた。
「っ!?なに、これ……」
スライムだ!
ゲームで見たことがある、最弱の魔物。
しかし、本物のスライムは、ただのゼリーではなく、奇妙な臭いを放ち、蠢く姿は生理的な嫌悪感を催させた。
私は杖を構え、震える手でスライムを力任せに殴りつけた。プシュ、という音と共に、スライムは弾け飛び、緑色の液体が飛び散る。
『経験値を獲得しました。レベルが上がりました。』
『スキルを獲得しました:杖術習熟(微小)』
でも、安心したのも束の間だった。
草むらの奥から、ずるずると何十匹ものゴブリンが姿を現し、私を取り囲むように迫ってきた。
「ゴ、ゴブリン……っ!?」
足がすくむ。
こんな数、無理だ。
私はただの女子高生だ。
「グルオオオオ!」
一体のゴブリンが私に飛びかかってきた。
私は反射的に腕を上げて顔を庇う。
ゴブリンの爪が腕を深く切り裂き、血が流れ出た。
「痛い!痛いよお!」
私は痛みをこらえ、精一杯ゴブリンの頭を杖で叩いた。
「やあ!」
ゴブリンは倒れ込み、私のレベルが上がった。
それでも絶望的な状況だ。
このままでは死んでしまう。
その時、傷口から、淡い緑色の光が溢れ出した。
光は傷口を覆い、瞬く間に傷は塞がっていく。
「え……?」
私は自分の腕を見て、呆然とした。傷が、消えた?
『スキルを獲得しました:初期回復(微小)』
『スキルを獲得しました:回復魔法(覚醒)』
回復魔法……?
これは、助かるかもしれない。
私は震える体を奮い立たせ、回復魔法を使いながら、杖でゴブリンに応戦した。
一匹、また一匹と倒していく。
しかし、相手は無限に現れるように感じられた。
何度も杖を振り回し、何度も回復魔法を使う。
レベル1→5
杖術習熟:微小→小
新スキル獲得:危険感知(微小)
新スキル獲得:精神集中(小)
終わりが見えない戦い。
その時、他のゴブリンより一回り大きな個体が現れた。
ゴブリンチーフ?
半透明のウィンドウにそう記されていた。
「グルオオオオオオ!」
チーフの咆哮に、周囲のゴブリンたちが一斉に動きを止めた。
まるで、最後の試練を与えるかのように。
私はもう、回復魔法を使うのをやめて地面に倒れ込もうかとも思った。
でも、ここで倒れるわけにはいかない。
花を田中から助け出すんだ。
花がおかしくなったのは田中のせいに違いない。
あの弱そうな気持ち悪い男なんかに花を渡せない。
「負けない……!」
私は最後の力を振り絞り、回復魔法で傷を癒しながら、チーフに向かって杖を振り上げた。
ゴブリンチーフの攻撃はゴブリンよりもさらに痛かった。
深い傷を負っても、回復魔法で頑張って治した。
傷を治して、杖で頭を思いっきり叩きまくる。
切られても殴る。
ぶたれても殴る。
回復しながら、殴る。
とにかく殴った。
私にはそれしかできなかった。
私は延々とゴブリンチーフとやりあった。
ゴブリンも近くに来たら、殴る。
何でも殴った。
何百回、何千回殴ったのかわからない。
回復魔法が尽きても殴った。
レベルアップの度に少しは魔力が回復しているようだ。
激闘の末、チーフを倒した時、私のレベルは一気に10まで上がった。
そしたら、異世界転移のスキルを覚えた。
体力は限界を迎え、意識は何度も途切れそうになる。
地面に膝をつきそうになりながらも、私は必死に前へ進んだ。
そして、ふと視界の先に、ぼんやりと光が見えた。
街だ!
その光を目指して、残りの力を全て使い果たし、私はたどり着いた。
巨大な石造りの門。門番の姿も見える。
「はぁ、はぁ……」
門をくぐり抜けた瞬間、私の足はもう限界だった。
次の瞬間、私はガクンと膝から崩れ落ちた。
「由希子!何でここに!?」
花の叫びに、私は顔を上げた。
その隣には、あの田中が立っている。
いや……立つ彼の姿が、なぜか私には、これまでよりずっと鮮明に見えているような気がした。
まるで、半透明の膜が一枚剥がれたように、彼がそこに「いる」と、はっきりと感じられた。
……花。
こんな人と一緒にいたんだ。
この人なら……花が変わってしまった理由が少し理解できた気がした。
「鈴木さん、よく耐えたね!もう、大丈夫だ……」
田中が私の肩に手を置き、その奮闘を優しくねぎらった。
彼の声も、いつもよりずっと、はっきりと聞こえる気がする。
私は田中への認識が急速に変わって行くのを感じた。
私も……花のそばにいたい。
そんな気持ちが私の中を満たしていった。




