第26話 偽りの使命感
一方その頃――カルゼリアから遠く離れた森の中、危機を脱したアトスはへばりつく様にして木の幹に背を預け、その場にへたり込んでいた。
「つ、疲れた……! もうこれ以上は無理……一旦休憩…………!」
「はぁ……はぁ…………珍しいですね……。あのアトスが、ただ走るだけでこんなにも弱音を吐くなんて……」
お互いずっと走りっぱなしだったせいか、言葉言葉の間に呼吸が挟まる。
「そりゃお前……、文字通り命懸けの逃走劇だったんだぞ……心身ともに疲れるっての…………」
途中、道に迷ったせいであいつらに先回りされてた時は流石にここまでかと覚悟した。咄嗟に身を隠して難を逃れたが、もしあの時バレて捕まっていたらどうなっていたか……想像することすら憚られる。しかも三人ともバラバラに来てタイミングをずらすものだから、次はいつどこから出てくるのかと何度も肝を冷やしたものだ。
――必ず、探し出してみせます……!
――必ず探し出してみせるわ……!
――……必ず.....探し出す.....!
耳元で通り過ぎていった、あの鬼気迫る声……思い出すだけで身の毛がよだつ。
「――って! いやいや、おかしいだろこんなの……! 俺はただ街に戻りたかっただけなのに、何でこんなことになったんだ……!?」
荒だった息を鎮めているうちに頭も冷静になってきたのか、これまで朧気ながら捉えていた不可解さが俺の中で次々と浮き彫りになってくる。
「ギルドとか他の冒険者が俺のことを誤解するのはまだ分かる……が、問題はあいつらだ。本気で俺の事を魔王だと思って殺しにきてた。外見はエイシアたちだけど、まるで人が変わったみたいで……声を掛けても全く聞く耳持たなかったし、用意された台本に沿って動くだけの役者の様な……」
純粋であり、不純。そんな印象をエイシアたちから感じ取った。
「……そうですか。アトスがそう思うのなら――やはり、間違いありませんね」
「間違いない……って、何のことだ?」
ヘルは口元に手を当てて何やら考える素振りを見せると、真剣な眼差しで俺にこう言った。
「――彼女たちには、嘘が植え付けられています。あなたを倒さなければならないという、偽りの使命感が」
「偽りの使命感……?」
「アトスもおかしいと思いませんか? 赤の他人ならともかく、本来アトスの仲間であるあの人たちまで命を狙ってくる、この状況を。しかも本気で殺しにくる程なのに、それを駆り立てる動機が彼女たちから全く見えてこないんです。……まぁ、あなたが以前からお仲間さんにエッチないたずらとかしていたなら、話は変わりますけど?」
「してない! さっきのもあくまで事故で――って、そんな事言ってる場合じゃないな……。確かに、ヘルの言う通りだ。俺のことを知ってるあいつらなら、こんな根も葉もない噂なんか信じたりしない。話し合いの余地だって絶対にあるはずなんだ……」
だからヘルが言っている「偽りの使命感」とやらが悪さをしている、と考えた方が俺としても納得は出来る。
「けど……嘘が植え付けられてるなんて、何でそんなことが分かるんだ?」
「……? あぁ、アトスにはまだ教えてませんでしたか。丁度いいです。では試しに――アトス、私のことは好きですか?」
「………………は?」
「私のこと、好きですか? 勿論、異性としてですよ?」
「――はぁっ!? いきなりお前何を!?」
「いいから答えてください。大事なことなんですから」
ヘルが早く早くとこちらを急かしてくるので、渋々思考をそちらに切り替える。
『…………異性として好きかどうか』
普段は何を考えてるか分からないし、揶揄われた時とかはたまにイラッとくることはある。だが、ヘルのマイペースな明るさを見ていると不思議と元気が出るし、時々見せる甘えたがりな所には不覚にもドキッとしてしまう。
好きか嫌いかと言われれば、間違いなく好きではあるのだが……、流石に本人を前にして正直に言うのは流石の俺も恥ずかしい。
「ど、どうだろうな……。そういうの、俺よく分からな――」
誤魔化そうとした次の瞬間、場の空気が一変する。気温が数度下がったような錯覚の後、突如ヘルの両手から溢れ出た黒い靄が体に纏わりついてきた。靄は次第に顔へと集まり、目の前が真っ暗になった俺はバランスを崩して尻もちをつく。
「――はい、嘘つき♡」
靄はすぐに俺の元から離れ、代わりに俺を見下ろしていたヘルが目の前で腰を下ろし、その指先で俺の唇をちょんと突いてきた。
「今のって……」
「アトスの嘘に反応したんですよ。真を識り、偽を腐らせる私の力――『識腐の触』の力が」
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