16
その日の夜、カールトン公爵家のアンジェリカの部屋に遅くまで明かりが灯っている様子が見える。
部屋中にいるのは当然、アンジェリカ。今は一人。侍女もメイドも全員下がらせているようだ。
徐に鍵のついた引き出しのロックをあけ、そこから分厚い封筒をだしたアンジェリカは少し悲しそうな顔をしてそれをベッドに置く。
そして自分もベッドに腰掛けるとその封筒を膝の上に置き、指でそっと撫でる。
「キース殿下、わたくし、嫌いではなかったんですのよ。本当に家族になれなくても、一緒にこの国を守り発展させていける人だと、そう思っていたのは嘘じゃありませんの」
封筒は少しくたびれいて、何度も中を取り出したのだろう様子が感じ取れた。
「マリーはずっと推しでしたもの。わたくし、彼女と結婚したいほど愛していたのは本当ですの。だから今回だってチャンスは逃しませんでしたわ。でもね、殿下、いくらわたくしがマリーをずっと愛していても殿下をあんなふうにさせないようにと、これでも頑張りましたのよ」
アンジェリカは封筒に手を押し当て、魔力を解放しようとしてそれをやめた。使わないと決めた魔力が瞬時に空気に混ざり消えていく。
そう出来た事にアンジェリカはホッとした表情を見せ、封筒を抱いてベッドから立ち上がりまた元の場所に戻した。
そして自身の魔力で鍵を閉めると、どこか名残惜しそうに引き出しを見つめる。
どのくらいかそうしていると、遠慮がちな音で扉がノックされた。入ってもいいかな、と彼女の父親の声がする。
寝衣だったアンジェリカはさっと上着を羽織ると、扉を開け父を部屋に入れた。
彼はアンジェリカを見てほっとした表情になり
「アンジェリカ、大丈夫かな」
外での彼とは随分と違う、優しく柔らかい声で問いかけた。
「はい。お父様。殿下の事はわたくしの力が及びませんでしたが、結果マリーと添い遂げる事が叶いそうで嬉しく思っています」
「そうか。お前には苦労をさせたね」
「いいえ、わたくしが決めたのです。結果がどうなろうとも、殿下が王太子になれなくても、国王になれなくとも、せめて殿下が幸せになれるように変えたいと思って、わたくしが決めたのです」
アンジェリカは父にスツールに座ってほしいといい、自分は再びベッドへ腰掛ける。
「わたくし、最初は物語はハッピーエンドに必ずなるとそう信じていたのです。ですがわたくしの知る事を話し、お父様とお母様、お兄様からも話を聞いて、そうはならないのだと理解したあの時から、せめてもと、全てを知っているわたくしがせめてと思わずにはいられなかったのです。わたくしは殿下も推しでしたもの」
「ふふ、そうだったね。アンジーはそう言って聞かなかったな。そのうえ『破棄されるような事があれば、白紙に持っていきます。ですからわたくし、マリアンヌと結婚したいのです!』だなんて聞かなくて。まったく……マリアンヌ嬢は闇の精霊の加護だけしかないから子は望めないから婚姻は無理だと言っても、『光の精霊の祝福を後天的にもらう事になるはずです』の一点張り……本当に全く」
「でも本当でしたでしょう?わたくしの最推しですもの!」
年相応の無邪気な顔をする娘に、父親は頬を掻いて「まいった」と呟くばかり。
荒唐無稽な話をし「ですがここは現実に生きている場所。未来は変えます。わたくしが必ず」と言い切った娘は確かに変えて見せようとした。
物語を話し、それを聞いた両親から現実を聞かされた娘は「自分だけが知っている事だから」と、『みんなのハッピーエンド』を目指しても努力をした。
殿下との関係が悪化の一途を辿ってもそれでも「国を守り栄えさせるパートナーになれるのなら、婚約を解消はしない」と、大人たちに頭を下げた。
結果キースの幸せを守れなかったアンジェリカが、愛しているマリアンヌと婚約出来た今もきっと心のどこかで後悔しているのを父親だから感じ取っている。
婚約が叶った今日、こんな夜更けにきてしまったのだって、あんまりに心配したからだ。
「お父様、安心してくださいませ。わたくし、これでも、口では色々と言っておりますけれど、精一杯やったと自負しておりますの。ですからきっとこの後悔も、そのうち消えますわ」
父の気持ちを察したアンジェリカに、それでも心配そうな顔で父親は頷き、アンジェリカの頭を数回撫でて立ち上がる。
「夜のこんな遅くに悪かったね、アンジー。ゆっくりお眠り」
「はい、お父様も」
「アンジーは明日から、求愛に勤しむんだろうけれど、私たち夫婦やミューバリ公爵家の皆様にええなんだったか……そうそう、ドン引きされない程度に。マリアンヌ嬢にもね。公爵殿はご家族の事となると、ええと、ほら、あれだ、案外早く激おこになるから」
「ふふ、お父様は相変わらず、激おこの使い方がいまいちですわ」
得意げに笑うアンジェリカに不安を感じたが、今日の様子を見れば多少大袈裟な求愛も向こうの家族は受け止めてくれるのかもしれないと彼は思ってそれ以上言わない事に決めた。
おやすみ、と言って扉を閉める直前、アンジェリカが父親を呼び止め微笑んで言った。
「お父様、わたくし以前からもうしていましたでしょう?『運命なんて要らない』と。自分で掴み取っていくものだけがわたくしの全てであり、運命なんですわ」
ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました。
実はこの話、途中で気がつかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、『乙女ゲームの悪役令嬢に転生しちゃった前世日本人が、「真実の愛」に浮かれた殿下が婚約者断罪なんてしたらヤバいことになると知り、前世推しだった殿下がそんなことにならないようにと頑張りつつ、最押しだった脇キャラ(マリアンヌ)への愛をひそかに燃やしている』というものでした。
アンジェリカに前世の記憶があること、この世界が乙女ゲームに“似ている”と言うことを知っているのは、この世界の両親であるカールトン公爵夫妻と出番がありませんでしたが彼女の兄だけです。
それでも主役はノアとアーロンなので、ちょっとBLっぽさ?は少ないのかもしれませんがBL枠で投稿しました。
この話を、少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。
お付き合いくださって、ありがとうございました。