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このままだと失敗になるわね

 ドタバタと足音を響かせながら制服に着替えてリビングに戻ってきた娘は、まだぶつくさと文句を言っている。


「せっかくハート型のチョコチップだったのに。こんなのただの黒い塊だし、マジ使えない」


 あのハート型のチョコチップね……

 かすみは遠い目になった。


 なんでも、誰かのSNSでバズったらしいハート型のチョコチップをどうしても使うと言い張った娘が、わざわざ取り扱いのある店舗に在庫があるかどうか問い合わせしたのだ。


 バレンタイン前ということで予約分は完売しており、後は店舗で売り出す分を直接買いに来てくださいと言われたらしい。取り置きができないとの事だったので、泣きつかれたかすみは、車を2時間ほど運転してそれを買いに行ったのだ。

 最初は嫌だと断ったが、『じゃぁパパお願い一緒に行こう?』と最近仕事が忙しくてヘロヘロになっている夫に娘はターゲットを変えた。普段、空気のように扱われている夫は、娘に頼み事をされて、『じゃあ明日有給取っちゃおうかな』などとふざけたことを言い出したので、母が買い物、娘は夕食の準備、と言うことで手を打ったのだ。


 男子高校生がチョコレートチップがハート型かどうかなんて気づくわけないだろうが。

 男なんてもんは、自まつげかマツエクかの違いすら気がつかないのだ。むしろその年でそんな細かいことに気がついたら、将来とんでもない女たらしになるだろう。


 娘は不満を垂らしながらも、真剣な目でラッピングペーパーにマフィンを包んでいく。

「まじ失敗だしマジ使えないあのレシピ。あのスーパーもう絶対買わない」


 そんなにのろいを込めたら、マフィンが毒りんごにでもなってしまうのではないか。



「まぁでもこのままだと失敗になるわね……」

 かすみは、わざとらしく、大きなため息をついた。

「……どういうこと?」

 よし、興味を引けた。かすみは心の中でニヤリと笑った。

「この、あんたが失敗だと思ってるカップケーキ、このままだと失敗だって言ってるの」

「だからどういうことよ!?」

 おーおー、切れるのが早いねー。子供は。

「このまま意中のなんとか君?に渡さなかったら、これはただの失敗作だってこと」

「違う、そういうんじゃないもん!友達に渡すんだもん!」

「はいはい、友達ね。わかったわかった。いいこと?そのお友達は、今のままじゃ、あんたがこんなに頑張ったってこと、わかんないのよ。だってそうでしょう?あんたが前日頑張って準備して、今朝もママに起こされることなく、朝から起きてきて」

 ……目覚まし時計はエンドレスに鳴り続けていたけど。

「ラッピングも頑張って。こんなにきれいな仕上がりになったのに、このまま家においといたら、誰の目にも止まる事は無いのよ」

「でも、こんな失敗作あげられないし!」

「失敗じゃないわよ。あんたに欠けてるのただ1つ。それは――」

 そう言って、かすみは言葉を切った。

『だから何なのよ!』と娘が切れだす瞬間、厳かにかすみは告げた。


「勇気よ」


「は?」

「あんたに足りないのは勇気」

「何言ってんの!勇気とか、ださっ!」

「思い切って、そのカップケーキをお友達のなんとか君にあげてみなさい。その瞬間、あんたの今までの努力は全部報われるし、あんたのカップケーキは成功になる」

「……本当?」

 疑わしそうな顔をしながらも、娘の目には希望の光がちらちらと輝きだした。


 よし、いまだ。押せ。


「そう。失敗と成功の境目は、勇気よ。だから、娘よ。さっさと支度をして、そのカップケーキをあげてきなさい。冷めたら、まずくなるわよ」


『まずくなる』と言う言葉が効いたのかどうかわからないが、娘は猛ダッシュで支度をすると家を飛び出して行った。


 ふふふ。なかなかうまい具合にまとめることができた。

 かすみは自画自賛しながらうなずいた。

 寝不足の回らない頭にしてはいいこと言うじゃないか、私。


 ぶっちゃけ、勇気なんてどうでもいい。さっさと娘が登校してくれれば万々歳。


 物事はやったもの勝ちなのだ。

 若い繊細な心は、ああだこうだ言い訳を心の中で考えて、やっぱりやめちゃおうかな、なんて口では言うけど、結局誰かに背中を押してもらいたいだけなのだ。

 そもそも高校生が作るお菓子にクオリティーなんて誰も求めていないだろう。


 失敗と成功の境目は、勇気!


 これから娘がごねたら、しばらくこのフレーズで押せるかもしれない。


 やれやれとかすみは大きな伸びをした。

 徹夜明けの頭に、娘の頭のてっぺんから出しているような甲高い声はよく響く。


「おはよう。……みのり、だいぶ荒れてたみたいだけど大丈夫?」

 スーツに着替えた夫がひょっこりとキッチンに顔を出した。娘のご機嫌がななめなことを察した夫は、キッチンに近づいてこなかったのだ。

 逃げやがってこの野郎と思いながら、かすみは夫を睨んだ。

 夫は、苦笑しながらやかんに火をつけた。

 しばらくして立ち込めてきたのは、コーヒーのいい匂いだ。

「はいどうぞ。お疲れ様」

 力尽きてダイニングテーブルに座ったかすみの前に夫がマグカップを置いた。

「ありがとう」

 かすみは、コーヒーを一口飲んだ。

「染み渡るぅぅぅぅ」

 このままベッドにバタンキューしたいところだけど、細かい確認作業がまだ残っているし……

 ゆっくりとカフェインが体に行き渡ってきた。

 リビングの大きな窓からは、燦々(さんさん)とした朝の光が入ってきている。


「おっ、これがみのりが作ったカップケーキか、何だか平らだね?」

「……それ、あの子に絶対言っちゃダメよ」

 夫がキッチンに入ってこなくて本当に良かった。こんなありのままの感想を言っていたら、娘はもっと切れていただろう。

 夫は、チョコレートカップケーキを一つ手に取ると、パクッとかぶりついた。


 ――がり、じゃりじゃりじゃり


「…………」


「……ほろ苦いビターな感じかな?」

 いや、使ってたのはミルクチョコレートだから。

「かりんとうみたいだね」

 それ、さっき、犬のフンってあの子が表現したのと同じレベルだから……


 しらけた顔で妻に見られていたことに気づいた夫は、慌てて付け加えた。

「そういえば、イタリアでこういうお菓子あったよね、なんだっけかな。あのすごい硬いやつ」

「……ビスコッティ?」

「そうそう、ビスコッティ、確かコーヒーに浸しながら食べると美味しいんだよね……ははは」

 夫は、カップケーキをコーヒーに浸すと、一口食べた。

「うん、美味しい。うちの娘は天才だな」

 突っ込む気力もなかったかすみは、無言でコーヒーをすすった。


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