隣の席の『氷の女王』が、僕が書いてる恋愛小説の熱狂的なファンだった!?
「お待たせ、鯨岡君」
「――! い、いや、僕も今来たところだよ」
待ち合わせ場所に現れた伊集院さんの格好を見て、思わず僕は見蕩れた。
伊集院さんは『氷の女王』の異名に相応しい、ネイビーブルーのマキシ丈ワンピースを着ていたのだ。
その他者を圧倒するような気品ある佇まいは、まさしく氷の女王そのもの。
切れ長の鋭い目で見つめられると、背筋がゾクゾクする――。
道行く人々も、伊集院さんのあまりの美しさに足を止めている。
「どうかした鯨岡君? 私の顔に何か付いてる?」
「――! う、ううん、ゴメン、気にしないで!」
「そう。映画館行く前に、ちょっとだけスタバ寄っていいかしら? 私、一日一杯はブラックのコーヒーを飲まないと落ち着かなくて」
「も、もちろん!」
まさか伊集院さんと二人で、映画を観に行ける日がくるなんて――!
数日前の僕にこのことを言っても、絶対信じないだろうな……。
……うーん、イマイチだな。
とある高校の昼休み。
スマホで今しがた書いたワンシーンを推敲しながら、頭を掻く。
このシーンは、主人公の鯨岡がヒロインの伊集院と初めて二人で出掛けるという、物語のターニングポイントとも言える重要なものだ。
だというのに、上手く言えないがどこか不自然に感じる。
作り物っぽいとでも言うか……。
僕はさり気なく、隣の席に視線を向ける――。
「どうかした伊達君? 私の顔に何か付いてる?」
「い、いや!? な、何でもないよ……」
「そう」
そう言うなり僕には毛ほども興味がなさそうに、いじっていたスマホの画面に目線を戻す水川さん。
あ、危ない……。
コッソリ覗いたつもりだったのに、バレたか。
でも、それでこそ『氷の女王』伊集院のモデル――。
近寄りがたい威圧感のあるオーラは、今日も健在だ。
サラサラの長い黒髪に、切れ長の鋭い目。
形のいい細く長い指も、吉良吉影が見たら間違いなく〇〇するレベルだろう。
僕が小説投稿サイトに載せたデビュー作がランキングに入れたのは、間違いなく水川さんをヒロインのモデルにしたからだ。
――だからこそ、僕は中途半端な小説は書けない。
僕の小説の評判が落ちてしまったら、水川さんの顔を潰すことにもなってしまうからな。
水川さんは、僕にモデルにされてるなんてことは、夢にも思ってなかったとしてもだ。
仕方ない、このシーンは後でもう一度練り直すとして、気分転換にリートさんからの感想を読もう。
昼休みになった直後に最新話を投稿したから、いつもならそろそろ感想を書いてくれている頃合いだ。
鼻歌交じりにユーザページのホーム画面を開くと、案の定リートさんから感想が届いていた。
どれどれ――。
『投稿者:リート
今回も最の高でしたッッッ!!!!。°(´∩ω∩`)°。
もう、もう、とにかく鯨岡君と伊集院さんの関係が尊(たっと)過ぎますッッ!!!꒰* ॢꈍ◡ꈍ ॢ꒱.*˚‧
ああもう、この二人のもだもだする遣り取りを眺めているだけで、ご飯一升はイケますよッッ!!!(≧▽≦)
今日も超絶カワイイ伊集院さんが見れて、健康寿命が百年伸びましたッッ!!!( ˘ω˘ )
いつも生きる栄養をお与えいただき、本当にありがとうございますッッッ!!!!◝(⑅•ᴗ•⑅)◜..°♡
次回のデート回もドチャクソ楽しみですFOOOOOO!!!!(⋈◍>◡<◍)。✧♡』
おぉふ、今回もべた褒めだな。
ただ、正直悪い気はしない。
リートさんはデビュー当時から毎回欠かさず感想をくれている、とてもありがたい存在だ。
僕が今日まで苦しみながらも小説を書いてこれたのは、リートさんが支えてくれていたからに他ならない。
よし、背筋を伸ばして、心を込めた返信を書かないとな。
「う、うわっと!?」
その時だった。
気合を入れるために指先に力を込めたところ、スマホが手からすっぽ抜けてしまった。
スマホは万有引力の法則に従い、床に落下する。
嗚呼、スマホが――!
「おっと」
「っ!?」
が、間一髪、床に落ちる直前に、水川さんがスマホをキャッチしてくれた。
水川さん――!!
「はい」
「あ、ありがとう、水川さん」
無表情でスマホを差し出してくれる水川さん。
いやあ、正直もっと冷たい人かと思ってたけど、意外と優しい一面もあるんだな。
「あら? これ……!」
「え?」
僕のスマホの画面に向けた水川さんの目が、瞬時に見開かれた。
あっ!!
しまった!!
今スマホは、リートさんの感想への返信画面になっている。
僕が小説を書いてることは全人類に対して秘密にしているのに、よりにもよって一番バレたくない水川さんにバレてしまうとは――!!
「――『ニャッポ』先生」
「……は?」
が、水川さんはキラッキラした瞳で、僕のペンネームを呟いた。
何故水川さんが僕のペンネームを????
「嗚呼、まさか、伊達君がニャッポ先生だったなんてッ!! 私、リートですッ! いつもニャッポ先生の小説を、人生の糧にさせていただいておりますッ!」
「っ!?!?」
えーーー!?!?!?
「嗚呼、どうしようッ! こんなの夢みたいッ!」
「み、水川さん……!?」
水川さんは両手を頬に当てながら、顔をブンブン振って綺麗な黒髪を乱れさせた。
普段はクールな水川さんのあまりの豹変ぷりに、クラス中の視線が集まる――。
マ、マズい――!!
「水川さん! お、屋上で二人で話そう!」
「はいッ!」
満面の笑みで頷く水川さんと共に、僕は教室から逃げ出した。
「あ、さっきはすいませんでしたニャッポ先生! あまりの僥倖に、取り乱してしまいまして……」
「い、いや、大丈夫だよ……」
誰もいない屋上に出て、風に当たったことで我に返ったのか、水川さんは少しだけ落ち着きを取り戻した。
それにしても……。
「僕もまさか、水川さんがリートさんだったなんて、考えもしなかったよ」
「はううううッ!! ニャッポ先生の口から、直接私のユーザネームを呼んでもらえるなんて――!! わが生涯に一片の悔いなし!!」
「……」
水川さんは某世紀末覇者の如く、雄々しく右拳を天高く掲げた。
さっきから普段とのあまりのギャップに、脳がずっとバグりっぱなしだ。
「私は鯨岡君ももちろん大好きなんですけど、とにかく伊集院さんが超超超推しなんですッ!!」
「あ、ありがとう」
確かに水川さんの伊集院への愛は、筆舌に尽くしがたいものがある。
以前伊集院が鯨岡に初めて笑顔を見せた回では、千文字以上にも及ぶ、荒ぶる長文感想が届いたものだ。
「それだけ推してもらえたら作家冥利に尽きるけど、伊集院のどこがそんなに好きなの?」
これは前から気になってたんだよな。
「あ、あの、それは……。どうか怒らないで聞いていただきたいんですけど、伊集院さんはどこか、私と似てるところがある気がして……」
「っ!? そ、そっかぁ」
まあ、似てるも何も、まんまモデルにしてますからね!
「伊集院さんて、周りからは『氷の女王』なんて仰々しく呼ばれてますけど、何となくここまでの描写を読む限り、実は内面は普通の女の子なんじゃないかって感じるんです」
「え?」
あ、そうなの?
僕はそんなつもりで書いてたんじゃないんだけど……。
ま、まあ、読者の読み方次第でいろんな解釈ができるのが小説のいいところでもあるから、ここで野暮なことを言うつもりはないけどさ。
「私も伊集院さんと同じで、周りからはクールな女って誤解されてるんで、何か凄く共感しちゃって……」
「……」
確かにこれが水川さんの素なんだとすれば、僕らの水川さんに対する認識は180度間違っていたことになる。
目に見える部分だけが人間の本質ではないという、至極当たり前のことを、こんなことで再認識するとは……。
「いよいよ次回は全読者待望のデート回ですから、もう私はさっきからずっと心は全裸待機状態ですよッ!」
「あ、あははは……」
水川さんからの神を崇拝するかのような眼差しが、肩に重くのしかかる。
……くっ。
「……ゴメンね水川さん。そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、実は今ちょっとしたスランプでさ」
「そ、そんなッ!? 空前絶後の天才であるニャッポ先生にも、スランプなんてものが存在するんですかッ!?」
「うん、普通に存在するよ。僕は別に、天才じゃないしね」
読者の前じゃ気丈に振る舞ってるだけで、執筆中じゃ常に必死さ。
――ああ、そうか。
「それこそさっき水川さんも、周りから誤解されやすいって言ってたでしょ? それと同じだよ。世間からは超人みたいに思われてる人も、蓋を開けてみたらただの人間だなんてことはよくあることだよ」
「な、なるほど! 勉強になりますッ!」
水川さんはメモを取るようなジェスチャーをした。
ふふ、素の水川さんは、本当に可愛いな。
「では、どんなことで悩まれてるんですか? 私でよければ、ご相談に乗りますよニャッポ先生!」
「え? う、うーん」
水川さんのお尻に、ブンブン振られてる犬のしっぽが見える気がする……。
「まあ、大したことじゃないんだけどさ。僕、女の人とデートなんてしたことないから、リアリティのあるデートシーンがなかなか書けなくて」
「なーんだ! だったら私にお任せください! ちょうど明日は土曜日ですから、私とデートしましょう!」
「…………は?」
えーーー!?!?!?
「あ、あれ!? 水川さん!?」
「おはようございます、ニャッポ先生!」
そして迎えた土曜日。
あまりに楽しみ過ぎて早起きしてしまったので、約束の時間より1時間も前に待ち合わせ場所に着いたにもかかわらず、そこには既に水川さんがソワソワしながら立っていた。
「え、えーと、11時に待ち合わせって言ってなかったっけ?」
「はい! そうなんですけど、あまりに楽しみ過ぎて早起きしてしまったので、8時からここでお待ちしておりました!」
まさかの3時間前集合!?
「あ、でも、ニャッポ先生の作品を頭から読み返していたので、時間は秒で過ぎました!」
「そ、そう」
水川さん――いや、リートさんからの自作への愛が重すぎて、そろそろ押し潰されそうだ……。
しかも――。
「あっ、やっぱりこの服、似合ってないですよね……」
「っ!」
僕の思っていたことが顔に出てしまっていたのか、水川さんは普段はキリッとしている眉を八の字にしてしゅんとしてしまった。
今日の水川さんは、僕が小説の中で伊集院に着させていた、氷の女王感溢れるネイビーブルーのマキシ丈ワンピースとは真逆の、フリルをふんだんに使った小花柄のブラウスと、ピンクのプリーツスカートという出で立ちだった。
モデル体型で目付きも鋭い水川さんには、確かに全然似合っていない……。
「わかってるんです……。私にはこんな可愛い系のファッションは似合わないってことくらい……。でも、私は本当はこういう可愛い服が大好きなんです! 『ちっこいズ』のmaiちゃんに憧れてるんです……!」
「――! 水川さん……」
maiちゃんはちっこいズというアイドルグループのリーダーで、ロリ体型の可愛さの権化みたいな女の子だ。
そうか……、そうだよね。
「うん、僕はいいと思うよ。服なんて、似合うかどうかよりも、好きなものを着るのが一番だよ」
「――!! ニャッポ先生……!!」
水川さんは宝石みたいな瞳をウルウルさせて、今にも泣き出しそうだ。
あわわわわ……!
ただでさえ水川さんは美人で道行く人たちの視線を集めてるんだから、こんなところで泣かれたら、今以上に目立ってしまう……!
ここは何とか話題を変えなくては……!
「と、ところで、そろそろそのニャッポ先生って呼ぶのは勘弁してもらえないかな? あと、できれば敬語もやめてもらいたいんだけど……」
流石にいたたまれないよ。
「あっ、そうですよね! ニャッポ先生の素性が学校でバレたら、ファンが殺到して大変なことになりますもんね!」
「……」
いや、僕はそういう理由でやめてって言ってるんじゃないんだけど……。
そもそも僕はまだ、そこまで有名な作家じゃないし。
「わかりました! 知り合いがいる前では、ニャッポ先生とお呼びするのは控えます!」
「っ!?」
それってつまり、二人の時は今まで通りってこと!?
「あっ、ニャッポ先生、私あそこでちょっとクレープ買ってきていいですか? クレープも大好きなんです、私!」
「う、うん、お好きなだけどうぞ」
「ニャッポ先生の分も買ってきますねー!」
「あ、ありがとう」
僕の頭の中に、伊集院の「私、一日一杯はブラックのコーヒーを飲まないと落ち着かなくて」という台詞が浮かんだ。
何が一日一杯のブラックコーヒーだよ。
伊集院のモデルである水川さんは、可愛い服とクレープが好きな、普通の女の子なんだ。
僕が推敲している時に感じていた不自然さの正体は、これだったんだ。
伊集院というキャラを、ただの記号でしか描けていなかった。
もしかしたら小説の真髄というのは、どれだけキャラクターに人間の魂というものを込められるかなのかもしれないな。
――この後も水川さんは、通りすがりのおじいさんが連れていた豆柴にデレデレしたり、二人で観た子ども向けのアニメ映画で号泣したりと、何とも人間味溢れる姿を見せてくれたのであった。
家に帰った僕は早速この経験を活かし、鯨岡と伊集院のデートシーンを全面的に改稿。
日曜日の朝に投稿したデート回は過去最高にバズり、僕は初となるジャンル別日間ランキング一位を獲得した――。
もちろんそのデート回には、リートさんから二千文字以上に及ぶ、パッション全開の長文感想が届いたのは言うまでもない。
「ニャッポ先生、私昨日からデート回、50回以上は読み返してますッ! もう一字一句、全部暗記もしましたッ! 何ならここで暗唱してみせましょうか!?」
「い、いや、大丈夫です」
そして週明け月曜日の昼休み。
屋上で僕と水川さんは、ニャッポとリートになっていた。
教室での水川さんはいつも通りの氷の女王だったので、相変わらずギャップがエグい。
「日間一位もおめでとうございます! ニャッポ先生なら、いつか成し遂げると私は思ってましたよッ!」
「いや、一位を取れたのは水川さんが協力してくれたお陰だよ。本当にありがとね」
「はうううう……!! ニャッポ先生のお役に立てたのでしたら、こんなに嬉しいことはありませんんん……!! ――じゃあ、ニャッポ先生」
「ん?」
途端、水川さんの瞳が、キラリと鋭く光った。
「次のデートは、いつにしましょっか?」
「――!!」
つ、次もあるの????