インセル・ミソジニア ~不本意の禁欲主義者~
中学生のとき、同じクラスにゲイの子がいた。
僕にキスを迫ってくるわけではないし、女物のアクセサリーを身につけるわけでもないし、ぜんぜん気づかなかった。
普通に、ただの友達の一人だった。
彼がゲイだと僕が知ったのは、彼がミソジニーを告白したときだった。彼はミソジニーであることを隠していたが、異性愛者である僕の幸せのためを思って、警告する意味でミソジニーを告白してきた。
それは、僕がタブレットでアニメを見ていたときだった。そのアニメ作品では、主人公とヒロインの恋愛が描かれていて、彼女なんていたこともない僕は、創作に描かれる恋愛に深く憧れていた。
冒険の中で成長していき、仲間達や恋人と深く心を通わせていく。それは人間の素晴らしさであり、人生の素晴らしさでもあると思った。
「えっ?、お前、女の子が好きなの!?」
彼はそう言い、苦渋の表情を浮かべた。
そして静かに、
「それ、病気だから、治したほうがいいぜ……」
と続けた。
女の子を好きで何がいけないのか、僕にはわからなかったが、それが、彼のミソジニーの告白の始まりだった。
アニメってのはさあ、お前、絵だぞ?
ただの絵。
描かれたものであって、描かれているものが現実に実在してるわけじゃない。
願望に適合するように作られた、麻薬だ。
だって、アニメの女の子ってのは、外見が良くて、性格もいいだろ?
そんな麻薬に依存すると、現実が見られなくなって、現実に適応できなくなって、痛い目を見ることになるぜ? 痛い目で済めばマシだけど、破滅することだってある。
女の子の外見のかわいさなんて、意図的に誇張されたものにすぎない。そして、性格のいい女なんて現実にはいない。
みんな、現実の女を見れば、外見ばかり見てるから気づかないんだけどさ。
外見じゃなくて、内面を見てみ?
外見を見てるふりをして、内面だけをじっとじっと見るんだ。
少しもかわいくないぞ? そこに棲んでるのは、悪魔だけだ。
男の脳味噌と女の脳味噌ってのは、生まれつき異なる。
いや、生まれたときは同じようなものだけど、思春期を通して性ホルモンによって分化していくし、分化していくように生まれつきできている。
フィクションの女のかわいさってのは、作者の男が感情移入して作り出したものにすぎない。男みたいな心が女の中にもあると仮定して、男が女を愛するときのような愛情が女から男に対してもありうると考えているにすぎない。
現実の女は、自分しか愛してないぞ?
現実の女は、自分の感情を何よりも優先する。そのためなら人の感情なんていくらでも犠牲にできる。
感情を優先する生き物なんだよ。それが欠陥だというわけではなくて、そのように進化してきたそういう生き物なんだ。男とはまったく違う生き物なんだ。
だから、アニメの中みたいに、女の子とわかりあって心が通じ合うなんてことは、現実には起こらないぞ?
別に願望は願望でいいんだけど、願望ってのは現実と区別がつかなくなるから、麻薬だぜ?
現実の女の子ってのは、自分の感情のために生きている生き物であって、理性というものはない。
論理的な一貫性のある理屈ってものが、優先される感情にオーバーライドされて、細切れに粉砕されるからな。
不都合になれば、そのときどきに反論みたいな反論はするよ? でもそのときのためのものでしかなくて、自分が言ったことと矛盾する行動をいくらだってとる。女の子が吐く言葉ってのは、何かを約束しているわけじゃないんだ。
うまくやりすごそうとしているだけ。
そして、感情的で理性的でない生き物というものには、社会性がない。
女という生き物の精神には、暴力性しかない。
でも、これまでは男社会だったから、女達は擬態してきた。暴力性でしかない人格を、社会性や愛情であるかのように偽装してきた。
お前が見ているアニメとかだって、その余波だ。だから、女についての概念が基本的に間違っている。
女ってのは、人間のふりをすることで社会に紛れこんでいる悪魔だ。
でも、女の子には価値がある。
なぜなら、子供を産めるのは女の子だけだからね。
だから、歴史的な社会は、男尊女卑によって女という悪魔を山奥に封印してきた。
極端な言い方をすれば、強姦して妊娠させ、殴ることで子育てをさせてきた。
女は自分の感情を第一に優先する生き物だから、もし子育てを完全に自由にやらせれば、子供を自分の感情のための奴隷のように酷使して、肉体的にも人格的にも衰弱させてしまうからね。
子育てには理性が必要で、理性は女の中にはないんだ。
でもまあ、悪魔はすでに封印をとかれ、男尊女卑の山奥から抜け出て世界を覆ってしまったから、再び封印されるなんてことは起こらない。地上に生きるすべての者は、女という悪魔がいる世界で共生していくしかない。
お前、大人になったら女の子と結婚をすれば家族になれると思ってるんじゃないか?
結婚なんてしたって、女と家族にはなれないぞ?
結婚したって、女が男を愛することはない。
まあ、歴史的夫婦関係とはつまり肉体関係のことだから、肉体関係は起こるけど、女がするセックスってのはぜんぶ、自分の利益のためだぞ?
女の子は、自分の利益のためにしかセックスをしない。男にとっては夢のない話だろ? いくら仲の深い関係になったって、男が殺されそうになったときに女が身を挺して代わりに死んで守るなんてことは起こらないぞ? アニメの中ではしばしばだけどな。
自分が損をしそうだと感じれば、女はどんな肉親だって自分から平気で切り捨てて、逃げる。他者への愛情という概念は、女の子の脳味噌にはない。いい悪いじゃなくて、現実にそういう生き物なんだ。
女の子が唯一、本当に愛するのは、自分自身が儲けた子供だ。
それは、自我の一部として、自分の感情の一部として愛するんだ。
そして女は、子供を自分の感情の一部でいつづけさせようとする。悪口を言い聞かせ、自分以外への恐怖心を刷り込むことで奴隷にする。
でも、子供には子供の幸せと自分の人生があるから、やがては別の価値観を持つし、母親の価値観へ同調を求める要求を拒絶する。
そうして子供が母親の感情を相対化してしまったとき、それに気づいて、母親から子供への愛情もなくなる。
つまり、母からの愛情は奴隷である限りの条件つきの愛情であって、自分と異なる他者を尊重する意味での愛情は初めからなかったんだ。拡大された自分を一時的に愛しただけだ。
だから、結婚やセックスをしたって、女の子から愛してもらうことはできないよ。
母親が当たりならいくらか愛してもらえるだろうけど、親は選べないから、考えても意味ないしね。
女の子に愛してもらう方法は一つあって、それは、お金に不自由してなさそうな身なりをして、女の子にお金をあげることだ。
売春婦という職業は昔からあって、お金を払われることによって女性はセックスに応じる。でも、結婚や恋愛をするときだって、男の経済力や社会的地位が男の価値を測る尺度なのだから、恋愛とはいえ期待を含んだ売春にすぎず、結婚とはいえ、長期的な売買春契約にすぎない。
一方で、アニメに描かれるかわいいヒロイン達の中で、男達の人間としての存在価値を経済力でランキングして、対象外を切り捨てて無視する、なんて人物像が描かれることはないでしょ?
だって、そうしたら、ぜんぜんかわいくないもの。
現実の女の子だって、お金お金って言ったら、かわいくなくて、できる恋愛や結婚もできなくなってしまうから、なるべく男受けする純情な人間像に擬態する。
女の子がお化粧をしたりオシャレをしたりするのと一緒で、人格についてだって女の子は嘘をついて騙すんだ。
だから、外見ではない女の子の本当の姿を見るためには、外見を見ているふりをして隙を作って、じっとじっと見るしかない。そうするとそこに見えてくるのは、まさしく悪魔だ。
悪魔は、かわいくないよ?
悪魔を愛そうとしてどんなに努力したって、悪魔そのものを愛することは絶対にできない。
だって、悪魔っていうのは、自分しか愛していない暴力性そのものだから。
愛しても愛が返ってこないなら、利益は生じず損だけ生じつづけるから、その関係は絶対に続かない。
もちろん、世間の男の大多数は、遥か昔から女の子達を愛してきた。
でも、出産の道具として、本能的な性欲を解消するために、肉体としての女性を愛してきたにすぎない。
女の子の肉体を求める男達において、女の子の内面的な人格への敬意も伴っているわけではない。
女を肉体としての価値と見なすってことはつまり、女性の心に対して完全に共感するつもりはさらさらないってことだ。
でもそれって、化粧をして近づいてくる女の子に対して、精神的な愛情があって結婚の可能性すらあるふりをして一晩だけ遊んで連絡も切ることと、何の違いがあるのかな?
単に肉体としての価値で測るとは、実はそういうことであって、結婚だってそれこそ売買春契約であり、出産と家事のための家電を買って人生全体の奴隷契約を強いてるにすぎないでしょう?
つまりそこに愛はないし、初めから愛してなどいない。女性の幸せを望まないなら、男もまた悪魔だっていうことになる。
男は生まれ持った性欲を処理するために恋人または妻という家電を必要とするけど、性欲の処理それ自体は、愛情を要件として伴ってはいない。
むしろ、自分の性欲の処理するための道具として女性という人間を抽象化してしまうほど、そこに愛はなくなる。
無抵抗に自分を受け入れているうちは地位を与えるけど、何か口答えでもすれば、同じ機能を備えた別の家電と取り替えて、後悔なんて少しもない。むしろ一度きりの人生、すぐには結婚せず、なるべく色んな家電で遊んでみたいなんていう発想にもなる。20代のうちまでは遊びたいとか、平気で言う。
ならば家電だって、結婚を期待して経験ばかり重ねた中古品で市場はあふれてしまうよね。
もちろん、家電は新品がいいことは隠さなければならないから、中古だとか殺人現場だとかいった乱暴な言葉を吐く男達は、事実陳列罪で殺されてしまうけども。
一方で、社会というのは、助け合い協力することを通して、互いの幸せの生産性を増大させるシステムだ。
相手の立場を理性によって推し量るから、無理強いはしない。対外的な競争力を維持しなければならないと理性によって推し量るから、内ゲバで疲弊するリスクは抑制される。
そして、家族とは最小の社会だ。
お互いの思いやりがないと、社会ってものは成り立たないんだ。
でも、女性だけでも、社会は成立するよ。
なぜなら、自分の感情にしか関心がない生き物は、かえって権威に従順だからね。誰かのための正義感によって感情を催して権力に立ち向かい犠牲を払うことなど、起こらない。
社会性のない生き物の集まりでも、社会は成立する。
でもそれは、内ゲバの激しい生産性の低い社会になり、対外的な競争力が低くなるから、女性社会というものは歴史的には勝ち残らなかった。
でももっと問題なのは、立場の弱い人達がどこまでも虐げられるということ。
女社会の女の子達が、実は一番大変だよ?
だって、社会的な地位や権力なんてものは、実はほとんど完全に生まれた環境で決まるでしょう?
女の子にとっては、男は他人だけど、他の女も他人だよ。
女の子達は、すごいいじめをやるんだ。
そして、いじめは、やられる側よりもやる側でいたほうがずっと幸せだから、女の子っていう生き物は、人を無視するときには深い快感を感じてるんだよ。
いじめ社会では、いじめほど楽しい娯楽はないんだ。
それが、全体の幸せの生産性の乏しい社会だとは、想像できるでしょう?
男の立場からすると、かわいくてオシャレで胸の大きな若い女の子しか、視界に入らないでしょう。
男の繁殖の本能にとって価値のある個体にだけ視線は向いていて、生まれつき外見がひどく悪い女の子なんて女の子に数えられることがなく視界にも入っていない。出産する能力を加齢によって失いしかもオシャレをするようなお金にも乏しいおばちゃん達なんて、町を歩いていても背景でしかない。
アニメにでてくる女の子だって、顔がかわいいことは欠かせない属性でしょう? 作中世界でひどくブサイクだという設定は、あったとしてもメジャーじゃない。メガネを外すと思いのほかかわいいとか、その程度でしょう。
現実でかわいい女の子と出会ったって、服を着て胸が盛ってあったら、子作りのときにちゃんと男の側は興奮できるのかな。化粧を落とした顔を一度見てしまえば、化粧をした顔を見てもその本性を思い出してしまうでしょ?
だからある人は昔、男にとって女は穴と袋でしかないと言った。ある意味で至言だと俺は思うよ。
本当の意味で優秀な一部の男達や女達は昔から、性を超えて男女が互いの人格を尊重する社会を作りたいと願ってきたんだ。
でも、それが無理なことも、あまりにも明らか。
女はかわいいに擬態する感情的な悪魔でいつづけるし、男達は賢いブスよりやらせてくれるクズのほうが楽しいと言って女の身体を消費しつづける。女の子の人格的な尊厳なんてものは実は誰も求めていないから、悪魔になれない女性から順番にいじめ殺され、悪魔な女だけが現代にまで生き残ったんだ。
男女の社会的な役割分担について、遺伝子レベルで歴史的な適応が組み込まれてしまっているわけ。社会性を担ってきたのは男性だから、女の子の性ホルモンは脳からモラルと社会性を消してしまう。
つまり、男女関係は、かわいいという幻想で繋がって成り立っている。
でもそれは擬態であって、女の子の内側には悪魔しかない。客観的にちゃんと見てしまうとかわいくない。
かわいいとは何かと言えば、男性の性欲の反応を抜きにしては語れず、結局例えば豊胸手術が女性の価値を高めることになる。
豊胸手術が女性の価値を高めるどころか、豊胸手術こそが女性の価値のまさに実体だということになる。
豊胸手術で作られた胸に欲情するのが男だということ。そしてその物語は、その胸が豊胸手術で作られたものだという事実への認知を伴っては成り立たない。
でもそんなことを言いはじめたらつまらないから、豊胸手術で作られたものだという論点を男達は軽視する。女の子のかわいさを比べるとき、化粧を取り除いた部分で測ろうなどとは考えない。買春の間だけ笑顔で肯定的に感じよくサービスしてくれれば十分だと思い、裏にある女性の感情の実態なんてむしろ無視する。一人の人間を消費する。
結局、男は、豊胸手術で作られた胸に興奮して、女の子の外見の全体的なかわいらしさを後づけで認知し、内面的なかわいさまで願望して捏造する。
その時、その女の子の本当の心の姿だとか、化粧やオシャレではない外見の全体的な美しさは配慮されない。
だから、あるべき価値は淘汰される。だから、あるべき価値は淘汰された。
最近じゃなく、何万年も昔からね。
でも、豊胸手術で興奮するなんて、病気でしょ?
一方で、もし内面をじっと見たなら、悪魔しかいないんだから、女の子への愛情なんて湧かない。
まあ、自分も悪魔になりたいなら、悪魔の外見的な価値を消費するのも手だろうけど。
悪魔になんかなりたくなかったなら、悪魔に関わって得られるものなんて何もない。
やめときな。
悪魔になんてなったら、理性が自分を肯定できない。
女の子ってのは、全員が全員、多かれ少なかれメンヘラなのさ。
それでも成り立っているのは、女の子達が生まれ持った理性が少ないからであって、理性を持つ者がその道へ進めば、どこかで無理がきて地獄に落ちる。
危ないよ。
メンヘラに恋をしたって、何も残らない。
片想いとトラウマだけが、永遠に残る。
結婚をして世界に子供を残す人生も一つの幸せだけど、生まれた立場の条件によっては、無理してまで結婚や出産なんてしないほうが幸せな場合もある。人に命令されて決めることじゃない。
お前が本当に憧れているのは、愛じゃないのか?
例えば、動物に餌をあげてごらんよ。
おいしそうに喜んで食べてくれれば、嬉しいだろ?
心は満ちる。
でも、もしもメンヘラになってしまえば、餌をあげて喜ばせる幸せなんて、相対化されてしまうよ。
権威主義に巻かれて誰かを見下してしまえば、餌をあげて喜ばせる時間なんて、空虚で無駄なものだと感じられるよ。
弱く小さな対象を蔑んでしまえば、与えることによって満たされることはなくなる。
つまり、自己愛に満足してしまった悪魔という存在は、抜け出すことのできない牢獄に捕らわれてしまって、そのこと自体を自覚できない。
異性愛という病理を廃棄すれば、与えることで満たされる人間性を清潔に保てる。
人間の精神の平衡をとることはものすごく難しい作業であって、肉体を私欲に捧げて汚せば、心は必ずメンヘラに堕ちてしまうものなのさ。
そのためには、美しく尊敬できる内面を備えた理想的な女の子への憧れを諦める必要がある。
そのためにはまず、クラスの女子全員がそれぞれ、どんな状況に置かれたときにどんな反応をするか、じっと見るといい。
間違っても、無口な子や内気な子に、勝手に純情を妄想してしまわないようにね。未確認な部分をすべて良いほうにゆがめて解釈しないように。
そして、恋人にはならず友人にはなる。
安心しな。みんな、ちゃんと、かわいくない。
内面のかわいい子も少しいるけど、子供から大人になる過程で、必ずかわいさを失って女になり、悪魔として完成する。確かにあった理性も、綺麗に剥がれ落ちる。
そんな話をしてくれた彼だが、その後、転校してしまったので、行方は知らない。
確かに、アニメの女の子の性格は、現実の女の子の性格と少し違うかもなあ、と僕も思った。
でも、僕が友達にまでなった女子はいなかったし、共学だったけどそもそもほとんど喋ることもなく中学の卒業にまで至ってしまったので、彼の持論を僕は何も検証できなかった。
そしてその後、彼の持論も忘れていた。
でも最近、ミソジニーという、女性嫌悪という意味の言葉の存在を知って、彼はそうだったと思った。ゲイの人すべてがミソジニーではまったくないだろうけど。
今もゲイなのかな。外見は女子に人気あったし、今は普通にかわいい彼女とかいたら、殴りたい気がする。
当時から人気のなかった僕は、今では不本意の禁欲主義者で、それにはインセルという言葉があるのだ。
女の子の身体は大好きだが内面が嫌いだから身体にも触らない人がいたら、やはり不本意の禁欲主義者、インセルだろうか。
違うか。彼はただの贅沢かもしれない。