エイプリルフールエッセイ 本当の話なんです信じてください
こんにちは~、うそつきのねこです。
……ウソです、ひだまりのねこですにゃあ。
冒頭からウソをついてしまいましたが、エイプリルフールなのでお許しを。
さて、皆さまは『うそ』を知っていますか?
……違います。かわいい小鳥の話です。
今日はそんな『うそ』のような本当の話。
鷽という鳥がいる。
体長15、6cmでスズメよりも少し大きく、黒い帽子に淡桃色のほっぺのかわいい小鳥だ。知らない人はぜひ検索してみて欲しい。
名前の由来は、別に嘘つきだからというわけではなく、鳴き声がまるで口笛のように聞こえるから。
ん? 意味がわからないって?
昔は口笛のことをうそと言っていたのだ。今でも、うそぶくという言葉が残っているが、うそぶくとは、本来口笛を吹くこと。現代では少し意味が変わってしまったが、とぼけるときに口笛を吹くのは今でもお約束だろう?
鷽は野鳥の中では比較的警戒心が弱く、口笛を吹くと仲間だと思って近くまで寄って来ることもある。
桜や梅のつぼみが大好物なので、一部地域では害鳥扱いされることもあるが、
その愛らしい外見や鳴き声、そして交互に足を挙げる仕草が、まるで琴を弾いているように見えるということで、古くは琴弾鳥とも呼ばれて平安の歌人たちにも愛された鳥なのだ。
こんなエピソードがある。
都を追われ左遷された菅原道真が大宰府にやってきたときのことだ。
不運なことに蜂の群れに襲われた道真は大ピンチ。
それを救ったのは、突如飛来した鷽の群れ。
以来、鷽は天神さまの使いとして太宰府天満宮で祀られるようになった。
鷽から転じて嘘を鷽に取り替えて凶を吉に替える『鷽替え神事』は、太宰府天満宮で始まり、今では全国各地で行われるようになった。
こんな神事が存在する日本だからこそ、日本でエイプリルフールが広く定着したのではないかと考える。
つまりウソをつくことは悪いことだという倫理観や価値観があってこそ受け入れる土壌があるということ。
たとえば騙してナンボ、騙された方が悪いという国民性の国では、そもそもエイプリルフールなど必要ないし、成立しない。犯罪が増えるだけで終わるだろう。
人は生きるため、関係を円滑に保つために嘘をつく。
嘘をついたことがない人間など果たしているのだろうか?
誰よりも自分自身に嘘をついているのではないか?
菅原道真は、政敵の『うそ』によって都を追われ、『うそ』に命を救われた。
そして『うそ』によって権力を手にした政敵たちは、道真の死後、相次いで悲惨な死をとげ、怨念を恐れた人々によって道真は神となった。
たしかにウソは役に立つこともあるし、目的を達するためには避けられない場合もあるかもしれない。
あまりにも辛い現実を受け入れられない時には、優しいウソも必要だろう。
だが、ウソはウソだ。いつか真実と向き合わなければならず、その利息は徐々に膨れ上がってゆく。
ウソをつかないで生きられたら皆しあわせだろうとは思う。
戦禍や災害によって故郷や大切な人を失った人たちにとって、ウソだったらどんなに救われることだろう。
戦地で仮に無駄死にだったとしても、最後まで勇敢に戦った、英雄的な働きだったと称えるのは残された遺族への国家がつくウソだ。その利息は未来永劫国家が背負い続けなければならないものでもある。
ウソが現実だったら、現実がウソであったら。
人間の弱さ、醜さ、優しさ、願い……ウソには人間の抱える光と闇が内包されている。
年に一度のエイプリルフール。
アイデアや趣向を凝らして楽しむのは素晴らしいと思う。
自分に厳し過ぎて罪悪感に苦しんでいる人も、純粋すぎて人間不信になっている人も、今日だけは心穏やかに過ごせることを私は願ってやまないのですよ。