魔界と悪魔と僕と②
子供の頃、木目の天井が顔に見えてひどく怖かったのを思い出した。
「………ここは?」
目が覚めて見上げている天井には、本当に顔がある。
いくつものギョロギョロした目がこちらを見ている。
ああ。
僕はまだあの恐ろしい世界にいるのか
すぐに現実を知った僕は、深い絶望に苛まれた。
いっそ、あのまま狂ってしまいたかった。
狂って、大声で叫んで、あいつらのいるところに走って、引き裂かれて、楽にしてほしかった。
ただ気を失っただけ。
そんな残念な結果に、僕はただただ溜め息を漏らすしかなかった。
「お、目が覚めたか」
「え?」
ニホンゴ?
いやいや、そんなまさか。
故郷恋しさに、幻聴を聞くなんて、いよいよもって狂ってきたか。
それならそれで、良い兆候だ。
「おい、聞いてんのか?」
再び聞こえた日本語とともに、もはや懐かしく思える人間の顔が、僕の顔を覗き込んできた。
「え?
え?
ヒト?
え?」
「大丈夫か、おまえ」
「嘘だ」
信じられなかった。
絶望に突き落とされて、夢であれと気を失って、目が覚めたら人が目の前にいた?
そんなこと、
「あっていいの?」
「あー、なに言ってるのかよく分からんが、お前はこっちに来たばっかなのか?
状況は理解できてるか?
てか、日本人だよな?
俺は日本語以外わからんぞって、うおっ!」
僕は思わず見ず知らずの男の人に抱き付いていた。
ああ。
温かい。
見ても、触れても、怖くない。
言葉も分かる。
人だ。
人間だ。
ずいぶん久しぶりなような気がした温もりに、僕は大声で泣いていた。
「あー、うるせえよ」
僕にしがみつかれていた男の人が、嫌そうな顔をしながら僕を引き剥がした。
ようやく少し落ち着いた僕は、まだ収まらない涙をひっくひっくとしゃくりながら、しぶしぶとその人から離れた。
そういえば、いきなり知らない人に抱き付くなんて、僕はなんてことをしてたんだ。
自分の行動を思い返し、僕はかあっと顔が熱くなるのを感じて、恥ずかしくて俯いた。
「ったく。
だから、ガキは嫌いなんだよ。
あいつめ。
俺に押し付けやがって」
男の人は心底嫌そうな顔をしながら、タバコを口にくわえたけど、少しして、チッと舌打ちしてから、くわえたタバコを口から外して、再び胸ポケットにしまった。
「おい、ガキ。
話は通じるか?」
男の人が不機嫌そうに、そう話しかけてくる。
「あ、は、はい!」
僕は何とか返事だけ返した。
この人、よく見ると怖いな。
改めて目の前の男性を見ると、背はそこまで大きい方じゃないが、体つきはがっしりしてて、短髪で、目は鋭くて、おでこの横の方に傷跡みたいなのがある。
街ですれ違っても、絶対目を合わせちゃいけない人だ。
僕が怖がってるのが分かったのか、目の前の男の人は、
「なんだお前。
悪魔どもを見たくせに、俺なんかが怖いのか?」
と言って、わははははは!と笑い出した。
確かにそうだ。
あんな恐怖の塊みたいな奴らを見たのに、僕は何を今さら。
「ははっ」
「お!笑ったな!
まだ笑える神経は残ってたか!」
思わず笑ってしまった僕に、男の人はニヤッとした。
確かに、あんなに怖いことがあったのに笑えるなんて、人間って単純なんだな。
「まあ、とりあえず下に来いよ。
飯ぐらい出すぜ」
ご飯!?
こんな魔界にも、食べ物があるの!?
男の人の言葉に、僕は思わずがばっと布団?から飛び起きた。
そんな僕の姿を視界の端に見ながら、男の人はすたすたと歩いていった。
ふと振り替えると、今まで自分が寝ていたものが、血やヘドロが入り交じったような色をした、溶けかけの四角い何かだと気付いて身震いしたが、歩いていってしまう男の人に追い付くために、僕は見なかったことにして駆け足で男の人を追いかけた。
固かったり、ぐにゃぐにゃしたり、ドロドロだったり。
そんな階段を下りた先、かつて教科書で見た『叫び』というタイトルの絵に書かれたヒトの口みたいな入り口を通ると、テーブルのようなものと、座るのを躊躇する、おそらく椅子だと思われるものがあった。
「まあ座れよ」
男の人が勧めてきたから、だいぶ躊躇したけど、僕は何とかそこに座った。
あとから気が付いたことだが、この人は結局一度もここに座ることはなかった。
その男の人が出してくれたのは、野菜だった。
トマト、キュウリ、キャベツ、ぐしゃぐしゃに砕いた大根。
調味料もなく、加熱もされていない生のままの野菜。
「…………」
「なんだ?
不満か?」
「………いえ」
正直、期待していた部分はあった。
でも、現実的に考えれば、これだって十分すごいことだ。
こんな魔界で、人間が食べられるものがあるんだから。
「すごいです。
ありがとうございます」
「おう!
遠慮して食え!」
僕の返答に男の人は満足そうに、そんなことを言った。
なんの味もしなかったが、ずいぶん久しぶりに食べた気がした食べ物は、すごく、美味しかった。
半分ぐらい食べた所で、ごちそうさまと言ったら、男の人は、少食だなあと言って、残りは全て自分で平らげていた。
「さて」
残った野菜を平らげて一息ついたあと、男の人が話し出した。
「まずはお前のことを聞かせてくれ」
その人に聞かれるままに、僕は今までの経緯を話した。
「………そうか。
連れていかれたやつのことも見たのか」
話し終わったあと、男の人はそう呟いた。
「正確には、連れていかれた瞬間は見てないんです。
気付いたらいなくて、血まみれの学ランだけが残ってて…………」
その現場を思い出したら、何だか気分が悪くなってきた。
「おっと。
もったいないから吐くなよ」
僕の顔色を見て察したのか、男の人は冷静にそれだけ言った。
「それで、気を失ったわけか」
「あ、は、はい」
男の人はすぐに構わず話を続けてきたので、僕は何とか吐き気を抑えて返答していった。
「元の世界に還れる方法はある」
「え!?
ほんとですか!?」
しばらく話をしたあと、その人はおもむろにそう言った。
「ああ。
どうやったのか詳しくは分からんが、俺は元の世界に還っていくやつを見たことがある」
「そうなんだ!!」
こんな地獄から抜け出すことができる!
その言葉に、僕は胸が弾んだ。
さっきまでの気持ち悪さなんて、もうどっかに吹き飛んでしまっていた。
「それで、その戻っていった人は、どんなふうに!?」
僕は思わず前のめりで、話の続きを聞いた。
「まあ落ち着け。
俺も方法は知らない。
だが、そいつは光に包まれて、ここから消えていった。
その時に、俺はなぜか分かったんだ。
ああ。この人は戻れるんだなって」
ほんとに還れた人がいた!
それだけで、僕はものすごく嬉しい気分になった。
「それで、今は元の世界に還るための計画を立ててるんだが、
まずお前に渡したいものがある」
そう言って男の人は、僕の右前らへんに立ったままでテーブル?の上にゴトッと、何か固いものを置いた。
その人が手をどけると、そこには銃があった。
映画とかでみたことがあるやつ。
ゲームではわりと最初の方に手に入る、たしかハンドガンってやつだ。
「これは?」
僕は初めて見る実物をまじまじと見つめた。
こんなものでも、元の世界にあったものだと思うと、妙な安心感を覚えた。
「武器だ。
あいつらをぶっ殺すためのな」
男の人はそう言って、ニヤリと笑った。
「え?」
それを聞いて、僕は驚いた。
「殺せ、るんですか?」
信じられなかった。
見るのもおぞましく、全身が震える恐怖を感じる悪魔。
そんなやつらを倒せる武器があるなんて。
「ああ。もちろんだ。
これはもともとやつらが使っていたのを改造して、俺たちでも使えるようにしたものだ。
試したことはあるから、心配するな」
そう言って笑うこの人に、僕は一抹の不安を感じたが、あいつらに対抗できる武器というのは、そんなものを消し去ってしまうほどに魅力的だった。
「これを、僕に?」
僕は震える手で、それに手を伸ばした。
「だが、」
男の人はそう言って、右手をサッと伸ばして銃に触れそうだった僕の右手を阻んだ。
「俺の計画を手伝ってもらうのが条件だ」
「計画、ですか」
僕は手で隠された銃を見つめたまま、そう聞き返した。
「ああ。
元の世界に還る計画を立てているとは言ったが、実はほとんど目星はついている」
「ほんとうですか!?」
男の人の言葉に、僕は思わず椅子から立ち上がった。
「まあ落ち着け」
興奮した僕に男の人はそう言って、左手で僕の肩を掴んで、再び椅子に座らせた。
座った瞬間、ぐえっだか、ぐしゃっだかみたいな音が聞こえたが、もはやそんなことは気にならなかった。
その様子を、男の人はじっくり観察するように見ていた。
きっと試されてるんだ。
僕がその計画に役に立つかどうか。
冷静でいられるのか。
連れていく価値があるのかどうか。
「………計画を、聞かせてください」
ここで置いていかれたくはない。
そう思った僕は、何としてでもその計画に参加させてもらおうと思った。
「目が見えない、ですか?」
「そうだ」
僕は男の人から、計画を聞いた。
この人によると、あいつらは目が極端に悪く、視力はほとんどないらしい。
その代わりに耳が発達していて、音で互いの距離感なんかを察知している。
「つまり、話したりせずに我が物顔で闊歩すれば、あいつらは俺たちを人間だと認識できないってわけだ」
そうしてあいつらの間を潜り抜けていった先に、この人が見た、元の世界に還っていった人が消えた場所があるらしい。
そこに行けば、僕たちはきっと還れるみたいだ。
でも、そこは厳重に守られてて、元の世界に戻れた人が消えたあとは、そこは何人もの悪魔たちが見張っているらしい。
「その時は、俺は一人だったし、武器もなかったからな。
俺は断念して、期を待った」
そして、武器を手に入れ、一人では不安だと思っていた所に、僕が現れたらしい。
「これは運命だ。
こんなおぞましい悪魔どもがいる世界に来ちまって、運命とかいうやつを呪ったが、俺はこうして武器と相棒を手に入れた。
もう一度だけ、その運命ってやつを信じてみようと思ったわけだ」
僕も、運命だと思った。
こんな、怖くて怖くてたまらない所に来させられて、神様を恨んだけど、これを乗り越えて、元の世界に戻れたなら、僕は元の世界にいてもいいのかなって思えると思う。
だから、この試練をきっと乗り越えよう!
そう思ったんだ。