魔界と悪魔と僕と
何で出来てて、どうやって作ったのかまったく分からない、おぞましい黒い建造物。
そんな建物?が林立する町を闊歩するのは、やはり見るのもおぞましい悪魔たちだ。
角が生えていたり、翼が生えていり、牙が生えていたり、体が腐っていたり、羊や牛の頭をしていたり、いろんな種類の悪魔がいるけど、あいつらは悪魔だ!
なんでそう思うのかは分からないけど、直視できないほどの恐怖感がある。
本能が逃げろと警鐘を鳴らし、絶えず焦燥感にかられる。
僕の全身の細胞が、あいつらは悪魔だと言っているんだ。
そもそも、なんで僕はこんな場所に来てしまったのか。
施設の園長に買い出しを命じられ、嫌々ながら街に出て買い物を済ませ、重い荷物を引きずりながら帰途に着こうとしていた矢先、目の前が一瞬真っ暗になって、再び目が見えた時には、魔界にいた。
なんで?
どうして?
考えても考えても分からない。
でも、何かを考えてないと頭がどうにかしてしまいそうだった。
あいつらは怖い。
とにかく怖い。
その姿の一部を見ただけでも、全身に鳥肌が立つ程に、あいつらは怖かった。
ジェットコースターに乗っている時のような、足とお腹の中が浮かび上がる感覚。
高い所から落ちそうになった時の、ヒヤッとした感覚。
それらがずっと続く感じ。
身がすくみ、足が震える。
涙を流して叫び出したくなる。
そんな自分を押さえ付けるように、僕は思考を続けた。
突然、悪魔だらけの魔界に来てしまった理由を。
考えても考えても分からないことなんて分かってるのに、それでも僕は考えることをやめられなかった。
思考をやめた瞬間、あいつらがいっせいにこっちを向いて、襲いかかってくるような気がして、それを考えるだけで全身が震えてしまう。
だから、僕は何とか思考をやめずに他のことを考えようと、ただただ何かを考え続けた。
最初に転移したのが、どこかの家?の物置みたいな所で良かった。
2階建てのその建物は中に誰もおらず、入り口の扉には鍵がかかっているようで開かなかった。
当然、そこもよく分からないおぞましい見た目で、中に置いてあるものも、何なのかさえ分からない、おどろおどろしいものしかないのだけど、今にして思えば、あいつらがいないこの場所で良かったと、心底思える。
2階には窓があり、外を見ることが出来た。
そして、僕は見てしまった。
悪魔たちを。
それを見た瞬間、僕は大声で泣き叫びたくなった。
でも、僕の全身が声を出しちゃダメだ!と強く主張してきて、両手が勝手に口を塞いで、僕の喉はかろうじて声を出すのを堪えた。
直視はできないけど、視界の端にぼんやりと映すぐらいなら、その恐怖心をだいぶ和らげることが出来た。
あいつらはたくさんいた。
窓の外には街のような光景が広がっていて、あのおぞましい悪魔が、まるで渋谷や池袋の喧騒のように、大量に闊歩していた。
あいつらは互いに、口々に何かを話していたが、その言葉を聞き取ることは出来なかった。
距離的な問題というわけではなく、まったく聞いたこともないような言語を発していたからだ。
そして、その声もまた恐ろしい。
心臓をそのまま鷲掴みにするかのような、まさに地獄の底からの声だった。
しばらくして、僕は見た。
見てしまった。
それは人間だった。
始めは、視界の端っこ。
建物の陰に、なんだか安心するような感覚を覚えた。
こんなおぞましいものしかない魔界で、まさかそんなと思い、それでもわずかな希望にすがりたくて、その感覚の出処を、懸命に探した。
そうしたら、建物の物陰、置かれた箱のようなものの後ろに、見慣れた人間が隠れていたのだ。
その人を見た時、僕は心底安堵していた。
僕だけじゃなかった!
その事実は、こんな絶望的な状況に置かれた僕の、唯一の希望となった。
隠れていたのは、僕と同じぐらいの背格好の学生だった。
年齢も、たぶん同じぐらいだろう。
なぜ学生だと分かったのかと言うと、詰め襟の学生服を着ていたからだ。
彼はがたがたと震えているのが遠目にも分かるほどに、たいそう怯えた様子だった。
分かる。
分かるよ。
怖いよね。
あいつらは、とてつもなく怖いよね。
ああ一緒だ。
彼も僕と同じで、あいつらに怯えて、震えているんだ。
今すぐに駆け付けて、怖いよね怖いよねって、お互いに抱き締め合いたい。
飛び付いて、手を取り合って、大声で泣き合いたい。
でもだめだ。
そんなことをすれば、僕も彼もあいつらに見つかる。
それどころか、彼のもとにたどり着く前に、僕だけ見つかってしまうかもしれない。
そんなのは嫌だった。
あいつらに見つかったらどうなるか、分かっているわけじゃない。
それでも、
あの姿で、
あの目で、
僕のことを直視されたら、
そう考えただけで、体が震えてくる。
僕は今にも駆け出したい衝動を必死に抑えた。
太ももに爪が食い込むほど、ぎゅっと握り締めた。
今はまだ、だめだ。
あんなに悪魔がたくさんいる中に出ていくなんてだめだし、嫌だ。
僕は何度も何度もそう思って、何とか震える足を抑え込んだ。
足は震えすぎて、もはや膝から下の感覚が感じられなかった。
「えっ?」
自分を抑えるのに必死になって、一瞬、彼の姿を見るのを忘れていた。
その一瞬。
そのわずかな時間、彼から目を離しただけで、彼はそこからいなくなっていた。
そして、彼がいた場所に代わりにそこにあったのは、ボロボロになった、彼の上着だった。
その詰め襟の学生服は、右の袖が肘の所で破られてなくなっていて、ボタンはほとんど弾け飛び、
そして、
大量の血が付着していた。
見付かったんだ!
彼は、あいつらに見付かってしまった!
そして、僕が目を離したほんの一瞬のうちに、引き裂かれ、どこかに連れ去られてしまった。
そんな。
ようやく出会えた希望が、一瞬で絶望と交換させられた。
そして、あいつらに見付かったらどうなるのか。
その答えを、僕は知ってしまった。
怖かった。
今までも、かつてないほどに怖かったけど、
その怖さが、現実を突き付けながら、さらに僕を恐怖と絶望に突き落とした。
あいつらに見付かったら、ああなる。
その恐怖に押し潰されて、僕の頭は考えるのをやめた。