01-09 二人の監督
今日から下一塊、すなわち〈成人の儀〉に挑戦出来る塊が始まる。本日はその〈成人の儀〉の説明があるとのことで、ある程度の準級の生徒たちは普段より少し早めに学び舎へと足を運んでいた。
けれども〈成人の儀〉の説明があるとはいえ、授業の開始時間はいつもと同じである。
故に、先輩勇者の元へ訪れた後にさらに森へ寄り道をしたティジーは普段通りの時刻に室内へ入るも、殆ど全員の学友たちが席について雑談に耽っていたため、遅れてしまったかのような錯覚に陥る。
「うんにゃ、遅刻じゃないから及第点及第点」
「随分余裕ですね、ティジーくん。図太くて立派です」
突如背後から聞こえた陽気な声にびくりと肩を震わせて飛び退るティジー。
振り返ってみれば相変わらず笑顔の調理学その他諸々を受け持つ教師・ゾウォルがいた。
いつも通り、一つ結びにした焦げ茶の髪を肩にかけている。
ちなみに料理をする時は後ろで縛っているが、衛生面を考慮してのことらしい。そんな髪型を見て、角度次第では少し髪が短く見えたりするところが「普段と違っていい」などと一部の女子が黄色い声を上げていることをティジーは知っている。
これでもっと引き締まった表情をしていれば、生徒の気も引き締まるのではないかという疑惑が湧くくらい彼は常に笑顔だ。そのおかげで逆に何だか怪しい雰囲気を醸し出している。実際調理学の授業の時は怪しい大人と化しているが。
「それ、褒めてないっすよね」
「先生、褒める時は嘘つきませんけど?」
「追求したかったのはそこじゃないっす」
けろりとしているあたり本音と解釈して良いのかもしれないが、図太くて立派と言われてどのように喜べばいいのか分からない。
と、難しい顔をしたティジーの肩を掴んで、くるりとその身体を回転させるゾウォル。
教師が来たことで教室の中は幾分か静かになり、ティジーは自らに視線が集まっていることに気づく。
否、正確にはゾウォルに視線が集まっている。
「ざっと見た感じ全員いるようですね。ティジーくんが座ったら説明を始めましょうか。というわけで、さ、どうぞ」
そそくさと背中を押され、そのまま空いた席に座るティジー。とはいえ、その席はいつもの定位置である。
名目上は自由席でありつつも、毎回席を変えるのが面倒だとかあれこれ理由をつけて、この準級の座席はほぼ固定となっているのだ。
席にたどり着く前にフォランと目が合って、意味深に微笑まれるが、ひとまずは無視を決めるティジー。
「はい、では点呼とりますよ。みんないますけど、記録に残す必要があるのでね」
誰に説明する訳でもなく大きな声で建前を述べた後、生徒の点呼を取り始めるゾウォル。
いつになく仰々しいと思って、ふと教室の外に視線を向ければ、見慣れない人影が二つほど確認できた。ティジー以外にも何人かそれに気がついたようで、気持ちが室外へ向いていると思しき生徒たちはゾウォルの点呼に生返事をする。
「……〈成人の儀〉だからかな」
ぼそりと右斜め前からフォランが話しかけてきた。
「可能性はあるな」
ティジーはそう言いながらも、もしや転入生とかだったりしないだろうか、などと的はずれなことを脳裏に思い浮かべた。
時折村に越してきた子供が、点呼の後で教室に入って転入生です、と紹介される事例があるからだ。
しかしそのティジーの想像は早々に破られる。
点呼を終えたあと、ゾウォルが手招きすると室内に二人の男女が入ってきた。
おそらくティジーたちより二つか、それよりも上の年齢だろう。見覚えがないから村人ではないなということはすぐに分かったが、同時にその格好から転入生でないこともすぐに分かった。
二人とも縁に金の刺繍が施された黒地の艶やかな外套を纏っていたからだ。隙間から僅かに見える服もお揃いであったことから、どこかの制服だろうかとティジーは予測する。とてもこれから村に住むような人間の服装には見えない。
「〈成人の儀〉が今日から挑戦出来るようになるわけですが、ウレイブは元々王国から依頼されて勇者を育成しています。というわけで〈成人の儀〉を行う際には王国の……つまり王都の方も立ち会ってもらうのが決まりなんです」
男女を手で示しながらゾウォルが言う。
銀髪でお団子女は表情が固く緊張しているようだが、黄土色の髪で糸目の男はゾウォルの言葉に合わせてひらひらと手を振る。
「ですが彼らは合格した時に然るべき道具を贈呈するためにいるだけなので、ぶっちゃけそんなに気にしなくても大丈夫です。というわけで自己紹介をお願いしますね」
気にしなくてもいいのに自己紹介を求めるのは何故なのだろうと誰しもが困惑の目でゾウォルを見たが、糸目の男は慣れたもので景気よく腕を上げて返事をする。額に手をナナメに当て、敬礼のようなポーズを取った。意味は無さそうだ。
外套から除く体躯は細身だが、重心が偏っていない立ち姿から、少なくとも武道を嗜んでいることは分かった。
「それではご紹介頂きましたので。今回の〈成人の儀〉で監督を務めさせていただくイアニィと申します。隣は部下のサナーリア。未熟なもので粗相があるかもしれませんが、どうかご容赦頂きたく存じます」
流れるように言葉を綴り、礼をする糸目男イアニィ。隣の部下は自らの名前を口にされた瞬間に首まで動かして上司を見る。おそらく名乗る準備をしていたのだろう。それから渋々といった様子で正面に向きなおり、隣の男に続けて軽く頭を下げた。
勇者育成のために王都からの補助が出ていることはティジーも知っていたが、村の儀式にまで関与することは初耳だった。
けれども監督という立場と先のゾウォルの言葉からすると、彼らは見守るだけの立場にあるのだろう。
「このまま説明してもよろしいですか?」
「もちろんです。〈対策室〉様方直々の解説、是非によろーしくお願いします」
「……馬鹿にしてるんです?」
あまりにも調子が良いゾウォルの言葉に眉間を歪ませるサナーリア。おそらく彼女とゾウォルは初対面なのだろう。
イアニィはそれを諌めることはなく、教師に向かって軽く首を縦に振った。
それを見届けるとゾウォルは窓辺の壁に寄りかかって脱力した姿勢をとる。およそ教師が取るべき体勢ではないが、注意する者もまたいなかった。
「先生が仰っていたように私たちは王都の王城にある〈魔王対策室〉から参りました。そこでは新たな魔王の探索と判定、勇者の育成補助、魔王被害の復興支援などを行っております。が、今は勇者育成補助だけ覚えていただければ結構です」
どうやら王都キャウルズにある王城には魔王の調査や討伐に関する部署かあるらしい。
けれども、育成補助といってもティジーが王城の人をウレイブで見かけたことなど殆どない。仮に見かけたとしても、一目で王城勤めだと分からない気もするが。
「〈成人の儀〉に合格すると成人と認められ、勇者としての任を課せられるというのはご存知でしょう。勇者の任とはすなわち魔王討伐ですが、我が〈対策室〉では混乱を招くために、一勇者につき一体の魔王を討伐することを定めております」
この話はギサディットから聞いたため、ティジーとフォランは軽く頷く。
とするとヴァイサーはこの話を聞くこと自体三度目なのではないかと様子を伺うも、後ろ姿からは何を考えているのか分からなかった。
「一体というのは世界各地にいる指定された魔王一個体という意味です。魔王の存在は〈対策室〉にて一体一体に二つ名がつけられております。有名なところだと〈漆黒〉あたりですかね。ですので、その名が付けられた目的の魔王のを探し出して討伐して欲しいというのが勇者の任務となります。……サナーリア」
「はい」
声をかけられた銀髪の部下は懐からじゃらりと音のする水晶玉を取り出す。
〈魔王水晶〉だろう、ということは早々に察しがついた。けれども、ギサディットが見せたそれとは異なり、いくつもの水晶に紐が通されて連なっている。例えるならば粒の大きな数珠のようだ。
サナーリアは両端を結んだ紐を片手を持ち、準級の生徒らに見えるような高さまで腕を上げる。
まるで競りに出す商品を掲げているかのようだった。
「〈成人の儀〉に合格したらば、この〈魔王水晶〉から好きなものを一つ選んで頂きます。〈魔王水晶〉は一個体の魔王の居場所を教えてくれる道具です。その〈魔王水晶〉が示す魔王を討伐して、報告頂ければ王都から報奨金を差し上げます」
「……え、魔王ってあれだけしかいねーの?」
ぼそりとどこかの男子生徒が呟いた。
確かに、一つの〈魔王水晶〉が一体の魔王の居場所を教えると言うのならば、〈魔王水晶〉と魔王の数は一致していなければならないだろう。
紐を通された水晶の数は七個程度であったから、残りの魔王がその程度ならば自らが〈成人の儀〉に合格しなくとも問題はないかもしれないとティジーは内心ほっとする。
「そんなわけないでしょう。正常に機能して、なおかつ早急に対処しなければならない魔王の〈魔王水晶〉だけを持ってきているんです。実際は桁数が二つほど違います」
水晶の数珠を掲げたサナーリアの言葉がティジーの安堵を早々に撃ち砕く。語気の強さから彼女が不機嫌の真っ只中にあることは想像に易い。
しかし仮に三桁だとして、とティジーは冷静に計算を開始する。
毎年十人前後の勇者が村を出ていくので、単純計算でいくと、順調に行けば十年ほどで魔王は百体は討伐出来るはず。全員が順調に討伐出来るわけではないから、多く見積もって二十年と換算。それでも百体程度ならば十数年で全ての魔王が討伐出来るはずだ。想像より驚異ではないし、無謀な数でもない。
「でも魔王って毎年増えてんだろ?」
「その通りです。毎年何人かの勇者の方々が魔王を亡きものとしていますが、それと同じくらいの数の魔王が毎年誕生しています」
失念していた。
魔王は「増える」のだ。
もちろん一体の魔王が分裂するわけではなく、別の魔王が発見されて新たに魔王としてカウントされるのである。
故に、倒しても増えるので魔王の総数は右肩上がりだとか横棒一直線だとか、そういった話を以前ティジーは耳にしたことがある。
「それ、ぐるぐる回って永遠に倒し尽くせねえやつ……」
シャルキが〈漆黒〉を倒したのがおよそ二百年前だが、二百年経っても今なお世界に魔王が跋扈している現状からすると、勇者と魔王の討伐の話は終わりのない追いかけっこのような気がしてきた。
「サナーリアの言うことは事実ではありますが、今ここで話すべきことではありませんね」
「……すみません、喋りすぎました」
「では話を戻しまして。勇者になるとこの〈魔王水晶〉を持って旅をして頂くことになります。それと勇者である証として王都から〈勇者証〉が発行されますのでそちらも受け取って頂きます」
〈勇者証〉という単語もティジーは初耳だった。
前の席のフォランをつつくも、後ろを振り向くことなく首を振られた。フォランも知らないのだろう。
再びちらりとヴァイサーの様子を伺えば、机に肘をついて窓の外を眺めていた。見るからに暇を持て余している。
「簡易の身分証明書のようなものです。ただ、時には過酷な旅をすることを想定致しまして、商店や宿で提示すると多少気を利かせてくれるようになっております」
「……要するに勇者専用の割引券ね」
あまり想像がつかなかったが、フォランの呟きで〈勇者証〉の役割を理解したティジー。
「王都からの支給物についての説明は以上です。質問がなければ早速〈成人の儀〉を執り行う遺跡へ向かいますが、如何でしょう」
イアニィの言葉に、生徒たちは顔を見合わせるものの、特に質問をするような気配はない。
ティジーとしても先にギサディットから情報を得ていたため特段疑問に思う点はなかった。
室内を一望したイアニィは壁にもたれていたゾウォルを見つめて指示を仰ぐ。
その隣では、やっと視線が逸れたとばかりに懐に〈魔王水晶〉をしまうサナーリアがいた。
「はい、それではいよいよ向かいましょうか。〈成人の儀〉は各塊に一度だけ挑めるので、もちろん今日挑戦しても構いませんからね」
勢いよく身体起こしてから、親指を生徒たちに向かって突き出すゾウォル。
一塊は三十六日であるから、少なくとも今日を逃せば次に挑戦出来るのは最短で三十六日後ということである。つまり一年間で〈成人の儀〉に挑めるのは十二回。
そんな渋い回数しか挑めないのか、と思いつつまず最初に挑戦して傾向を掴むのもアリかもしれないなと、傍から見ると意識高めの思考を巡らせるティジー。
そうして教師と〈対策室〉勢が先導する中、準級の生徒たちは遺跡へと向かうのだった。