03-15 よしよしなんよ
〈勇者証〉奪還を決めた翌日の朝食時に、ティジーとフォランは一日かけて調べたい場所があると告げ、昼食と夕食は各自でとると伝えた。
トゥーリンの母はいつもの様子で、にこやかにかつ、穏やかにそれを了承した。
そもそも昨日の午後もずっと出ずっぱりだったので、シェタボラで買い物をするとでも思ったのだろう。
トゥーリンはというと、未だに服を買っていないティジーに目をつけているようで、他の店見に行ってもまだ買ったらダメですよと念押しをしてきた。
「ぶっちゃけここ、女性モノが多いだろうに執拗に勧めてくんな……」
「ティジー。置いてくわよ」
店の外観を見つめながら惚けるティジーに、幼なじみが発破をかける。誘ったのはティジーだということを忘れそうなくらい先頭に立つのは真面目さゆえなのだろうか。
大きく膨らんだ鞄を背負い直したティジーは、桃色髪の幼なじみと黒髪の幼女のもとへ駆け寄る。
視線を感じて振り向くと、一階の窓辺付近に三つ編み娘が立っているのを確認出来た。
ティジーが今回の作戦を実行すると決めた要因でありつつも、彼女にはこれから何をしに行くかを伝えていない。そもそも〈勇者証〉を取り返せるか分からない、出たとこ勝負の捜索なのだから、下手に宣言するのは悪手と考えてのことである。
それに加え、〈勇者証〉の奪還をトゥーリンが喜ぶかという疑問もあり、自らのこれはただの自己満足なのだと言い聞かせるティジー。
フォランから彼女の姉について聞くまでは、恨みの感情を忘れない為に〈勇者証〉を持っていると考えていたくらいなのだ。
けれども、はっきりと、フォランから泣いていたと伝えられた時点で、かの勇者に抱いてる感情は怨恨のそれではないと確信した。であれば、己の行動指針は間違っていないはずだ、と深呼吸をする。
「忘れるのは嫌だよな、トゥーリンさん。だからさ、ちゃんと取り返してくるよ」
聞こえるはずもない決意を呟いて、ティジーは踵を返した。
タイムリミットは今日の夕方まで。
確実に取り戻せるか不明な〈勇者証〉探しに一日以上時間は費やせない。
なんとしてもそれまでに探し出して、ついでに盗んだ獣にお仕置きをしてやりたいところだ。
◆
ぽかぽかと暖かい陽の光のもと、三人と一匹はシェタボラの北へ向かう。
今朝も走り込みに行ったらしいフォランの話によると、例の墓場付近では獣の姿を見なかったという。同行していたチコラハにも周囲を探索してもらったが、獣の気配はなかったようだ。
「トゥーリンさんも、初めて見たような反応をしていたし、いつもいるってワケじゃないみたいね」
「むしろ、いつもいたら、このひっくい塀をそのままにしておかねえだろ……」
「えいっ! よっ! ほっ!」
「何を遊んでおるのじゃ」
「ひぎぃ!」
ティジーは己の足首くらいの高さの塀を跨ぎながら、両足でぴょんぴょん塀を飛んで遊ぶペルチと、それを諌めるチコラハを見た。
人気がないため、久しぶりに外で喋るチコラハを懐かしく思う。そして、そんな白獣を律儀に怯えてフォランに抱きつくペルチを見て腕を組む。
男であるティジーですらチコラハの外観は愛らしいと思わせる風貌なのだ。それを恐れるとなると、やはり魔王としてのカンが働いているとしか思えない。
何だかんだ馴染んではいるが、チコラハも勇者を五人殺めたという過去を持つ魔王なのである。
本来はペルチくらい慎重に接してしかるべきなのだろうと垂れ耳の白獣を見つめた。
「なんじゃ。抱いてくれるのかえ?」
「……お前意外と策士だよな」
触りたくなる柔らかく艶やかな毛並みと、くりくりした金色の瞳で誘惑されれば、手を伸ばさないわけにはいかない。
かの魔王の手のひらの上と自覚しつつも、ティジーは後ろ脚を抱えるかたちで器用にチコラハを胸に抱いた。
それを見たペルチがすっかり近づいてくれなくなったのは悲しかった。
しかし、チコラハが本当に殺そうと思えばティジーとフォランはとっくに死んだいたはずなのである。
チコラハ曰く、魔王には寝るという機能が無いらしいので、野宿の際に一晩中見張りをしてもらっている。故に、その気になれば寝ている勇者の心臓を射抜くことなど容易い白獣が、律儀に手を出さずにいてくれるから、二人ともこうして生きているのだ。
魔王は寝る必要がないという事実は、夜になると微睡むペルチを見ると本当なのだろうかと疑わしくなるが、実際ティジーがチコラハが微睡んでいる姿を見たことは無い。
前方で、なにやら指をさしてフォランを先導する幼女を見て、柄にもなく、不思議だなあと心の中で呟く。
ペルチは外観のみならず、食事や睡眠や感情の多様さまで、まさしく人間のそれと同じなのである。
同時に、魔王とは一体何なのだろうとも考え、そういえば自分はそれを探していたのだったなと頷いた。
「ティジー。見えとるか?」
「んあ?」
物思いに耽っていたティジーは、胸中のもふもふからの声で我に返った。
ペルチについて歩く一行は、どこかの街に繋がる道を歩いているわけではなく、野ざらしの雑草の上を踏みしめている。でこぼこした地形からすると、雨上がりは大きな水溜りが出来そうだ。晴れていてよかったと心底思う。
そんな道無き道の先にあったのは岩である。
地図で言う場所は具体的に不明だが、部屋で話をした時、フォランは考えられる可能性として中央部の最北端を指さしていたので、おそらくそこだろうと推測する。
剥き出しの岩が、自然で出来た塀のように高くそびえており、その先に道はない。
ないのだが、前方でぴょんぴょん跳ねるペルチの指先を見れば、陰っている箇所があることを確認できた。
「洞窟か?」
「身を隠すには持ってこいじゃが、獣の巣にちてはちと目立ちすぎるかのう」
「言われりゃそうだな……」
外敵から攻められることを考えれば、巣というのは一見しただけでは分かりにくい場所に作るのが常識だ。
それを考慮すると、遠目から見て怪しい洞窟があるという事実は露骨すぎて、逆に巣ではないという疑惑が高まってくる。
ペルチの主張が気になるティジーは、チコラハを地面に下ろして軽く毛をはらう。
下ろされた白獣は、どうして? とでも言いたげな切なさ溢れる視線を向けてきたが、ひとまずそれを無視してフォランのもとへ駆け寄った。
「あの洞窟が怪しいって言ってるのか?」
「声が聞こえるのがあのへん、らしいわ」
「もっと近くに行けばわかるんよ!」
「声……声、ねえ」
チコラハに脅えた当初も、声が聞こえないという理由を語っていたペルチだが、チコラハと会話すること自体は可能である。
であれば、なんの声が聞こえないのかがずっと謎だったが、現状を考えると獣の声が聞こえると考えた方が辻褄が合う。
合ったところで、なぜ聞こえるのかという疑問が湧いてくるので何の解決にもならないのだが。
ひとまず、現在〈勇者証〉を探す手がかりはペルチの謎の索敵能力しかないので、大人しく後に続くティジー一行。
道は悪いものの、シェタボラから数分でたどり着く洞窟周辺はおよそ人の気配が感じられない無法地帯といった印象がある。
視認出来る位置にある街がシェタボラだけというのもあるが、生えている木も草も、食べれることには食べれるが、商人に買い取って貰えるほどの美味さと価値がない野草ばかりである。
こんな所に住み着く獣も少ないだろうと考えると、シェタボラにまで進出するのは仕方ないのかもしれないとも思い始めた。
「ちょっと待ちなさい、ペルチ」
「んぐ」
フォランがすかさず、先を歩く幼女の口を塞ぎ、近くの木に身を潜める。
ティジーとチコラハもそれに倣って後方に隠れて息を凝らす。
黒い幹の木々に紛れ、青く輝く毛並みを持つ四足歩行の獣がいた。光の具合で青く見えたが、どうやら毛色としては紺のようだ。
フォランから獣の話を聞いていたティジーは、話にでてきた獣と合致する特徴であることに気づく。
細い脚で、けれども俊敏に野をかける獣は唐突にぴたりと動きを止め、ちらりとフォランが隠れている木に視線を向ける。
距離にして数メートル、弓で射るなら確実に仕留められるであろう位置で、ティジーは息を殺し続ける。話には聞いていたが勘が良すぎる。今いる場所は少々高さがあって、獣からすると見上げなければならない位置なので、敏感な獣のセンサーに驚くばかりであった。
と、標的が巣へ戻るのを確認しようと隠れていた勇者ふたりを押しのけ、ペルチがぐいぐいと前へ躍り出る。
「ちょっと! 戻ってきなさいっ」
「大丈夫なんよ……うあっ!?」
小声でその細い手首を掴もうとするフォランだったが、よたよたと前に進んだペルチは前方が坂になっていることに気付かず、よろりと姿勢を崩す。
まずいと思ったフォランとティジーは同時に前に飛び出して衝突する。
後方から飛び出たチコラハがふたりを飛び越え、さらに坂も飛び越えるも、着地した先の光景を見て目を丸くした。
「えへへ。ありがとうなんよー」
「グルル……」
坂から転がり落ちたであろうペルチを、先ほどまでフォランたちを睨みつけていた獣が首根っこを掴んで救出していたのだ。ペルチのぷっくりとした手足に土埃はあれど、明らかな切り傷は見られない。
階下の光景が見えない幼なじみたちは、互いを押しのけて後方のペルチを見つめ、ぽっかりと口を開けた。
そのままペルチをくわえたまま踵を返す獣は、がくんと左脚を折り曲げて地面に伏せる。
「怪我してるのか?」
「さっきペルチを助ける時、石に当たったのかも」
フォランが指さすのは坂に埋まった大きな石である。
滑り落ちる幼女を掴もうと勢いよく身を乗り出した結果、石に前足を擦らせたのだろう。
当然ながら倒れた獣は口からペルチの服を離し、あっちに行けとでも言うように首を背ける。
少し離れた位置に佇むチコラハは、獣が伏せても未だに警戒を解くことなく、尻尾をぴんと立て、緊迫した様子で構えていた。
そんな視線など知ったことではない様子で、ペルチは獣の頭を撫でる。
「よしよしなんよ」
「…………」
「まじかよ」
不機嫌そうな獣は、けれども吠えたり威嚇したりすることなく、見ず知らずの幼女の手を黙って受け入れた。
獣の声が聞こえる、という仮定は誤りではないとティジーが確信した瞬間である。
隣でそれを見つめるフォランは、感心するティジーとは裏腹に、獣の動きを慎重に観察していた。
「ティジー。たぶんあの獣。トゥーリンさんの盗ったのは」
「わかるのか?」
「目元に傷があるでしょ。断言は出来ないけど、まるっきり同じ傷がある獣っていうのも珍しいし」
「なるほど、な?」
目を細めて獣の顔を凝視するティジー。
黒っぽい毛に覆われてわかりにくいが、たしかに傷のようなものが確認出来た。
フォランは曖昧な可能性だけで報告をしないことを知っているティジーは、ますますその獣から目が離せなくなっていた。
ペルチに撫でられていた獣は、暫くしてからすっくと立ち上がり、よろめいた。
案じるかのようにペルチが立ち寄るも、今度はつんとそっぽを向いて触れ合いを拒否する。傍から見ると強がっているようにしか見えない。
それから、立ち尽くすペルチをそのままに、怪我をしているであろう前脚を器用に使って走り出していき、先ほどペルチが指を指していた洞窟の闇に溶け込んで見えなくなった。
獣が去ったことを確認した二人は、滑り落ちるように坂を下りてペルチに駆け寄る。
「ペルチ、無事だったか!?」
「……血は出てないみたいね」
ぺたぺたと身体を触る二人を見た幼女は、丸くて大きな瞳をさらに丸くさせ、先ほど坂から落ちたことを今思い出したかのように眉を歪ませた。
「ご、ごめんなさい……フォラのことえいってして、落ちちゃって……」
「なら、次からはこんなことしないで。わかった?」
俯く幼女の両手を握ってフォランは優しく語りかける。
けれどもペルチはぶんぶんと頭を振って言葉を続けた。
「ウチ、今度は役に立てると思ったんよ。でも、結局役に立てなくて……」
「役に立つとか立たないとか気にすんなって。ペルチは、そこにいるだけでオレたちを和ませてくれるんだから。なっ?」
「ティジ……フォラ……」
頭を撫でて落ち着かせようとしても、瞳を潤ませる幼女の気持ちは簡単には収まらない。
泣きそうなペルチを抱き寄せたフォランはその背中を優しく擦る。鼻を鳴らす程度で落ち着いた幼女を見て、ティジーはほうと胸をなで下ろした。
そうして意気消沈したペルチをフォランが背負うところを見て自らのことを指で指すが、顎でチコラハのことを示されて大人しく引き下がった。
「ようチコラハ。なんか見たのか?」
「あやつが獣を撫でるのを……見たかのう」
「つまり同じ光景を見たってことか」
怯えるペルチを知ってか、少し離れた位置に佇むチコラハの返事は歯切れが悪い。魔王であるチコラハも、さすがに幼女の純朴さに腰を抜かしたかと、適当に相槌を打つティジー。
「ティジー、オヌチは――」
「……誰だっ!?」
チコラハが何かを言いかけた折に、人の気配を感じたティジーは、すかさず背中の鞄に手を突っ込んで、手に数個の球体を取り出す。
爆竹と煙玉という、獣を威嚇するための道具だが、怯ませる意味では人間にも十分に効く。
ちょっとティジーたちの視線の先に誰かが走っているのを見て、その誰かが分かった時点でティジーは構えていた腕をだらりと下ろす。
そして、鞄を乱暴にその場に投げ捨て、走っている人影に全速力で近づいて勢いよく飛び蹴りを入れた。
人影はティジーに気づかず、蹴りを直撃で喰らって体制を崩す。
「あでっ!?」
「っしゃあ! 決まったあ!」
「いだい……ティジーひどいよお……」
脇腹に一発食らってごろごろと転がったのは見知った顔の美少年だった。
情けない声を出しているが、覇気の無さは蹴りの痛みではないように見える。
「ちょっと。荷物置いて何してるの」
「あ、悪い。重いと追いつけないと思って」
「フォランもお……? みんなひどいよお……うえええ…………」
脇腹を抑えて涙声になる同期を見てぎょっとするティジーと、今さっき蹴りを入れたティジーをじっとり睨みつけるフォラン。ティジーの鞄は引きずられるように握られていた。
そんなヴァイサーを見かねてか、ペルチがもじもじと動くので、屈んだフォランは幼女を地面に下ろす。
とててと横に倒れたヴァイサーに近寄るペルチは、肩を震わせる美少年の頭付近で腰を下ろし、さらりとした栗色の頭を優しく撫でた。
「よしよしなんよー」
「ぐすっ……こんな小さい子に介抱されてるぼくって、かすみ以下の存在じゃないかなああ……」
「お前、本当に大丈夫か?」
よく見ると左耳に変わった器具を付けている美少年は、鼻を鳴らしながら堂々とした自虐を言い放つ。
突然現れたことといい、泣き始めた事といい、久しぶりの再会に喜ぶことも出来ないティジーは、真顔で十五歳をあやす幼女を見守っていたのだった。




