03-14 常連野郎
滝の中にいるかのごとく騒々しい店内にある室内灯は、人の声に合わせて喧しく点灯する。傍から見ると故障しているのではと思うほどであった。
所謂酒場というものに訪れるのはこれで何度目かだが、のんびりした気質の少年はどうにもこの空気感が合わない。どの街でも似たように人で満ち満ちているのだから、酒場とはそういうものなのだと飲み込み、きょろきょろ辺りを見渡す。
席に座って片手をあげる男が見え、ほっとしたようにそちらに向かった。
「すみません、遅れました」
「そんなことありませんよ。宿に荷物は置けましたか?」
「はい。それで……遅れておいてなのですが、時間になったら席を外したくて」
端正な顔を僅かに崩すヴァイサーに、まずは席に座るよう促す対面の男。
慌てたように座るヴァイサーをにこやかに見つめるのは、紳士風の勇者ボリッドである。
シェタボラの朝市で邂逅した二人は、互いに勇者であることに気づくと、ボリッドが親睦を深めようと酒場に誘ったのである。
ヴァイサー自身、道中で何度か商人の護衛をしたこともあり、酒場自体初めてではなかったにしても、どこか落ち着かない雰囲気があった。
いつの間にか頼まれていた杯を手渡され、それを掲げるボリッドに倣い、もたつきながら杯を上げ、乾杯する。
酒は少し苦い。
「そう長く話をするつもりではありません。今朝の件についてちゃんと説明しようと思いましてね」
「あーと……水晶のこと、ですか?」
「はい。気になっているでしょうし」
ヴァイサーは今朝の水晶売りの店で、シェタボラにおける勇者の活躍をざっくりと聞かされた。
それはおおよそヴァイサーの予想通りで、魔王討伐による被害を受けた地区と、魔王による被害から救われた地区があったという話だった。
話を聞いたヴァイサーは、これほど大きな街を救ったなんて、かの勇者は流石だと内心感激していた。
それはそうとして、そもそもヴァイサーが朝市に向かったのは水晶を買うためである。
偶然か必然か、そこで出会った先輩勇者に、件のの水晶は魔王が作ったものであると告げられたことは記憶に新しい。
どうやら関係者がいる前では水晶のことを説明出来なかったため、現時刻までお預けになっていたようだ。
「水晶を売っているクリューやその関係者は、それがどのようにして作られたものか知っています」
「その上で売っている、ということですか……」
露骨に魔王という単語を出さぬよう、言葉を選びながら返答するヴァイサー。
撫でつけた髪を整えるかのように指を滑らせ、ボリッドはそうですと答えた。
「自分はそいつを倒そうとしていましてね。本来は自分の親友の標的だったのですが、少々しくじりまして」
「え、ボリッドさんのじゃないんですか?」
「お恥ずかしい話ですが、自分は仇討ちのようなものですね。それで、可能であれば君に助力を願いたいなと」
勇者には、担当以外の魔王を討伐してはならないという決まりはない。
実際ヴァイサーも担当がいなかった野良の魔王を倒した過去があるので、そこに疑問は抱かなかった。
が、道すがりにいる魔王をボランティア感覚で倒そうとする勇者なんて、よほどのお人好しくらいだろうとは考えていたので、まさに今そのお人好しを眼前にして素直に驚いていた。
ボリッドは容姿や立ち振る舞いから、社交界に出るような位の高い人間という印象が強い。良く言えば高価な装飾品や芸術を好み、悪く言えば粗暴なものや荒事には興味がなさそうな、そんな印象だ。
そんな彼が親友の仇討ちというのだから、人は見た目で判断してはならないなと、ヴァイサーは心の中で先輩勇者にひれ伏した。
「もちろんタダでとは言いません。成功したら貰える報奨金も分け与えるので」
「それじゃあ僕がお金目的みたいじゃないですか! 大丈夫です、手伝いますよ。出来る限り援護します!」
「……それは良かった」
朗らかに無償で手を貸すと語る後輩に驚いたのか、ボリッドは肩の力を抜いて笑う。
ちびちびと酒を飲みながら、ヴァイサーはこういう大人ってかっこいいなと先輩を観察する。
ぼんやりしている内に小皿が何枚か運ばれて来て、先輩勇者の手回しの良さに再びひれ伏した。
旅をしていると髪を切るのを忘れがちなので、今現在、ヴァイサーの後ろの髪は伸びきってしまっている。いっそのことボリッドのように油で整えたり、ソサーカのように髪を結ぶというのもありかもしれない、というところまで考えて時計を見る。
まだ大分余裕がありそうだ。
「ところで、関係者って言ってましたけど、そういう団体でもあるんですか? こう……標的を護衛しているみたいな」
「勘が鋭いですね。クリューたちは〈水晶教〉という宗教団体に属しているんです。標的はそれの教祖らしく、簡単にお目通り出来る存在ではないようです」
「すいしょうきょう……」
〈水晶教〉は、王国の東から中央まで旅をしてきたヴァイサーも初めて聞く宗教だった。
名前を聞く限り、水晶が好きな集団なのだろうか、ととんちんかんな想像をする。
ヴァイサーの頭の中を読んだのか、ボリッドはくすくすと笑う。
「もともと〈水晶教〉があったところに標的がやってきて教祖になったらしいんですよ。なんでも、クリューたちは標的を教祖の生まれ変わりだと思ったようでして」
「水晶を作るっていうのが理由ですか?」
「可能性としては高いと思います。発足した背景が、とある水晶玉を所持していた教祖に彼女たちの一族が助けられたというものらしいので」
「なんか……アレっぽいですね、その人」
アレの前に、首にかけた〈勇者証〉を手で摘んで言葉を濁すヴァイサー。
ボリッドは茎野菜の肉巻きを口へ運びながら頷いた。
「教祖として崇拝されている事実はあれど、実際は襲われないために祀っているという点が大きいと思われます」
「直接聞いたわけじゃないんですね」
「表立って事情が話せなかったのでしょう。けれども自分は、助けてください、と頼まれましたので」
さらりと依頼主の言葉を語るボリッドを見て、おおーと興奮しながらヴァイサーは口をぽっかり開ける。
細かく切った肉巻きを再び口に運ぶ先輩を見て、慌てて肉団子にフォークを突き刺した。
あんまりかっこよくないな、と思いながらちびちびとそれを齧る。
「これまた推測ばかりで申し訳ないのですが、標的に迂闊に近づくのは危険です。自分の親友が如何にして水晶と化したのかが解らないので、具体的な対策が提示出来ないのですが」
「親友さんが……?」
「言うのを忘れていましたね。かの水晶は生物から作られているんです。人も獣も、種類を問わず」
「それは……なんというか」
強そうな魔王ですね、とは面と向かって言えず、その代わりに肉団子のスープをちびちびと飲んだ。
薬味が効いて、独特の風味がクセになる一品である。
ボリッドが討伐しようとしている魔王がどれほどの戦歴を持つかは不明だが、ヴァイサーが知る中では最も厄介な能力を持っていることは明らかだ。
彼の話から察するに、ボリッドと親友は魔王に近づいたところで、親友が水晶と化した事実に気づいたのだろう。故に、現状は近接は危険という事実だけを把握しているのだ。
であれば、狙撃や爆撃が最適解だろうか、と鉄板で焼かれた潰し芋の粉物をもしゃもしゃと頬張りながら思案する。
「自分も数体倒してきた身ですが、なかなかに手強い相手ですよ、今回の標的は」
「えっ、そうなんですか! む、昔話聞きたいです!」
正確な年齢は聞いてないにせよ、ボリッドはヴァイサーより何歳か歳上だ。
〈勇者村〉の下級(六〜九歳の級)や中級(十〜十三歳の級)で顔を合わせたことがないことから、少なくとも四歳以上は上である。
であれば当然、既に何体か魔王を倒して旅を続けているはずで、その事実はヴァイサーの興味を強く引き立てた。
酒のお代わりを頼んでいたボリッドは、驚きながらも快く後輩の申し出を受け入れ、丁寧な口調で昔話を始めたのだった。
◆
大急ぎで宿に戻ったヴァイサーは、滑り込むように寝台にダイブしてから耳にかける振り子を取り出した。
全速力で走ったため、心臓が暴れまくっているが、そんなことより時間ギリギリになってしまったことだけが心配である。
肘をついて上半身を起こしてから、手に持った共鳴盤を耳につけ、振り子を揺らす。
「兄者ぁ、おかわりちょーだい」
「る、ルカ! ごめんね、遅れて!」
「ととと……。あ、ヴァイサー! 珍しいね、アタシより後に来るの」
ぷはー、と息を吐くセセルカは何かを飲んでいるらしい。
待たせてしまっただろうかと罪悪感を抱いたヴァイサーは、そのまま上半身を起こして正座をする。
「ちょっと相談を受けててね。夕食が長引いちゃった」
「まーた相談してる。ヴァイサー、相談屋さんじゃないのに」
「だってほら。魔王のことなら力になれるでしょ、僕」
「じゃあ今回は勇者から受けたの? 勇者って言ったらダメな街なのに?」
「えーと、話すと長いんだけどね」
水晶を贈ると言った手前、どう誤魔化すものかと悩んだヴァイサーは、水晶が魔王の生成物であることを伏せた上で、ボリッドとのやり取りを掻い摘んで説明する。
今回の水晶がたまたま魔王産だっただけで、ヴァイサーは水晶を恋人に贈呈することを諦めてはいなかった。
時折ぷはー、という声を出しながらも、セセルカは珍しく黙って話を聞いていた。
「……それ、なんかいいように使われてない?」
「へ?」
開口一番、辛辣な言葉を吐いたセセルカに、ヴァイサーは間抜けな声で応える。
先輩勇者であるボリッドは、新人勇者であるヴァイサーから見ても落ち着きがあって、冷静沈着で、大人な雰囲気を纏っている。つまるところヴァイサーは無意識にボリッドを尊敬していた。
けれども話を聞いたセセルカは、彼とは同じ感想を抱かなかったらしい。
もしや、また説明するにあたって話を盛りすぎただろうかと首を捻るヴァイサー。
「上手く言えないけど、思いますーとかスイソクですーとか、その人の言うこと、かなりぼんやりしてるじゃん」
「それは、相手が魔王だからでしょ。完璧に理解出来てたら僕に頼る必要もないんだし」
「うーん、でもね。ヴァイサーと比べるとそのセンパイ、かなりテキトーな気がするんだよね」
直感でものを考える彼女の言葉に、ヴァイサーは天井を見上げて唸る。
セセルカが言わんとするのは、魔王や〈水晶教〉に関しての情報が曖昧であるということだろう。それなのに、見ず知らずの勇者であるヴァイサーを共闘に誘うのは誠実ではない、と。
ボリッドの背景を考えれば、討伐失敗したことから魔王に警戒心を抱いて調査不足なのは仕方ないし、〈水晶教〉に潜り込んだのも日が浅いと考えれば情報が少なくても不自然だとは考えられない。
がしかし、心配してくれる彼女の心中を尊重するかのごとく、ヴァイサーは相槌を打つ。
「ルカ的には、そういう男は怪しいってことかな?」
「うん。兄者もそう思うでしょー?」
少し離れた位置から、知らん! という元気なソサーカの声が聞こえてヴァイサーは吹き出す。
耳に付けている共鳴盤は当人にしか音が届かないため、同室にいるであろうソサーカには会話が聞こえていないのだ。
「見た目はいいけど実はテキトーな人ってね、お金の使い方がアラいんだって」
「う、うん?」
「兄者が言ってた! なんかね、そーゆー人ってね、いっぱいお酒飲んだり、女の人とっかえひっかえしたり……あーっちょっ、とらないでってばあ」
途端にセセルカの声が遠くなり、ヴァイサーは咄嗟に正面に向き直る。
そしてカチャカチャと音が聞こえ、今度はドスの効いた男の声が聞こえた。
「おいコラ。ルカに何言わせてんだゴラ!」
「や、やあソサーカ。元気そうでなにより……」
「アイサツはいーんだよ。……あんまし昔の話掘り返してくれんな」
後ろから何やら騒ぐセセルカの声が聞こえるも、声の調子を落としたソサーカに疑問を抱くヴァイサー。
どうやらセセルカにはあまり聞かせたくない話らしい。
もっとよく聞くために、ヴァイサーは片耳を塞いだ。
「オレらの生みの親が水商売やってたんだよ。顔もわかんねー父親の説明を、よくもまあ覚えてたもんだ」
「あ……ごめん。僕、全然知らなくて」
「今知ったならそれでいい。で、その水商売ジョーレン野郎がセンパイ勇者だって?」
「常連と決まったわけでは……」
図らずしも、二人の親事情を知ったヴァイサーだが、外野であるソサーカが聞いてもボリッドの印象は悪いらしい。
とはいえ、彼に至っては不機嫌な態度が基本なので、これは平常運転だろうな、と頷いて自己完結した。
そして、ボリッドはそれほどまでに紳士の皮を被った何かなのだろうかと、ひとり途方に暮れる。
「金のあるオトコってのはな、大抵カッコつけなんだよ。見た目に惑わされんな。ルカはべろんべろんだけど、オマエのこと心配してんだから」
「えっ、ルカお酒飲んでたの!?」
「話は以上! 続きは起きてからにしてくれ!」
「あっ、ちょっと!?」
どうやら酒飲みの妹を介抱しているらしき兄の手によって、音はぷっつりと途絶えてしまった。
普段とあまり変わらないように聞こえたが、実は酔っ払っていたらしい恋人の声をもう少しちゃんと聞けば良かったなあと何度もため息を吐きながら、ヴァイサーは耳から共鳴盤を外す。
明日は今朝と同様に市場で落ち合ってから〈水晶教〉のもとへ行くという約束になっていた。
大人な雰囲気で格好良いと思っていたボリッドだったが、二人の話からすると、警戒した方が良いのかと疑問が浮かんでくる。
がしかし、行先は魔王の本拠地であって花街でもなんでもない、と己を納得させたヴァイサーは、いそいそと布団に潜り、酔っ払ったセセルカの声を必死に思い出しながら眠りについた。
◆
翌朝の会話はセセルカが応答しなかったためお流れになった。
昨晩の会話を恥ずかしがるのか、忘れているのか、はたまたとぼけるのか、様々な反応を期待していたヴァイサーは肩を落として共鳴盤を仕舞う。
そして、夜はほぼ毎日会話出来ているから、まあいいか! と、意気揚々とカーテンを開けて朝日に目を細めた。
一抹の不安を抱えながら、パンと果物で軽く朝食を済ませたヴァイサーは、遠距離向けの武器をカバンに詰め込んで宿を出た。
曲がりなりにも本山に乗り込み教祖を攻撃するというのだから、荷物は隠した方がいいのだろうとか話したところ、討伐を頼まれているのだから隠さずとも問題ないと言われたので、ちゃっかり薙刀も持っていく。
昨日同様、広場の同じ場所に店が出されていたため、ボリッドとは難なく再会することが出来た。
クリューとともに談笑してる様を見たヴァイサーは、ふと、昨日居たはずの男児を探す。
「あ、ガヴァなら留守番ですよ」
「昨日はたまたま居合わせただけで、普段はクリューさん一人で店をやっているんです」
「そうなんですね……」
なんだか距離の近い二人に違和感を覚えながらも、邪魔にならないように隅っこに棒立ちになるヴァイサー。
人の入りは多くはなかったものの、天幕に入ってきた人は皆、何かしら水晶を購入していたので、市場慣れしているんだなあとぼんやり観察する。
朝市終了の鐘が聞こえると、クリューとボリッドとともに撤収の準備を手伝った。
そこそこ売れたと思った水晶だが、全部が売れたわけではないので、それを詰め込んだ背負い袋はなかなかの重さである。荷物持ちを買って出たヴァイサーは、毎回こんな荷物を持ち歩くのは大変だろうなと涼しい顔をしながら考えた。
そして二人の後を追い、シェタボラの北に向かうこと数分。重い荷物と整ってない道のせいで何時間も歩いているように感じたが、それほど遠くない前方に、岩肌が剥き出しの洞窟が確認できた。
木々は点在すれど周囲に村はなく、最も近い街がシェタボラのようである。
「ここが〈水晶教〉の……」
「良い環境ではないですけれど、見学は大歓迎ですからね」
背に大きな鞄を抱えながら、クリューは柔らかく微笑む。
おそらくは心からの笑みに、疲労を感じているヴァイサーは力なく微笑み返した。
ボリッドが言うには、教祖に面会するには手っ取り早く〈水晶教〉に入信した方が良いと言うので、とりあえず見学をするという体でクリューに話を通したらしい。
洞窟に人が住んでいるというのは少々驚きだが、彼女たちにもそれなりの事情があるのだろう、と考えて深く問い詰めることはやめた。
と、数歩洞窟に足を踏み入れた段階で、何かにつまづいたらしいクリューの身体がぐらりと傾く。
咄嗟に横を歩いていたボリッドが駆け寄り、抱き寄せるように彼女を支えた。
「大丈夫ですか、クリューさん」
「は、はい。ありがとうございます」
「いえ。荷物が重いなら自分も持ちます」
クリューに引っ付いたまま、ボリッドは両肩の鞄なんて知らないとでも言うように助力を提案する。
密着する二人を見て思わず立ち尽くすヴァイサー。
クリューはそれを必死に断り、ボリッドを押しのけるように体制を戻した。
「ひ、人がいるのですから、そういうのは控えてください……」
「おっと失礼」
立ち尽くすヴァイサーと視線が会ったボリッドは、目を細め、意地の悪い笑みを浮かべた。
流石にここまで露骨だと、鈍感なヴァイサーでも察してしまう。この二人は、ただ共に屋台を切り盛りしているだけの間柄では無いということを。
トドメを指すかのように、昨晩のセセルカの声が自然と頭に木霊した。
「とっかえひっかえ……」
「どうしましたか、ヴァイサーくん」
「いえ、なんでもないです!」
ヴァイサーはぶんぶんの頭を降って雑念を振り払う。
酔っ払っていても、かの兄妹の推察は当たっていたのだ。
けれども、それと魔王討伐は別だからと、横道に逸れそうになる思考を、必死に戻しながら、ヴァイサーはふらふらと二人の後について行った。




