03-10 とんだ曲者
陽が登る前の薄暗い明け方にフォランは目を覚ます。これは習慣であり、旅を始めてから心がけていることでもある。
寝静まった部屋を一望し、他に起床している人がいないかよく確認すると、フォランに手を振るかのようにしっぽを動かす白獣チコラハがいた。
今回の宿では布を敷いたカゴを用意され、特等席のようにすました顔で座っていたのは記憶に新しい。
「久しぶりの宿なのじゃ。もう少ち寝てもバチは当たらんじゃろうて」
「もう少し寝たら寝首をかかれるかもしれないじゃない」
「であれば、オヌチの首は軽く百は飛んでおったろうな」
「まあ物騒」
小声で悪態をつきながら、もそもそと寝台から這い出でるフォラン。ふんわりウェーブがかった髪は天然もので、なかなか癖が強い。数回手櫛を通す程度に整える。
それから欠伸を噛み締めつつ、寝間着から普段着に着替えたところで、誰かが寝返りを打つ音を聞いた。
フォランと寝床を共にしていた黒髪の幼女である。
「ふぉらあ……?」
「……まだ寝てなさい。眠いでしょ」
「どこいくの? おいてくの?」
「ちょっと身体を動かしにいくだけだから」
「んー……うちもいくう」
物音で目を覚ましたらしいペルチは、半目でぐずっている。
フォランが毎朝走り込みに行っているのはいつものことだが、基本的に一人かチコラハを連れてのどちらかである。ちなみにティジーは夕方に走りに行っているので朝はぐっすりだ。
昨晩のペルチはフォランと共に寝るコースだったせいか、隣にフォランがいないことを不安がっているようだった。
優しく頭を撫でるも、その撫でている腕をぎゅうと両手で抱き抱えられてしまう。
「ペルチ。離しなさい」
「おいてかないで……ふぉらあ」
「これフォラン。その気になれば振り払えるじゃろ。もっと気合いを入れぬか」
「……泣きだしたら面倒じゃない」
非情な一声をあげる魔王を無視して、フォランは布団からペルチを抱き抱える。寝起きの体温はとても暖かくて心地よい。
そのまま背中にペルチをおぶさり、よく捕まるよう言い聞かせる。むにゃむにゃ言いながらペルチは寝巻きのままフォランにしがみついた。
こうして完成したペルチおんぶスタイルを見てチコラハはわざとらしく嘆息するも、苦言を零すこともなく、外に出るフォランに無言でついて行く。
ちらりと部屋を出る際に隣の寝台を見るも、少年勇者は未だ夢の中のようで、フォランは音をたてぬように戸を閉め、ひっそりと宿の外へ向かった。
◆
いつもと異なり、背に荷物を乗せての走りは、自然と速度が遅くなる。ならば距離で稼ごうと、フォランは街を囲む塀を目指して小走りに進んだ。
シェタボラという街は初めて訪れたが、大まかな地形は地図で把握している。縦に長い地形で、フォランたちが泊まっているのは北区と呼ばれる地域らしい。南区まで回るのは流石に時間がかかるので、北区の外周を回ることを視野に入れ、一定の速度で走り続ける。
「毎日毎日、飽きないものじゃのっ」
「こうでもしないと、身体動かさないのよっ」
横で併走する白獣は、しなやかなフォルムで軽快に前進する。いつの日からかほぼ毎日のように付き添いを始めたのだが、おそらく見張りを兼ねているのだろうとフォランは考えている。
チコラハは、とある目的でフォランと手を組んでいる手前、フォランのことを良くも悪くも目にかけているようだ。もっとも、この二人が(一人と一匹が)注視しなければならない存在は、現在、フォランの背中でまどろんでいるのだが。
寝ぼすけなティジーや睡眠時間の長いペルチを考えると、朝から話せる相手がいるのはありがたい。けれども、曲がりなりにもチコラハはフォランの討伐対象となる魔王である。いざという時のために、クセや動きはよく観察しているし、おそらくそれは向こうも同じであろう。
それはそれとして互いに平常を装った会話が出来るのは、一周まわって気が楽であった。
相手を完全に信頼しなくても良いのは、性根が気にしいなフォランにとって、嬉しい特権なのである。
「じゃとちても、おぶるまでするかのっ」
「仕方ないでしょっ。珍しく起きたんだしっ」
「気絶させるなり、拘束するなり、手段はあったはずじゃろっ」
「寝起きで頭回ってなかったのよっ」
相変わらずペルチを危険視するチコラハだが、少々発想が過激だと思わなくもない。
フォラン自身ペルチを警戒していない事実もあるのだが、悪意のしっぽも出てない現段階だと、年相応の言動には年長者らしく手助けをするのが最適だと考えている。
ぐずると泣くのもあるが、フォランが手厳しくするとティジーがすっ飛んで甘やかすからだ。護衛対象自らが親密になっては元も子もない。もちろん、親密に触れ合う二人を見たくない気持ちもあるのだが、それはそれ、である。
ほぼ早歩きと言ってもいいフォランにしがみつくペルチは、むにゃむにゃ言いながらも不満の声は漏らさない。
いっそここで下ろしてとでも言われれば楽なのだが、図太いのか鈍感なのか、全くそんな言葉を口に出す予兆も見られなかった。
「うわ、階段」
「転ばぬよう気を付けるんじゃぞ!」
「言われなくてもっ」
塀に沿って進むフォランは、長く伸びる階段を前に、ペルチを背負い直す。んにゃあ、と間抜けな声が聞こえた。
坂のように蹴上が低い階段は長らく続いており、なかなか厄介である。シェタボラの北側は傾斜になっているようだ。
とんとんとん、とひとつ飛ばしに、控えめに階段を飛ぶフォランは左を向いて街を一望する。朝の静かな時間であるせいか、街は眠っているような印象を受ける。けれどもフォランがやって来た宿もとい仕立て屋の先では、ちらほらと人が歩いているのを確認できた。
「南区、か……」
びっちり建物が敷き詰められているのは北区と変わりないが、道幅が広いのか、建屋の高さが低いのか、南区はどことなく見通しが良い。日当たりの関係もあるのかもしれないが、それだけではない何があるとフォランは昨日のやり取りから想像する。
と、少し前を走っていたチコラハがなにかに気づいたらしく、唐突にぴょんとフォランの隣に並び立った。
「どうしたの?」
「あの娘がおる」
「あの娘?」
階段の先は平地で、極端に塀が低いのが見てとれた。
むしろ街の塀はこの高さを基準に作られたかのようではあるが、それにしては開放的すぎる。ペルチでも頑張れば跨げる程度の、柵のような塀に囲まれたそこは所謂墓地であった。
墓石がずらりと並び、日陰になっている空間にぽつりと佇む人影は異様に目立った。群青色の髪を垂らした女のようである。
フォランは彼女が誰かをすぐに察して、チコラハに人差し指を立てた。白獣は黙って頷く。
「こんな朝早くに墓参りですか、トゥーリンさん」
「フォーちゃん……とペルちゃん? 寝てるんですかぁ?」
ペルチを背負ったまま、フォラン軽く顎を引く。
間延びした口調と裏腹にきりりとした目を持つ少女は、フォランとティジーが部屋を借りている仕立て屋の女店員トゥーリンであった。
フォランが声をかけた際、片手に何かを隠したのだが、あえて追及することはやめ、適当に話を合わせる。
「ちょっと朝の散歩をしてまして」
「んも〜駄目ですよぉ。昨日も言ったじゃないですか、そーゆー勇者っぽいことは北区では控えたほうがいいですよって。朝から散歩する勤勉な旅商人の方なんて稀なんですしぃ」
「確かに南区の方は、既に何人か人が出歩いているみたいですし、紛れるには丁度よさそうですね」
「北はどうせ、南の吐き溜めですからねぇ」
昨日、部屋を借りたフォランたちはシェタボラのおおよその現状を話して聞かされた。
曰く、北区と南区には確執があり、その要因は勇者にあるという。その名残で今も北区は寂れており、商人らが集うのはこぞって南区なのだとか。
偶然とはいえ、勇者に良い思い出がない北区で宿をとったティジーと、〈勇者証〉を交渉材料に持ち出したペルチはどことなく青い顔をしていた。そんな二人に、どうせ滞在するのは数日でしょと励ましたのもトゥーリンその人である。
ここだけを見れば気前のいい少女なのだが、普段から素を出さぬよう心がけているフォランとしては、笑顔の仮面を付けているトゥーリンに、距離を感じている。
「……ちなみに、そちらはどなたか聞いても?」
墓石へ手を差し伸べ、話を逸らすフォラン。
トゥーリンはじっとその手を見つめ、それからへらりと口元を緩ませた。
「姉ですよ。大分昔のことなので、あまり顔は覚えていないんですけどねぇ」
「毎日来られてるんですか?」
「習慣ってわけじゃなくて、話したいなーって時にだけ来るんですよぉ」
「……もしかしてお邪魔でしたか」
髪を指先で弄りながら語るトゥーリンに謝罪するも、軽く首を横に振られてしまう。
見たところ手ぶらである彼女は、上着を羽織っているだけで、殆ど寝巻き同然であった。およそ突発的にふらりと立ち寄ったのであろう。
立ち止まったフォランに気付いたのか、もぞもぞとペルチが動き出したので、軽く揺すってみる。
んにゃあという間抜けな声が聞こえた。
まだ地面に立つ気は無いらしい。
軽く鼻を鳴らすフォランを見るなり、トゥーリンもニコニコと微笑む。
「ふふ。ペルちゃんは甘えん坊なんですねぇ」
「いつもはここまで付いてこないんですけどね。代わりに背負いますか?」
「気持ちよさそうにしてますしぃ……私、華奢なのでぇ」
フォランより背の高く、細い彼女はへらへらとそんな事を言ってのける。確かに朝から幼児を背負いながら走り込みをする勇者と比較すればひ弱と語るのも道理だ。
世間話程度の提案だったので、その返答に深く突っ込むことはせず、ふと後方を振り返るフォラン。
塀――というより、むしろ花壇のような煉瓦の重なり――の向こうにはだだっ広い平野が広がっていた。少し離れた場所には森だの洞窟だのがあるようだが、それだけである。
過去に魔王が猛威を奮ったのならば、近隣の街も無くなるものか、とフォランが肩の力を抜いたところで、ぎゅうと肩に力が込められた。
「ペルチ?」
「……だれ?」
「え?」
「……フォラ。ここに来るんよ」
唐突に目を覚ました幼女と謎の言葉に、フォランは目を瞬かせるも、突如迫り来る殺気に気づき、咄嗟に後方へ飛ぶ。即ちトゥーリンの前である。
やってきた「何か」は、先ほどフォランがいた場所に華麗に着地する。
そこには獣がいた。
子ヤギ程の小さな大きさではあるが、眼光は鋭く、目元の傷が野蛮さを物語っている。
紺色の毛には砂埃が纏わりついており、黒光りする爪で地面を捉えている脚は心配になるほど細い。
紛うことなき野生の獣である。おそらくはオオカミやイヌの類だろう。
人が跨げるくらいの塀と例えたものの、こうも簡単に侵入者が来るとは想定していなかったのだろうか、とフォランは内心舌打ちをする。
「ペルチ、下ろすわよ」
「あ……フォラ」
「トゥーリンさん。この手の獣はよく来るんですか?」
「い、いえ。街の外にいるという話は聞きますけど、入ってくるなんてことは」
「なるほど。じゃあコレは物好きってことですねっ」
獣が動いたのと同時にフォランも動く。
狙いは当然、フォラン――もとい近辺にいる人間だろう。この際、ペルチも人間換算する。
棒立ちのトゥーリンに飛びかかることを予測していたフォランは、宙に浮いた横っ腹に勢いよく身体を当て、獣を墓石へと当てる。
すぐさま体制を建て直した獣は、案の定フォランへと向かってきた。分かりやすく爪を立てての突進で、すかさず地に背をつけたフォランは、今度はその下っ腹を脚で蹴り飛ばし、横に転がる。
宙で姿勢を崩した獣は、そのままの姿勢で地べたに落ちた。
「チコラハ!」
「チチチチ!」
たかが蹴りの一発二発で諦めるとは考えていないフォランは、唯一助力が期待できる戦力へ声をかける。
トゥーリンがいるために獣の振りをせざるを得ない魔王チコラハは、フォランの掛け声に合わせて横たわる獣に牙を剥く。
けれどもそれが届くより前に獣は起き上がって回転し、小さな白獣に綺麗な後ろ蹴りをかます。顔面に蹴りを食らったチコラハは、垂直に飛んで塀にぶつかった。
「んぎゃっ」
呆気なく塀からずり落ちるチコラハと、敵を蹴り飛ばして得意げな獣。
フォランはその隙を見逃さず、懐に忍ばせておいた氷の球を取り出す。
フォランの装備は対人向けの手甲だ。朝の走り込みで遭遇するなら酔いつぶれた住民だろうとタカをくくっていたが故に、予備で持ち合わせていた二つの氷の球しか使えそうなものがない。
チコラハお手製のそれは、表皮だけ氷で中身は水という構造であり、中の水が空気に触れると凍るという特徴がある。つまり、球が割れると溢れる水の形がそのまま氷と化すのだ。
そして、チコラハを蹴った際に踏ん張ったであろう前脚に向けてその氷の球を投げつける。
が、獣は脚を大の字に開いて氷の球の直撃を避けた。
「はあ!?」
およそ獣離れした、人間の曲芸のようなそれにフォランは呆気に取られる。僅かであるが、跳ねた水が前脚付近について体毛が凍ったようだが、動きを止めるには物足りない。
さらにもう一つの氷の球を取り出そうとするも、再び飛びかかってくる獣を転がって躱すフォランにそんな余裕はなかった。
そして、横に避けてしまったが故に、獣はフォランの後方へと走っていく。
判断を誤ったと気づき、後ろ脚に飛びかかるも、伸びているはずの脚は、その瞬間だけ海老反りのように高く天を向いてフォランの腕を躱した。
言うならば獣は、随分と臨機応変な対応をしていた。フォランは困惑しつつ、幼女を抱きしめるトゥーリンを視界に入れ、拳を握りしめる。
「逃げて! トゥーリンさん!」
彼女の手に握った何かが反射してキラリと輝く。
墓石の間を縫って駆け抜けるのは難しいことを知っているのか、はたまた凶暴な獣の前に逃走を諦めたのか、トゥーリンは頭を垂れて微動だにしなかった。
トン、と軽く地を蹴った獣を見て、間に合わないと知りながらもフォランが身体を起こすと、トゥーリンを庇うように腕を広げる幼女を目に入れた。
「だめっ!!!」
途端、金属音のような甲高くもあり、鈍い音がフォランの身体を突き抜けた。
ぱちくりするフォランをよそに、獣はトゥーリンを飛び越え、墓石の上に降り立つ。例の、彼女の姉の墓石だった。
音の出処が分からぬまま、周囲を見渡すフォランは、よろよろと立ち上がるチコラハを視界に入れた。目だけで今の謎の音の出処を尋ねてみるも、アイコンタクトが上手く伝わっていないらしく、首を傾げられる。
「ここは、だめなんよ!」
「…………」
「ぺ、ペルちゃん?」
肩にトゥーリンの手を乗せられながら、黒髪の幼女は勇ましく獣に人差し指を突き立てた。
先ほどまでの凶暴さはどこに行ったのか、獣は墓石の上にちょこんと座り、じっとペルチを見つめるばかりである。
そのまま睨み合うこと数秒。
つん、と拗ねたように獣がそっぽを向けば、ペルチが拳を振って唸る。無言の攻防はあっさり決裂したらしい。
ペルチがやかましく塀の向こう側を指さしたのもつかの間。
チャリンと音がして、獣はトゥーリンの持っていた金属製の何かを咥えて駆け出した。
「ま、待って! やだ、なんで!? やめて、それは……それだけは!!」
「待ちなさいっ!」
フォランは逃げようとする獣の脚を払うべく己の脚を伸ばすも、障害物を越えるかのようにぴょんと飛び越えられてしまう。
そのまま塀を飛び越えるところで、獣はちらりとフォランの方を向いて、口元を歪めた――ように見えた。その際、咥えている金属の何かが見えて、それが何か気づいたフォランは走り出そうとした脚を止めてしまう。
「……なんで?」
呆然とするフォランの背後で、幼女の声が弱々しく響く。
「とぅ、トゥーリー! ごめんなんよ……ウチ、守れなかった……」
「だいじょう、ぶ……っ、わた、わたしの、じゃないから……っ、いつか、かえすもの……だったからっ……」
「……フォラン?」
すすり泣くトゥーリンを宥めるペルチに駆け寄ることも出来ず、眉を寄せるフォラン。
てこてこと近づいて小声で声をかけたのはチコラハだ。壁にぶつかった際はぐったりしていたが、歩ける程には回復したらしい。
「さっきのアレ、〈勇者証〉だった」
「……ほほう?」
「もしかしてあの子……」
その言葉の先は想像である。
現実味のない答えは、フォランにとって甘美でありすぎるが故に触れることを良しとしない。
故に、そこでフォランは考えることをやめて二人のもとに駆け寄った。
「すみません。私も何も出来ませんでした」
「そんな……こと、ないっ、ふぉーちゃん、たたかって、えらかっ……たもんっ」
「……フォラあ」
「ええ、ペルチも守ってくれてありがとう。今は帰りましょうか」
肩を震わせるトゥーリンを支えながら、フォランは立ち上がる。
おろおろするペルチを慰めるかのようにチコラハが寄るも、案の定白獣に怯えた幼女はフォランの腰元にまとわりついた。
歩きづらいと感じつつも、声に出さず、口を真一文字に結んだフォランはのそのそと仕立て屋へ帰還した。
そして、帰ってから、目標の半分も走れてないことに気づき、両手で顔を覆った。




