01-08 きつけ
「た、たのもー……」
村外れの空き家の前に立ち、寝癖を直しきってない頭髪の少年は小さな声でそんな言葉を呟く。
時間は早朝。
澄み切った空気がひんやりと肌に染み入る。
草木にはまだ夜露が残っており、無造作に生えた木々が陽の光で僅かに輝く。
ウレイブは年間を通して温度変化が少ないものの、昼夜の温度差はすこしばかり大きい。
「……やっぱいないか」
普段ならまだ寝ている時間帯に外に出たせいか、喉奥から出かかる欠伸を噛み殺しながらティジーは呟く。
二日前に先輩である勇者ギサディットがここにいたものだから、すっかりここに泊まり込んでいるのだと思い込んでいた。
けれども明るくなってから見る建屋は、薄暗かったあの時と比べて、とても人が夜を凌げるような状態であるとは思えなかった。
屋根は付いているものの、壁にはびっしりと蔦が生い茂っており窓が見えない。
そしてその屋根も雨風以外のものによって穴を空けられたり削られたりしていることに加え、大きな蜘蛛の巣が張られていた。
改めて、なんという建物に入ったのだろうと内心引き笑いをしながらティジーは踵を返す。
すると鈍い悲鳴のような音が背後から聞こえた。
「ふぁ……。あー、ティジー? どうした、何か用か?」
あろうことかオンボロの建屋からギサディットが扉を開けて顔を出してきた。
目がやや開きっていないところを見ると寝起き――つまりこの家で睡眠をとっていたらしい。
「あ……えと、ホントにいるとは、思わなかったっす……」
訪ねておきながら戸惑うティジー。
そしてその首に黒いものが巻きついているのを確認して、手のひらに親指の爪を食いこませる。
おそらく察しのいいギサディットのことだからティジーのヘビ嫌いはバレている可能性もあるが、そうだとしても魔王でもあるヘビを恐れていることは隠したかった。
「立ち話もなんだから中入るか」
「キチキチ」
寝ぼけ眼のギサディットが戸を更に開ければ、再び鈍い悲鳴のような音がする。
そういえばこの前も蝶番がこんな音を出していたなとティジーは思い返し、戸を掴む。
中を覗くと、やはり明るく照らされた室内は踏み入れ難い内装をしていたので、とっさに片手を突き出すティジー。
端的に言って怖気付いた。
「や、長話しに来たわけではなくって。……その、きつけをしようと、思って?」
「うーん? 背中叩いてもらいたい?」
「いやあの……まあそれでもいいんですけど。オレ、ギサディットさんのこと尊敬して、たんですよね」
少し迷ってからティジーは過去形の言葉を選んだ。村にいた時のギサディットと今のギサディットが違う人物に見えたからである。
そのまま立ち話が続くと判断したギサディットは、戸枠に背を預け、足で戸を支える姿勢をとった。
ギサディットが背中を枠に押し付けたときにミシリ、と嫌な音が鳴ったが、ティジーは再び親指の爪を手のひらに食い込ませて平静を装う。
「んで、今日から〈成人の儀〉が受けてるようになるわけで……。だからギサディットパイセンに、なにか言葉っつーか……そういうのを貰えると、ちょっとは気合い入るかなって」
「なるほどなるほど。ティジーは不安なわけね」
「そりゃそーですよ! 仮に合格しちゃったら村を出て一人で旅しなきゃいけないんですから!」
口にしてから、しまったという顔をするティジー。
成人したら勇者になるという暗黙の了解があるこの村では、勇者になりたくないと願ってもそれは叶わない。正確には〈成人の儀〉に合格しなければ勇者になれないので、不合格し続けたり挑戦しなかったりすることで回避することは可能だが、慣習を重視する大人たちがそれを許さないのだ。強要の程度は人によるが、中にはうっかり「勇者になりたくない」と口にしたところ、半日近い説教を行う大人もいたとか。
そういうわけで、学友以外には嘘でも勇者に対して、消極的な気持ちを明かさないようにすることが勇者見習いたちの暗黙の了解であった。
けれども勇者になって日が浅いギサディットはティジーの言葉を聞いて、むしろ首を縦に振る。
「そうだなあ、いきなり一人で生きろなんて厳しいよな。俺もちょっとは思ったわ」
「ちょっとなんですね……」
「俺は割と村の生活に飽きてたからなあ。毎年の楽しみって、披露会くらいしかなかったし」
勇者を排出するとはいえ、その得意な慣習を除けばウレイブは凡庸な一農村である。特別裕福でも貧困でもなければ、目立った特産品があるわけでもない。
唯一の大行事は上一塊に行われる「誕生祭」と下四塊に行われる「収穫祭」及び「披露会」程度である。
誕生祭はウレイブだけではなく、王国共通の行事だ。毎年上一塊の最初の日、つまり年が新しくなって一日目に人々は歳を一つ重ねる。そのため、全ての人々が一斉に誕生日を迎える上一塊の初日に、誕生を祝う祭りが制定されたのである。
収穫祭はその名の通り農作物の刈り入れ時に行われるウレイブ固有の祭りだ。つまりは年に一度だけ料理に音楽にかまけて、てんやわんや騒ぐ催しだが、世界各地を回った元勇者たち曰く、王都の祭りと比べれば子供の縁日のようなもの、らしい。
披露会はその収穫祭に伴って行われる勇者見習い――すなわち子供たちの技術発表会である。日々学んだ勇者としての知識から、趣味で身につけたものまで幅広く扱う。人前に立つことが得意な者であれば舞台で剣舞や演劇、料理を披露したり、そうでない者は自ら作成した衣類や工芸品、ひいては文学作品などを展示する。
ティジーは手先が器用でもなかったので、適当にその辺の学友を誘って舞台の上で拙い手合わせを披露したものだ。
しかしギサディットは真剣を巧みに扱い、複数の藁人形を切るだけでなく空中に放り投げたそれを指先で掴むような曲芸の類を披露した。当然授業ではそんなことは学ばない。好奇心旺盛でなおかつ剣を上手く扱えないティジーはそれだけでギサディットの好感度が跳ね上がった。
つまるところティジーがギサディットを尊敬しているというのは、そういった華々しい芸当が出来るからという点が大きい。特別ギサディットと親しくした経験もないので、彼にとってはティジーが尊敬していたという事実さえ初耳だろう。
「けど、村を出てもいいことばかりでもなかったぞ! 要は治安とか人間とか、そういったものはどこも大きく変わらんってことだ」
「励まされてるのか適当なのか、イマイチ分かりかねますが……」
「励ましてる励ましてる。村の外でも、村が広くなっただけのとこが割と多いんだから大丈夫だって。ま、その前に〈成人の儀〉に合格しなきゃならんわけだけど」
豪快に笑うギサディットを見て、ティジーは自らの悩みがふっと軽くなるような気がした。
ギサディットは実践科目も座学もそれなり優秀で、〈成人の儀〉もいちはやく合格したと聞く。そんな優秀な彼に比べれば自分は大したことないのだろうけど、それでも誰かに「大丈夫」と言われるのは心が安らぐものだ。
「えと、ありがとうございます。ちょっとは頑張れそうな気がしてきました」
「おう! 〈成人の儀〉に合格できるのは一度だけだけど、挑戦するのは何度でも出来るからな、頑張れよ」
「キチキチ」
片手を握りしめるギサディットと、舌を出す〈隷属の魔王〉。
相変わらず彼のヘビ型魔王を見ると本能的に身体が硬直してしまうが、こうしてギサディットと話している間に何も仕掛けてこなかったあたり、本当に魔王なのだろうかと疑問に思うティジー。ギサディットの言う通り、人懐っこいから彼の言うことを聞いているのだろうか。
少なくとも〈隷属〉については、フォランも言っていた通り首を突っ込む問題ではないと判断して、ティジーはギサディットに頭を下げ、空き家を後にする。
日が昇ってきたため、地面が温まり肌寒さは少しだけ薄れていた。
ティジーはそのまま自らの家の方向ではなくさらに村外れの、村の近くの森へと向かった。
臆病な自分には、まだ「きつけ」がいると思ったからだ。
「……とはいえ勇者になんてなりたくないんだけどさ。矛盾してるけど、とりあえずちゃっちゃと勇者になりたいし」
勇者としての責務を果たしたくないので、とっとと村を出て、こっそりとなんちゃって勇者生活を送るのが目下の目標だ。
そのためにはまず勇者見習いからの卒業――つまり〈成人の儀〉合格が立ちはだかる。
魔王を倒す気はなくとも、周りにとやかく言われることなく日々を過ごすためには成人して勇者にならなければならないこの矛盾。しかしギサディットが言っていたように〈成人の儀〉に合格出来るのは一度だけなのだから、そこさえ過ぎてしまえばあとは自由の身なのである。
そういうわけで、〈成人の儀〉を早々に合格出来るよう気を引きしめるべく、ひとりぶちぶち呟きながらティジーは森の入口へと向かったのだった。




