02-30 幼なじみ
何度目かになる欠伸を噛み締め、手元にある本へ無理やり意識を集中させる。
日は既に高く昇っており、村人たちが一時帰宅をしている様子を見るに昼時であろう。
窓から注ぐ光は眩しいけれど、瞼に気付けをしなければならないほど強烈ではなかった。故に眠気は吹き飛ばない。
小さな呻き声を耳にしたティジーは、すかさず本を傍らに置いて、新台に横たわる少女の肌に布を滑らせる。
夢見が悪いのか、眠る彼女は苦悶の表情を浮かべて寝返りを打つのだ。
じんわり滲んだ汗を拭き取るティジーは、少女を落ち着かせるように優しく頭を撫でる。
ふんわりとうねっている桃色の髪は、少女の表情を幾分か柔らかく見せているけれども、ティジーは彼女が落ち着くまでゆっくり手を動かし続けた。
顔から力が抜けて、ほうと息を吐くさまを見届けてからようやくティジーは手を離し、幼なじみの顔をじっと見つめた。
穏やかな寝顔である。
元来タレ目がちな目元は、気丈な振る舞いできりりと鋭くなっているものの、本来の顔立ちはとても柔らかいことをティジーはよく知っている。
「…………」
何も言うことなく、じっと寝顔を見続ける。
眠気覚ましに本を読むよりずっと効率的かもしれない、と思い立った矢先、ぴくりと瞼が動いた。
再び寝返りを打つのかと布を手に取ったティジーをよそに、少女の瞼はゆっくりと開かれる。
数回瞬かれた瞳は、やがて一人の人影を映し出す。
「てぃ、じ……?」
右に顔を傾け、隣に座る幼なじみに声をかけるフォラン。
布を手に取ったティジーは、すぐさまそれを元の場所に戻し、努めて穏やかに微笑む。
「よ、フォラン。寝起きの挨拶するのは二回目だな」
「ん……。なによ、ばかにしてるの?」
「こらばかっ、まだ寝てろって!」
肩に力を入れ、身体を起こそうとした幼なじみをティジーはその肩を押すことで静止させる。
馬鹿なのという問いに、馬鹿だと言われたフォランは、不満げに唇を突き出す。
「なによ、ばかばかって」
「そんなには言ってないだろばか」
「今言ったし。ばか」
「るせーばか」
ご機嫌ななめになったフォランを宥めるように、ティジーはゆっくり頭を撫でる。
が、フォランはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
左側を向いたフォランは、自らの足元に何かが置かれていることに気づく。
視線を下に動かせば、ぴょこぴょこ跳ねる黒髪を持つ女児が、布団に両手を広げて寝こけていた。
見知った幼女を目に入れたフォランは、顔を上げてきょろきょろ当たりを見渡す。
「ここはメリパルカの治療院。んでお前は絶賛入院中だ」
「違うわ。私は今、いつの何時かを知りたかったの」
「下二塊七日のお昼です」
「……私、丸一日寝てた?」
「一日以上は寝てました」
淡々と答えるティジーの声には明らかに棘があった。
それもそのはず、ティジーは酷く疲れていたのだ。
ヴァイサーとフォランが魔王を討伐したのが、下二塊六日の朝方である。
それからヴァイサーはソサーカを、ティジーはフォランをメリパルカの治療院に運んだ後にヴァイサーは気絶。
医師と協力して彼を寝台に寝かせたあと、サナーリアに呼びつけられたティジーは、メリパルカの有志の男性とともに魔王の残骸を馬車に詰め込みグラジークへ輸送した。
そのまま残骸たちは王都へ運ばせることにして、ほっとしたのもつかの間。
ティジーはテッドに自分とヴァイサーとついでに貴方の肉も無事であることを伝えると、気のいい村人が馬を出してくれたので、セセルカとソサーカが盗んだ馬車まで案内する羽目になった。
そうしてグラジークに戻り、ソサーカへの感謝の言付けと彼らの私物を預かったティジーは、ヴァイサーとソサーカの病室にそれを届けた。
諸々の雑務を終え、ようやくペルチが留守番をしていたフォランの病室に辿り着くも、少女は目を覚ましてはいなかった。
さすがに夕方になれば起きているだろうと思っていたティジーは素直にショックを受け、彼女が起きるまで付き添うことを決めた矢先にサナーリアから二度目の呼び出しをされ、夕食ついでに事情聴取をされることとなる。
仕事熱心なサナーリアに呆れつつも、聞き取りのお礼の代わりに傭兵代の費用を受け取り、フォランと折半しろとしつこく言い聞かされた。
やたらフォランにご執心なサナーリアとの会食を終え、辺りが暗くなってからようやくフォランの隣に付き添うことが出来たのだ。
同席していたペルチは眠気に負けて、そのまま病室で寝こけたが、ティジーは時折怯えるような声を出す幼なじみを放ってはおけず、結局一睡もせずに今に至る。
とはいえ、これはティジーが己で選んだ道であり、フォランに自分の苦労を感謝するように強いる気持ちはない。
故にティジーは何も言わず、けれども僅かに棘のある視線でフォランを見つめる。
微睡む瞼は、フォランの起床により多少しゃっきりしたけれど、目力は幾分か弱まっている自覚はあった。
「ティジー、もしかして寝てないの?」
「……これから寝る」
「私のことなんて、監視してなくてよかったのに」
「うるせえ。今まで散々寝てたやつに言われたくないっつの」
「ティジー」
「あんだよ」
ティジーを見つめるフォランは、穏やかな表情をしていた。
自らの睡眠時間と、ペルチがここで寝ていること、そしてティジーの隈に気づいたのだろう。
「ごめんね」
「……は」
少しだけ少女の瞳が潤んだのをティジーは見逃さなかった。
けれどもフォランはすぐさま目を閉じて、いつとのように力強い眼でティジーを見つめた。
その姿はいつものフォランだった。
何年も見てきた、ティジーのことをよくからかう幼なじみだ。
酷く疲れているはずなのに、彼女はそれを隠している。
一度目を覚ましたところで、まだまだ休息が必要なことには代わりない。
この幼なじみは、臆病なくせにいつだって強がるのだ。
現実主義だと――ティジーの服を引っ張って歩くようにならなくなったのは果たして何時からだったか。
様々なことが頭をよぎって、けれどもそれらの結論が出る前に、ティジーは反射的にフォランの口に己の手のひらを押し付けた。
「言うな」
ぱちくりと目を瞬かせる幼なじみに、小さく乞う。
何を言おうとしたのかは分からない。
けれども、体裁を整えたフォランは、きっといつものように強い言葉で話し始める。
それ自体は構わない。
けれども今は、そんな言葉を聞きたくなかった。
「オレは、心配した」
「…………」
「すげえ心配した。フォランが目ぇ覚まさないんじゃないかって心配した」
「…………」
寝息は聞こえたけれど、とても苦しそうで、耳を立てていなければ止まってしまうのではないかと不安になった。
布団で暖を取っていても、どんどん身体が冷たくなってくのではないかと不安になって手を握った。
「謝らなくていい。オレはお前のそんな言葉じゃなくて、感謝でもなくて、ただ素直に思っていることだけを伝えて欲しい」
我儘だとは分かっている。
けれども、フォランが謝罪したり、面倒を見た事に感謝したり、ましてや虚勢を張ったりする姿をティジーは見たくなかった。
そっと口元から手が外されたフォランは、小さく息を吸う。
僅かに肩が上下するのを、ティジーはほっとしたように見つめていた。
「ちょっと息苦しかった」
「ご、ごめん。怪我人なのに……」
「だから、ティジーも来て」
「へ?」
布団から右手を出して、ちょいちょいと手首を振るフォラン。
訝しげな目をしたままティジーは椅子から立って、膝を折る。
ちょうど寝台のフォランと同じくらいの目の高さになった。
一体何をするのだろうかと脱力したところ。
「んむ」
「ふふーん」
ティジーの口に、フォランの拳が柔らかく押し当てられた。
仕返しだとでもいうような、全く痛くも痒くもない拳に、フォランはたいそうご満悦である。
ティジーはというと、己の唇に女の手が当てられた現状に驚き、高速で目を瞬かせていた。
「随分自分を棚に上げているみたいだけど、私だってティジーのこと心配してたんだから。そんなに上から目線で話さないでよね」
「……ふぉらんっ」
「なによ、顔赤くして」
「赤くねえ!」
拳から顔を離したティジーの頬は、分かりやすく火照っていた。
本人も顔の熱は自覚しているはずだが、現状を認めてもろくな事にならない。
「お、オレは大丈夫だ。魔王倒してもないし、無傷だったし、つか一番役に立ってなかったし……」
「でも心配だったもん」
「でもってなんだよ」
「心配なのは心配だもん。……素直になれって言ったくせになによ」
ぷいと顔を背けたフォランに、ティジーはぱくぱくと口だけを動かして、言葉が出てこない己の頭を掻きむしる。
フォランはきちんと要求に答えてくれたのに、それをティジー自らが否定してしまったのだ。
いつものような軽口と思って反論したティジーは、己の軽率さを恨んだ。
「わ、悪かった! でもオレ、怪我とかないし」
「寝てないじゃん」
「それは、そうだけど」
「疲れてるでしょ」
「お前よりはピンピンしてるし」
「うそつき」
「うそじゃねえって」
「……ティジーも、素直になってよ」
そっぽを向いたまた、ぽつりと呟くフォラン。
拗ねているような声色は、またたくまにティジーの心臓をぎゅうと掴んだ。
それは最早幼なじみという建前を凌駕する激情であり、けれどもティジーはその感情の名を知らない。
ただ、目の前の少女に振り向いて欲しい一心で、ティジーは少女の枕元に手をついた。
「じゃあ、素直に、なる」
「ん」
腕を抱えるように寝台に体重をかけ、立ち膝になるティジー。
少女の顔は見えない。
ただ、ふんわりした髪から除く耳だけが見える。
「オレ、フォランと一緒に旅したい」
「…………へ」
会話の脈絡などあったものではない。
けれどもティジーは、自分が今一番押さえつけている想いを吐き出した。
素直にと言ったのはそっちなのだと、責任を擦り付けながら言葉を続ける。
「フォランがヴァイサーと旅するって言った時……オレ、なんで誘わなかったんだろうって後悔してた。フォランが昔より強いのは分かってるけど、でもなんか、すげえ嫌だった。フォランは問答無用でオレの隣にいてくれるものだって思ってたから、なんか……ずるいって思ってた」
「…………」
「なんだろ、嫉妬なのかな。わかんねえけど、でもフォランはものじゃないし、この気持ちはオレだけだって思ってたから、ずっと言えなかった」
「…………」
「でもさ、フォランがオレを心配して、オレがフォランを心配してるなら……オレたち、一緒にいてもいいんじゃないか? それで心配ごとが消えるとまでは言わないけど、でも、目に見えるところにいるなら、お互いに多少は安心出来ると思うし」
ティジーは、再び顔が熱くなっていくのを感じていた。
それと同時に、少女の耳も赤くなっているのが見えて、自然と頬が緩んでいく。
少しの沈黙があった。
フォランを見つめるティジーは、少女がもぞもぞと動いたのを見て、彼女の言葉を待つ。
「でも私、理由ない。魔王見つけたのに、旅なんて……」
「それは、あるっ! オレを監視すればいいんだっ」
「……っ!?」
否定の言葉はなかった。
ティジーはただそれが嬉しくて、勢いよく身を乗り出し、少女の顔を見下ろすように寝台に両手をついた。
けれどもフォランはますます顔を左に向けてしまったので、相変わらずティジーが視認できるのは赤く染まった耳だけである。
仕方ないのでティジーは、その顕になった耳に口を近づけ、小さく懇願する。
「細かいことは後で話す。でも、嫌じゃないなら一緒に行こう。オレ、フォランと一緒に居たいんだ」
「……な、な、な…………」
「フォラン。嫌なら断ってくれていいから」
「だ……っ! いやって、言ってない……っ!」
フォランの顔を見ようと、頬に手を添えた矢先、勢いよく布団が引っ張られて少女の顔が隠れてしまった。
目に見えて恥ずかしがっていたのは明らかだが、ティジーとて恥ずかしかったしそれなりに勇気を出したのだ。僅かに湧き出る不満に身を任せ、唇を尖らせてしまう。
とはいえ、言質は取れたことも同時にたまらなく嬉しかったため、ティジーは大人しく寝台から離れて椅子に座り直す。
「よし。じゃあまた一緒だな、フォラン」
「うるさいばか。ちょーしにのるなばか」
「……一切否定出来ないのが心苦しいので、少し頭冷やしてきます」
興が乗って、調子に乗ったことは事実である。
久しぶりの二人きりで嬉しくなってしまったのだろうか。
フォランにはまだまだ休養が必要なはずだから、あまり負担はかけてはならないと判断したティジーは意を決して椅子から立ち上がる。
真っ昼間の眩い日差しに当てられ、よろりと体制を崩したものの窓枠を掴んで立て直す。
完全に寝不足が身体に来ていることを察し、軽く額に手を当てた。
「ちゃんと寝なさいよ」
「どっから見てんだ、お前」
布団を被ったまま案じる声を出すフォランに、少しだけ顔をひきつらせるティジー。
「いいから。……ちゃんと寝てよね」
「わかった、ちゃんと寝るから。おやすみ、フォラン」
「おやすみ、ティジー」
フォランの布団の上で寝こけている幼女はそのままに、ティジーはのろのろと少女の病室を後にした。
そこからメリパルカの宿に向かう道中、またしてもサナーリアに出くわすも、「城に帰るから」の一言だけを告げられ、あっさり立ち去られてしまう。
そんな無作法な〈対策室〉の女を見たおかげで、ティジーは忘れかけていたもう一つの任務を思い出す。
「あーそうだ。報告書の書き方、フォランとヴァイサーに教えねえと……」
昨日の事情聴取の際に告げられた任務に頭を抱えたティジーは、それから逃げるように宿に飛び込み、泥のような眠りにつく。
久しぶりに、良い夢を見た気がした。




