01-06 先輩勇者
ところどころ木の皮が飛び出た戸を引けば、蝶番が首を絞められたような音を出す。先ゆくヴァイサーがびくりと肩を震わせたのを見てティジーは少しだけ安堵した。
おそらくは民家だったであろう屋内は、柱が欠けたり椅子が齧られたり天井に蜘蛛の巣が張られたりと、人が過ごす分にはおよそ劣悪な空間と化していた。
長らく人が出入りしていないことを裏付けるかのように足を進めれば床板が軋む、戸が傾く、何かが駆け回る、などの音が絶えず鳴り響く。それを聞いたティジーは恐怖を通り越していっそ喧しいとさえ思ってしまう。
夕刻に差し掛かっていたため室内は暗かったが、埃が払われた机の上にある小さな携帯灯の灯りで、足元の安全が確保出来る程度の明るさは得られていた。
「まあ座りなって。みずぼらしいけど、割と頑丈なんだぜ?」
この空き家へ三人を招き入れた張本人であるギサディットは悠々と椅子に座り、着席を促す。
ぎしり、と悲鳴のような音を椅子が出したので、彼もここに入り浸っているわけではないようだ。
けれどもあまりにも堂々とした態度に、三人は揃って椅子に手をかけて座ろうとすれば、突如ヴァイサーが椅子の背を叩く。
「いやいや、冷静になろう! 僕たちは魔獣を探しに来たのであってギサディットに会いに来たわけじゃないんだって!」
「……それはもちろん分かってるって。けど、なんかこう、流れがあったから、ね?」
魔獣探しのはずが、元村人である知り合いとの再会を喜ぶ会に移行しそうになる展開を阻止するヴァイサー。その言葉に不本意ながら同意しつつ、水を刺されたような気分になるティジーだった。
珍しいことに椅子に座ろうとしていたフォランも苦い顔をしており、それだけ場の空気が自然なものになっていたのだとティジーは予想する。たしかにこの人ならその程度のことはやりかねないと椅子に座る先輩勇者の姿をぼんやり眺めた。
当の本人はヴァイサーの言葉を聞いて、くつくつと肩を震わせて笑っていた。
「あいっかわらずの小心者だなあ。それとも用心深いって褒めるべきか?」
「ギサディットさんもその大きな態度、変わってませんね」
「一年ぽっちで性格が変わったら大変だろ? 旅が始まったら生きることに貪欲にならなきゃいけないし、そう考えると尚更自分は曲げられねえよ」
昨年はヴァイサーと同じく準級に所属していたギサディットは一年足らずで〈成人の儀〉に合格し、早々に魔王探しの旅に出た勇者の一人である。
とはいえ準級に所属している三分の一は上級に上がる前に勇者となっているため、彼が特別優秀だったわけではない。しかし、兄気質な性格と秀でた身体能力には年下のティジーも憧れの眼差しを向けてしまうほどであった。
刈り上げた薄水色の髪型は当時のままであり、衣服もきちんと取り替えられているあたり、身なりを整えるだけの余裕を持って旅をしているようだ。生きることに貧欲とは謙遜の類だろうかと邪推しつつ、元来弱みは見せない性分でもあったなとティジーは胸の内で小さく納得する。
「けどパイセン、旅に出て村に戻ってきたってことは……まさかなんですけど、もう魔王を倒した、とか?」
勇者が村に戻るのは基本的に魔王を討ったとき、とされている。
村の傍には殆ど魔王がいないとされていることもあるし、単純にケジメとして戻ってこないように言い聞かされていることもある。
一年足らずで魔王討伐を果たしたらもうやることがなくなるのではないかとティジーは逆に不安を感じてしまうくらいだが。
「うんにゃ、魔王は倒してないぜ。倒したら終わっちまうもんな」
「……勇者が魔王倒さないでどうするんだよ」
勿体ぶるギサディットに珍しく不機嫌な声を出すヴァイサー。
そういえばヴァイサーが同い年の人と話すところをティジーが見たのは久しぶりである。
ギサディットとヴァイサーがどういう仲だったのかはよく記憶していないが、ヴァイサーが二度目の準級となってから、彼はティジーやフォランを始めとした準級の仲間と共に過ごすことが多くなったように思う。
もちろん上級と準級では授業の内容が違うため、同じ級の仲間と過ごすことに何ら不自然な点はないのだが。
「その言い方だと魔王の居場所はもう分かってるって感じですね」
「流石フォラン。その通り、俺はもう魔王を見つけている。だからまだ狩らない」
「……なんかの謎かけっすか?」
生憎と頭脳戦が苦手なティジーはその言葉を聞いて余計に頭を捻らせる。場所が分かったのに討伐しないということは、機を伺っているということだろうか?
「ギサディット、〈魔王水晶〉を出せ」
溜息混じりにヴァイサーが申告する。
さて、〈魔王水晶〉とはどこかで聞いたことがあるがどこだったか、と思考をめぐらせて、シャルキの絵本だということを思い出すティジー。
おそらく魔王に関連する事柄なのだろうが、ヴァイサーは昨年も準級であったのでティジーたちの知らない知識を持っていてもおかしくはない。
「お、ヴァイサーも気づいたか? けどお前がこれを持っても――」
「出せって言ってんだろ、勿体ぶるな」
ようやく理解した。ヴァイサーはギサディットのことを好ましく思っていないのだ。
ますます不機嫌になるヴァイサーをどうすればいいのかと悩んだティジーは、ちらりとフォランを見て意見を仰ぐ。フォランは眉を寄せながら小さく首を振った。おそらく「首を突っ込むな」という意味だろう。
渋々といった様子でギサディットは直径五センチほどの小さな水晶を取り出す。上部がくり抜かれて紐を通されているため、装飾品として身につけることも出来そうだ。
「それが〈魔王水晶〉ですか? たしかシャルキの絵本だと、魔王の居場所がわかるとかなんとか……」
「あれ、まだ習ってないの? それともティジーが授業を聞いてなかっただけ?」
手のひらに水晶を乗せてフォランに視線を向けるギサディット。
ティジーの記憶は信用出来ないといった様子だが、本人も全くその通りだと思っている。
「いえ、私も絵本以上のことは。今日も〈漆黒〉の話を聞いたくらいです」
そういえば結局〈漆黒〉がなぜ倒さなければならなかったのかを聞きそびれていたことをティジーは思い出す。
フォランは教師が〈漆黒〉が何をしたのかを読み上げてから質問した、と言っていたが教本にそこまでの情報は記載されていたかったため、後でフォランに教えてもらおうと思ったものの、すっぽり抜けてしまったようだ。
「そっか。もう上六塊だから教えてるかと思ったけど、下一塊からだもんな〈成人の儀〉は」
上六塊とは現在の暦である。
六を重んじるこの世界では一週間を六日とし、それが六回続いた三十六日をひとつのカタマリとした「塊」と呼称している。
一年は十二回の塊によって大きく二分されている。
前半六回が「上一塊」から「上六塊」。
後半六回が「下一塊」から「下六塊」。
そうして「下六塊」が三十六日を過ぎると新たな年となり、再び「上一塊」が始まるのだ。
ティジーたちが準級に移動――あるいは昇格――したのがちょうど上一塊であり、現在の暦は上六塊。およそ六塊、つまり半年ほど経っているが、〈成人の儀〉は下一塊から挑戦可能になる。
「んじゃ、ちょっと予習になるけど教えようか。これは〈魔王水晶〉っていって、勇者になると貰える特別な道具だ。そんで勇者の魔王討伐っていうのは、予め定められた魔王を探して倒すっていう意味」
勇者一人につき一体の魔王を討伐する、という話は朧気ながら聞いたことがある。
けれども勇者ならば誰がどの魔王を倒しても良いわけではないようだ。
つまりシャルキであれば、彼は村を出た時から〈漆黒の魔王〉を倒すべく方方を探し回っていたということだろう。ということはシャルキがもっと早く魔王を早く見つけていたら犠牲者が出なかったのだろうか、と思案するティジー。
「おそらく複数の勇者が同じ魔王を倒せば謝礼金で要らぬ争いが起こると思ったんだろうな。そういうわけで、この〈魔王水晶〉を勇者に一人ずつ渡して、それが指し示す先にいる魔王を倒せっていう制度が出来たらしい」
「ええと……じゃあ、その〈魔王水晶〉が教えてくれる魔王ってのは、他の勇者の持つ〈魔王水晶〉の魔王と被ることはないってことですか?」
「そゆこと」
ティジーの言葉にギサディットは頷く。
勇者たちが持つ〈魔王水晶〉。
それは一体の魔王の居場所を教えてくれる道具であり、一つの〈魔王水晶〉は一種類の魔王の居場所しか示さないようだ。
「それで指し示す、ってのは具体的にどうなるのかっていうと……んー、一応目を瞑った方がいいかもしれないな」
「……やっぱりそうか」
「え? ヴァイサーなにがそう……っ!? うわまぶしっ!」
にやりと頬を歪ませたギサディットの手のひらに乗せられた〈魔王水晶〉が突如鋭く光り始め、ヴァイサーに視線を向けていたティジーは慌てて顔を覆う。
全くどうして水晶が光出したのかは分からない。
指し示す方法、とギサディットは言ったが、つまりそれの意味するところは――。
と、思考を巡らせ始めたところで光は弱まり、再び部屋は薄暗い闇へ包まれた。
「はい終了。ごめんな、眩しかっただろ」
「ここまで明るくなるとは思って無かったけどな。ギサディット、一体どういうつもりだ?」
ティジーは目をしばしばさせて、白黒している視界を闇に慣れさせる。
おそらくはきちんと目を保護していたヴァイサーが、いよいよ本格的にギサディットにつっかかるも、介入出来そうな雰囲気ではない。
「……光が指す方向に魔王がいると仮定すれば、確かにおかしな話ですね」
今ひとつ話についていけていないティジーだが、二人が問題視しているのは〈魔王水晶〉の効果らしい。
〈魔王水晶〉は魔王の居場所を示すもの。
そして、それは光を目印とするらしい。
だとすれば水晶は魔王のいる方向へ光を飛ばすか、あるいは魔王が近づくにつれて光度を増すということだろうか。
そこまで考えて、ティジーはあるひとつの仮定にたどり着く。
「……ギサディットさん、もしかして魔王と一緒にに旅をしているんですか?」
「キチィ」
いつの間にかギサディットの首に黒黒としたヘビが巻きついて、舌をちろりと出した。敵意はおろか、警戒心も薄いようで随分と落ち着いている。
それはティジーが屋内広場で見かけた、魔獣かもしれないと懸念したヘビであることはフォランもヴァイサーもすぐに気がついた。
そうして慣れた手つきでギサディットはそのヘビの頭を撫でる。片手で、ゆっくりと。
「バレちゃ仕方ない。とはいえ、ヴァイサーには最初から勘づかれてたかな。さすが俺の同期だぜ」
するりするりとギサディットの首からその腕へと移動していくヘビの動作はあまりにも違和感がなくて、芸でも仕込んだかのようであった。
しかしヘビが苦手なティジーはそれを綺麗なものとは思えなくて、ヘビを見つめているギサディットの視線さえ気味が悪いと思ってしまう。
そんなティジーの表情に気づいたのか、ギサディットは息を吐くように笑った。
「そんなに怖がるなって。こいつはそんなに悪いヤツじゃないんだぜ? 〈隷属の魔王〉って名前の通り人懐っこいんだからさ、騙されたと思って触ってみなよ」
そう言って勇者は、自らの腕に巻き付いたヘビの形をした魔王をその腕ごと三人へ向けるのだった。