01-05 ◆逢引ツアー
夕食に使用した道具や食器を洗い終えて所定の位置に戻した頃には日が傾いて、空を闇が侵食し始めていた。
最後に点呼を行ってから解散の声がかけられ、生徒たちは思い思いに帰宅する。
真っ直ぐ自宅へ帰る者、商店を除く者、上級の鍛錬を見学しに行く者。
「やぁっと解放されたよ……」
「なんだ、自慢かヴァイサー」
「酷いじゃないかティジー! 僕、何回もティジーの班見たんだよ? フォランはともかくティジーなら手を振り返してくれると思ったのに」
女子だらけの班から開放されたヴァイサーだが、接待に疲れたのかいつもより大きな声で情けない言葉を吐く。
手を振り返すだけで満足されるなら手を振っておけば良かったなどとぼんやり思うティジー。それにしてもフォランの信用のされなさは相変わらずである。
「じゃあおつかれヴァイサー。私これからティジーと逢引してくるから」
「全く人目を忍んでないし逢引でもねえんだけど!?」
いかにも厄介払いといった手振りでヴァイサーに別れを告げるフォラン。そして適当な理由を話すと思いきや、まさかの逢引発言にティジーは動揺してしまう。
が、腫れ物扱いも慣れたもの。この程度ではヴァイサーは引き下がらない。
「それじゃあ僕は二人の逢引を逢引しようかな」
「……なんじゃそれ」
「ティジー、好かれてるのね」
「フォランさん、ちゃんと突っ込んで下さい」
けれどもヴァイサーの有無はさほど問題では無いと判断したティジーはそのまま付いてこいと手で合図をして歩き出す。
調理を行った学び舎の屋外広場を抜けて、村の小道を歩いていく。人がよく通るという理由で草が生えていないだけの剥き出しの地面で舗装はされていない。ウレイブ村内の殆どはこのような踏み分け道であるため、辺りが暗くなると石などに躓きやすくなる。
「で、どこに行こうっていうのさ二人とも」
さくさくと足音だけを鳴らして無言で数分進んだ後に、ようやっと行き先を問うヴァイサー。村の中心部を離れていることから、村の外へ出ようとしていることは察したようだ。
勇者見習いは村から出てはいけない、という決まりはない。しかし夜遅くまで外にいるのは危険なので、日が落ちてからの外出は控えるようにとは大人たちから口を酸っぱくして言い聞かされている。
「ヘビがいたんだよ」
「ん? ヘビ?」
だが、日が落ちてからの方が探しやすいものだってある、と子供なりに反論材料を揃えるティジー。
「私は見てないけどね、ティジーとチェテーレが黒いヘビを見たんだって」
「ふーん? でもティジーってヘビ苦手だったよね?」
フォランは顔に出にくいため、好き嫌いを察されることが少ない。故にヴァイサーはヘビが苦手だと把握していないようだ。
自分も弱点は隠せるようになりたいものだと内心歯ぎしりをしながらティジーはヴァイサーに返事をする。
「そうなんだけど、もしかしたらヘビじゃないかもって思ったんだよ」
「……ああ、なるほどね」
最後まで言い切らずともヴァイサーは察したようだ。
なにせこの世界の脅威というのは三つしかないのだから、勇者見習いであれば察せて当然だろう。
脅威のひとつは魔王。いわずもがな世界各地に跋扈する謎の存在である。
もうひとつは獣。もしくは野獣と呼ばれ、一般的に人ではない生物を指す。
そして最後のひとつが魔獣。獣でありながら獣以上の力を持つ摩訶不思議な生物。
「つまりティジーたちは、そのヘビが魔獣だと思ったわけだね?」
「黒っぽいとか、やけに近づいてくるとか、ぶっちゃけ理由としてはかなり弱いから断言は出来ないんだけど……」
魔獣とは摩訶不思議な力を持つ獣を指す。
曰く、生まれながらにして第二の心臓となる核を持ち合わせており、その核の力によって物理法則を逸した現象を起こすのだとか。
ティジーは直接その現象とやらを目撃したことは無いけれど、魔獣だという存在を森で見かけたことはある。しかし先導する教師がその存在を指摘し、通り過ぎるのを隠れてやり過ごしただけなので実際に相対したわけではない。
そして悲しいことに獣と魔獣の見分け方に決まった法則は無い。体内に心臓がふたつあるかないかの差が必ずしも外見に影響するとは限らないのだ。
「けど、もしホントに魔獣だとしたら危険でしょ? 隠れ場所候補をいくつか探ってみて、もし何か仕掛けてきたらすぐに撤退して、大人に報告しないといけないかなって」
魔王と魔獣は名前が似ているものの、それぞれに深い関係はないとされている。けれども、勇者シャルキの物語に出てくる〈漆黒の魔王〉は魔獣を従えていたということから、魔王と魔獣が互いに協力することは十分に考えられる。
一般的に魔獣の数は少ない。
獣の隔世遺伝のようなものであるから、世にいる獣よりも数は劣って当然だ。
それ故に「摩訶不思議な力」というものがどのようなものであるのか、実際に魔獣と相対した事例が乏しいため、全貌が分からないというのが実情だ。
もちろん魔王に比べれば数も多いし、見た目が獣という点では視認しやすい存在である。けれども勇者が必ず倒してくれる魔王と異なり、魔獣は誰かが確実に討伐するような存在でもないことも確かである。
もともと獣との違いが分かりにくいため、魔獣はその存在を放置されがちであるが、厄介であることは変わりないため、人里近い場所で発見された場合は有志の討伐隊で狩られるのが通例だ。
「つまり偵察するってことか。なんだか勇者っぽくなってきた気がするね」
「安心しなくても、早ければ明後日からヴァイサーも勇者となり、村を出てひとり寂しく旅が出来るぞ」
「どうして楽しくなさそうに言うのさ!」
声量を上げたヴァイサーに向かって人差し指を立てれば大人しく口をつぐむ。
怪しげな場所その一に到着したのだ。
といっても候補は三つほどしかないのだが、小さな村だから仕方がない。
「人が住んでいない空き家は、魔獣以外にも何かがいそうだけどね」
「さて、一体何がいるんでしょうか、フォランさん」
「知るかばか」
建屋の物陰から小声で軽口を叩きつつ、目的の空き家を凝視する三人。
村のはずれにある古めかしい木製の建屋だが、少なくともティジーたちが物心着く頃から誰も住んでいないことは確かである。
時折、肝試しと称して屋内を適当に散策するという遊びが催されたものの、最終的には大人たちにバレて立ち入り禁止となったため、近くに来るのは久しい。曰く、建付けが悪いから怪我をする恐れがあるとのことだ。
けれども取り壊すためには費用がかかるという。今なお放置されている空き家は、その壁面を覆うツタの量が以前より幾分か増したように見える。
じっと見つめていると、徐々に建物の輪郭が闇に混ざり始めて見えづらくなってきた。
「暗くなると、どれが家でどれがヘビなんだかわからなくなってくるな……」
「まあ黒いヘビは夜と相性悪いだろうね」
「しかも後を追ってきたわけじゃないから、ヘビがここにいるとも魔獣であるとも限らないんだけどね……」
「君たち一体何しに来たの?」
さらりとヴァイサーに指摘されてしまうティジーとフォラン。
ティジーの当初の目的としては魔獣らしきものが村周辺に巣食っているか適当に見回りをしてみようというものであった。
正確に言葉を交わしたわけではないが、おそらくフォランも似たような目的であったと考えられる。
魔獣は獣の変異種であるから、夜行性のヘビと同じく夜になると活発になると踏んで、夕食後に見回りを開始したのだ。けれども三人とも夜目が効かない点は誤算だった。
「そもそも確実じゃない報告をしてはいけない決まりもないよね? もしかして単に二人で冒険したかっただけ?」
「しっ、人が来た」
「なになに、ユーレイ?」
生真面目にちくちく諭そうとするヴァイサーの上にのしかかり、空き家を観察する二人。上から同世代二人に押さえつけられてはヴァイサーも身動きが取れない。仕方なく彼もまた二人と同じく空き家へと視線を向ける。
見れば空き家に灯りが灯っていた。
その名の通り人が住んでいないのだから空き家なのだが、先程ティジーが「人」と言っていたので今しがたここに出入りしていたのは魔獣ではなく「人」のようだ。
残念ながら灯りは小さな携帯用のものらしく、中にいる人物の影までを映し出すことはなかった。
「賊か何かかな?」
「残念ながら寂れた村なんだけどな」
脳天気なヴァイサーと自嘲ぎみに村を評価するティジー。
勇者を排出しているとはいえ、村自体はごく普通の農村であり、観光に適しているとも言い難い。仮に魔王を討伐したとしても報奨金を貰えるのは勇者本人であるため、魔王討伐によってウレイブの財が潤うことは無いのだ。
もちろん勇者育成のための資金は王都から補助が出ているため、教育費だけは潤沢にあるとの噂はある。
「……出てきた」
立て付けの悪い扉が開いて一人の人間が顔を出した。人間の男に見える。それもティジーたちとさほど年齢が変わらない程度の若い男だ。背丈と体格からティジーはそう予測した。
男はなにかを手招きするかのような仕草をしてから家の中へ引っ込み、それから家の外へ出てきた。どうやら外出をするようだ。
そこでヴァイサーが唸る。
「なあティジー、フォラン。一応聞くけどあの人知ってる?」
「……よく見えないからわかんない」
「ちょっと! こっち来るんですけどーっ」
どうやら顔が見えたらしいヴァイサーは、確信がないのか上にのしかかる二人に解を求める。しかしフォランもティジーも細かいところまでは見えていないため、その問いに答えることは難しい。
居場所が割れていたのだろうか、男は真っ直ぐ三人のいる方向へ近づいてくる。草を踏む、しゃくしゃくとした音にティジーは、ほんのりと悪寒を感じてしまう。
下手に動くと怪しまれるとか、そもそもこちらを見つけたわけではないとか、色々なことを考えたものの、結局三人は示し合わせたかのように、動くことなくその場に留まった。
そして三人の目の前で男は立ち止まり――光を背にして笑った。
「や、ヴァイサー。元気そうでなによりだ」
「ギサディット……」
そのヴァイサーの言葉でティジーとフォランは男の正体を察する。
刈り上げた薄水色の髪に距離を感じさせない飄々とした声。
「パイセン!」
「ギサディットさん」
男の正体は勇者ギサディット。
昨年村から旅立った新米勇者で、ティジーたちにとっては先輩にあたる元勇者見習いであった。