02-11 溶けた積荷
グラジークの隣にあるメリパルカという村からやってきた馬車の荷台を覗いたサナーリアは、舌を出すほどの苦い表情を顕にした。
僅かに漂ってきた悪臭に、思わず手の甲で鼻を塞ぐ。
馬車の横に立った少女勇者を横目で伺えば、すました顔でそれを見つめている。
これが〈勇者村〉で培った精神力なのだろうかと的外れな感想を抱くサナーリア。
「……メリパルカの人には悪いが、毛織物で良かったという限りかな」
腕を組みながら、サナーリアと共に荷台を見つめるのは倉庫の主テッドである。
馬車の外観に異常がないことを確認したテッドの計らいで、メリパルカ発の馬車は早々に彼の倉庫へと運ぶことを許可された。
僅かに開けられた扉からは陽光が入り、箱が置かれただけの質素な倉庫内は、踊っているかのような光の帯がちらりちらりとそそがれている。
メリパルカもグラジーク同様畜産を行っている郊外の村である。これといった特徴はないが、交配によって生まれた羊の羊毛産業に力を入れているらしい。が、力を入れているだけでそれが特別有名というわけではない。
とはいえ、グラジーク同様に独自のブランドを根付かせようと試行錯誤を重ねているらしく、質の高い毛織物の生産に励んでいるのは事実だ。
荷台にはそれを他の村や街へ運ぼうとした形跡があった。
荷台の中が見えない幼女はぴょんぴょん跳ねており、見かねたテッドが横に避けて中の惨状をペルチに見せる。
「……とけてるんよー」
「腐っている、とでも言うべき現象かもしれませんね」
木製の箱に詰められた毛織物は、木の箱ごと焼けただれたように溶け崩れていた。
一見、高熱で燃やされたかのように見てとれるものの、荷台の天井や壁に焦げた跡は見当たらない。その代わりに溶けた木目の近くは、どろりと不自然に湿っていた。濡れている訳ではなく、木そのものが液状に崩れているようである。
腐っていると少女が称したのは、おそらくは木の箱から香る匂いだろう。つんと鼻につく異臭は、箱から距離を取っていても僅かに漂ってきた。
その異質な変異は横一列に並び重なった箱におよそ平等に現れているが、ところどころに溶けていない、つまりは正常な箱の側面が覗いていた。
「後ろに乗り合わせた人はいたのかな?」
「荷台には商人の方が二人おりました。今は御者の方と共に、グラジークの治療院にて容態を見てもらっています」
「……箱が無傷な部分は、人が盾になっていた?」
フォランの言葉に、サナーリアは改めて箱と荷台の中を見渡す。
二段に積み重なった箱は、荷台の入口に近い側面が最も溶けている。フォランの言葉を借りるのならば腐食、といったところか。
つまるところ荷台の入口側から何らかの劇物が撒き散らされ、この腐食やら溶解やらの状況が起こったのだろう。
「私はもともと御者台の方に乗っていたんです。それで、道端に大きな……黒い煙突、のようなものを確認したので、御者の方に道を迂回するように求めました」
荷台に二人の商人を乗せ、御者台に一人の勇者を乗せたメリパルカ発の馬車。
行き先はキュオンだったらしいが、道に見慣れない物体があったということで、公道を回避するようにフォランが助言したらしい。
「ですが、時間に遅れるのは嫌だということで……怖いなら降りなさいと半ば脅しのように馬車から降ろされまして」
「それ、単にあんたの言い方が悪かったんじゃないの?」
かつて嫌味めいた質問を浴びせられたサナーリアは、目の前の少女に対し、揚げ足を取るかのような問いかけをする。
フォランはそれを聞いても特に反応することなく言葉を続けた。
「それで、煙突から出た煙……のようなものを浴びた途端、馬が暴れだして。馬車の揺れに、何事かと荷台の方々が声を上げた途端、生き物のように煙が後方に流れていきました」
「……煙、か。グラジークだけの現象かと思ったけど、メリパルカの方に移動して行ったのかな」
心当たりがあるように唸るテッド。
かくいうサナーリアも今回の話に関しては思い当たる節があった。
昨日の聞き込み――という名の盗み聞きでは、馬車の荷物が腐食しているという話を耳に入れたため、おそらくはその元凶と今回の煙突は同じ存在であろうと予想する。
あるいはそれが、今回彼女が探している〈怨毒の魔王〉であるということも。
フォランもおそらくはその存在が魔王に準ずるものだと判断して、テッドに報告する場へサナーリアを呼んだのだろう。
「煙突の件はご存知でしたか?」
「俺たちが聞いていたのは変な煙が出てくる場所があるって話だったから、煙が出てくる本体については初耳だね」
「……であれば、被害にあった方も既に何人かいるということですよね?」
声を落とすフォランは、被害にあった商人らに助かる見込みがあるか尋ねているように見えた。
積荷が溶けている様子を見れば、生身の人間がそれを浴びたらどうなるかはある程度の予想がつく。
焦りの見えるフォランを慰めるかのように、黒髪の幼女は、少女の左手を両手で握った。
くりくりした瞳をちらりと見つめたものの、フォランは直ぐにテッドへと視線を戻す。
「治療法について聞いているのであれば、芳しくはないかな。火傷を参考に、患部を冷やして包帯を巻く程度のことしかしていないみたいだからね」
「そうですか……」
おそらくは魔王の能力による被害だ。
既存の治療法で回復を見込める可能性は低い。
人や資産が潤沢な王都キャウルズならまだしも、辺境の農村グラジークでは常駐している医師の数も知識も王都のそれには遠く及ばないはずだ。
「少なくとも人の命はあるってことですね」
少女勇者に変わって声を出したのはサナーリアだった。
さっぱりとした態度は、フォランと異なり、テッドの返答を好意的に捉えているようである。
荷台から目を離し、テッドの方へ向き直った彼女は慣れたように話し始める。
「あたしは医師ではありませんが、被害の主については見当がつきます。現状の調査をした後に、改めて対応をしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「それは……俺に確認することなのか分からないけど、怪我人の治療が出来るなら願ったり叶ったりだね。でも、医師じゃないなら君は一体?」
毅然とした態度のサナーリアに、疑惑の目を向けるテッド。
そもそも勇者を雇っていた時点で、テッドの中の彼女は、随分態度の大きい女、という認識だったらしい。
訝しげな視線にものともせず、真顔のままサナーリアは言葉を続ける。
「……王国の役人、とだけ。すみませんが機密事項ですので、所属を明かすことは出来かねます」
「ウソではない、ですけど」
上司の得意技である、機密事項を堂々と言い放つサナーリアの横で、ぽつりとフォランが呟く。
隣の幼女は、要領を得ない顔で首を傾げた。
見ず知らずの一般人の前で部署名まで名乗る義理はないものの、所属をぼかしたサナーリアはどことなく胡散臭かった。
しかし、サナーリアは自らの発言を裏付けるかのように外套を捲り、国章が縫い付けられた制服をテッドに見せる。王国のシンボルである国章は、国が認めた対象にしか刻むことを許されないのだ。
それを目に入れて、ようやくサナーリアの所属を把握したテッドは、バツが悪そうに口元を歪めた。
「わかったよ。国からの指示ってことはそれなりに重要なことなんだろうね。小さい子の面倒も見れないくらい」
どうやらテッドは、幼女を蔑ろにしたサナーリアの態度から、彼女を好ましく思っていなかったようだ。
彼の言葉の前半部分に同意する意味で、銀髪女は浅く頷いた。
小さい子、の言葉に反応したフォランは、再び手を握る黒髪の幼女を見つめる。
おそらく己の話題が話されていると朧気に察した幼女は、得意げに小さな胸を張っていた。話の内容までは理解していないようだ。
「ところで、この子はどうしてサナーリアさんと共にいたのですか?」
「違うんよ。ウチはティジと一緒に居たんよ」
「ティジーと?」
幼なじみの名を聞いたフォランは、咄嗟に周囲を見渡す。当然ながら、彼の姿は見当たらない。
再び倉庫番をしていた勇者の話が始まり、テッドは頭をかいて視線を逸らす。
そのあからさまな態度を見たサナーリアは、軽く息を吐いたあと、くるりと踵を返して、実に素っ気なく呟いた。
「付いてきなよ、桃ふわ。その辺の話、してあげるから」
その言葉に小さく頷く少女を確認したあと、サナーリアは少女を待たずに歩き出し、スタスタと倉庫の外へ出ていった。
フォランは外へ出たサナーリアを追う前に、テッドの方へ向き直る。隣にいるペルチも仲良くそれに並んだ。
少しだけ視線を馬車に向けたあと、彼女は淡々とテッドに語りかけた。
「すみません。あちらの銀髪の方が対処してくださるまで、馬車はこちらにお願いします」
「ん、ああ分かった。気をつけてね、勇者さん」
「きおつけるんよー!」
「……うん? ああ、うん。ペルチちゃんも気を付けてね?」
大きく両腕を上げる幼女に、困惑しつつも手を振り返すテッド。
フォランはそれを見て浅く一礼し、倉庫の外へ向かった。左手を握る幼女に歩調を合わせて、日が煌々と照る野外にゆっくり進む。日が差していたものの、倉庫から出たあとの屋外は目を細めなければならない程度には眩しかった。
倉庫のすぐそばにある木陰で、木に背を預けるサナーリアを目に入れたフォランは、少しだけ歩調を早める。
サナーリアは目だけでそれを確認すると、重心を背後から手前に移せば、さらりと左右の銀髪が揺れた。
立ち止まったフォランを前にしたサナーリアは腕を組み、気乗りしない顔で開口する。
「結論から言うと、ティジーはさらわれた。この村の人達が言う〈盗賊の魔王〉ってやつに」
「盗賊……? 魔王が勇者をさらった、ということですか?」
「今ん所はそうだけど、ぶっちゃけ魔王と断定出来る情報はないよ。というわけで、ティジーのお供をしていたそのおチビが現在宙ぶらりんなわけ」
心底嫌そうに、人差し指でフォランの隣で惚ける黒髪の幼女を指さすサナーリア。
当の本人はティジーの話をしていることは分かるようなので、どことなくそわそわしているようだった。
「で、ここからが本題。あたしはとある魔王の調査のためにこの村に来て、護衛であるティジーを失っている。けど、勇者であるあんたは魔王と思われる対象と接触して、その対策を欲しがっている」
「……手を組め、と言いたいのでしょうか?」
察しがいいとばかりに微笑むサナーリアは、お世辞にも穏やかな顔ではない。どちらかというと悪事を企むどこぞの女幹部のようだった。
表情の変化から、言葉を待たずとも肯定の意だと汲み取ったフォランは、真っ直ぐな瞳のまま頷いた。
「いいですよ。私としてもこの村の周辺を探索したいのは本望ですから」
「……なんかやけに素直で調子狂うな。探索ってのは例の煙突の件で?」
「いえ、そうではなく」
フォランは首から下げた〈魔王水晶〉を服の内側から取り出す。水晶部分だけ服の下に入れていたようだ。
そして、一瞬だけその〈水晶〉が雷の前兆のように、チカッと眩く閃光を放った。光は瞬く間に消えたものの、鋭い輝きはまぶたの裏にしっかりと焼き付いて、残像のように残った。
刹那の出来事だったものの、その意味を悟ったサナーリアは目を素早く瞬かせる。
「……いるの?」
「はい。この村の近くに〈渇求の魔王〉がいることは確かです」
しっかりとサナーリアを見つめながら、フォランは己の標的の名を告げたのだった。




