02-07 盗賊の魔王
「おうしさんなんよー!」
「はは、おじょうちゃん牛さん好きかい?」
「牛乳すき! 牛乳はね、おいしいんよー!」
グラジークについて数刻。
手早く宿の部屋だけ決めてから、互いに情報入手をしようと解散したティジーとサナーリア。
馬車の中でぐっすり寝たペルチは、晴れた陽光の下で元気に放し飼いされている茶色の牛を見て目を輝かせていた。
柵に片足を乗せて身を乗り出すペルチが倒れぬよう、ティジーは背後からそれを微笑ましく見守る。
案の定ぐらついた幼女の体を支えるようにティジーが手を置けば牧場の主はそれを穏やかな顔で見つめた。
そんな穏やかな時間の中、ふとあること思い出したティジーは男に尋ねる。
「そういえば腸詰め体験が出来るんでしたっけ」
「んや、それはウチじゃないなあ。ウチは乳牛しかいないからね。肉牛でさらに加工品となると、テッドのとこかな」
「テッドさん、ですか」
顎髭を蓄えたふくよかな村民は、ティジーの問いにそうそう、と軽く頷く。
グラジークは土地の広さを生かした畜産が特色であり、村の大半はそれを裏付けるかのような草原である。
故に、遥かに広い土地を持つ住民の家々は、ぽつぽつと距離を置きながら点在している。
ここは比較的馬車乗り場から近い牧場の一つであり、馬車から降りて早々に牛を見つけたペルチが柵に飛び乗り今に至る。
グラジーク牛はおそらく肉牛なので、今目の前にいる牛ではないのだな、ということだけティジーは把握した。
「でもなあ、テッドんとこは今ピリピリしてるからやめといた方がいいと思うよ」
「ピリピリというと……」
「あれ? そういえばキミ、勇者くんなんだっけ?」
難しい顔をした村民はティジーの首にかけられた〈勇者証〉に目を向ける。
ティジー自身、この小さな首飾りにどの程度の効力があるか理解していなかったけれども、なるほど分かる人には分かるのだなと小さく納得した。
視線を向けてくる村民に応えるかのように、ティジーは〈勇者証〉のプレートを指で摘んで前へ出す。
「そうです。オレは勇者なんですけど……もしかして魔王ですか? 〈盗賊〉の」
「さすが勇者くん、耳が早い! そうなんだよ。〈盗賊の魔王〉がね、テッドのとこにやって来てさあ。いや、魔王って分からなかったから最初はたまたま勇者の用心棒を雇ったんだけどね」
村民の話を要約すれば、肉牛の飼育と加工を行うテッドという村民が所有する倉庫には何度か賊が入り浸っていたらしい。
問題視していたのはその頻度の高さで、度々侵入してはちまちまと加工肉をかっぱらっていたようだ。
そんな折、たまたま通りかかった勇者に倉庫の警備と賊の捕縛を頼んだところ、今度は勇者と加工肉の両方が盗られてしまったのだとか。
ただの賊が勇者をさらうだろうか、という疑念から村人たちは、奴らは賊の皮を被った魔王ではないかという噂に発展したらしい。
「……それは、なんとも運がなかったですね」
「そうなんだよ。テッドってば、ヤツらが来るたんびに錠前変えちゃってさ。あいつんち裕福だから。それでも毎回綺麗に開けられちゃってるんだよね」
錠破りをする相手に錠前を変えるだけの対策を講じても意味が無いのでは、とティジーは僅かに眉を寄せる。
それこそ勇者見習いの授業で一度だけ錠破りを体験したことはあるが、モノさえ揃っていればいくらでも応用がきくな、という印象だった。
ただしティジーは授業中に与えられた五つの課題のうち一つしか解錠することが出来なかったのだが。
事前にサナーリアから〈盗賊の魔王〉の概要を聞いていたものの、やはり実際に話を聞く限りはただの賊の仕業としか思えない。
用心棒として雇った勇者はたまたま村に来ていただけで、魔王が勇者を狙ってさらったとは考えにくい。
魔王が、数多くいる人間の中から勇者だけを識別出来る方法を会得しているように思えないからだ。
「テッドさんのところにはそんなに賊が来ていたんですか?」
「前までは割と頻繁に来てたけど、勇者くんがいなくなってからはぱったりと来なくなったなあ。だから今頃勇者くんが美味しく頂かれているんじゃないかと」
「……いやあ、そんな。はは、ははは………」
想像力豊かな男の発言に頬をひきつらせるティジー。
しかし、ぱったり来なくなった、というのと勇者がさらわれた、という点がどうにも気になる。
ティジーとて勇者だ。
勇者見習い時代にある程度の武術を嗜んでいるから、少なくともその辺の賊と殴りあったところでそう簡単に屈するとは考え難い。戦闘訓練をガッチリ受けた王城の騎士などであれば話は別だが、盗みをする連中がそこまで立派な訓練を積んだ可能性は低いだろう。
万一不意打ちを受けて、なんらかの拘束を施されたとしても縄抜けの練習をしたことだってある。
だとすれば件の勇者は、情けなく完膚なきまでに叩きのめされた上で監禁されているか、両者完全合意のもとで賊について行ったかのどちらかだろう。
「とすると、テッドさんとこは、次いつまた賊が来るかって気を昂らせているんですかね」
「人をさらうって事例があったからね。今度は複数の傭兵でも雇おうか、でもいつ来るか分からないから期間をどうしようか……みたいなところを悩んでるみたいだよ」
件の盗賊が頻繁に来てた頃だって事前予告があったわけではないだろうと思ったが、口に出すのはやめておいた。
「……ちなみに、ですけど。錠破りがされたのは倉庫でしたっけ。侵入出来そうな場所はいくつあるんですか?」
「表にひとつだけあるでっかい扉だけだろうね。もちろん頑丈な錠前をつけた上で、倉庫の中に勇者くんを待機させていたみたいだけど」
「今のところ、鍵は全て解錠された上で肉を盗まれてるってことですね」
空気穴はあるだろうが、もし賊が扉を開けなければ息苦しくなりそうだな、と変なところを心配するティジー。
当然ながらティジーは〈盗賊の魔王〉なんてものが存在するとは思っていない。
けれどもただの賊が勇者をさらったというのはどうにも引っかかる。仮に監禁するにしたって、それ自体が手間だからだ。
とはいえティジーたちがグラジークに滞在出来るのは最大四日。一方で件の盗賊はテッドの倉庫へはずいぶんご無沙汰だと聞く。
気になるからと言って下手に張り込んでも空振りに終わるかもしれない。
「とーぞくも魔王なの?」
バランス感覚を試すかのように柵に片足立ちをしていたペルチが不意に尋ねてくる。
同族として、ほかの魔王が気になるのだろう。
ティジーは唸り声を上げながらペルチの頬をそっと摘む。
こうすると気持ちが多少落ち着くのだ。
「魔王じゃない気はするけど怪しいのは事実なんだよなあ。オレなら絶対倉庫を開けられないようには出来るんだけど……」
「なんだって!?」
ぽろりとティジーが零した言葉に反応して、男はずいと顔を寄せてきた。
てらてら光る顔から距離をとるようにティジーは首を引っこめる。
そしてふにふにとペルチの頬を優しく摘む。
「勇者くん、それは本当なのかな? 確証があってのこと?」
「……手段は説明出来ないけど、まあ、確証は高いです、ネ」
「それなら! ぜひ! テッドのもとで用心棒を! あいつの商品が売れないとグラジーク牛の名も広まらないんだよ!」
後ろに下がりながら、どうどうと片手でさらに迫り来る村民を抑え込むティジー。
そして今度はペルチが近づいてきたティジーの頬をちまっと摘む。まるでケンカしているようになってしまった。
「へや、ほへへいいおはは……」
「さすが勇者くん、懐が広いね! それじゃ早速テッドのところへ案内するよ!」
頬を摘まれたティジーの言葉も即座に理解した男は、満面の笑みで胸をトンと叩く。
ペルチは面白がって摘んだティジーの頬を上下に動かし始めた。されるがままのティジーは、ペルチの頬から手を離して、その胴体を抱き抱える。
「よっと」
「わー」
条件反射的に万歳をしたペルチの腕を首に回し、そのままくるりと幼女を背後に回転させてから器用に背負うティジー。
魔王だからなのか相変わらずとても軽い。
重みがあるだけありがたいと思ってしまうくらいだ。
「じゃ、改めて。オレでいいのなら、用心棒しますよ。ただし賊を捕まえられるかは分かりませんけどね」
「分かってないなあ、被害を最小限に抑えられるってだけでも最高なんだ。テッドもきっと喜ぶよ」
「……逆に怪しまれないか不安だけど」
後ろを向き、付いてくるように手招きする村民を見て、ティジーは小さくぼやく。
絶対という言葉にウソではないが、思い返してみれば毎回律儀に鍵を開ける賊に対してその言葉は強すぎたかと己を省みる。
完全勝利という偶像を嫌うティジーだが、世の中にはある程度どうにでもなってしまうことがあるのではないか、と思い始めてきたのは事実だ。理由はもちろん背中に張り付いている幼女魔王である。さすがは脅威と称される存在だ。
それに〈盗賊の魔王〉はサナーリアも怪しんでいた一件だ。
何らかの形で〈怨毒〉の手がかりが得られるとよいのだが。
背中でのんびりと、即興で作った鼻歌を歌う幼女の声を聞きながらティジーは賊の出る倉庫へと向うのだった。




