02-03 愚痴愚痴もぐもぐ
昼時の廊下は静まりかえっていた。
それは昼休憩中に室外を出歩く人間が少ないというごく単純な理由であるが、広い王城の廊下の豪奢な絨毯を踏む進む男は、人を避ける心配がなくて良いと目の前の光景を実に前向きに捉えていた。
道行く男は笑顔に見えた。
否、目が糸のように細いだけで笑顔ではない。
一人、開けた廊下に硬い靴音を響かせながら糸目男イアニィは歩く。
手に持つ封筒は厚みこそ薄いものの、しっかりと封蝋をされ、重要と印をつけられていた。
そうして一つの部屋の前にやって来たイアニィは目の前の戸を軽く叩いてから、ゆっくり扉を開けて室内へ入る。
「失礼します」
「あれ、イアニィくんお疲れ様。お昼食べたの?」
高い本棚がずらりと並ぶ部屋の手前には数台の丸机と仕切り台が交互に並べられている。
イアニィの声に反応して、広い部屋の中で唯一そこに座っていた焦げ茶の髪色の男性が振り返った。
温厚な声と幼さの残る顔立ちは厳格さに欠けるものの、この童顔男こそイアニィの上司である。
室内に入るなり食事の話を切り出されたイアニィは、同じく食事をとっていないであろう上司を見つめて淡々と答える。
「これを渡したら行くつもりです。報告書はツァラルさんに先に渡しておきたかったので」
「そっかそっか。お使いご苦労さま。昨日ウレイブから帰ってきたばかりなのに、ごめんね?」
童顔上司ツァラルに手元の資料を渡せば、ツァラルはとても申し訳なさそうに謝ってきた。
その様子を見ても特に表情を緩めることなく、イアニィは首を僅かに引いて応える。
「その言葉は、サナーリアにかけるべきかと。彼女は午後から効果検証で一週間出かけて貰いますので」
「……イアニィくんは行かないんだ?」
「面倒くさいからといって、彼女を私に押し付けないでくれませんかね」
総勢十名ほどの〈魔王対策室〉は比較的若年層が集められているものの、外勤はその中のさらに若年層に任せる傾向にある。
武道を嗜んでいたイアニィは身体を動かすことに抵抗がなく、かつ感情的な後輩の面倒を嫌な顔せず引き受けていたので、彼女と共に外勤をよく任されていた。
が、それは嫌な顔を表に出さなかっただけで、イアニィがサナーリアの面倒を喜んで見ていたわけではない。
彼の胸の内を知るツァラルは、イアニィの言葉を聞いて小さく吹き出した。
「ごめんごめん。でも〈成人の儀〉はまだ一人で行かせないでね? 指示出すの俺だけど」
新たに勇者を選定する重大な儀式に、あの狂犬一人だけを監督として送りだすことはイアニィとしても控えたかったので、上司の言葉には深く頷いた。
そして、〈成人の儀〉という言葉でとある伝言を思い出したイアニィ。
「……そういえば、ゾウォル先生が上司の方によろしくと仰ってました。毎回のことですけど」
〈成人の儀〉の監督役が常連となっているイアニィは、一昨日邂逅した〈勇者村〉にいる教師の伝言を伝えた。
その伝言自体、社交辞令のようなものだとイアニィは知りつつも律儀に上司へ報告するのが恒例となっている。
イアニィの言葉を聞いた上司は渋い顔で笑う。
「……うん、そっか。兄さんは元気だった?」
「いつも通りですかね」
「そっかー。頑張ってるんだね」
受け取った資料を机に置いて、ツァラルは小さく息を吐く。
もちろんこの反応もいつもの通りである。
感傷に浸る上司を見ても、変わり映えしないとばかりにイアニィは微動だにしなかった。
聞くところによればこの童顔上司は元勇者だという。もちろん魔王を討伐し、勇者としての任を果たしたあとで次なる職を――王城勤務を選んだ次第だ。
〈魔王対策室〉に所属しているのは自らの意思なのか、それとも上の意向で異動してきたのかは不明だが、引退してもなお、かつて自身が関わっていた魔王に関わっているのは何かの因果なのかもしれない。
とはいえイアニィは上司の経歴などどうでも良かった。
疼く腹に僅かに手を当て、書類を見つめるツァラルに問う。
「時に、ツァラルさんはいつ昼食をとられるのですか?」
「キリのいいとこまでまとめようと思ったんだけど……。あ、イアニィくん。一緒に食べる?」
「キリが良ければと思いましたが」
「よし、キリ良くなったからお昼行こうか! もちろん奢ってあげるよ」
部下の声に待ってましたとばかりにツァラルが立ち上がる。
イアニィとほぼ同じくらいの目線で、ツァラルはにやりと微笑んだ。わざとらしい微笑みは兄とそっくりである。
重要書類もとい報告書はどうするのかと見つめていれば、ツァラルは無数に書類が詰め込まれた本棚のとある隙間に報告書の入った封筒を押し込んだ。
重要とは一体何だったのか。
けれどもこの部屋自体機密書類だらけなので、案外その選択は間違っていないのかもしれない。
最も自分の手元から離れた資料に関して、イアニィは責任を持つ気などないのだが。
「次に部屋に入った時、捜せるんですか?」
「いつも同じとこに入れてるから問題ないのです」
「はあ」
得意げな上司を褒める気にもなれず、適当に相槌を打つイアニィ。
強制的にキリを良くしたツァラルは部下を引き連れて、彼と共に閑散とした廊下を歩いた。
向かう先はもちろん食堂である。
◆
およそ同刻。城下町にある軽食店にて。
食事を終えた〈魔王対策室〉の狂犬は、唯一の聞き手に向かって罵詈雑言とも言える現状の仕事内容をぶち明かしていた。
「若い若い言っても、嫌味ィだってわけーっつの! しかも体力あんじゃん外勤向きじゃん! なのになーんであたし一人が! 効果検証しに! 行かにゃならんっつーのっ!」
「うーん、サナちゃんを信頼してるって解釈は出来ないのかしら?」
唯一の聞き相手はこの店の店主であるママである。
もう一人の従業員である給仕服の少年は、客が少ないことをいいことに、黒髪の幼女と茶髪の少年とともに絵本を囲んでいた。
またの名を無視という。
「あんの性悪が信頼とかいう言葉を心に浮べるわけがないっ! しかもさー、行き先グラジークとかド田舎じゃん!」
「あら、サナちゃんがさっき食べたお肉もグラジーク産よ? いいお肉が食べられると思えば楽しめるんじゃないかしら」
「おに……っ、いやいやっそんな言葉には惑わされませんぞ! たしかにちょっと気になるけど」
つまるところサナーリアは一人で田舎まで行けという上司からの依頼が嫌だと主張していた。
おそらくその依頼のみならず、上司のことも嫌いなのだろう。一人で行かないのならば上司が同伴する可能性を全く考慮していないからだ。
様々なことを否定して喚き散らすその姿は見るに耐えないと判断して、勇者二人は話の序盤で離脱した。
「グラジークは最近盗賊も出るとかいう話もあるって、ぶっちゃけ傭兵とかでも雇わないと旅路が心配なのもあるけど……」
「派遣傭兵さんは手数料吹っかけてくるわよねえ。個人の人を探したほうがもう少しお財布に優しいかも」
「知らない人と一緒に行動するのも正直嫌だし、田舎も嫌だし、何かもう色々嫌だし」
ならどうして〈魔王対策室〉なんかにいるんだとティジーは突っ込みたくなったが、その言葉をぐっと飲み込んで無視を決め込む。
サナーリアの声が大きいせいで否が応でも、会話が耳に入ってくるので完全なる無視が出来ない現状が歯がゆい。
ママは、最初こそ悩むような唸り声を上げていたが、ふと閃いたように手をパチンと叩く。
「そうよ、ティジーちゃんがいるじゃない」
「なんですと?」
指名されては無視は出来ない。
思わず訝しげな目で振り向けば、そこには渋い顔のサナーリアと明るい顔のママがいた。
ティジーの名に反応した幼女も、ティジーの背中にひっついて隣に座る二人の顔をじっと見つめる。
ママは人差し指を立ててにっこりと微笑む。
「サナちゃん、魔王の調査で出かけるんでしょ? それで身を守ってくれる人が欲しいと。それでティジーちゃんは魔王の情報が欲しいんでしょ? それで勇者だから自分の身は充分守れる」
「……あの、ママさん?」
「たしかに、知らない顔じゃないし、暇そうにしてる勇者なら傭兵として雇っても問題ないかも」
「サナーリアさんん?」
まるで利害が一致しているとばかりのママの語りように加え、満更でもない様子のサナーリア。
ティジーとしては魔王の情報が得られるならば願ってもない話ではあるが、〈対策室〉と行動を共にするのは自尊心と罪悪感が背後からしゃしゃり出てくるため、素直に喜ぶ事は出来ない。
かくいうペルチは、先日まで怯える対象であった〈魔王対策室〉と行動を共にするかもしれないという話の流れに、萎縮するどころか目を輝かせていた。
「おでかけ? ティジ、おでかけするの?」
「いや、まだそれは決まっては……」
「おでかけするよ! って、あんた連れてくとなると、もれなくその子もついてくる感じ?」
「本人無視して話進めんなよ!?」
ティジーの後ろから顔を覗かせたペルチに向かって、わざとらしく微笑むサナーリア。
満更でもないどころか、彼女の中でティジーを傭兵として同行することは既に決定事項となったようだ。
無許可で話を進めたことを指摘するティジーの声に、サナーリアは僅かに頬をふくらませる。
「なによう。お金出すから、ちょっくら一緒におでかけしてよってこれから言おうとしてたのに」
「おでかけ! ウチ、おでかけしたいんよー! ティジ、おでかけしよ? ね、ね、だめ?」
前と後ろから、ティジーに傭兵をしろという声がかけられ、ぐらりと気持ちが揺らぐティジー。
迷ったティジーは一抹の希望を胸に、背後に座る灰色髪の同期の顔を伺う。
「お金、稼げるじゃん」
「この守銭奴めっ!」
全く当てにならない言葉を吐いた同期勇者は、無表情のまま親指を力強く立てた。
結局のところ、ティジーが足踏みしている原因は〈対策室〉への不信感なのだ。
けれども当初のティジーは、〈対策室〉と仲良くなれれば情報を得られるかもしれないと思っていたし、目の前のサナーリアはティジーの失言をまるっと忘れているようだった。
つまりこの一件は、ティジーが当初目論んでいた〈対策室〉から情報を引き出す、あるいは引き出せる一因を作ることが出来るかもしれないのだ。
改めて、先にある利点を見据えたティジーは、サナーリアに恩を売ることは充分理にかなっていると判断した。
「……仕方ねえな。そのかわり金は渋るなよ、サナーリア」
「もちろん。でも働いた分だけ、キッチリ後払いだからね?」
「おでかけーっ! わーいおでかけなんよー!」
キャウルズに缶詰め状態にされていたペルチは久しぶりの外出に喜んで、ティジーの肩に頬をぐりぐり擦り寄せた。
それに驚きつつも、微笑ましい顔でティジーはペルチの頭を撫でる。
同時にペルチのためでもある魔王の情報収集にかまけて、彼女に構ってあげられなかったことを僅かに後悔した。
それにしても人に興味が無いといいつつ、顔を僅かに覚えていたティジーに対して、いとも容易く傭兵を依頼したのは一体どういう風の吹き回しなのだろう。
ママから契約書の書き方を伝授してもらう銀髪女は、正直何か企みがあるようには見えなかった。
つまりはよく考えていないのだ。
〈成人の儀〉や〈魔王水晶〉の説明の時も、上司の説明を遮ってポンポン機密事項らしきことを漏らしていたなと追想するティジー。
彼女は割と感情が先走ってボロを出す性格なのかもしれない。
頭脳戦は苦手ではあるが、もしかするとこれは有力な情報を引き出せるのではないか。
そんな僅かな希望を胸に、ティジーは出来たてほやほやの契約書に印をするのだった。




