1.5-02 勤労に勤しむ道中
人が疎らに行き交う廊下を、硬い踵の音を鳴り響かせ歩く女がいた。
豪奢な絨毯を踏み潰さんとする女の後方には涼しい顔で道行く人々へ頭を下げる糸目の男がいた。
とある扉の前立ち止まり、女は戸を叩くことなく開ける。
「失礼します」
女の代わりに男が入室の挨拶をした。
本棚が敷き詰められた部屋にいる数人が声に反応して一瞬だけ視線を入口に向けるも、すぐさま手元の本や棚に目を戻す。
大量の視線に臆することなく、女は再度勇み足で室内を歩く。と、勢い余って踏み出した足がぐにゃりと曲がり、傾きかけた身体を背後の男が支えた。
銀髪がさらりと男の腕にかかった。
「大丈夫ですか、サナちゃん」
「ぐぬぬ……」
支えられながら姿勢を戻した女は不満げな顔で糸目の男を睨み、今度はゆっくりと足を踏み出した。
二人は階段の下にある、仕切り台と丸机が交互に並ぶ近辺を歩く。その机群の隅、もとい壁の隣にある机には、書類と本を積み重ねて唸る男がいた。
その男の前にて銀髪の女と糸目男は立ち止まる。
「ツァラルさん、記録室で仕事するのやめてもらえませんか?」
「ん? サナーリアちゃんとイアニィくん?」
「はい、先程ウレイブから帰還いたしました」
振り返った焦げ茶の髪の男の顔は、険しい表情の銀髪女サナーリアと比べるとかなり穏やかであった。
かっちりした王城の制服を身に纏うその顔立ちはどことなく幼い。
「上司の特権を使って、王城内で隠れんぼをするのは勘弁してください」
「すみません、遠征で疲れているんです」
不満丸出しのサナーリアを援護するかのように糸目男イアニィは彼女に手を向ける。
それを見てサナーリアは分かりやすく顔をしかめた。
椅子に座る男もとい上司ツァラルはそのやり取りを目を細めて見つめる。
それから手に持ったペンを机に置き、へらへらと微笑んだ。
「ごめんね。いちいち記録室にモノ取りに行くより、ここで書き物をした方が楽なんだ」
「では次からツァラルさんを探す時は対策室でなく、記録室に向かいますね」
「順応早っ! じゃなくって、あそこは一体何のための部屋ですか!」
控えめに開き直るツァラルと、それに理解を示すイアニィ。
〈魔王対策室〉勤務二年目となるサナーリアは勤務歴が浅いことも相まって柔軟な対応が苦手である。
二人の男の言葉に、最も規則に従順な彼女は口をへの字に曲げた。
「どーせあたしは説明書がないと何も出来ない女ですよ」
「ああ、ごめんごめん。そういうつもりじゃなくってね……。サナーリアちゃん、疲れてるよね? ほら座りな」
「ん」
ツァラルは椅子から立ち上がり、愚図った部下に着席を促せば、彼女は大人しく座った。
上司を立たせるとは何事かという視線をイアニィが送るも、サナーリアはすっかり脱力しきっていた。
部下を律することを諦めたイアニィは、細い目を上司へと向ける。
「〈成人の儀〉は滞りなく終わりました。今回の合格者は五人なのですが、そのうちの一人が偶然魔王を倒しまして、現在報告書待ちとなっております」
「その口ぶりだと、倒したのは〈魔王水晶〉の魔王じゃないってことかな?」
「話が早くて助かります。ウレイブに現れた敗〇の〈隷属〉とその担当勇者の企みを新人勇者が阻止したようです」
「……そっか。新人勇者が」
「はい。一人と一匹を」
淡々と言葉を綴るイアニィとは対照的に、報告内容を聞いて眉を歪めるツァラル。
童顔故に深刻さに欠ける表情をしてはいるが、返答する声は暗かった。
ぼかした表現をしたものの、つまるところ新人勇者は魔王と、その討伐にあたって障害となった担当勇者を殺めたのだ。
魔王の中には人を惑わす能力を持つ者もいるため、時として人すら障害となりうる。
〈成人の儀〉に合格したとはいえ、同郷出身で知り合いかもしれない人間に手を下すのは簡単なことではなかったはずだ。
報告を聞くなり、ツァラルは深く息を吐き、釈然としない顔で腕を組む。
「〈隷属〉は情報なかったから、更に後味悪いなあ」
「おそらくは生物を操る能力があったのかと。遺体と死骸は預かってきましたので、〈検討室〉へ渡して参りました」
「魔獣じゃねーもん持ってくんなって言われましたけどね!」
淡々と報告するイアニィの言葉に続いて、サナーリアは得意そうな顔で〈検討室〉から告げられた文句を明かす。
三人が所属しているのは、王城で国政を行う部署の一つ〈魔王対策室〉である。
その中にある経済成長を目的とした研究所の中に、〈対策室〉は名を連ねている。
特異な部署の例としては、犯罪事件を起こした人間の背景を解析・改善することに特化した〈犯罪解析室〉、獣や魔獣による民家や農作物の被害に対応する〈獣及び魔獣被害検討室〉などがある。
これらの部署は王国の全体を包括的に扱っているだけで、地方にも同様の部署は存在する。
とはいえ、総勢十名程度が在籍している王城の〈魔王対策室〉は資料解析や対策案の提出、野外調査などで手一杯なのが現状だ。
故に、〈対策室〉は他の部署へ業務を依頼する頻度が高い。しかし、魔獣の解剖を行っている〈検討室〉の一部からは、特に快く思われていない。
おそらくは便利屋扱いされている自覚があるからだろう。
いつから始まったのか、魔王の解剖はかの部署に任せるのが通例となっているのだ。
「まあ、彼らも彼らの仕事があるからね。善意に甘えて傲慢な態度をとるのはダメだよ、サナーリアちゃん」
「お、お願いするときはイアニィさんが担当していましたので、そこは大丈夫です」
優しく上司に諭されるも、隣に立つイアニィを手で示して逃げ道を作るサナーリア。
「いつまでも私がおんぶしてあげると思わないで下さいね?」
人付き合いが苦手な延長で、畏まった場が苦手なサナーリアは、他部署とのやりとりを尽くイアニィに任せ切りにしている。それはひとえに彼女よりもイアニィの方が経験豊かで話が早いという理由もあるが、彼女は同行しつつも終始閉口して、たまに頷くくらいである。
そんな部下に、イアニィは淡々と現実を突きつけるも、当の本人は素知らぬ顔をしていた。
「うんうん、相変わらず仲が良くてよろしい」
「は? なに言ってんすか?」
「ツァラルさんは一度目の検査に行かれると良いかと」
人間嫌いのサナーリアは、自身に尽く構ってくるイアニィが嫌いである。
それはイアニィが世話係を頼まれているから彼女に絡んでいるのであり、当然ながら彼自身もサナーリアに親近感など抱いていない。
しかし、常に行動を共にしつつも、仕事以上の関係を持ち得ない二人は、ここぞというところで息が合うのも事実である。
穏やかな節穴上司は、そんな険悪な部下の言葉にも笑顔で応じるのだった。
あるいは空元気だったのかもしれないと、近くに居合わせた者は語っている。
◆
二人が口頭で報告したのは〈成人の儀〉の結果と、引き渡した〈魔王水晶〉の数と種類であった。
一通りの話を聞いたツァラルは了承の返事をして、サナーリアは即刻その報告資料作成をすべく部屋から立ち去った。
イアニィも彼女に続けて部屋を出ようとしたところ、ツァラルに声をかけられる。
「ちょっと。少しだけいいかな、イアニィくん」
「……まだ何か?」
報告に過不足があっただろうかと顎に手を当てて思考を巡らせるイアニィに、違う違うと手を振る童顔上司。
それから口元に左手を当てて、イアニィに近づくように右手を振る。
渋々それに耳を当てるように身体を屈めるイアニィ。
「ウレイブにさ、〈隷属〉の他に、別の魔王とか……怪しい人とかいなかったかな?」
「……怪しいの定義が分かりかねますが」
「イアニィくんの常識の範囲内で頼むよ」
「であれば、該当する者はおりませんでした」
体勢を元に戻して淡々と返答するイアニィの言葉に、上司は眉を寄せた。
しかしウレイブに赴いたと言っても、イアニィとサナーリアは村中を散策したわけではない。
〈隷属〉にしたって、ヘビ騒動の終焉後にとある人物から報告を貰ってから死骸を目にしただけで、生きているそれを見たわけではなかった。
故にツァラルへの返答は、情報が不足しているという枕詞があっても良かったのだが、結局のところ見ていないものは見ていないので、下手な謙遜はやめることにしたのだった。
難しい顔で黙り込んだ上司に、イアニィは社交辞令のような問いを投げかけようとして、代わりに別の言葉を選んだ。
「怪しさであれば、サナーリアが化けの皮を剥がしたゾウォル先生はとてもおかしかったですね」
「兄さんに煽り耐性がないのはいつものことだから! ってそうじゃないんだよ。ごめん、俺も上手く質問出来なくて」
元勇者であるツァラルは、兄の話になるとここぞとばかりに声を張り上げる。
当の兄といえば〈対策室〉勤めの弟を名前で呼ぶことは決してせず、毎度毎度上司によろしくと形式的にイアニィに申し伝える程度だ。
兄弟の確執に興味はないが、揚げ足取りの材料にはちょうど良い。
ここにサナーリアが居合わせたのなら、性格が悪いと叫んだであろう。
ツァラルは焦げ茶の髪を掻きあげ、唸ってからぼそりと呟く。
「イアニィくんも四年目だし、良いかなあ」
「口の硬さは保証しますよ」
「うん、じゃあ言っちゃおっか。とりあえず座って座って」
手前の椅子を指さす童顔上司に大人しく従って、それに腰を下ろすイアニィ。
ツァラルもそれに続いて着席した。
身長は僅かにイアニィの方が高いものの、座高はツァラルの方が高いので、いつも以上に背筋を伸ばす。
目だけをぐるりと動かして周囲を伺い、近くに人がいないとこを確認したツァラルは、腕を組む。
そして声量を落として話し始めた。
「〈対策室〉にはね、代々探してるものがあるんだよ」
「代々探しているのは魔王ではないのですか?」
「それとは別件で。とある〈魔王水晶〉をね、ずっと探していて」
魔王の居場所を示す〈魔王水晶〉は〈魔王対策室〉が作成し、勇者へ渡した後、魔王討伐の成否に問わず回収されている。その数は今や、歴代魔王の〈魔王水晶〉を保管する部屋を保有するほどである。
ツァラルの言葉からすると、探しているのは討伐された魔王の〈魔王水晶〉であるかのように聞こえた。
「〈大水晶〉は使えないんですか?」
数多の〈魔王水晶〉のチカラを管理するという〈大水晶〉は、魔王と〈魔王水晶〉の居場所を検知することが可能である。
魔王討伐が失敗――つまり勇者が死亡した場合、〈魔王水晶〉は赤く染まる。〈対策室〉は〈魔王水晶〉の一部をくり抜いたものを保管しているため、その色の変化を知ることは容易である。
魔王討伐に失敗して〈魔王水晶〉が勇者自らの手で返却されない場合は、〈魔王対策室〉自らがそれを探して回収する必要があるため、〈魔王水晶〉の場所を探知できる〈大水晶〉のチカラが用いられるのだ。
最も、その存在こそ知らされているものの、イアニィのような下っ端が〈大水晶〉本体を見ることは許されていない。
故に〈魔王水晶〉捜索にあたって告げられるのは、人づての座標の情報のみである。
そんなイアニィの言葉を聞いたツァラルは渋い顔をする。
「もちろん使ってるよ。でもずっと探知出来なかった。理由は分からないけどね」
「〈魔王水晶〉が粉々になったとか」
「アレにヒビもかすり傷も入れられないのは君も知ってるでしょ」
四年前、初めて〈魔王水晶〉を見た時のことを思い出すイアニィ。
曰く、これは特別な素材で出来ているから生半可な武具では傷がつかないというのだ。
矛盾を体言したかのような言葉を聞いて、意気揚々と揚げ足取りをするべく、イアニィはあらゆる武具や手段、さらには他の〈魔王水晶〉を使ってまで提示された〈魔王水晶〉に傷をつけようとした。
結果は惨敗だった。
物理法則を無視しているかのように、〈魔王水晶〉には傷ひとつ付けることが出来なかったのだ。
けれども〈対策室〉は〈魔王水晶〉をくり抜いたものを保有している。その事実から、少なくとも「生半可ではない武具」は存在しており、その存在を上司らは知っているようだった。
とはいえ、イアニィには今現在その武具の所在を知らされてはいないので眉唾ものである。
故に、〈対策室〉の一部でしか傷を付ける方法を知らない〈魔王水晶〉が壊れて〈大水晶〉が探知されなくなるという可能性は低い、とツァラルは言った。
「しかし現に捕捉出来ていないのなら、何者かが〈水晶〉を破壊した可能性があるのでは?」
「それがね、昨日捕捉出来たんだよ」
「……ウレイブで、ですか」
イアニィの言葉に首を縦に振るツァラル。
つまり、この上司は昨日のウレイブで〈魔王水晶〉を手にした魔王なり人間なりを見かけなかったかとイアニィに問うたのだ。
いずれにせよ、事の背景を知ったところで〈水晶〉を見かけなかった、という回答が変わることは無い。
「でも捕捉出来たのは凄く一瞬だったらしい。見間違いかと思うくらいだったけど、間違いないって報告だったからね、俺は信じるよ」
「随分ご執心のようですが、ちなみにその〈水晶〉はどの魔王のものなのか聞いても問題ありませんか?」
捕捉方法を肝心なところでぼかすあたり、上司はイアニィに深い事情を明かす気はないらしい。
とはいえ、上が血眼で探しているものには多少の興味は抱く。
部下の問いに、再度ツァラルが口元に手を当てたので、イアニィは耳を寄せる。
そして、その名を聞いたイアニィは口を僅かに開く。
「他言無用で頼むよ」
「はい」
ことの重大さを改めて理解したイアニィは素直に返答する。
椅子に座り直したイアニィは、腕を組み、純粋な疑問を投げかける。
「サナーリアは口が軽いと判断しましたか?」
「……それ以外にも色々あるでしよ」
「ご最もですね」
部下への評価が一致したことに、心底満足そうに返答するイアニィ。
対する上司はバツが悪そうな顔をしているので、本人に面と向かって言うことは控えたい様子だった。
そんなちぐはぐな様子の二人は、昼を告げる鐘の音に反応して顔を上げた。
王城で働く者はこの音を聞くと即座に昼休憩に入り、廊下が人で溢れかえる。
それを裏付けるかのように、本棚で調べ物をしていた者たちは階段を駆け下りて、椅子に座って惚ける二人をよそに、足早に部屋の外へ出ていった。
あっという間に室内はツァラルとイアニィの二人きりとなった。
小さな階段の上にある本棚近辺は、最早人の気配が感じられない。
室内を軽く見回した後、ここぞとばかりにイアニィが口を開く。
「聞いてる人はもういないと思うのですけれど」
「……うん。でもあんまり大声で話すのはやめてよね」
「分かっていますよ。しかし、〈漆黒の魔王〉の〈魔王水晶〉がねえ……」
「イアニィくん、やっぱりもう少し声量落とそう? ね? いい子だから」
世界で一番有名な魔王の討伐の証が〈魔王対策室〉にないというのはなんとも滑稽な話ではないか。
けれども小心な上司はその手の話題を堂々と口にすることは控えて欲しいようだった。
諭すような上司の声に返答をせず、イアニィはさらに質問をする。
「〈御玉鎖〉はあるってことなんですよね?」
「そ、そう。ちゃんと白いやつがね。だから〈漆黒〉は確実に死んではいるけど、何者かが代々それを隠し持っているんじゃないか説が濃厚で」
「その説も、確固たる証拠はないんですよね?」
「……かの魔王は謎が多いからね」
言葉を濁した上司を見て、浅く息を吐くイアニィ。
ある程度の事情は理解したし、興味深いと思うが手がかりはまるで無さそうだ。
強いて言うならば、昨日一瞬だけ捕捉されたという報告が現段階で唯一の手がかりだろうか。
しかし〈魔王水晶〉の効果をよく知る元勇者の巣窟に、回収しそびれた〈魔王水晶〉を見かけませんでしたかと訪ねるわけにもいくまい。
「きっと忘れた頃に見つかると思いますヨ」
「……二百年見つかってないものなんだし、まあそこは、ね」
最終的に現実逃避に落ち着いた二人。
重苦しい会話を忘れようとすべく、あるいは空腹を満たそうとすべく、椅子から立ち上がった上司と部下はのろのろと食堂へ向かうのだった。




