1.5-01 心労の耐えぬ道中
ぱちぱち爆ぜる炎の熱に当てられて、曲がった魚からは香ばしい香りが漂っていた。
少女は、目の前の地面に刺されたそれを見つめ続ける。
隣に座る少年は、串に刺された魚をひとかじりして飲み込む。
「焦げちゃうよ、フォラン」
「……ん」
うねる桃色髪を右耳にかけ、少女は焚き火の前に刺された魚の串焼きを手に取る。
けれどもそれに口をつけることはしない。
微動だにしない少女を視界の隅に入れた栗色の髪の少年は、僅かに口を歪ませる。
こんなとき、あの友人がいたら。
しかし無いものねだりは仕方がない。
日が傾き初め、うっすらと闇に包まれ始めた空を見上げて少年は嘆息する。
ここは森だ。
本来なら今頃は王都に着いているはずだった二人は現在、故郷の村から少し離れた西の森にて腰を休めている。
どう足掻いても本日中に次なる街へ辿り着くことは難しいと判断して、記念すべき旅の一日目にして初の野宿をすることとなったのだ。
薄い塩味のついた魚を頬張りながら、少年は今日の出来事を振り返る。
◆
時は少し遡って真昼間のこと。
〈勇者村〉ことウレイブに突如蔓延したヘビの大群は、ある時ぱったりとその勢いを途絶えた。
何百というヘビが突然やって来て突然逃げていったのだ。村民たちはこの摩訶不思議な騒動の話で持ち切りだった。
小さな村は噂が伝わる速度も早い。
ヘビの大群は〈隷属の魔王〉の仕業であったことや、本日〈成人の儀〉に合格した新人勇者が件の魔王を討伐したと言う話は瞬く間に広まった。
その噂は、店内あちこちに散らばったヘビの死骸を集める少年の耳にもすぐに入った。
「ティジーが〈隷属〉を倒したって?」
「そうそう。なんだか、〈隷属〉の言いなりになってた担当勇者も倒して、それで初めてヘビが散ったみたいなのよお」
店頭に通りかかった噂好きの主婦から話を聞いた少年は、同期の活躍を聞いて純粋に感心した。
そして心から尊敬した。
「ヴァイサーちゃんも勇者になったんでしょ?」
「あ、うん。でもティジーには早速先を越されちゃったみたいだけどね」
少年ヴァイサーは、さほど悔しさの色が見えない表情で呟く。
それもそのはず、この世界の勇者というのは討伐する魔王が定められているからだ。
基本的に一勇者につき討伐する魔王は一体のみで、その魔王は他の勇者のそれと被ることは無い。
故に自らの担当しない魔王を倒した同期の行動こそ尊敬に値するものの、焦る気持ちは湧いてこないのだ。
乾物を扱う店の前でふくよかな主婦とだべっていたところ、背後に人の気配を感じた少年はゆるやかに振り返る。
見慣れた桃色髪の少女を視界に入れたヴァイサーは、柔らかく微笑んだ。
「あ、フォラン。聞いた? ティジーが魔王をたおし――」
「ヴァイサー、村を出る準備は?」
「たって……へ? 村?」
伏せ目がちに、あるいは睨むようにこちらを見つめてきた少女フォランに、ヴァイサーは間抜けな声で彼女が発した言葉を復唱する。
フォランの幼なじみであるティジーの英雄譚は既に彼女も聞き及んでいるのだろうか。
言葉の意味が飲み込めないヴァイサーへ追い打ちをかけるかのように、フォランは顔を上げて迫ってきた。
「旅、したいって言ったでしょ? ゾウォル先生のところでお金貰ってきたでしょ? ならあとはもう村を出るだけじゃない」
「ちょ……っ、村を出るって、今こんなヘビだらけなのに?」
片手に持つヘビの尾を揺らしながら、現在の村の混沌ぷりを主張するヴァイサー。
けれどもフォランは依然として語調を緩めることはなかった。
「旅に出るか出ないかの話にヘビは関係ないでしょ」
はて、論点をズラしてしまったかと思わず口元を歪めるヴァイサー。
本日めでたく勇者となったフォランとヴァイサーは、近々魔王を捜索して討伐するために村を出なくてはならない。
紆余曲折あってフォランと旅をすることとなったヴァイサーは、〈成人の儀〉に合格した後で、早速フォランと共に旅の資金を受け取ったのだ。
そういった意味では、金銭面での準備はもう十二分に整っている。
二人の話に割り込める気配がないことを察知した主婦は、薄く微笑みながらその場を立ち去った。
その様子に浅く腰を折ってから、ヴァイサーは言葉を選びつつ少女に返答する。
「……今日の昼過ぎに出るって考えは変わらない?」
「まさか夕方までのんびり支度するつもりなの?」
資金を貰う際に教師に告げていた出立時刻は、ヘビ騒動があろうがなかろうが変わることはないらしい。
しかし〈成人の儀〉に合格すれば即刻旅に出なければいけないと考えていたヴァイサーは、儀式に挑む前から旅の支度を八割方終えていた。
目の前に立つフォランも相応の大きさの鞄を背負っていることから、彼女も身支度は済んでいるのだろう。
とはいえ、だ。
いくら旅で離れるといっても、ここは生まれてから今までの十五年間を過ごしてきた村だ。そんな故郷の一大騒動に何もせず、逃げるように去るのは心苦しい。
目の前にいるフォランは表情変化に富む性格ではない。けれども、焦っているということは鈍感なヴァイサーでも分かった。
「ティジーにもちゃんとお別れ言いたいじゃないか」
「……分かった。じゃあ私一人で行く」
「待って待って待って!」
ヴァイサーの言葉を聞くなりフォランはすぐさま踵を返す。
その右手を思わず掴んで彼女を止めるヴァイサー。
「分かったよ、今荷物取ってくるから。だから一人で先走らないでよね、フォラン」
「……走らないわよ、子供じゃあるまいし」
今の彼女を一人にするのは危険だと感じたヴァイサーは、生まれ故郷の後始末より同期の行く末に天秤を傾けた。
ヴァイサーの言葉を聞いたフォランは案外素直に立ち止まって、顎で家へ向かうように示した。
そうして、もたもたと荷物を手にしたヴァイサーがフォランと共に王都行きの馬車乗り場へ向かうと、昼の便は騒動から逃げるように、早めに出発したとのことだった。
これまたあからさまに不機嫌そうに時刻表を睨みつけるフォランを見て、ヴァイサーは時刻表を軽く指で叩く。
「まだ今日の便はもう一本あるし、そんなにカッカしなくていいと思うけど」
「や」
「……嫌って」
短く拒否の声を出したフォランは、時刻表からヴァイサーへ視線を移した。
おそらく彼女は一刻も早く村を出たいのだろう。
理由は分からないが、それを聞こうとするとろくな目に合いそうにないので、ヴァイサーは無言でフォランを見つめ返した。
「歩こ」
「……キャウルズまで?」
「うん」
「……馬車じゃなくて?」
「うん」
不満ではなく、おねだりでもなく、いつもの見慣れた無表情のような真顔でフォランはそう言った。
ヴァイサーは目を数回瞬かせてから、深く息を吐いた。
ついでに仰け反って空を見る。
いい天気、とは言い難い。正直、雨が降りそうな雲行きだ。
「本気、なんだよね。フォラン」
「野宿は元気なうちに経験した方がいいと思うの」
「それは一理あるかもしれないけど……」
二人が向かおうとしている王都キャウルズは、ウレイブの西に位置する王国の首都である。
入り組んだ街道と山道は、馬車で半日弱、徒歩で二日程かかるという。
今回キャウルズ行きを選んだのは、ウレイブから出る馬車がそこしかないということもあった。
故にヴァイサーは、馬車に乗らないのであればキャウルズへ行く必要もないのではと思案する。
けれども現在のフォランはどうも意地になっているようだった。
「……野宿、したい?」
「ん」
「……うん、そっか」
ウレイブに最も近い街がキャウルズなことも含め、呑気なヴァイサーは、疲れても王都で休めるからいいかと今後の方針を定めた。
短いフォランの返答を聞いた後、ヴァイサーが街道を指させば、少女は小さく頷いて歩き始めた。
こうして少女の尻に敷かれていることに気付かぬまま、ヴァイサーは王都までの旅路を徒歩で向かうことにしたのだった。
◆
ヴァイサーが手元の魚を食べ終える頃になって初めてフォランは手に持つ串焼きを頬張った。
あからさまに覇気のない様子だが、空腹に耐えかねたのだろう。
もしゃもしゃ口を動かしながら、一向に表情が変わることのない少女に、ヴァイサーは控えめに尋ねる。
「……お、おいしくない?」
「ふつー」
「あっ、はい」
最も返答に困る評価を聞いて引っ込むヴァイサー。
とはいえヴァイサー自身もこの焼き魚を美味しいと思って食べてはいなかったので、感想は同じだ。
炎の周りには合計四匹の魚が刺されていた。
二人がそれぞれ一本ずつ手に持っているのに加え、ヴァイサーが次なる串焼きを手に取ったので、焚き火の前にある串焼き魚は残り一本だけとなった。
それを焦げないように少し奥に下げたヴァイサー。
フォランはその様子を見て、小さく告げる。
「いいよ、それも食べて」
「食欲ないの?」
「うん」
即答した少女は、両手で串を持って、小さく魚にかぶりつく。
年頃の男子であるヴァイサーは正直魚三匹でも充分に完食できる自信はあった。
けれどもこれは二人で二匹ずつ食べようと提案しての食事である。提案したのは専らヴァイサーであるが、昼から歩き通した上の夕食が魚一匹は割に合わないはずだ。
「でも、明日も歩くんだから食べて」
故にヴァイサーは彼女の申し出を却下した。
もぐもぐ口を動かすフォランは、残る串焼きをじっと見つめる。
「フォラン」
返事のない少女に声をかければ、じっとりした視線を向けられる。
名前を呼んだだけなのに、とたじろぎそうになるところをグッと耐えて、ヴァイサーは穏やかに微笑む。
「色々考えてることがあるのは分かるけど、それなら口に出して吐き出すのもアリなんじゃないかな」
「……ヴァイサーのくせに」
「それ関係ある!?」
思わず突っ込んだヴァイサーの声に、フォランは初めて頬を緩ませた。
その様子を見て小さく安堵するヴァイサー。
これが自分でなければ、もっと彼女を安心させられるのだろうなと、故郷にいる友人を脳裏に浮べる。
口に含んだ魚を飲み込んだフォランは、焚き火に視線を戻した。
軽快な音を出して弾ける炎はまるで楽器のようだった。
「ギサディットさんがね、〈隷属〉に操られていたの」
「……へえ」
事のあらましを村でやんわりと聞いていたヴァイサーは適当に相槌を打つ。
ヴァイサーが知っているのは、騒動の元凶となったのは〈隷属の魔王〉で、その勇者も〈隷属〉と化していたから新人勇者によって殺められたということだった。
経緯はどうあれ、結果的にウレイブの人々に混乱を招いた魔王の下僕となった元同期ギサディット。薄情だが、ヴァイサーは彼の結末を当然のものと受け入れていた。
「それで、私はギサディットさんが〈隷属〉の仲間にしたい子を庇っていて」
「フォラン、その場にいたんだ?」
「うん」
ティジー一人だけがギサディットと相対していたものと思っていたヴァイサーは、新たに知る真実に少しだけ驚く。
もぐもぐと二本目の串焼きを頬張るヴァイサーを見て、フォランも手に持つ魚に再度かぶりつく。
「それで私、ギサディットさんに『気に食わない』『馬鹿みたい』『報いを受ける』って言ったの」
「……説得のつもりで?」
「八割方私情だったわよ。騒動が終わったら、どさくさに紛れて謝れると思ったの」
けれどもその機会は来なかった。
ヴァイサーは、ここでようやくこの少女が、ギサディットが死んだ現場に――ティジーが彼を殺めた場に居合わせていたことを理解した。
とすれば、店の前でティジーの英雄譚を知っているかと尋ねたのは野暮だったなと己を省みるヴァイサー。
「でもティジーがギサディットさんを刺した時、私、最低なこと言ってたなって気づいて」
「…………」
「報いを受ける、って……ギサディットさんは死んでも当然って思ってたのに、自分では手を下さずにティジーにそれを押し付けたの。ばかでしょ」
魚を齧ることをやめて、焚き火を見つめるフォラン。
瞳に映る焔は不規則に揺れていて、まるで彼女が胸の内に抱える蟠りのようだった。
「村の人たちはティジーのこと英雄みたいに話してたけど、私はそうは思わない。あれは事故よ。ティジーは……私の幼なじみはいつだって優しくて、人に報いを受けるべきなんて思わない。だから……ギサディットさんを本当の意味で殺したのは私なの」
揺れる声で、己の咎を告げる少女を、ヴァイサーは魚を咀嚼しながら見つめていた。
ヴァイサーはギサディットのことを快く思っていなかった。
世間的に言えば嫌いの部類に入るなのだろうが、彼の性格上、そう断言するまでギサディットのことを知っていなかったので結果として曖昧な表現に留まったのだ。
だから正直に言うと、〈隷属〉の下僕となった彼は死んで当然と思っていた。
魔王を倒し、世界を脅威から守るのが勇者なのに、自らが脅威となってしまった彼はもう勇者でもなんでもない。
ヴァイサーの勇者観は清く正しく強い、というものである。
故にフォランの告げた言葉の意味こそ理解しつつも、なぜ彼女がそれに悩むのかヴァイサーには分からなかった。
「けど、ティジーも人間だし、たまにはそういう、邪なことも思ったりするんじゃないかな」
「……違う。違うよヴァイサー。ティジーは、傷つけようとする人だって守りたいって思うの。〈アカハラ〉に噛まれた時だって、勝手に狩場に入って悪いことしたって、最後まで自分のこと棚に上げて……ほんと、ばかみたい。ていうかほんとばか。ばかばかばか……っ」
「……フォラン」
膝に顔を埋めて涙声になる少女を見つめて、言葉につまるヴァイサー。
彼女が泣くのを見るのは初めてだった。
端正な容姿に女子が寄ってくるものの、紳士とは程遠い気の抜けた対応をするヴァイサーは、真の意味で女子の扱いが下手だった。
故に、容姿に惑わされない女子との会話では常に墓穴を掘る。
「ティジーのこと、大好きなんだね」
「ヴァイサーよりは百億倍大好きよ……っ」
「そ、そっか…………」
素直に傷ついたヴァイサーは、ちょびちょびと魚を食べ始める。
フォランが落ち込んでいる理由は分かったけれども、ヴァイサーにはその傷を癒すことは出来そうになかった。
ひとしきり泣き終えた少女は、自棄になったかのようにガツガツと二本の魚の串焼きを食べ終え、寝袋へ入った。
火の番をするべく、一人夜空を見上げながら少年は呟く。
「……つらい」
少女の恋心に気づかなかったことも含め、村で英雄扱いされている友人の真意を知らなかったこと、件の騒動が収束する場に居合わせなかったことが辛い。
ということはつまり、フォランはティジーとそういう仲になれなかったから村を出たのだろうか。
野次馬精神ばかり顕著な美少年は、自分はまた墓穴を掘っていたのかと落胆する。
けれども火の番を交代して寝袋に入るとスっと寝付けてしまうのだった。
そんなギスギスした少女と少年の旅は、王都キャウルズに着いたと同時に終了した。
道中お互い無言だったのだから当然の成り行きであり、示し合わせたかのように二人は解散した。
こうしてひとときの心労から解放された少年は、近いうちに新たな心労に苛まれることとなるだが、それは少し先の話となる。




