01-03 ご開腹
風に緑が揺れて心地よい日差しが村にある屋外広場を暖かく照らすころ、勇者見習いたちは阿鼻叫喚していた。
「そうそう、力を入れすぎないように皮だけ切るように~はい、力んじゃダメですよ~」
「うえええええ」
体術の授業でいい汗を流したティジーは、現在短刀で獣の腹をかっ捌いている最中である。最近持ち始めた真剣と比較すれば馴染みのある武器ではあるが、それの刃先が肉を切り裂いていく感覚には思わず手が緩みそうになる。
屋外なのに鉄の匂いが充満しているここでは、どんなに目を背けても視界に赤が入ってしまうため、手元以外ではどこを見るべきか迷ってしまう。
「先生、これはどこに片付ければいいですか」
「おやフォランくん早いね。内蔵はそこの桶に入れてください」
獣の腹から取り出したそれを指定の場所へ淡々と運ぶフォランを横目で見ながら、ティジーはゆっくりと短刀を滑らせる。
「ティジーくん、ちゃんと見ないとダメですよ。命を頂こうとしているのに、余所見するなんて命に不敬です」
「いやいやオレ今夜は魚肉の気分でしてぇぇえええ! アアアアア手ぇ掴まないでせんせ、せんせ!」
怯え腰のティジーを見かねた教師は短刀を持つ彼の手の上に己の手を重ねて、スルスルと浅く切り込みを入れた後に皮を剥ぐ。
「下処理は速さが大事って言いましたよね。……はい、これで皮がとれました」
調理学。
魔王を探すため、長期の旅を行う勇者にとって非常に重要と言える科目の一つである。
目的地にもよるが、旅先では必ずしも水と食糧を確保できるとは限らない。時として自ら狩りをする必要が出てくるため、こうして獣を解体するという大層な授業が組み込まれているのだ。
もちろんいつも獣を解体しているわけではなく、今までは調理器具に親しむような料理を作ったり山へ赴いて食用の山菜を入手したりなどという平和な授業を行ってきた。準級になって〈成人の儀〉に挑戦できる日が近づいてくると、徐々に肉を扱う授業が増え、今回は満を持して獣一匹のまるごと解体が課題となったのである。
「食事のためでなくとも、体の一部を綺麗に取り出せば武具屋なんかで買い取ってくれるんですよ。なので、お肉は新鮮なうちに捌けるようになりましょうね」
心無しか説明をする教師、ゾウォルの目は煌々としている。言っていることを理解出来ても生理的に出来ないものがある事実は理解して欲しかったけれども、この様子では性癖の違いから同意を得られそうにない。たとえ自ら仕留めた獣でないにしろ、生命の余韻を感じるそれを切り刻むなんてティジーには恐れ多い。というのは普段から狩りをしない生活を送っていた農民故だろう。
「せ、せんせいは……おりょうり、すきなんですか」
調理学の教師になんたる質問をと思いつつ、なんとか時間を稼ぎたいティジー。稼いだところで何の得もないのだが。
「そうですね、勇者になってからは斬る殴るといった行為にうつつを抜していたのですが、魔王を倒してしまってからはそうもいかなくなったんですよね。脅威を倒しておきながらそれを喜ばなかったのは俺くらいかもしれませんが」
さらりと飛び出す勇者発言に思わず反応しそうになるティジー。
けれども――村の外からやって来た例外的な者もいるが――村民の大人の多くは旅に出て目的である魔王討伐を果たした元勇者である。ちなみに十四歳を超えて移住すると、律儀に〈成人の儀〉は免除され、最初から大人として扱われる。
そういうわけで、学び舎で教鞭を執っている彼もまた魔王を倒した元勇者なのである。
もっともどんな魔王を倒したという情報までは知らないが、世にいる魔王の名前はティジーはおろかゾウォルでさえ全て記憶してるわけではないので、名前を聞いたところで「そうなんですね」としか返答が出来ないことは目に見えている。
さらに言えば魔王は今に至っても増え続けているらしいので、その全貌を把握しているのは王国の一部のものだけだろう。魔王を判定しているのも王国ではあるが。
「今まではただその日の食事をまともにしようと思っていただけなのですが、追求し始めると奥が深いんですよねえ、これが。あと、剣よりも包丁のほうが安価で種類が豊富なのでそういう面でも魅力的でしたね」
その魅力はとても理解し難いけれど、この教師は勇者こそが天職だったのではないかとティジーはぼんやり思う。
もちろん勇者になればところ構わず刃を振り回すことが許可されているわけではない。しかし、魔王を救う勇者が魔王以外も救ってはいけないという決まりもないため、慈善活動となるが、勇者のなかには獣から魔獣ひいては賊の類までもを討伐する者もいるという。
ゾウォルが悪漢退治に勤しんでいたかは不明だが、刃を振るうことに魅力を感じていたのならば、いっそ教職より傭兵業に就いたほうが良かったのではとも思う。
「せんせいは……どんなまおうをたおしたんですか」
「それについて話すと長くなってしまうので、そろそろ手の方を動かしましょうか」
どうやら時間引き伸ばし計画はとうに気づかれていたようだ。
ちなみに調理学は彼一人が受け持っている。ティジーが周囲をちらちら眺めてなかなか手を動かしていなかったため、目をつけられて半ば監視状態となっているだけでティジー専任の教師というわけではない。
ちょいちょいと止まっている手を指さされたので、引きつる頬を上げて不器用に微笑むティジー。相変わらずゾウォルはニコニコしている。一体何がそんなに楽しいのだろうか。
いよいよ心を無にして、目の前の獣から腹のいちもつを取り出そうとすれば、横から聞こえてきた女子の甲高い声に驚いて即座に心が戻ってきてしまう。
「ヴァイサーくん~、しっかり~!」
「…………」
短刀を手にわたわたする女子の前には、仰向けに倒れたヴァイサーの姿。片手に短刀を持ったまま足を揃えて綺麗に気絶している。
およそティジーと同じ段階のところで意識が飛んだのだろう、ということはなんとなく察しがついた。
だが同情はしたくなかった。
女子に介抱されていることも含めて。
「全く。調理は女性だけが行うものではないんですよ、ヴァイサーくん!」
まるで勿体無い、という目をしながらゾウォルは足早にヴァイサーのもとへ向かう。そうして気絶した可哀想な男子生徒を起こす――ことはせずに、彼の解体しかけた獣を手本にして、説明を続け始めた。危険と判断したのか、ゾウォルはその手に握られた短刀だけ引き抜く。
それでいいのか、とは誰しもが思ったが、それと同時に早くこの作業を終えたいと思った生徒も多かったようで、ヴァイサーはそのままに各々で解体作業を続ける。
多少の哀れみの視線を送りつつ、いっそのこと自分も彼のように気絶出来たら楽なのに、と思うティジーであった。




