01-27 あるいは事故
タレ目の幼なじみに見つめられたティジーは、次なる言葉を紡ぐべく唇を湿らせた。
あれほどの啖呵を切ったのだ、中途半端なウソでは納得しまい。
とはいえ、目下最大の問題は〈暗闇の魔王〉ではなく、それをねらっている〈隷属の魔王〉だ。出来ることならかの魔王の情報のみ伝え、協力を仰ぎたい、などと都合の良い展開を想像するティジー。
そして今まさに隣にいる〈暗闇の魔王〉は、そんなティジーとフォランを交互に見て首を傾げた。
「ティジ、このひとは?」
張り詰めた空気をあえて読まないのかそれとも読めないのか、気の抜けたペルチの質問にティジーは僅かに肩を震わせた。
桃色髪の幼なじみは微動だにしない。
肩の力を抜いたティジーは、ペルチの方を向き、呑気に幼なじみを紹介する。
「こいつはフォラン。オレの幼なじみで、めでたく今日勇者になったうちの一人だ」
「フォラ! 勇者なんねー」
相変わらず微妙な発音だが、訂正はしない。
そしてティジーはフォランに向き直って、ペルチと繋いだ手を僅かに上げる。
「んで、こいつはペルチ。……まあ、見たまんまの見知らぬ幼女だ」
「そんな説明で納得するとでも?」
「そーだそーだ! 私の服、どうしてくれるのさ!」
一向に疑わしい視線をやめないフォランと、仰向けになったまま喚くチェテーレ。
フォランの視線がティジーとペルチへ動いたのを好機と捉えたのか、チェテーレの片手が動き、彼女が持つ〈禊刀〉を手に取ろうとしたが、あっけなく躱される。
現在チェテーレは服が破れ、(恥ずかしくて)立ち上がれない状況だ。外傷がない分、動きたくてたまらないのだろう。
元気に会話に加わってきたチェテーレを見て、あることに気づいたティジーは、彼女に質問を投げかける。
「つか、チェテーレは事情を知っててペルチのとこに来たんじゃないのか?」
「事情? うーん、そう言われると、なんで私がその子を捕まえようとしたか、記憶が定かでないや……」
「記憶が、ねえ」
おそらくは服が破けた羞恥によって正気に戻ったと思われるチェテーレ。記憶が定かでは無いのは〈隷属〉のチカラの影響だろうか。
隷属となった彼女が元に戻ったことは想定外だったが、服がなくなってまで追いかけられる状況にならなくてよかった、とティジーは小さく息を吐く。
そしてなおも懲りずにフォランが持つ短刀を奪おうと、左手を振り回すそばかす娘。呆れたように彼女を見つめたフォランは、前面の衣類を抑えている右手に小さな噛み跡があることに気づいた。
「チェテーレ。その右手、噛まれたの?」
「あ、うん。ティジーも言ってきたなソレ。昨日の夜、ゴミ出ししてた時にヘビかなんかに噛まれたんだよね」
「……ヘビ?」
記憶を探るように呟くフォラン。
先ほどの数匹のヘビから、既に村の異変にギサディットが関与していると予測していた彼女は、視線を上げ、目でティジーにその真意を問う。
ティジーは幼なじみの予想を肯定するように首を縦に振った。
「……フォランの予想通り、これは〈隷属の魔王〉の仕業だ」
「えっ、なに、魔王? れいぞく?」
事情を把握していないチェテーレは横たわったまま頭を右に左に忙しなく動かす。
緊張感の抜ける言動に呆れるティジー。
そうして、ふとペルチと繋いだ手が強く握られたことに気づく。隣にいる幼女の様子を伺えば、そこには口を真一文字に結んで、眉を下げたペルチがいた。
ティジーには、ペルチ自身も魔王であることを二人に伝えろと言っているように見えた。
現に同じ魔王である〈隷属〉が、人を操ってまで攻撃してきたのだ。ヘビの大群だって、ティジーとペルチ二人だけを追うだけではなく村中に散って、無関係な人々を襲った可能性がある。
ティジーがペルチを例外と見なして、正体を伏せていることを彼女は後ろめたく思ったのだろう。
視線を落として、ティジーは小さく言葉を紡ぐ。
「…………〈隷属〉は、ペルチを追ってるんだ」
言いたくなかった。
ペルチは純新無垢で、まだ更生の余地がある魔王だとティジーは信じたかったのだ。
それにペルチを討伐する勇者となったのはティジーであり、部外者の彼女たちにペルチが魔王だと伝える事自体、大した利点もない。
けれども他でもないペルチ自身が正体を告げて欲しいと望んでいるのだ。その望みを、ティジーの自分本位な感情で偽ることは許されない。
言葉に詰まったティジーは、数人の子供たちが軽快に笑う声を耳に入れて、顔を上げる。
見れば男女問わず、十歳程度の勇者見習いたちが稽古場に集まって走り回っていた。
昼食を終えて遊びに来たのか、とぼんやり状況を理解したティジーは、その視界に見慣れた黒い物体をも捉えて思わず立ち上がる。
「……〈隷属〉だ」
「へ?」
「うそ」
黒ヘビを、稽古場の先の茂みに確認したティジーは、それに向かって走り出す。
ギサディットから離れない〈隷属の魔王〉がどういうわけか、彼から離れて行動しているのだ。
これを逃せば〈隷属〉が単独行動する機会は無いかもしれない。
「ティジ!?」
「ごめんペルチ! やっぱオレ、あいつ倒すかもしんない! もう見過ごせないから!」
「ちょっとティジー、話はまだ終わってないでしょ!」
「あとでほんとっ! ほんとあとでマジで話しますからっ、フォランさん!」
大声で各方面に謝罪の言葉を投げつけながらティジーは走る。
ペルチに〈隷属〉を倒さない、と宣言したものの、同期に襲われたことも含め、ティジーはいつまでも〈隷属〉から逃げ続けることが出来るとは思っていなかった。
勇者であるギサディットは既に魔王の言いなりとなってるのだ。おそらく次点で〈隷属〉の脅威と能力を把握しているティジーが、この騒動を収めるのが最も現実的だろう。自分にあの魔王を仕留めるだけの力があるかどうかという懸念はあるが、それはそれだ。
現実的、なんて、まるでどこぞの幼なじみだなと自嘲気味に頬を歪めるティジー。
走りながら、右靴の突起を乱暴に地面に押し付け、隠し刃を出す。
爪先が少し長くなったようで走りにくくなったが、跳ねるように大股で〈隷属〉に近づく。
「オラ! そこのチビども、勇者さまがお通りだぞ、避けろ避けろ!」
「え、ティジー?」
「チビつっても、おれ、ティジーと身長同じくらいなんだけどー」
「きゃはは、チビチビ勇者さまじゃーん」
〈隷属〉に噛まれぬよう、稽古場で追いかけっこをしている中級の勇者見習いたちを罵声で脅すも効果は薄かった。
これも低身長の定め、と、奥歯を噛み締めつつ、騒ぎ立てる勇者見習いたちを通り過ぎて、茂みに突撃するティジー。
「キチィッ」
緑の葉の隙間から顔を覗かせていた〈隷属〉は歪な声とともに後ろへ飛んだ。
見れば周りに数匹ヘビがいるものの、近づいて来る気配はない。〈隷属〉が何考えているか分からなかったが、今は深く考えないよう、意識を目の前の魔王だけに集中するティジー。
黒ヘビを睨んだまま、振り返ることなくティジーは背後にいる勇者見習いたちに警告する。
「いいかお前ら。こいつは〈隷属の魔王〉っていう、生きてる者を操る魔王だ。そんでオレは〈成人の儀〉に合格して、晴れて勇者になった。〈隷属〉はオレが倒すからお前らは適当なとこに避難してろ……っ」
黒ヘビが右に――ティジーの横を掻い潜って見習いたちの方へ向かおうとしたのを見たティジーは、すかさず右靴の刃でその胴体を切りつける。〈成人の儀〉の幻で相対した〈アカハラ〉と比べるとさほど動きは俊敏ではない。
けれども体が細いこともあって、短い刃はヘビの体表を僅かに傷つけるだけに留まった。
体の大きい〈アカハラ〉ならはもう数ミリはえぐれた気がするが、ないものねだりは仕方がない。
「ヘビの魔王なら、おれたちも手伝えそう!」
「ばかでしょアンタ。見掛け倒しって言葉知らないの? ここは大人しく従おうよ」
好奇心の勝る見習いと、それを諭す見習い。
最終的に慎重な見習いの意見に一同が賛同した声を聞き、ティジーは安堵する。
稽古場で遊んでいた中級生徒五人が飛び込んでくることはないようだ。ひとまずその判断に感謝して、改めて意識を〈隷属〉に戻すティジー。
浅い切り傷を得た魔王は、血を流すわけでもなく、ただティジーを警戒するように舌を出していた。
仕込み靴だけでは足りないと判断したティジーは再び〈禊刀〉を手に持つ。先ほどチェテーレに襲われた際に鞘はぶん投げたので、抜き身で腰に刺していた。
「……っらあ!」
そのまま〈隷属〉の喉元めがけ、短刀を突き出して低い姿勢で地を蹴る。左に避けられた。咄嗟に左膝を地面に叩きつけ、左の手と膝を軸にして右靴でその背後を襲う。
小さな斬撃は、やはり僅かな切り傷を増やすことに留まり、〈隷属〉は見習いたちの方向へ逃げていく。
すかさず身体を起こしてその後を追うティジー。
〈隷属〉の左隣に並んだと同時に、その胴体を右靴で叩きつけるように吹っ飛ばす。刃を使わなければある程度攻撃は当たるようだ。
「まーじで仕込み靴、つかえねーなっ!」
自らその武具を選んだことをよそに、すかさず膝を曲げて、地面に横たわった〈隷属〉の頭目がけて飛び込む。
〈隷属〉が噛むことで、噛んだ対象を隷属と化すのなら、最も警戒すべきなのはかの魔王の牙である。
そうでなくともヘビの牙は危険なのだが。
見事ヘビの後頭部に着地したティジーは、グエッ、という声と何かがひしゃげる音を耳に入れた。
「よっし、案外大したことなかったな……」
足を避ければ、平べったくなったヘビの頭がそこにはあった。
その脱力した様子を見て、喉元に〈禊刀〉を刺し、〈隷属の魔王〉が痙攣したことを確認するティジー。やはり血は出ない。人や獣ではないので当然かもしれないが。
「ティジー!」
そんなティジー初の魔王討伐の瞬間に、後ろで固まっていた中級生徒の一人が大声をあげた。
かの教師いわく、魔王は絶命すると〈魔王水晶〉が白色に変化するという。それは裏を返すと、魔王の様子を見ただけではその生死を判別することが出来ないということだ。
故に、念を入れて二三、追加で〈隷属〉に刃を突き刺したティジーは、何事かと頭だけを背後に向ける。
「あの……あっちに、ヘビが……すごい、いっぱいいて……」
「はあ!?」
あっち、と中級生徒が指さす方向は先ほどまでティジーがいた武具倉庫。
そしてその周辺にはわらわらとヘビたちが集まっていた。種類を問わないそれは徐々に数を増していく。
ただ、奇妙な点は、どのヘビも日陰の中に入ろうとしていないということだ。
「〈隷属〉は死んだ。〈水晶〉を確認出来てないから断言は出来ないけど……」
多数のヘビを操っていたのはおそらく〈隷属〉だ。
しかし先ほどまで痙攣していたヘビは、最早ぴくりとも動いておらず、命の余韻を感じられない。
〈隷属〉が死すれば隷属となった者は正気に戻るかと思ったが違うのだろうか。
「そういやさっき、生きてる者を操るって……じゃあアイツが魔王なんじゃ?」
「に、人間じゃないの? あ……でも人みたいな魔王もいるんだっけ?」
「ティジー、〈隷属の魔王〉はたふんソイツじゃねーぞ!」
口々に発される勇者見習いたちの言葉に、ティジーの背に悪寒が走った。
〈隷属の魔王〉は間違いなくこの黒ヘビだ。
そして噛んだ対象を意のままに操るチカラも、この魔王だけが成せるわざだ。
けれどもギサディットと出会った古めかしい建屋で、この黒ヘビは何をした?
ヘビたちに、ティジーたちを追えと命令を下したのは、ギサディット本人ではなかったか。
「……まさか、そんなっ」
ティジーは〈隷属〉に刺した〈禊刀〉を抜き、力なく横たわる黒ヘビを掴んで走り出した。
〈隷属〉のチカラの全貌をティジーは知らない。悪く言ってしまえば今まで考えてきたことは全てティジーの予想である。しかしその全てが合っていたわけではないし、全てが間違っていたとも思えなかった。
確実なのは、噛むと「仲良く」なる、ということだ。
これは強制的な意味だろうから、少なくとも噛んだ対象の思考を妨害するチカラは確実にある。
問題はその先だ。
〈隷属〉は他者に命令して操るチカラも有する。
その上で、「仲良く」なった彼らに命令を下していたのは、〈隷属〉ではなかったという可能性。
正しくは、直接〈隷属〉が命令を下さなくても、とある対象からの命令は遵守するように仕向けられていた可能性。
――なに? 魔王に情でも移っちゃった?
「情がないのに、従ってる矛盾……っ」
全速力で駆けながら、ティジーは今までの記憶を引っ張り出して検証する。
倉庫の影には、見慣れた男が立っていた。
おそらくはギサディットだ。
チェテーレの言動からすると、〈隷属〉の命令は本人の意思に関係なく、けれどもあたかも本人の意思であるかのように遂行される。
それならば、旅をするほど〈隷属〉と「仲良く」なっているはずのギサディットが、命令主である〈隷属〉を否定するのはおかしいのではないか。
けれども、もし〈隷属〉がギサディットだけ、「仲良く」なる度合いを下げていたとしたら。副司令のような立場にギサディットを置いていたのだとしたら。
そんなことが果たしてあり得るのだろうか。
〈隷属〉がギサディットを利用し、そのギサディットも〈隷属〉の言いなりとなりながら〈隷属〉のチカラを利用していた、なんて。
「だめだ、これも予想だっ! 真実じゃねえっ」
いくら頭を回しても答えが出ることは無い。
だからティジーは、かの先輩勇者に問うことにした。
噛まれたチェテーレだって正気に戻ったのだ。明確な方法は分からずとも、何らかの条件が揃えば彼が正気に戻って、〈隷属〉の狙いや能力を教えてくれるはず。
そう決意したティジーの目に、日陰を囲うヘビたちと、そこに立つ友人と、長剣を手にした先輩勇者が映った。
「……やめろ」
服の背面が破けて仰向けになっていたはずのチェテーレは、どういうわけか倉庫に背を預けていた。彼女が倒れていた場所には、いまや多数のヘビが列を成すように集まっている。ヘビから距離を置くために決死の思いで移動したのだろうか。
そしてギサディットと相対しているのはペルチを背に隠したフォラン。
〈禊刀〉を構えているが、その脚は立ちすくんでいるかのように弱々しかった。理由はおそらく、周囲をに群がる無数のヘビだ。
「……やめてくれ」
左手に握りしめた〈隷属〉の残骸に力を込めながら倉庫に駆けていくティジー。
徐々に迫る距離をもどかしく思いながら必死に地を蹴り続ける。
こちらに背を向けているギサディットの表情は分からない。
けれども、硬い表情のフォランからすると、およそ話が通じている様子ではなく、ついに彼は右手に持った長剣を斜め後ろに振りかぶった。
ギサディットは、フォランを斬ろうとしている。
陽光に煌めく剣を目にしたティジーは、これまで頭の中に悶々と浮かんでいた無数の予測を、一気に吹き飛ばす。
脳裏に浮かぶのは、〈成人の儀〉で出会ったヘビたちの声。
――あなたは知らないかもしれません。
――けれど魔王とはそういうものなのです。
――ヒトの法が通用しません。
――ヒトではないからです。
――理不尽なのです。
――無慈悲なのです。
その無慈悲に向かって、ティジーは叫んだ。
「やめろおおおおおおっ!!」
激情のまま、ティジーは日陰を囲うヘビたちをも踏み散らかし、〈禊刀〉を構えて、ただ一つの目標目がけて突進した。
大きな背中にぶつかった。
息を切らしながら、ティジーは短刀が手元にあることを確認する。
そして、なにかが……脈打つ何が、刃を通してティジーの手に伝わってきた。
おそるおそる柄から手を離したティジーは、深々と短刀が刺さっている背中を見た。服には見る間に赤黒い染みが広がっていき、染みはやがて赤い液体を滴らせる。
「……ティジー」
「……ちがう。オレは、パイセンを……止めるつもりで」
ガラン、と鉄が地面に落ちる音がした。
ギサディットの右手に握られた剣が地面に落ちた音だった。
次いで、目の前の背中が重力に引っ張られるかのように、下に崩れていった。
「ぎさ、でぃっとさん」
地面に伏せたギサディットから、赤黒い液体が広がっていく。血の気の失せた顔でそれを見るティジーをよそに、フォランはおそるおそる彼に近づいてその右手に触れる。
「……ま、まだ、きっと、手当をすればいけます。大丈夫です、死にません、死なないでください」
「……俺んこと、気に食わない……つったのに、死ぬなとは……言うんだなあ」
「パイセン……っ」
力なく悪態をつく声に反応して、ティジーもフォランに続けてその右手に手を添える。
僅かに動いた手の感覚にティジーは安堵した。
「れ、〈隷属〉は、倒しました……っ、だから、これはパイセンの手柄に、しないと……じゃないですかっ」
「あー……キッチー、死んだのか……。いい、やつだった……のに、なあ」
「……え?」
ギサディットの言葉は彼の本心なのか、それとも〈隷属〉の手下としての言葉なのかは分からない。
困惑したまま、それをどう解釈していいのか分からないティジーに、ギサディットは続ける。
「はは……もちろん……道具として、だぜ? でも、道具に……したくなかった、から、旅しててさあ……っあーいてえ、まじいてえ……」
「喋らなくていいですっ。今、人を呼んでくるので……」
「いーよ、もう」
立ち上がったフォランに、小さく否定の声を零すギサディット。
その言葉にティジーは胸の鼓動が早くなるのを感じた。
「お、オレの、せいで……すみません……、すみません……っ」
「そーゆの……うぜえ……。〈隷属〉をモノに、出来なかった……俺が惨めに、なるわ……」
「ぎ、ギサディットパイセンは、〈隷属〉と仲良くなって、良かったんですか……?」
どこまでも弱みを見せず、強がるギサディットを見て、ティジーは息がしづらくなった。
そうして、僅かに、右手に力が加えられた。
まるで手の甲にのせられた、ティジーの手を掴むかのように。
「……魔王もさ、きっと……わるいやつ、ばっかじゃ……ねえんだよ……ティジー。だから…………がんばれ、よ」
そうして、ふっと右手の力が抜けて。
ギサディットはもう、何も言わなくなった。
それと合わせるように日陰を囲っていたヘビたちが散開していく。
ヘビたちの行動は紛れもなく、かの勇者がヘビたちに命令していたことの現れだったが、ティジーはもうそんなことどうでもよかった。
「おれが、ころした」
徐々に体温が奪われていく、先輩勇者だった者の右手を凝視して、呟く。
殺した。
人を、殺した。
勇者を、先輩を、殺した。
フォランとペルチとチェテーレを守るために、ティジーは人を殺した。
正当防衛にしては過剰なそれを、ティジーは許すことが出来なかった。
けれども現実は非情だった。
わらわらと、見計らったかのように幼い男女の声が近づいてくる。
「うわー! すっげー、ヘビ逃げてくし!」
「さすが勇者! ティジーほんとに勇者だったんだあ!」
「おれ実はヘビ苦手でさあ、ティジーが魔王やっつけてくれてほんと助かったよー」
途端に群がるのは、中級の勇者見習いたち。
おそらくはギサディットを魔王と勘違いした彼らは、それを倒したティジーを褒め称える。
真実、ヘビを統率していたのはギサディットだったのだから、〈隷属〉の協力者という点ではそれはウソではなかった。
故に、彼らは純粋に無垢に心から勇者を称える。
ティジーは、その言葉を呆然と聞き入れて。
「……そうか」
ふらりと立ち上がって、ギサディットに背を向けた。
中級の勇者見習いたちがティジーの後ろに付いて回ったが、振り払う気力もティジーにはなかった。
「ティジーっ!」
唯一、引き止めるような声を出した幼なじみをも無視して、ティジーは日陰から立ち去る。
これは事故などではない。
れっきとした殺人だ。
そう言い聞かせて、鉛のような足を動かして、ゆっくりと、後ろから聞こえる賛美の声を聞きながら歩いた。
まるで地獄だった。




