01-20 ょぅじょ
一陣の風が肌を撫で、さらりと銀色の髪が空に舞う。
遺跡の外の天候は晴れであるけれども、木陰が多いせいで暑さはさほど気にならない。
乱れた髪を指で軽く整えながらサナーリアは、遺跡から出て来た後に並んで座る三人の合格者を見つめた。
「時にイアニィ殿」
「なんでしょうサナーリア殿」
合格者が一人現れたことで物置小屋の快適お茶会を剥奪された監督二人は、いかにも最初からその場で儀式の経過を見守っていたかのように立っていた。
現在は物置小屋にゾウォルがもう一人の合格者を連れて、なにやら話し込んでいるらしい。
が、サナーリアはそんなことはどうでもよく、合格者数人が現れたことで新たに湧く疑問を上司に問わずにはいられなかった。
「あの人達は〈幻惑〉に打ち勝ったということなんですよね?」
「そういう儀式ですからね」
「もし、ですよ。もし、〈幻惑〉の術を外的要因で解いた人が出たらどうするんですか?」
「外的要因、ねえ」
糸目の上司は、感情が篭っていない言葉を繰り返す。
また、資料を読んだのかと聞かれるのだろうかと答えを聞く前から睨みをきかすサナーリア。
そんなこととはつゆ知らずのイアニィは、少し上を見上げて口を開く。
「運も実力の内だと思いますけどネ」
予想の斜め上の回答に、サナーリアの目が点になる。
「外的要因って例えば、肩をゆすられて起こされたり、地震が起きて目が覚めたりってことですよね?」
「ま……まあそうですね。一人入ると扉には鍵がかかる仕組みですけど、万が一、二人同時に部屋に入ることがあれば有り得る話のはずです」
意識の本体である身体に何らかの衝撃が加えられれば、本能的に幻から現実に意識が戻る。
この点だけ見れば〈幻惑〉の効果は夢に似ていると言えるだろう。
「原因がなんにせよ、時間内に目が覚めたら遺跡の構造にも気づいてしまうはずです。そうなれば〈幻惑〉の効果にかかりにくくなるので、こちらとしてはとっとと合格して貰いたい限りですね」
後半の投げやりなイアニィの言葉を聞いて、ようやく先の言葉の真意を察したサナーリア。上司から視線を三人の合格者に戻し、息を吐く。
つまりは次回以降に参加されると色々と面倒だから見逃す、ということなのだろう。
効率重視のイアニィらしいが、課題を突破することなく儀式を合格する者が、果たして勇者になって良いのだろうかとサナーリアは僅かに眉を寄せる。
「私が聞いた限り、今までそういった合格者はいないようなので、サナちゃんの懸念はあくまで可能性の域を出ないと思いますヨ」
そんな部下を諭すように、イアニィは彼女の疑問に終止符を打ったのだった。
######
「よーし落ち着け、落ち着けオレえ」
「おちつこー! おれー!」
「お前はだまらっしゃい!」
遺跡の中のとある一室では、外の監督二人が今まさに議論していた事態が起こっていた。
額に人差し指を当てて室内を往復する少年は、その後ろをついてまわる幼女を一喝する。
鋭い言葉を投げられた幼女ペルチは、一瞬目を丸くしたものの、すぐさま小さな頬を膨らませてむくれる。
「なによー。ウチもね、忙しいんよ?」
「いや全くそうは見えないんだけど」
〈成人の儀〉、という名の幻を打ち破る試練を、何故か同室に侵入してきた〈暗闇の魔王〉によって中断されたティジー。
同時に、幻の中で〈アカハラ〉か言いかけた言葉を思い出し、肩を大きく下げる。
「……不合格って、言おうとしたんだろうなあ」
「ぷぷー、ふごーかく! ざんねんねー」
「原因の塊にそう言われると、幼女であってもイラつくんだが」
ティジーは、あの幻を打ち破ることこそが〈成人の儀〉の合格条件であると考えている。
故に、どういうわけか不法侵入してきた幼女によって現実に引き戻された今の状況は、どう解釈しても不合格だ。
不合格、なのだが。
ティジーは目の前の開け放たれた扉を見て、額に当てた人差し指を離し、大きく息を吐いて肩を落とす。
「……この部屋、こんな構造だったとは」
現在ティジーがいるのは、遺跡の入口にあった多数の扉のうち、その一つを開けた先にある一室だ。
そしてこの部屋には入口の扉とは異なる扉があり、その扉の先にもうひとつの部屋がある。今現在その扉が開け放たれているのは件のペルチが原因だろう。
こちらの部屋から見る限り、奥の部屋には新たな扉や通路はない。つまり多数あった広間の扉から続く部屋は、たった二間で終わっているのだ。
薄暗く、燭台が照らす奥の部屋には、学び舎にある机とおなじくらいの高さの石の台があった。
〈成人の儀〉は〈禊刀〉を探すことが目的である。
ティジーは、渋々奥の部屋へ入り、石の台へ近づく。当たり前のように後ろからはペルチも、ぺちぺちという足音とともに付いてくる。
「……刀、だな」
「ぎんぎらがたなー」
「いや、〈禊刀〉だよ」
ティジーとペルチは揃って、石の台にあるそれを見つめる。
石の台の上には小ぶりの刀が抜き身で置かれていた。
全長は六十センチほど。湾曲した刃はまだ何者も貫いたことがないかのように白く輝いている。
禊という名前の割に神聖さは感じられないが、柄に付いている金の護拳には、申し訳程度の装飾が彫られていた。
「これ持ってけば合格、なんだろうけど……」
「あれ、合格なの? えーと、チャパツ」
「ティジーです」
「ティジ! ふごーかくじゃないんね?」
微妙に異なる発音をされて口元を歪めるティジーだが、ペルチはその不満に気づかず、不思議そうに〈禊刀〉を指でつついていた。
ゾウォルは、魔王に対して有力なチカラを持っている、と言っていたが魔王本人が〈禊刀〉に触れても何ら問題は無いようだ。
「つかお前、ホントに魔王なわけ?」
「んー? 言われたから魔王って言ってるんよ? 魔王ってなんなのか、ウチは分からんけど」
その問いにティジーは言葉を詰まらせる。
王国が決めた魔王の規準がどういうものか、ティジーには皆目見当もつかないからだ。もう少しペルチの言動に聡明さを感じられれば、油断させるために化けているのだと考えることも出来たのだが。
「みてみて、しゃきーん!」
ペルチは〈禊刀〉を右手に持ち、それを高く掲げるという謎のポーズを取る。
ティジーは、この魔王は見た目相応の幼さしかないと呆れながら判断した。
そうして頭をよぎるのは〈漆黒の魔王〉。
シャルキが倒したのは魔王が大成する前だったという説があったが、それはこのペルチにでも言えるのではないか。
彼も、このペルチのように無垢な存在だったのかもしれないという考えが泡のように浮かんで弾けた。
「危険だから回収しまーす」
「あーもーけちー! けちけちティジ!」
「これがオレのものだと言い張れたら、どれだけ良かったことか……!」
ペルチの小さな手から〈禊刀〉を取り返し、背に隠すティジー。ペルチはぴょんぴょん跳ねて不満を露わにする。まるで黒い毛玉が動いているようだった。
そして〈禊刀〉を手にしながらも、儀式が中断されたことで、刀の所有権を高らかに主張出来ないことを悔やむティジー。幻の中で不合格を言い渡されようとした件はひとまず置いておく。
「あれだな、結論としてはお前を突き出すのが正解なんだろな」
ペルチに届かぬよう、〈禊刀〉を高い位置に構えてティジーは言う。
幼女が跳ねてもその指先は刀に届かない。
少しだけ優越感を感じるティジー。
「ウチ、突き出されるの?」
「魔王は勇者に倒されるってのが決まりだからな」
どう見ても人畜無害にしか見えない幼女だが、当の本人が魔王と言い張っているのなら将来的に何らかの脅威となる存在なのだろう。
頭の片隅に先輩勇者とヘビの形をした魔王が過ぎったが、自分は部外者なのだとかぶりを振って戒めるティジー。
「そっか。倒されちゃうんね、ウチ」
「……なんか、悪いな」
「んー、でも魔王なら仕方ないのなー」
名残惜しさの欠片もなく、自らの運命を受け入れるペルチ。
あまりの素直さにティジーは、ざくりと胸を刺されたかのような錯覚に陥る。
なにかの誤りでペルチは魔王と言われただけであり、実際はただの何の変哲もない幼女なのではないか。こんな無垢な魔王を、決められた法の下で討伐するなんてあまりにも無慈悲ではないか。
けれども、そもそもティジーには彼女が真に魔王かという判断すら出来ない。
魔王とは、〈魔王水晶〉とやらが示すものであり、そしてこのペルチを示す〈魔王水晶〉はこの場にないのだ。
歯がゆいけれども、この世界の魔王とはそういう存在なのである。
「一応、〈魔王対策室〉って人がいるから、その人たちが多分……なんとかしてくれると思うんで」
「タイサク? ふーん?」
学び舎で色々学んでいたティジーだが、魔王と出会ったときの対応は流石に学んでいない。
勇者ならば魔王は倒せ、の一択なのだろうが、生憎とティジーはまだ勇者見習いで、なおかつこんな人間の子供にそっくりな魔王を殺めようとする気概もない。
故にティジーは遺跡の外に出て事の経緯を話し、〈対策室〉勢にペルチを引き渡すことに決めた。
「それと、不合格ってことは喋っとかないとだな」
「結局どっちー?」
「……ズルして勇者になってもいいんだけど、お前の説明に困るからな」
何度も言うがティジーは魔王を倒したくはない。が、村から出て勇者だのなんだのとは無縁の暮らしをしたい。そのためにはまず、勇者という大義名分を得て村を出ることが不可欠だ。
とはいえ魔王に儀式を中断されておきながら、合格と言い張ることは難しい。
ここでペルチがいなかったのならば堂々と合格を主張するのだが、生憎と幼女は産まれたての鳥のようにティジーの後を着いて回るし意思疎通も可能だ。真実を偽れば途端に疑問の声をあげるだろう。
そんなわけでティジーのなんちゃって合格作戦は露と消えたのであった。
「よし。じゃあ腹決めて行くぞ、ペルチ」
「おー!」
おそらくその先の処遇が分かっていないペルチは、ティジーの声に合わせて軽快に拳を突き出す。
ティジーは入口の扉の鍵を外し、広間に出る。〈成人の儀〉が始まった時同様に広間は煌々と光に満ちており、それはつまり多くの学友たちが未だに扉の中で〈禊刀〉を探していることの現れだった。
「……なんか、結局ズルしてるみたいで悪いな」
「そーなの?」
「や、魔王連れていくなら手柄だろうし。そこは割り切るわ」
隣にペルチがいることを確認し、ティジーは遺跡の入口の扉を押す。隙間から溢れる光量が途端に増し、ティジーは薄目になってその戸を押し切る。
陰湿な遺跡の中と打って変わって、外の空気は新鮮だった。
目を何度か瞬かせ、徐々に陽光に目を慣らす。
入口から少し進めば、開けた森の一間に座り込む三人の人影が確認出来た。
そのうちの一人がティジーに気づいて手を大きく振る。
「おあ、ティジーだ! おーい、やっほー」
「チェテーレか」
しゃがみこんでいたそばかす少女は、手を振ったあと、近くに並ぶ二人の少年に声をかける。丁度遺跡に背を向けていた二人は、それに連れられてティジーの方向を向いた。
「おつかれ」
「ティジーも合格? おめでとー」
灰色の髪でぼんやりした表情のスィン、栗色の髪を靡かせる美少年ヴァイサーがぽつぽつと声をかけてきた。
合格した面子に多少の驚きがあるものの、まず話をすべきは〈魔王対策室〉だ。
少し離れたところにある小屋の前に二人の男女が立っていることを確認したティジーは、三人の学友に手を振ってから彼らの元へ歩を進める。
「いいかペルチ。王国のやつだからって、急に逃げるとかナシだからな?」
「…………」
「おいペルチ、この期に及んで怖気付いたとか……」
返事の聞こえないペルチを気にして、ティジーが横を向くと、そこには誰もいなかった。
振り返り、右を向いて左を向いても姿はない。
遺跡の外に出るまでは確実に隣にいたはずだ。
まさかまだ遺跡の中にいるのだろうか。
ティジーは走って遺跡の扉を開き、その中を覗くが、視界に映るのは燭台の光に満たされている無人の洞窟だった。
「どういうことだ……?」
まさかあのペルチまでも幻だったのだろうか。
だとしたら、ティジーは幻を幻で打ち破ったことになるのだろうか。
そんな都合のいい話があるとは思えないが。
「そもそも、ホントにあいつがいたって証拠がないし……」
「一体、何の証拠がないのでしょうか」
「ひぃっ!」
遺跡の扉の前で唸るティジーの隣に、いつの間にか〈魔王対策室〉の糸目男が立っていた。
名前はイアニィ、といっただろうか。
音もなく近づいてきたことに純粋に恐怖したが、それを飲み込んでティジーは彼の質問に返答する。
「や……なんか、幻に幻が重なってた? ような気がして……?」
「それなら大丈夫ですよ。遺跡の外に出れば、遺跡内での記憶は消えます。先ほどまでの出来事は、あまり深く考えない方が得策です」
「んん……? あ、はい……?」
どうやら幻と現実が混ざって混乱していると捉えられたようだ。
あながちそれはウソではないのだが、どうにも状況を説明しづらいティジー。
そしてペルチが幻だとすれば、もしや自分は儀式に合格したのではないか、とそんな疑惑が脳裏に浮かぶ。なにせペルチがいたという物的証拠がないのだ。逆説的に儀式の中断もなかったことになる。
とはいえ、ティジーはあの幼女が幻だったと信じたくはなかった。つんつんとつつかれた脇の感触は本物としか思えなかったからだ。
「もうすぐ今回の〈成人の儀〉が終了します。あちらにいる同期の方々と休んでは如何でしょう」
「は、はい。とりあえずそうします」
流れるようなイアニィの言葉にティジーは頷くことしか出来なかった。そうして示された三人の合格者たちの元へ、悶々とした顔で向かう。
釈然としないまま、そして事の真相が分からないまま、ティジーは第一回〈成人の儀〉の合格者と見なされてしまうのだった。