01-02 勇者見習いたち
陽の光を浴びて、ピンと細長い葉を伸ばした植物が生い茂る畑の隣に、村で一際大きな建物がある。
成人した「大人」が、成人前の「子供」たちを教育するための学び舎だ。
「かくして勇者シャルキは魔王を討伐し、多くの魔獣は散り散りになったのです。はい、ではここで質問。ティジー」
教壇を往復しながら教本の文章を読み上げていた女教師が、鋭い声で一人の男子生徒を指名する。
ティジーと呼ばれたのは、日に焼けてやや薄くなった茶髪を持つ少年であり、一番後ろの席で板書用の黒板に落書きをしていたサボり魔である。
突然自らの名前を呼ばれ、慌てて手元の落書きを隠すために立てておいた教本を両手で掴むティジー。
「勇者シャルキが倒した魔王は?」
「シャルキは……〈漆黒の魔王〉を倒しました!」
「正解。では、〈漆黒の魔王〉はどうして討伐されなければならなかったのでしょう?」
勇者シャルキの話は有名だ。
絵本にだってなっているから、十四歳のティジーも読んだことがある。
けれどもシャルキによって倒された〈漆黒の魔王〉が具体的に何をしたかまでは絵本には記されていない。
「それは……魔王だからです」
少しだけ考えて、考えても分からないと判断したティジーは至極当たり前の回答をした。
その言葉に教室は一瞬だけ静まり返って、それから大爆笑に包まれた。
あろうことか質問をした女教師まで教本で顔を隠して肩を震わせている始末だ。
「でもそれだって、勇者にとっちゃ立派な理由だろ」
勇者見習いであるティジーは、同じく勇者見習いであり、破顔している学友たちを見つめながら口をとんがらせるのだった。
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王都・キャウルズの城を正面から臨むと、ちょうど城にすっぽり隠れてしまうのがこの村・ウレイブだ。人口六千人ほどで、特筆すべき点のない長閑な農村であるが、またの名を〈勇者村〉という。成人した者は男女問わず、勇者として魔王を討伐するしきたりがあるからだ。
魔王とは王国が定めた「脅威」である。王と名がついているが一国の主ではないし、ただ一つの存在でもない。言ってしまえば国によって危険というレッテルを貼られた、人ならざるものたち、それが魔の王だ。
王国は「短期間では大した影響は受けないが、長期間放置していれば確実に人々に害をなす」という存在を総じて魔王と分類している。どういう原理で魔王と判定しているかは不明だが、新たに魔王が認定されれば即座に警鐘が鳴らされ、王国中に通達が走る。
各地の人々が自由に魔王討伐を目論んでは混乱が起きるとの懸念から、魔王を討伐するのは定められた勇者のみという法が制定された。つまりは王国が認めた、「脅威」を高い確率で仕留められる者――すなわち勇者に一任することとなったのだ。基本的に勇者は一人につき一体の魔王を討伐することが定められているものの、望むのならそれ以上の魔王も討伐することが可能である。
そんなわけで、村に住む子供もとい勇者見習いたちもいつか勇者としていずれかの魔王を討伐すべく、日々学び舎にて教養と武力を身につけている。
もっとも、それが身のためになっているかは各人によるが。
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歴史学の教師が立ち去ると、途端に教室の中は生徒たちの雑談で騒々しくなる。
「勇者が魔王を倒すのは当然のことじゃない。全然授業聞いていなかったのね、ティジー」
右斜め前から、桃色のウェーブがかった髪が鋭い言葉を吐きながらこちらを向いた。
ティジーの幼なじみであるフォランだ。もちろん彼女も勇者見習いである。
「でも教本見るまで、〈漆黒〉が何をしたかなんて知らなかったぞ、オレは」
女教師が発したシャルキという言葉から、咄嗟に想像した内容が絵本だったことは伏せて文句を言うティジー。
世に蔓延る魔王は、脅威であることを分かりやすく認識するために固有名詞ではなく二つ名で呼ばれることが多い。先の授業に出てきた〈漆黒の魔王〉は物語に登場したこともあり、数ある魔王のなかでもかなり有名だ。しかし形式な悪役として登場しただけであるため、その詳細は明らかではない。
「先生は〈漆黒〉が何をしたか読み上げてから質問したのよ。つまり、ティジーが話を聞いていないことに気づいてたってことよね」
フォランのややタレ目がちな瞳が悪童のごとく光る。
おっとりした容貌に反し、現実主義の彼女が口を開けば最後、厳しい言の葉が雨あられのように降り注がれる。最も、彼女は口数は多い方ではない。けれども幼なじみに対しては幾分か饒舌なので、ティジーはその洗礼を受ける頻度が他の人よりも高かった。
「フォランと違って、オレは夢に生きる男だからな。仕方ないさ」
「じゃ、夢男のティジーは一体なにを描いてたのかなあっと!」
精一杯動揺を隠すティジーの本心を知って知らでか、落書きを隠すために立てかけてあった教本を右手で勢いよく奪い取るフォラン。
ふんわりした髪から甘い香りが漂った。
「わーばかっ! 教本返せよフォラン!」
「ふーん、〈成人の儀〉対策ねえ……」
教本を奪い取った右手を上にして、左手でティジーの黒板をくるりと器用に回転させるフォラン。
まじまじと、授業の板書が一切されていない黒板の記述を少女が読み上げる。
成長期が未だに来ないティジーは、机に片膝を乗せてようやくフォランが奪い取った教本を指先で奪還する。
そろそろ同年代の女子の頭を眺めたい年頃であるが、視線の高さはなかなか変わらない。
「そうか、もう明後日から〈成人の儀〉が受けれるんだっけ」
不意に頭上から聞きなれた澄まし声が聞こえてきた。何故か対抗心を燃やしたティジーは椅子の上に颯爽と立つ。
悠々と視線を下げれば、声の主であるすらりとした美少年と目が合った。右に流した栗色の髪がさらりと風に舞ったように見えたがここは室内だ。おそらくは目の錯覚だろう。
「やあティジー。どうやら授業中でも勉強熱心だったみたいだね」
美少年は左手を上げ、真一文字に口を固めたティジーに対しても爽やかな笑顔で挨拶をする。
彼の性格からすれば毒のない言動であることは明らかだが、ティジーにサボり魔の自覚がある以上、その肯定は貶しているも同義である。
「バッカにすんなよ、ダブりめ。お前が一年悠長にしていた分、オレはすぐに追いついてやるからな」
ティジーが椅子の上から得意げに美少年に啖呵を切ると、その言葉を聞くや否や、美少年はふにゃりと顔を歪ませる。
「や、やだなぁ、別に流行病にかかってダブったから年上面してるとかじゃなくて、僕はホント純粋に、〈成人の儀〉を受けることを真剣に考えてるティジーがすごいなって思ってただけで、まさか馬鹿にしてるなんて」
「ヴァイサー」
「はいごめんなさいヴァイサーです、ごめんなさい」
すっかり自己嫌悪に陥った美少年ヴァイサーを見つめながらティジーは小さく嘆息。きっちりと右に揃えられた髪も、今やしゅんとしおれているように見える。
顔はいいが、心と体が弱いこの美少年。毎度律儀に予想通りの反応をしてくれるものだから、出会い頭は条件反射のようにからかってしまう。
弄りノルマを達成したティジーは椅子から飛び降りて――ヴァイサーを見上げることになる事実に少し顔をしかめながら――着席した。目の前にはティジーの黒板を机の上でくるくる回して遊ぶフォランがいた。
「ヴァイサーだって〈成人の儀〉を受けれる歳でしょ。それと、病にかかったとか、そのネタ古いからもう言わなくていいわよ?」
「古い新しいに限らず、僕は事実を言ったつもりだったんだけど……」
援護なのか律しているのか分かりにくいフォランの言葉に、小声で真面目に返答するヴァイサー。
本来ならティジーとフォランより一つ上の級にいるはずのヴァイサーだが、訳あってティジーたちと同じ級にいるため、ティジーからは時折二回目だダブりだと弄られている。しかしそもそもここは四つしか級がない学び舎。級が二回目というのは特段珍しい話ではない。
勇者見習いがまず初めに所属する下級。
経験を積み始めた勇者見習いが所属する中級。
〈成人の儀〉に挑戦し始める十四歳が所属する準級。
〈成人の儀〉に挑戦中の十五歳以上が所属する上級。
このうちティジーたちは準級に属しているが、一年も経てばひとつ上の上級に移動することとなる。
「上級はまだ大人になれてない人達がいるとこだし。ヴァイサーよりも年上いるし」
「だからヴァイサーが来年も準級のままだったとしても全然問題はない! ってことだ」
「あっ、それ、僕の心が大丈夫じゃなさそうだね!」
余程心配性なのか、ティジーの冗談を馬鹿正直に飲み込んで、にこやかな表情のまま顔を青くするヴァイサー。
〈成人の儀〉合格は、大人への仲間入りであると同時に勇者見習いからの卒業を指す。嫌な言い方をするならば、上級や準級に所属している者は、〈成人の儀〉に挑戦できる資格を持ち得ながらそれに合格出来ていないともとれるのだ。
「でも勇者になるための儀式でしょ。上級の人たちはやっぱり筋力が足りないんじゃないの?」
「儀式が素振り千回とかいう内容だったら、僕は一生見習いでいいかなぁ」
「それ、どっちかというと懲罰じゃね?」
フォランの筋力重視思考はさておき、ヴァイサーの後ろ向き思考が自傷行為に発展していく気がして、彼の今後が時々不安になるティジーである。
「だとしても、今のところ不合格者はいないみたいだし、心配性のヴァイサーでもそのうち引っかかるわよ」
「褒めてるようで実は貶してねーか?」
無自覚に応援なのか慈悲なのか分かり兼ねる言葉を発するフォラン。補足しておけば彼女は現実主義なだけであって自信家ではない。しかし全貌を理解していれば万全に対策を練る、という前提を踏まえればかなり度胸のある性格である。
授業で学ぶ情報の他にも独自に情報収集をしているのだろうかと、ぼんやり彼女を見つめればバチッと視線が交差する。
「言っておくけど、助けないわよ私」
「……助けてとは、まだ言ってないぜ」
「これから言っても助けないって宣言」
ゆるふわな髪とタレ目の、他の村であればただの村娘で終わりそうな容貌の彼女からこうもバッサリ斬られると、自らの心構えがいかに甘いかを見透かされたようで恥ずかしくなる。
そもそもティジーは勇者になんてなりたくはない。いっそのこと永遠に見習いでも構わないと思っている。理由は至って単純明快、「勝てないから」「つまらないから」「自分のタメにならないから」のないない尽くしである。
背が低いことを理由にするのは良くはない自覚はあるものの、やはり同年代の少年と比較すると筋力も体力も劣るため、対人での稽古では力負けすることが殆どなのだ。武力がだめならば知識であるが、興味がそそられるのは専ら創作物語であって技術書など二の次である。
とはいえ、村の中でいい歳した見習いがいないことも含めて、「一生見習いがいいです」と言い張れる勇気もなかった。かくなる上はなんとか勇者となって、魔王を探さず、魔王を倒さずその辺で自適悠々と暮らすしかない。
割と最近思いついた案だがなかなか悪くないと思っている。が、フォランに告げたら途端に言葉の刃に乱れ打ちされそうなので、ボロを零さないよう胸の奥底にキッチリ鍵をかけて保管している。
「実際、〈成人の儀〉はお互いどこまで協力していいかわからないんだけどね」
「……お前の場合、女子たちが勝手に寄ってくんじゃねーの?」
現在準級に所属している見習いは十五名ほどで、その男女比はおよそ半々である。
同じ級の女子たちから日常的に視線を集めていることは流石の本人も自覚があるようで、弱々しく苦笑いをする。
「ヴァイサーは助けを求めて足を掴んできそうだから、出来ることなら一緒に行動したくはないわね」
「そんなこと言わないでくれよ! って僕、別に守られたいわけじゃないからねっ!?」
あくまで容姿より性格を重視する現実主義のフォランは、美少年になびかない数少ない女子の一人である。
自らが助けを求めているような誤解を周囲に弁明しようと、顔を上げたヴァイサーは、あれ、と声をもらす。
「ああ、そういえば次は体術だっけ? もう大体は移動しているみたいね」
軽く首を動かして教室を一眸したフォランは、そこでようやく手元の黒板から手を離す。黒板の持ち主であるティジーはもう触らせまいと、素早くそれを自らの机の横にある定位置に引っ掛ける。
そうして改めて教室を見渡せば、あれだけ騒がしかった室内が確かに静かになっていた。学友たちがティジーたちに声をかけなかったのは三人の会話が盛り上がっていたからか、美少年を囲っていたからかは不明だが、おそらくは次の体術の授業が行われる稽古場へと移動したのだろう。
雑談に耽っていた三人も、そろそろ移動しなければならないと判断し、のろのろと教室の外へ出る。
「んふ~、〈成人の儀〉に挑戦出来るようになればこの時間も終わるって考えると、ちょっとだけやる気出るよね」
「正確には必要最低限を選択出来るようになるってだけで、実践科目自体はなくならないけどな」
間抜けな声を出しながら対術の授業から卒業出来ることを喜ぶヴァイサー。顔はいいのに、なんとも締まらない性格だ。
実践科目はいわゆる戦闘訓練であり、種類としては体術、剣術、槍術、弓術、騎馬術、水術、暗器などがある。〈成人の儀〉に挑戦するまでは選択肢を広げるという意味で、全ての分野を学ばなくてはならない決まりだ。
小柄なティジーは相手の力を利用出来る護身の技があるという意味で体術の授業が好きだ。フォランもコツを掴んだ時から楽しそうにしているので、面と向かって主張はしないもののおそらく好きな部類だと思われる。
しかしヴァイサーは自らの手で直接人やものに攻撃することに抵抗があるようで、体術は苦手なようだった。
「ふふーん、今日の相手がティジーだったら授業終了までずっと投げてあげるわ。ありがたく思いなさい」
「いやいや、それならでかくて顔が良くて投げがいのあるヴァイサーをどうぞ!」
後ろ歩きをしながら、桃色の髪の幼なじみは、拳を何度か突き出す仕草をする。全くありがたくないその言葉に対抗すべく、ティジーはここぞとばかりにヴァイサーを彼女の前へと押しやる。
苦手な体術の話のネタにされておろおろする美少年を見て、微笑みながらティジーはその背中をべしべしと叩く。
「ま、授業だ。死なないから適当に投げられときなって!」
「やだよ! 投げるのも投げられるのもどっちも痛いじゃないか!」
かくして駄々をこね始めたヴァイサーをフォランと二人がかりで稽古場へとひきずることになったため、ティジーは授業中延々と恨みがましくフォランに睨まれることとなったのであった。