01-16 合格条件
よろめく足を踏み出して戸を開ければ、人工的でない暖かな陽光が目に飛び込んできた。
薄暗い遺跡に慣れていた目を薄く閉じ、何も手にしていない右手で僅かに影を作る。
でも眩しい。
目が慣れるまで律儀に数秒その場に立ち止まったあと、ゆっくりと歩を進める。
誰かがこちらに駆け寄ってくる音がした。
「お疲れ様です」
「ゾウォル先生……」
「あ、薙刀持ちますよ。なんなら〈禊刀〉も」
「……はい」
遺跡から出てきた少年ヴァイサーは、見慣れた教師ゾウォルに左手に携えた武器を渡す。
そして後ろに尻もちを着く。
「よく頑張りましたね。あそこに休む場所がありますけど、移動しますか?」
「このままで、いいです」
「分かりました。多分合格した子たちがそのうち出てくると思いますが、ひとまずはここで休んでください」
その場に留まりたいというヴァイサーの願いを驚きもせず、実にあっさり聞き届けたゾウォル。
立ち去る教師を見つめれば、物置小屋に立つ二人の監督が視界に入った。
おそらくは合格の証として、〈魔王水晶〉を渡してくる二人だ。
「知らないよ、合格なんて」
ヴァイサーは遺跡の前の地面に座り込み、膝を抱いて俯いた。
誰とも話したくなかった。
ただ一人になりたかった。
######
「お前、親に捨てられたの?」
一年前、そんな無礼講な言葉をヴァイサーにかけてきたのがギサディットだった。
十数人しかいない準級の小さな世界で、自然と頂点に立つようになった男。社交的で運動神経も良い、模範的な好青年。
そして自分と違う立場の人間を理解しない、典型的な独裁者。
控えめな性格のヴァイサーは、常に同調を促す彼を苦手としていた。
「捨てられてはないけど」
純粋な疑問をギサディットに返すヴァイサー。
けれども彼は、そうなのか? と釈然としない言葉を零す。
「じゃあ、お前の父ちゃん母ちゃんは一体どこに居るんだよ」
「それを君に教えることに、一体なんの意味があるんだい?」
確かに今、ヴァイサーの両親はウレイブにいない。ヴァイサーは祖母と二人暮らしである。
そしてそれはヴァイサーと行動を共にする友人たちは周知している。
再び、ただ純粋にどうしてそんなことをギサディットが聞いたのかが分からないヴァイサーは、その真意を問うた。
けれどもヴァイサーをよく知らない彼は、その言葉を聞いて眉を歪ませた。
「は? 何お前調子に乗ってんの?」
「ええっと……?」
後から気づいたが、彼は自分が全てを知らないと気が済まない性格らしい。
それを知ったヴァイサーは、彼は社交的なのではなく支配的なのではないかと評価を改めた。
しかし当時のヴァイサーは、質問したら逆ギレされたという認識で、状況は分からないが騒がれると面倒な予感だけはしたため、ただひたすらに平謝りをした。
ギサディットはそれで少しは落ち着いたようだが、その日から、ヴァイサーはどうにも言うことを聞かないやつだ、と認識したらしい。ことある事に妙な質問をしては、社交派人間の会話が分からないヴァイサーはとんちんかんな返答を返した。
控えめに言って悪循環だった。
「うーむ、僕は何かしたのかなあ?」
行き慣れた、王都のとある民宿。
階段を登りながら一人で唸るも解は出ない。
何度か逆上するギサディットを見てからヴァイサーはようやく、自分、なんだか目をつけられているなと認識した。
もし、ティジーがこの話を聞いたならば、気づくの遅せえ! と叫んだだろう。
階段を登った先にある、赤い絨毯が敷かれた廊下を真っ直ぐに歩いて右の奥から二番目の部屋。
軽く戸を叩けば声が返ってくる。
「開いてるよ」
「はーい」
戸を奥に押せば、温もりある木製家具が立ち並ぶ質素な内装が見えた。
後ろ手で戸を閉めて、奥へ進めば見慣れた二人が寝台の上とその隣の座席で果物を食していた。
それはヴァイサーの手荷物と同じものだった。
「あれ、僕採れたての持ってきたんだけど……」
「えっ……パパのも採れたてなんだけど……」
「それじゃあ、パパのとヴァイサーのと、どっちも食べましょ!」
寝台の上で手を合わせる母親と、申し訳なさそうに頭を下げる父親。
ヴァイサーの両親は数年前からこの王都に宿を借りて過ごしていた。
「じゃあお皿借りていい?」
「はいよ。割らないように気をつけなさい」
慣れたもので食器の場所も把握済み。
陶器の皿に手に持った袋から、ヴァイサーは旬の果物をちまちまと置く。
事の発端はヴァイサーの母親の病状の悪化だった。命の危険という程度ではないものの、定期的に王都の医者に通う必要が出てきたため、こうして安い民宿を借りるに至ったのだ。
加えて母親を心配した父親も共に泊まり込むことになり、勇者見習いの授業があって村を離れられないヴァイサーは、自然と一人取り残されてしまったのである。
けれども祖母と暮らす生活は穏やかで悪くはなかったし、なにより王都という村と違った場所へ通えるのは新鮮だった。
本人は無自覚だが、ヴァイサーは環境の順応に早いようで、どうやらそれが功を成したようだ。
「そういえばさ、最近同級生が変なこと聞いてくるんだよね」
何の気なしにヴァイサーは両親にギサディットの話を振る。相談、というより世間話の体で。
他の家の事情を漁る質問を筆頭にその数々を話せば、父親は唸り、母親はへえ、と相槌をうつ。
「それは……なるべく関わらない方がいいんじゃないか?」
「ヴァイサーも律儀ねぇ。まるでパパみたい」
「授業あるし、関わらない方が難しいんだよねえ」
笑顔の母親が気にはなるものの、ギサディットと距離を置くことを提案されて再び唸るヴァイサー。
彼との謎の関係を他人に明かすのはこれが初めてだったが、それは単にヴァイサーが深刻に考えていないだけであった。
けれども、ほんのりと感じていた忌避感はやはり正しかったと改めて認識する。
しゃくしゃくと果物を口に放りながら、今後はどうすべきか、これまたあまり深刻に考えずにゆるりと思案するヴァイサー。
「それは、時間が解決するだろうさ」
「時間ったって、どんどんしつこくなって来てるのに?」
「〈成人の儀〉があるじゃないか。彼は優秀なんだろ? 一発で合格して勇者になって、村とはおサラバってことにもなるんじゃないのか?」
ぽろりと串に刺した果物が落ちた。
ああ勿体ないと嘆く母はさておき、まさしく盲点を付かれたヴァイサーは、改めて己の父を尊敬の眼差しで見つめる。
「父さん、ほっぺに種ついてる」
「なにっ」
自分と似てどこか抜けているのは相変わらずだった。
######
それから数日後、来たる〈成人の儀〉初挑戦となる日。
ヴァイサーは胃を痛めていた。
しかしそれ以外は健康だった。
緊張が腹に集中していただけだった。
「ほら、しゃんとしなさい。朝食も全部食べたし、寝癖もないし、悪いとこなんてどこもないでしょ」
「唯一主張するとしたら僕は今、胃を痛めている!」
「はいはい、頑張ってきなさい」
玄関で堂々と緊張による胃痛を宣言するも、見送りに来た祖母に軽々と流されてしまう。
けれどもその胃の痛み以外何も不調がないことに何かが引っかかる。
胃痛の正体が真に緊張によるものかという話はさておき、身体の調子はむしろ絶好調に近い。
夜も早めに睡眠が取れたため頭はスッキリしているし、無理な運動をしていないから手足もよく動く。
「……やっぱ調子いいかも」
「最初からそう言ってるじゃない」
呆れる祖母に、曖昧に微笑んでから家を出るヴァイサー。
ヴァイサーの家は村の南にあるため、朝早く学び舎へ向かうと陽の光が目を直撃してくる。手で影を作って、陽光をなんとか回避しながらのんびりと進む。
「……うーん、なんか変だ」
脚は軽快に動いて、腕も肩以上までキチンと上がる。
自分の身体のことなのに、なんだかこれは他人の身体のような錯覚に陥ってしまうヴァイサー。
そしてどうしてそんな事を思ってしまうのか分からず、頭を悶々とさせながら学び舎へ入る。
〈成人の儀〉の説明は、〈魔王対策室〉からやって来たという、二人の男らによって行われた。〈魔王水晶〉と〈勇者証〉を進呈するため、また〈成人の儀〉が正常に進行するかを監督するために王城から来たという。
それから教師は〈成人の儀〉を行う遺跡へと、準級の勇者見習いたちを先導した。
「…………既視感」
もちろん村の外ならば、ヴァイサーも遊ぶためやら出かけるためやらで、ある程度の近辺の様子は把握している。
けれども遺跡に向かう列を成す準級の学友たちを見て、ごく最近にそんな景色を見た気がして、またしてもヴァイサーは悩む。
悩んでも何も分からないけれど、それは、じゃあなんで分からないんだろうな、という悩みに変化して、今なおヴァイサーの頭の中をぐるぐると駆け回る。そして近くを歩く女子生徒たちは、腕を組んで真面目な顔で思案する美少年に、度々視線を向けるのであった。
「それではいっぱい迷って、頑張って下さいね」
解体大好きゲテモノ大好きの教師が、(ヴァイサー的には恐ろしい)笑みを浮かべて遺跡の扉を閉じる。物思いに耽っているうちに〈成人の儀〉が始まってしまったようだ。
どうやら目の前にある何れかの扉に入って、〈禊刀〉というものを入手すれば良いらしい。
入口の扉を背にすれば右に左に正面と、全く同じ形ではないが、それぞれの壁に七つほどの扉が埋め込まれていた。
人が入ると扉の隣にある燭台が輝くらしい。二人以上は同じ部屋に入らないようにするための対策だろうと思うが、同時に部屋を照らして未入室者を炙り出すための意図もあるように思える。
と、ヴァイサーが惚けている間に、学友たちは次々に扉の向こうへ消えていき、部屋はますます明るくなった。
「……既視感あるなあ」
こうして明るくなった部屋に佇むのはおそらく二度目だ。では一度目は一体どこだったか、と思考を巡らせるも、やはり答えとなる記憶には辿り着けない。何度も感じる違和感は、記憶の糸がぷっつり切れた向こう側に答えがあるようだった。
「入んねえの?」
「……ギサディット? 珍しいね。こういうのには真っ先に入室するものだと思ってたけど」
がらりとした部屋には、今やヴァイサーとギサディットのみがいた。
煌々と揺らめく光に照らされ、ギサディットが真顔でヴァイサーを見つめているのがよく分かった。ヴァイサーと違って筋肉のつきが良い彼は、黙っていると一つか二つ年上のように見える。
ギサディットからよくわからない質問を浴びせられたヴァイサーだったが、その一貫した態度からギサディットは何かを悟ったようで、ここ数日は言葉より視線を向ける機会が増えてきた。と、ヴァイサーは思っている。
「俺は別に。必要ねえからな」
「必要って……見習いなら合格のために必ず通る道だろ?」
「持ってんもん、〈魔王水晶〉」
そう言って、学び舎で〈魔王対策室〉の男が見せたものと似たような、手のひらに収まる大きさの水晶を懐から取り出したギサディット。
正直ヴァイサーには〈魔王水晶〉とそうではない水晶の違いは分からなかったが、ギサディットの態度からして嘘を言っているようには見えなかったため、それはきっと本物の〈魔王水晶〉なのだろうと信じた。
「おかしくない? ギサディットは〈成人の儀〉に挑むの、初めてでしょ? もしかして親のとか……盗んだとか?」
「お前、ほんっと能天気だなあ。よく見てみろよ周りを」
「なにってここは遺跡……ん? どこだここ」
陰湿な岩肌の壁はどこへやら、ヴァイサーとギサディットは開けた原っぱに二人でぽつんと立っていた。
上を見上げれば吸い込まれるような青空があり、およそ天井に色を塗って細工したとは思えない。肌を撫でる風から、少なくとも空気の流れがある空間であることは確かだ。
「俺はさ、もう合格したんだよ。お前も知ってると思うけど」
「ん……? いや知らないけど。えっ、僕なにか忘れてる?」
「説明面倒だからそのまんまでいーや。とりあえず合格した俺が、特別にお前に『合格条件』を教えに来たっつーわけ」
〈魔王水晶〉を片手に、含みのある笑みを浮かべるギサディット。その首にはいつの間にか黒いヘビが巻きついていたが、ヴァイサーはなぜかそれに違和感を感じることはなかった。
「それは願ってもない話だけど……なんの心変わり? 正直、ギサディットには嫌われてると思ってたんだけど」
「間違ってないぜ。そんでもって、お前も俺のこと好きじゃないだろ?」
「…………」
結局のところ二人は噛み合わない歯車のようで、互いが何を言っても好ましい状況へ変わることは無いようだ。
自覚があるだけいくらかマシかな、とヴァイサーは小さく嘆息する。
「じゃあ早速問題だ。例えば、ものすごく小さな、人の体内に入って悪さをするような魔王がいたとする。ヴァイサーは攻撃して、満身創痍の魔王は、なんとヴァイサーの母ちゃんの身体ん中に入ってしまいました。さあどうする?」
「……そりゃ、なんとかして身体の外から出して」
「まあ大変、魔王が悪さをしたからヴァイサーの母ちゃんは今にも死にそうです」
「か、身体の外に出て攻撃してたなら、出す方法があるだろっ」
「はい残念。ヴァイサーの母ちゃんは死んでしまいました」
ここにきてヴァイサーは、ギサディットがふざけて、自分を惑わそうとしているのだと思わざるを得なかった。
少なくともあの二人なら……ティジーとフォランなら、例えにしたってこんな意地悪な言葉を吐くことはないのだ。
けれどもギサディットの視線を見て、ヴァイサーの背筋が凍った。
それには氷のような鋭さと共に、何かを諦めたかのような失望が孕まれていた。
「分かってんのか? 魔王は理不尽なんだよ。今のは例えだけど、可能性と笑い飛ばせるほど非現実的な例えじゃねえぞ」
「……じゃあ、ギサディットなら、どうしたんだよ」
「殺す」
その言葉を聞いて、思わずヴァイサーは視線を逸らす。
それはきっと、相手がヴァイサーの母親だったからだろう。
自分を育ててくれた母親だったら、そんなこと出来ないだろう。
けれどもギサディット自身に深い関わりがなかったとしても、同じ村の住民である彼女を、それほどまで簡単に切り捨てることが出来るのだろうか。
「切り捨てないとだめなんだよ」
唐突にギサディットの声が高くなる。
否、声質が変わった。
少し、のったりした響きのある、少年の声。
ヴァイサーが視線を戻すと、そこには自分がいた。栗色の髪で、細い体躯の小奇麗な顔の少年。
けれどもその瞳は先ほどのギサディット同様に鋭い失意が光っており、いつも鏡で眺める能天気な自分と同じようにはとても見えない。
「〈成人の儀〉の合格条件は、親しい人間の殺害だ」
「……なんで、そんなこと知ってるんだよ」
「君がすべき質問はそれじゃないだろ?」
左手で握っている薙刀の柄の部分がじっとり濡れてくる。
とても嫌な予感がした。
「だ、大体なんだよその合格条件。これは勇者になるための儀式だろ? 勇者が倒すのは人間じゃなくて魔王だよ」
「さっき話したじゃないか。魔王は時に人を盾にするんだ。人一人の命より、一体の魔王の命の方が重要ってことは理解してるよね? そういう時に、ちゃんと決断出来る人が勇者になれるんだ」
魔王を討伐するためならば、例え見知った親しい人間であろうとも、障害だと切り捨てられるか。
〈成人の儀〉は咄嗟の状況で、その判断が可能かどうかを見極めるものらしい。
けれどもヴァイサーは受け入れたくなかった。
「必ずしもそういう状況になるわけじゃないよね」
「必ずしもそういう状況にならないわけでもないよね?」
話は平行線だ。
目の前のヴァイサーが言わんとすることはもちろん頭では理解している。けれども行動に移せるかといえば別だ。
親しさに関係なく、人を殺める行為は恐ろしい。恐ろしくないのであればそれは人の形をした何かである。すくなくともヴァイサーは個人の物差しでそう判断している。
ふと思い浮かんだのは上級に所属している元同期たち。現段階で上級にいるということは、〈成人の儀〉に合格していないということでつまり彼らは人を手にかけることが出来なかったということだ。
それならば、勇者になった人は?
「きっとゾウォル先生も、ギサディットも、その他の勇者の人たちもさ、合格したってことはそういうことなんだよ」
「……それが真実って根拠はない」
「でも嘘って根拠もないよね。堂々巡りだよ」
一歩、目の前のヴァイサーが踏み出せば、ヴァイサーは一歩後ろに下がる。
一歩踏み出して、一歩下がる。
この状況で、求められているものが何か分かってしまったからだ。
「ヴァイサーは、人でいたい?」
「僕じゃなくたって、皆そうでしょ? ……そうだよね? だって、そうでなければ」
「でも人は無力じゃない?」
「は…………」
無力。
ヴァイサーが常に感じている言葉だ。
情けない、頼りない、弱い、臆病。
顔が整っているからという理由で異性からの評価は色がついている。故にそれらは総じてあてにならない。フォランは例外だが言葉がキツい。
そんな自分でも、勇者見習いなんだからいつかはきっと強い勇者になれると、ぼんやり未来予想図を描いていたものだ。
つまるところヴァイサーは理想が高かった。
勇者には、自分にない強さと自信があると信じて疑わなかった。
だからこそ、自分よりも先に勇者となったギサディットに出会った時、まだ勇者見習いである己の無力さを見せつけられているようで苛立ってしまった。もちろんそれとは別件で彼には好印象を抱いてはいないけれど。
人によっては、それを嫉妬と呼ぶのかもしれない。
「勇者」という役割をあまりにも崇拝している少年のそれは、自らでは気づくことが出来ないくらい「勇者」の理想が高くなっていた。
故に、人を殺すことで勇者になれるだなんてヴァイサーは信じたくなかった。
殺すのは、「勇者」らしくないからだ。
「なら、勇者になろうよ。少なくとも今のヴァイサーよりは強いよ」
「で、でも殺す……ことには変わりないじゃないか」
「魔王のことも殺すくせに」
一歩一歩近づいてくる同じ顔の少年がいた。
ヴァイサーには後ろに下がる決意がなかった。
魔王は世界の脅威だ。倒せねばならない。
でも、その脅威という指標は身勝手な、ひとつの国が勝手に決めたものだ。
それに気づけば少しだけ傲慢かと、己を省みるのとが出来た。
「魔王はよくて人はダメってずるくない?」
「……そうだね、同じ命に失礼だ」
「そうそう、物分りが良くて…………」
目の前の自分には薙刀が刺さっていた。否、刺したのだ。自分が自分を。
そのままヴァイサーは前に薙刀を押し出し、押された自分はゴミのように前方へ投げ出された。
引き戻した刃には何もついていなかった。
「でも僕は、人を殺したりなんてしない。何があっても、勇者であっても、魔王のために人を殺すなんてことはしたくない。だから君の言葉はもう聞きたくない……っ」
己を省みることと受け入れることは別の話だ。
ヴァイサーの中では、勇者というものはどうしたって綺麗なもので、自分が望む姿がまさしくそれだった。
「どうして君はそう、臆病なのかな」
「うるさいうるさい! 刺したんだよ、刺されたんだろ、少し黙っててよ! 僕はそんなことしない! 真っ当な勇者になって、真っ当に魔王を倒すだけだ!」
地面に大の字になって静かに呟くヴァイサー。
耳を塞ぎ、地団駄を踏んで喚くヴァイサー。
同じ顔なのに言っていることは真逆で、けれども心の内ではどちらの主張を理解出来てしまうのが嫌だった。
ただ、理解したとしても、二つの主張をどちらとも聞き入れることは無かった。
理想は固く、現実の非常さを拒んでもなお、それは一筋の理想であろうとした。
「何が真っ当かは分かんないけど、一つだけ確かなことは分かったよ」
「嫌だ嫌だ、もう聞きたくない! もう何も言わないでくれよ、お願いだ!」
そうしてヴァイサーは大股で地面に倒れた自分に近づいて、手に携えた武器を大きく振りかぶる。
その目は恐怖に溢れていた。
横たわる少年の胸には破れた後があるものの、出血はなく、けれども穏やかに儚い笑みを浮かべていた。
「理想のために自分殺しが出来るなら、そりゃもう立派な勇者じゃないか」
床に突き立てられた薙刀は、小刻みに揺れていた。
紙片のような煌めきは刃の周辺を淡く舞った後に、透けるように消えていく。
彼は消えた。死んだのではなく消えた。
心の内で何度も何度もその言葉を反芻する。
ゆるりと顔をあげれば、そこは薄暗い洞窟の中で、目の前にはヴァイサーの腰ほどの高さまでの、小さな石造り台があった。
近づいてみれば、一振の刀が置いてあり、それが何を意味するかをヴァイサーは即座に理解した。
「ちがう、僕は、殺してなんかいない……」
自らが体験した光景を幻と理解しつつ、その言葉や映像が全て正しいものではないと理解しつつ、ヴァイサーは同じ顔の少年が宣告した、合格条件を否定した。
そして逃げるように部屋から飛び出して行った。
次回から月・金更新になります。




