01-15 物置小屋の茶会
「あっちゃぁっ!」
「情けない声出さないでください、恥ずかしい」
ところかしこに武器が置かれている物置小屋にて、サナーリアは舌に焼けるような痛みを感じて叫ぶ。
時間は〈成人の儀〉が開始して、およそ一時間ほど。
ゾウォルの計らいで、埃臭い小屋の中を片付け、その辺にいくつかあった樽を机のようにして一同は茶を嗜んでいた。
品の欠片もないサナーリアをイアニィが諌めるも、ゾウォルは相変わらず窓の外を眺めるばかりであった。
「ふーっ、ふーっ。ゾウォルさんは飲まないんですか」
「俺は冷めたら飲みます」
「こういうところはサナちゃんも見習った方がいいですネ」
礼儀としてそれは正しいのか判断しかねて言葉に詰まるサナーリア。
〈成人の儀〉が始まる前から彼の教師は、演技がかった快活さを潜めていた。
一見教え子たちが心配のように見えるが、その教え子たち全員に、件の儀式を受けるように仕向けたのは紛れもなく彼自身である。
何の気なしにサナーリアはずっと手で触っていた黒い水晶玉を樽の上に置く。
その音に気づいたようでゾウォルは目だけをこちらに向けてきた。どうやら意識しているようだ。
「迷路だの道が悪いだの武器がいるだの……散々ウソついておきながら、虫が良すぎませんか?」
「〈幻惑〉の効果も万能じゃない。予め仕込みをする必要があるんですよ」
勇者育成のために魔王の力を黙認する元勇者と魔王を倒すために魔王の力を利用する〈魔王対策室〉。
倒すからには敵の分析が必要であるから、一般人よりは大なり小なり魔王と接触する機会があるとは予想していた。
けれどもまさに勇者を村の外へ送り出す儀式で魔王の助力を得るとは思ってもいなかった。
助力とはいうものの、実際この魔王――〈幻惑の魔王〉に意思はない。資料によれば、初期の〈魔王対策室〉による知恵と努力によって、〈魔王水晶〉と〈幻惑の魔王〉を一体化することに成功した、とのことだ。
サナーリアの担当は監督だけではなく、この〈幻惑〉の力を行使することが含まれていた。詳細は不明だが、どうやらあの遺跡の内部に決まった時間だけ幻を見せるようになっているらしい。あまりにピンポイントすぎる効果であるが、この効果も〈対策室〉の成果だという。正直眉唾である。
けれども、〈幻惑〉の力はある程度心に揺さぶりをかけた者でなければ適用しないらしく、そのためゾウォルは遺跡の内部が難解な構造であると話して生徒たちの不安を高めていたのだ。
使う予定もない武器を選べと言ったのも正しくそれである。
「そもそもホントに必要なんですか、この魔王」
「不要なら所持を求められませんよ?」
「嫌味ィには聞いてない。ゾウォルさんはどうなんですか」
王国お手製の〈成人の儀〉資料を読み漁り、それを必要とする理由は理解しつつも、やはり〈魔王対策室〉に所属する者として魔王に不信感を抱いているサナーリア。
そもそも、この儀式が二百年ほど前から始まった、というのもおかしな話だ。最初の魔王が発生した年は諸説あるが、少なくとも二百年より前というのが通例だからである。
けれども、儀式が始まるより前から〈勇者村〉が勇者を排出していたのであればそれ以前は? という疑問は、二百年前になってからようやく制度が整っただけのこと、という反証が用意されているわけだが。
「ゾウォルさんは……ええと十五年前に〈成人の儀〉に挑んだわけじゃないですか。胸糞悪くなかったんですか?」
「なるほど、君は胸糞悪いと」
「あたしじゃなくって、あなたの意見を――」
「俺が君のお眼鏡に適う言葉を言わなければ、きっと君は腹を立てるだろ。それは非生産的じゃないのか?」
サナーリアは口を噤んだ。
意見を求めはしたけれども、感情的になって自らの意見を押し付けようとしているのは、上司に対しての対応で明らかだったからである。
しかし、同時にその言葉で、彼もまた儀式に何らかの想いを抱いているということは分かった。
これ以上深い話はやぶ蛇だろう。
と、サナーリアが大人しくなったところで、ゾウォルが気だるげに話し始める。
「……俺は理にかなってると思いますよ。だって勇者は魔王を殺すってのに、一度も何かを殺す練習をしたことがないんですから。狩りは別枠だろうし」
「殺す練習、ですか」
「討伐とか、倒すとか? そういう言葉をお前らはよく使うけど、意味するところはどっちも殺害だろ。命を奪う行為を他人に求めるくせに、ビビってんじゃねぇよ」
ゾウォルは元勇者である。
今から丁度十年前にとある一体の魔王を討伐した。
その報告書も〈対策室〉に所属する彼女は、今回の遠征で彼という人となりを知るために、既に目を通している。
曰く、彼は典型的な戦闘狂だったらしい。
故に初めて学び舎にて彼と言葉を交わした際、なんか、思ってたのとだいぶ違う……とサナーリアは内心かなり困惑した。
勇者として魔王を倒した彼は、きっと何かを見て、教師へと転向したのだろう。
あんなに素晴らしい功績を残したのならそれも頷ける。サナーリアはそう言い聞かせて、胡散臭い笑顔を振りまく教師を観察していた。
けれども当の本人は、その真意を明かすような素振りを全く見せなかった。
「お生憎だけどさ。俺は遺跡に獣だの魔獣だのがやってきたら、追っ払うためにここで待機してるわけ。根掘り葉掘り質問されても、何も答える気はねぇよ」
「……それが素ですか」
「はァ?」
「ひぇっ」
あまりに自然な、ドスの利いた声に縮こまるサナーリア。
見かねたイアニィがゾウォルにどうどうと両手を突き出せば、元勇者は明らかに不機嫌そうに、窓の外へと視線を向けた。
「サナちゃん、馬鹿じゃないんですから、馬鹿みたいな馬鹿しないでくれます?」
「三回言った……」
放任主義のイアニィはここぞとばかりに部下を諭す。
たしかに軽装な発言だったと己を省みたサナーリアはひとつの菓子を携え、ゾウォルに近づく。
「要らねぇ」
「……まだ何も言ってませんが」
「俺、甘いの嫌い」
お子様か!
と破裂しそうになる言葉を抑えて、サナーリアはすごすごと席に引き上げる。
顔をあげれば、これまでになく口角を上げて肩を震わせるイアニィがいたので、無事な方の右足で彼の足を踏み潰した。手応えは薄い。
「……あ」
「んむ?」
と、〈対策室〉組の足元で小さな攻防が行われているとは露知らずのゾウォルは、突如立ち上がって小屋の外へ出た。
それを見るなりイアニィは、頬張っていた菓子を即座に飲み込む。
びくともしない上司の足から己の足を避け、サナーリアは首を傾げる。
「……合格者、ですかね?」
「おそらくね。じゃ、私たちも出ましょうか」
「なんで?」
すっくと立ち上がるイアニィに、思わず即答するサナーリア。
それを見て上司は彼女の額をつんと押す。
「私たちは監督なんですよ? 生徒たちを見守る役割があるんです。こんなとこで、お茶飲んでお菓子食べて、のんびりしてちゃいけないの!」
「これ、許されてるヤツじゃなかったんですか!?」
両手に菓子を携え、サナーリアは悲鳴をあげる。
てっきり監督は偉いから、儀式中は高みの見物を決めれるものだと思い込んでいた。
正確には彼女の認識はまるっきり誤ってはいないが、あくまで雨風を凌ぐ建屋で待機するというお題目から遥かに脱線して、茶飲み菓子食いの自堕落に発展しているこの状況はとても生徒たちに見せられたものではない。
サナーリアは大急ぎで冷めたお茶と、ゾウォルに差し出そうとしていた菓子を一気に口へ詰め込む。
噎せた。
「……元気になったら出ますからネ」
「けほっ、はぁい……けほっけほっ」
咳をして、足を引きずり、〈成人の儀〉に挑んだわけではないのに何故か満身創痍のサナーリアは、物置小屋を後にしたのだった。