第95話 侯爵家に嫁いだ女。
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「次の謁見者についてでございますが」
「ん? なにかあるのか?」
「陛下にというより、私に用がある人物なのでございます」
「男か?」
「女性です」
「昔の女か?」
「まさか。簡単にご説明いたしましょうか?」
「いや。まずは直接、話を聞いてみることにする」
「承知いたしました」
玉座の間に、女が入ってきた。
赤絨毯の上をゆっくりと歩いてくる。
険しい顔をしているように映るのは、気のせいだろうか。
「フェルト・ウィリアムスでございます」
女は名乗り、立礼した。
若い。
二十代の前半だろう。
袖や裾にレースのあしらわれた黒いワンピースを着ている。
艶やかな黒髪、明眸。
なかなか綺麗な女だ。
「座るのじゃ」
「失礼いたします」
フェルトが椅子に腰を下ろしたところで、ヨシュアが「久しぶりですね」と彼女に声を掛けた。
「ええ。お久しぶりでございます、ヴィノー様」
答えたフェルトの表情は暗い。
というより、目つきに明確な棘がある。
なにかを憎んでいる、あるいは恨んでいる。
そんな目だ。
「もう三年にもなりますか」
「私ごときのことを覚えていてくださったのですね」
「ごときなどと、ご自分を卑下する言い方はやめてください」
「卑下したくもなります」
「ご結婚は? もうされましたか?」
「こうしゃくけの方と」
「デューク?」
「いえ」
なるほど。
侯爵家というわけだ。
「子は?」
「息子が一人。生んだのはもう一年も前ですけれど」
「おめでとうございます」
俯いたフェルト。
両肩が震えている。
そして、「……おめでたいものですか」と悔しげに、絞り出すように発声した。
「どうして私を選んでくださらなかったのですか? どうして、あんな末端貴族の女を、ヴィノー様は、ヨシュア様は選ばれたのでございますか? あんなぱっとしない女をどうして……」
「彼女のいじらしいところを、ことのほか、気に入ってしまいましてね」
「たったそれだけの理由なのですか?」
「他にも多々あります」
「公爵家のご長男。数々の肩書き。才能。おまけにそのお姿……。貴方様と見合いをした女は、親の書いた筋書きをなぞるしかなかったのではありません。みながみな、貴方様に魅せられたのでございます」
「そのこと自体はありがたく、また嬉しいことだと感じています。今でもです。選ぶ立場になってしまったことについては、多少以上の申し訳のなさを覚えていますが」
だいたい、話が見えてきた。
二人は見合いをしたものの、それは上手くまとまらなかったのだ。
フェルトはそのことを、今でもかなり悔やんでいるらしい。
上流貴族の男と結婚しても、現状に我慢がならない。
そこにあるのは執念か、はたまた女としてのプライドか。
「クロエ……。何度殺してやりたいと思ったことか……」
「私の無意識の部分が、貴女のそういった執念深さに気づき、それを嫌ったのかもしれませんね」
フェルトがカッと目を見開いて、ヨシュアを睨みつけた。
「殺してやる、本当に、クロエ……ッ」
「そんな真似をされては非常に困ります」
「でしたら、今すぐクロエと別れて、私と一緒になってくださいませ」
「それはできません」
「だったら、やっぱり――」
「貴女は自らの発言で自らを追いつめています。よくありませんよ、ミセス・フェルト」
「ミセス? よくもまぁ、いけしゃあしゃあと……」
「お帰りください。話すことなど、もうなにもないでしょう?」
すると、呪詛でも吐くようなよどんだ声で、フェルトは「クロエ」という名を連呼した。
椅子からゆらりと腰を上げる。
「私は一生ゆるさない。貴方のことも、クロエのことも!」
そう叫ぶと、フェルトは狂ったように笑いながら、去っていった。
「ヨシュアよ」
「はい」
「クロエの存在は、おまえのアキレス腱でもあるわけじゃな」
「まったくもって、その通りでございます。なれば妻など持つなと、自らに言い聞かせたいところではありますが」
「それでもクロエを愛しているから、どうしようもないわけか」
「はい」
「おまえのそういうニンゲンくさいところ、わしは好きじゃぞ?」
ヨシュアは「ありがとうございます」と答えたが、顔は笑っていなかった。




