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第87話 声は力。

       ◆◆◆


「アキ、いいのよ? 椅子に座って?」


 三十路を過ぎたくらいであろう女性、エダにそう言われても、アキと呼ばれた七つの少女は大きな大きな瞳をスフィーダに向けたまま、いっこうに動こうとしない。


 よほど興味があるのか、あるいは物珍しいのか、とにかくただただじっと、スフィーダのことを見つめてくる。

 そのまま視線をはずすことなく、アキはその場でぺちゃんと正座をした。


 エダが「申し訳ございません」と頭を下げる。


「よいよい。そなたが気にすることなど、なにもないぞ」


 恐縮しきりといった表情のエダ。

 彼女は静かにアキの隣に膝をついたのだった。


「今日はどういった用向きで参ったのじゃ?」

「このコに、アキに刺激を与えたくて……」

「刺激? どういうことか、説明してもらってもよいか?」

「はい。といっても、どう話せばいいのかしら……」

「好きなように話すがよいぞ」

「では、えっと、私、結婚したんです」

「おぉっ、それはおめでとうなのじゃ」

「ありがとうございます。って、やだ。私ったら、なにからしゃべってるのかしら」

「なにを述べてもよいと言っておる。気にするでない」

「わ、わかりました。再婚なんです。前の夫とは、私が石女うまずめなので、別れるしかなくて……」

「ひどい夫ではないか」

「いえ。それなりの家柄にある方だったので、やっぱり子供が生めないというのは大問題で……」

「今の夫は、それでもいいと言ってくれたわけじゃな?」

「はい。だからとても感謝しています」


 なんともほっこりさせられる話ではないかと思い、スフィーダはニコニコしながら「うむうむ」と頷いた。


「それで、再婚だから私はいいと言ったんですけれど、新婚旅行にも連れていってもらって……」

「本当によい夫じゃのぅ」


 照れくさそうに、エダははにかんだ。


「初めて、国境を跨ぎました」

「大旅行ではないか」

「そうなんです。なにを見るのも目新しくて……。いろいろな文化に触れました。さまざまな街並みを目にしました。とにかくあちこちをめぐりました。そんなふうに旅をしている途中で、このコを、アキを見掛けたんです」

「見掛けた? どういうことじゃ?」

「街中でフツウに、その……売られていたんです。首輪をされて、石畳の上に座らされていました」

「まさに人売りか」

「そうです。その国は、奴隷市場が当たり前のように存在している国だったんです。痩せ細ったこのコを見て、主人も私も見て見ぬふりはできませんでした。ヒトを買う。その行為自体は軽蔑すべきことであるように思えました。でも、本当に、かわいそうでかわいそうで……」


 涙で声を濡らしたエダは、隣のアキの頭を愛おしそうに撫でた。


「アキという名は売り手の男性から聞かされました。変えたほうがとも考えたんですけれど、祝福されて生まれてきたんだって信じたかったから……」

「エダは優しいのぅ」

「いえ。本当に優しいのは主人のほうです。このコは私達の子供だ、大切にしようって言ってくれたんです。私、それが嬉しくて嬉しくて……」

「経緯はわかった。そろそろ本題か?」

「はい」

「アキに刺激を与えたい。そなたはそう申したな?」

「そうです。ご覧の通り、このコ、しゃべらないんです」

「なにか理由があるのじゃろうか」

「全身に虐待の痕があります」

「ふむ。そこに原因を見るのが適切かもしれんな」

「こんなことで謁見に申し込んでいいのかと迷ったんですけれど……」

「全然よいのじゃ。わしに会いに来る理由。そんなものはなんでもアリなのじゃからの」


 スフィーダ、玉座をあとにする。

 階段を下り、アキの前まで歩んで膝を折った。


「アキよ、こんにちは、なのじゃ」


 笑顔でそう伝えたものの、アキの反応は鈍い。

 まばたきを繰り返しながら、きょとんとした目で見てくるだけだ。


 ぺろっと舌を出し、目を大きくして、おどけてみせてみた。

 反応は変わらない。

 アキの両手を握ってみた。

 やはり反応はない。


「手ごわいのぅ」


 今度はアキの手を引っ張り、一緒に立ち上がった。

 自分より頭半分背が低い彼女のことを、ギュッと抱き締めてやった。


「しゃべってくれるまで放さぬぞぉ」


 するとだ。


「……匂い」

「おっ」

「いい匂い、する……」


 たちまちエダは赤絨毯に突っ伏し、「わっ!」と泣き出した。


「陛下! ありがとうございます! ありがとうございます!」

「これこれ。わしは大したことなどしとらんぞ」


 スフィーダはアキの耳元に唇を寄せた。


「アキよ、もうしゃべれるか?」

「……う、ん」

「声が掠れておるな。ま、そのうちよくなるじゃろう」

「友達、欲しい……」

「安心せい。わしとアキは、もう友達同士じゃ」


 アキから少し離れ、スフィーダは彼女の両肩をぽんぽんと叩いた。


「わしの知り合いに、しゃべれないニンゲンがいるのじゃ」

「そう、なの?」

「うむ。もうこの先ずっと、話すことはできぬ」

「悲しい、ね?」

「そうなのじゃ」


 泣き笑いのような顔をしたスフィーダである。


「その声を、ずっと聞いていたかったその声を、これからも忘れようはずがない。声は力じゃ。ヒトの記憶に焼きつき、残り続けるものなのじゃ。それだけ大切なものなのじゃ。じゃからのアキよ、口を利けることに感謝して、これからたっくさん、しゃべるとよいぞ」

「はい。わかり、ました」

「うむ。よい返事じゃ」


 スフィーダはたいへん満足し、アキのことを今一度抱き締めた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 不覚にもというか、泣いてしまいました。 もう聴こえない声。話したくても出せない声。 フォトンのことがすぐに思い出されました。 アキの境遇がエピソードの中で浮いていなくて、エダと夫の優しさが…
[一言] ここにきてこれはズルい…… 単体でも通る話だけど、フォトンを想って言ってるのがわかるだけに泣ける……(´;ω;`)
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