第83話 隣夫婦のアレの声が大きくて……。
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赤絨毯の上に設けられた二脚の椅子に、若い夫と妻がそれぞれ座っている。
茶髪に綺麗な二重まぶた、実に生真面目そうなのが、夫のベン。
ショートの黒髪にこちらもぱっちりおめめ、とてもおっとりしてそうなのが、妻のフラウである。
「陛下にお会いしたい。その一心で謁見に応募しだだけなんです」
ベンは「申し訳ありません」と頭を下げた。
こういう切り出し方をするニンゲンは少なくないが、謁見にあたっての理由など、スフィーダからすればどうでもよいのである。
会いに来てくれただけで嬉しいのだ。
「神々しいです。陛下も、それにヴィノー様も」
「世辞はよいよい。して、ベンよ、何一つとして話題を携えてこんかったわけでもないのじゃろう?」
「それが、本当になにも……」
「そ、そうなのか」
スフィーダ、玉座の上でガクッとなった。
「あ、でも、悩み事なら一つだけ。でも、これは言ってもどうしようもないことだよなぁ……」
「いやいや。ぜひ聞かせてほしいのじゃ。その悩み事とやらを」
「ご興味があるんですか?」
「あるある。大いにあるぞ」
「ほ、本当にいいんですか?」
「言い渋ることはない」
「それでは、え、えっと」
ベンは一つコホンと咳払いをし、「では、お話しします」と口を切った。
「僕と妻はアパート暮らしなんですけれど、最近、隣の部屋に、まだ揃って二十歳のご夫婦が引っ越してきたんです」
「ひょっとして、その隣人とトラブルでもあったのか?」
ベンもフラウも頬を染めた。
急になんだろうといぶかしく思い、スフィーダは首をかしげる。
「その、とても言いにくいことですし、こんなこと、スフィーダ様に申し上げても本当にしょうがないんです」
「それでも、続きを申してみよ」
「話さないといけませんか?」
「ここまで話しておいて、やっぱりやめたはナシなのじゃ」
「それじゃあ、あの、えっと、声が……」
「声? 声がどうしたのじゃ?」
「声が大きいんです……」
「馬鹿みたいな大声で日常会話を繰り広げるということか?」
「い、いえ。そういうわけではなくて……」
「ならば、毎晩、酒を飲んで酔っ払い騒がしくするとか、そういうことか?」
「そういうわけでもなくて……」
「じゃったら、どういうことなのじゃ?」
スフィーダの頭の中に、いよいよクエスチョンマークが浮かぶ。
ヨシュアが「陛下も察しがお悪いですね」と会話に入ってきた。
「む。おまえにはもう見当がついているというのか?」
「無論です。陛下、濡れ事でございますよ」
「ぬぬっ、濡れ事!?」
「ええ。お二人は、隣人が濡れ事に興じている際の喘ぎ声の大きさに悩まされているのでございます」
「ベ、ベンよ、そうなのか?」
「はい……」
「そ、そういうことじゃったのか……」
若い夫婦と同様、スフィーダも一気に赤面してしまった。
「濡れ事。それは非常に気持ちよく心地よく、また尊い行いでございます。ですから、私個人の意見といたしましては、喘ぎ声の大きさくらい大目に見てもよいのではないかと――」
「ヨヨ、ヨシュアよ、そ、そういうことをじゃな、臆面もなくハキハキ言うのは、どうかと思うぞ?」
「濡れ事は重要でございます。大切なことでございます」
「わ、わかった。おまえの意見はわかった。じゃから、少し黙って――」
「何度だって申し上げます。濡れ事は重要であり、また大切なこと――」
「もうよい! おまえは黙っておれ!」
今度はスフィーダがコホンと咳払い。
まだ己を取り戻すには時間を要しそうだが、目下は平静を装うことにする。
「ベンよ、一言、やんわり言ってやるわけには、いかんかの?」
「陛下だったら、言えますか……?」
言えない。
とてもではないが、恥ずかしくて言えない。
「む、むぅぅ、困ったのぅ……」
「私個人の意見といたしましては、そういうことであれば、ベンさんとフラウさんも負けないくらい大きな喘ぎ声を出してやればよいのではないかと――」
「じゃからヨシュアよ、おまえは黙っておれ! の、のぅ、ベンよ、しかしじゃ、こうも考えられんか? 隣の夫婦は、声が漏れていることに気づいておらんかもしれんじゃろう?」
「そ、それは、確かに……」
「じゃったら、どこぞの部屋からいよいよ苦情を寄せられる前に、教えてやるのが優しさだとは言えんか?」
「そうですね。でも……なあ?」
ベンが隣を見た。
頬を染めたままのフラウは目を閉じ、ぶんぶんと首を横に振った。
「まあ、そうじゃろうな。やはり言えぬわな……」
「はい……」
「やむを得ません。私が一肌脱ぎましょう」
「ヨシュア、しつこいぞ。おまえはしゃべらんでいいと――」
「陛下。私は真面目な話をしているのでございます。喘ぎ声くらいと申しましたが、もはややむなし。ベンさんとフラウさん、それにアパートに住まう人々の静かな生活を守るために、私がその隣人に言って聞かせましょう」
「ま、まさか、それ、真剣に言っておるわけではあるまいな?」
「ここで冗談を言う理由などございますか?」
「それはそうじゃが……」
「あの、ヴィノー様、本気なんですか……?」
「ええ、ベンさん、お任せください。本日の謁見はお二人で最後ですので、早速、参りましょう。案内していただけますか?」
「そ、それはいいんですけれど……」
「ヨ、ヨシュアよ。今さらではあるがじゃな。おまえがいたずらに街を闊歩してしまうと、民がパニックに陥ってしまう可能性がありゃせんか? 特に女子達が」
「問題ありません。ほっかむりをいたしますので」
「そんなことでごまかせる美丈夫ぶりではないのじゃが……」
「たとえ見つかったとしても、あしらい方は心得ております」
「そ、そうなのか?」
「はい。ご安心くださいませ」
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ヨシュアは本当に行ってしまった。
そして、きちんと話をつけて、帰ってきた。
「無論、濡れ事に励むこと自体は素晴らしいとお伝えいたしました」
そういうことらしい。
ヨシュアの魔法衣には、ところどころしわが寄っていた。
ほっかむりでは事足りなかったのだろう。
加えて、あしらい方は心得ているといっても、女子らのパワーには敵わなかったようだ。