第81話 誠実さに勝る美徳なし。
◆◆◆
「ホント、どうしてこんなに禿げ散らかっちゃったのよ。まだ三十五なのに」
そう言って、妻のヘレナは隣に座っている夫の頭をペシペシ叩くのである。
夫のジョシュは肩をすぼめ、実に申し訳なさそうな顔をしているのである。
「ひどい話ですよ。結婚したときはフサフサだったんです。それが今や、一緒に外を歩くのも恥ずかしいレベルなんですから、言ってみれば詐欺ですよね」
ヘレナときたら、まだジョシュの頭をペシペシと叩くのである。
「頭はこんななのに、見てください、腕とか毛深いでしょう? 胸毛とかもスゴいんですよ。しかも剛毛、ワッサワサ。なのに頭だけはコレ。陛下、私のやりきれないこの思い、わかってくださいます?」
ジョシュが不憫に思えてしょうがない。
だって彼、別になにか悪いことをしたというわけではないのだ。
二千年以上生きているスフィーダだって、禿げが悪だとは聞いたことがないのである。
「ヘレナよ、夫の頭をそうペシペシ叩くものではないぞ」
「叩いたら生えてこないかなって。毛根には刺激が必要だって話じゃないですか」
「い、いや、じゃからといって、人前でそれをやるのはじゃな――」
「ただの禿げならまだよかったんです。でも、散らかってるんです。見事に禿げ散らかっているんですよ。それがもう、みっともなくて、みっともなくて」
禿げ散らかっているというのは、恐らく、微妙に髪が残っている状態のことを指すのだろう。
確かに、ジョシュはまるっきり禿げというわけではなく、頭の周囲には幾分、てっぺんには少々、毛があるのだ。
「いっそ剃っちゃえばいいのに、本人、嫌がるんです。ここが橋頭保だとかわけのわからないことを抜かすんです」
「わけがわからぬこともないぞ。なんとなく、気持ちは伝わってくるぞ」
「気持ちで問題が解決したら苦労しませんよ」
「まあ、そうじゃが……。して、今日はなんの用で参ったのじゃ?」
「愚痴です。愚痴を言いに来たんです。いけませんか?」
「いかんということはないぞ」
「あっ、それと、魔法でなんとかならないかな、って」
「と、頭髪を豊かにする魔法は、さすがに耳にしたことがないのじゃ」
「じゃあもういいです。殺してください」
「ここっ、殺す? 誰をじゃ?」
「旦那をです。法で禁じられている殺人でも、陛下がやる分には、オール・オッケーですよね?」
「い、いや。いやいやいや、待て待て待て。何一つとしてオッケーではないぞ?」
「じゃあ、やっぱり自然死に期待するしかないのかぁ。となると、私にできるのは呪詛を吐くことくらいかぁ」
「じゅ、呪詛?」
「まぁ死ねと言い続けるってことです」
ジョシュはグスッと鼻を鳴らした。
妻にここまで言われてしまっては、泣きたくもなるだろう。
ふと、スフィーダの頭中にクエスチョンマークが浮かんだ。
疑問を口に出すことにする。
「ヘレナよ」
「はいはい。なんですかぁ?」
「じゃったらなぜ、離婚せんのじゃ?」
離婚。
その単語が刺さったのか、ジョシュはビクッと身を跳ねさせた。
「おおぅ。鋭いなぁ。そう来ますか」
「訊きたくもなる。のぅ、どうしてじゃ?」
「コイツ、それなりにモテたんスよ。このように成り果ててしまう以前は」
「端正な顔立ちをしているとは、さっきから思っておったのじゃ」
「体毛が濃くても、案外、女子は大丈夫なもんなんス」
「うむうむ。わしからしてもナシではないぞ」
「性格も悪くないんです。実際、私になに言われても怒らないッスから」
「そのようじゃの」
「だからまぁ、惚れた弱みってんですか? 別れたら別れたで、コイツに新しい女房でもできちまった日にゃあ、後悔するように思うんスよ」
「要するに」
「ええ、まあ、はい、そうですよ。そこにあるのは愛ってヤツです」
またヘレナはジョシュの頭をペシッと叩いたが、愛が失われたわけではないのだと思うと、途端に仲睦まじいように映り始めるから不思議だ。
「というわけなんで女王陛下、この美しき夫婦に、どうかお恵みを与えてやってくださいませんか?」
「なにをしてほしいのじゃ?」
「そうだなぁ。もうお昼だし、ランチをご一緒させていただくとか」
「わかった。よいぞ」
「えっ、いいの? ホントに?」
「たまにはそういった趣向もよいじゃろう」
スフィーダ、玉座のかたわらに立つヨシュアを見上げた。
彼は「かしこまりました」と言い、侍女を呼んで準備をするよう言いつけた。
「ひょえー。マジかよ。ねぇ、ジョシュ、聞いた? スフィーダ様が昼メシ奢ってくれるってさ」
ジョシュは感極まったような顔をして立ち上がり、深々と礼をした。
やはり頭頂部の髪は寂しいが、十二分に誠実さが伝わってきた。
そう。
誠実さに勝る美徳などないのだ。
なんだかんだ言っても、ヘレナはそのことを、よく理解しているのだろう。




