第80話 雨の日。
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玉座の間を支える太くて白い柱のそばに立ち、スフィーダは曇天を眺めていた。
今日は土曜日。
謁見者はいない。
なので泳いでやろうと思ったのだが、あいにく、雨が降っている
プールを覆う屋根をこしらえればよいとも考える。
しかし、それをやってしまうと、せっかくの開放感が失われてしまう。
どうせなら、おてんとさまのもとで泳ぎたい。
スフィーダ、じめじめと湿っぽい雨の日は嫌いだ。
気分も下がれば、溜息の数も増える。
とはいえ、雨が降らないと困る者もいるわけだ。
農家のニンゲンなんかが、その筆頭だろう。
恵みの雨とは、よく言ったもの。
雨が仕事をしなければ、穀物は具合よく育たない。
ヨシュアがやってきて、スフィーダの隣に並んだ。
ねずみ色の空を見上げ、「雨でございますね」と彼は言う。
彼女も改めて顎を上げ、目線を上にやった。
「たとえばじゃ、ヨシュアよ、おまえは雨の日に、なにか思い出があったりはせんか?」
「また唐突なご質問ですね。なくはございません」
「話せる内容か?」
「陛下に隠し事をしようなどとは思っておりません」
「嘘をつけ」
「手厳しい」
「ご覧の通り、わしは暇をしておるからの。なんでもよいから話題を提供してほしいのじゃ」
「クロエとの出会いの日は、雨が降っておりました」
初めて耳にする話だ。
「どこで出会ったのじゃ?」
「我が家が主催した夕食会に来ていたのでございます。末席も末席で、幼いながらも緊張し、恐縮していたのでしょう、彼女は小さく小さくなっていました」
スフィーダは雨粒を降らす曇天を見上げたまま「クロエらしいの」と言い、目を細めた。
「おまえから話し掛けたのか?」
「はい。ダンスの時間に」
「クロエのことじゃ。うまく踊れやせんかったじゃろう?」
「そこは、エスコートする立場の私がなんとかいたしました」
「言ってくれるのぅ。して、どちらが先に惚れたのじゃ?」
「クロエは自分だと申しておりますが」
「実はおまえのほうが早かったのか?」
「さあ。どうなのでございましょう」
「はぐらかすでない」
ヨシュアはスフィーダのほうを向き、にこりと笑ってみせると、「ここから先は有料でございます」と言って、唇に右手の人差し指を当てた。
スフィーダもニッコリと笑んだのである。
そして彼女は、両手をうんと突き上げた。
「わしは幸せ者じゃーっ!」
「いきなり、どうなさいました?」
「だって、考えてもみろ。好きな男とは想い合うことができていて、その上、おまえみたいな美男を、日頃、独占しているのじゃぞ? ずるいくらいに幸福ではないか」
「そして、そんな美男に、陛下は愛されていますしね」
「その気持ちは、ひしひしと感じておる。実はクロエは妬いているのではないのか?」
「あるいは」
「じゃろうのぅ」
スフィーダ、腰に手を当て胸を張り、「わっはっは」と笑った。
それからまた、空を見上げた。
むぅと口をとがらせる。
「しゃべっているうちにやまんかと思っておったのじゃが、いっこうにその気配はないのぅ」
「雨降りという問題は、魔法で解決できないこともありませんが」
「そうも考えるのじゃが、こういうことに魔法を使うべきではなかろう」
「気の利いたことをおっしゃいますね。さすがでございます」
「世辞は要らん」
「では、なにを欲されますか?」
「うーむ、そうじゃな……ひゃあっ」
なんの前触れもなく、ヨシュアにお姫様抱っこをされたスフィーダである。
彼はそのまま、くるくると回る。
スフィーダは笑う。
ヨシュアは微笑んでいる。
ヨシュアがいつか言っていた。
悠久のときを生きるからこそ、刹那を大事にしてほしい、と。
そうしたい、また、そうしなければならない。
心の底からそう思う。
なぜなら、永遠に続くものなんて、きっとないからだ。
魔女にだって、なんらかのかたちで、いつか唐突に、終わりは訪れるに違いない。
今という刹那。
自らの刹那。
一瞬一瞬が、愛おしい。
そんなふうに感じられるようになれば最高だろう。




